tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

もらい泣き

2010-09-16 23:32:44 | 日記

 
 
 
 

中学校の国語の時間。始業の挨拶が終わって着席。ボクがふざけてたら産休の臨時教員に来た若い女の先生がマジギレ。
「わからないんでしょ?わからないんだったら、まじめに聞きなさい!」
とバカと決めてかかる思いっきりの怒声に驚いて
「わかります」とつい応えてしまったら、
さらに逆上した先生はボクに向かってチョークを投げつけた。
で、肩がまわってないからチョークはコントロールがつかず、外れてボクの席の後ろの女子にヒット。周りで笑い声が・・・。
先生は血相を変えこっちまで来て、ボクに思いっきりビンタ。
「教室の後ろに立ってなさい!」
で、教室の後ろに行くと、一番後ろの席のクラスで一番デカイ奴(女子)が机で泣いてた。

「あの子叩かれてもいないのになんで泣いてんだろ・・・」
とあとでボクが呟くと、ボクの後ろの席の女子が
「ばかね、もらい泣きって言うのよ」
と教えてくれた。でも、それって違うと思うんだけど。

ビンタは別に珍しくなかった時代だが、先生は授業が終わってから職員室で泣いたらしい。
当然、職員室では、臨時教員の若い女の先生を泣かしたワルガキの悪口で盛り上がって・・・
あの先生。短めのスカートがまぶしくて、あこがれだったんだけどなあ・・・


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町のとうふや

2010-09-15 23:15:59 | 日記

 
 
 
 

その昔、夕方になると豆腐売りのラッパの音が路地に鳴り響いたものだった。
昭和の時代。豆腐屋さんは自転車の後ろに大きな木箱を乗せて,中に豆腐を入れて売りに来ていた。
豆腐屋さんのラッパの音が聞こえると、近所の家々のお母さんたちや、お使いのこどもたちが鍋やボウルを持って集まってきた。
自転車の後ろの箱には水がはってあって、豆腐屋のおじさんは、水に沈んでいる豆腐をそっとすくって持っていったボウルに入れてくれた。
今は多くの人がスーパーで豆腐を買うようになり、かつては沢山あった町の豆腐屋さんが減り続けている。  

スーパーの豆腐といえば、大量生産で安いだけがとりえのような印象があったのだが、今では様々な商品が並んでいる。
有機栽培大豆で生産されたこだわりの豆腐を手に入ることもできる。
一方、下水道なんてほとんど発達してなかった東北の片田舎の町で、排水の悪臭に辟易しながら聞いた豆腐屋のおじさんの雑談の中に、外国から輸入した大豆で売っている豆腐が作られていると聞いて愕然としたことがあった。
大豆の国内自給率はわずか4%。ほとんどを海外からの輸入に依存しているから当たり前のことなのだが。
大豆は豆腐以外にも、味噌・醤油など日本の食文化に深く関わる加工品の原料に使われる。
なんだかおかしな話だ。

夕暮れ時の豆腐屋。ひょっとしたら高山で自転車とは言わず、軽トラに乗った豆腐屋さんに出会えるかと町をさまよった。
しかし、豆腐屋さんのラッパの音は聞こえてこなかった。昭和は音に記憶を残すのみ。
晩夏の高山の夕空に遠い日の想い出が浮かんだ。


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こきりこの里

2010-09-14 22:14:58 | プチ放浪 山道編
 
 
 
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「まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン」

北陸からの帰路、北陸自動車道五箇山ICでR-156号線に乗り換え、美しい渓谷に沿って飛騨の里へ向かう。
世界遺産の合掌集落と言えば、岐阜県の白川郷が有名だが、五箇山の合掌集落(菅沼・相倉集落)も世界遺産に登録されている。
五箇山は観光客が少なく、今も集落には生活感が漂い落ち着いた雰囲気がある。
また五箇山は「こきりこの里」でも知られている。

「こきりこ」はもともと、放浪芸として入ってきたものが土地の田踊りとして定着し、越中五箇山の古社、上梨白山宮の祭礼に歌い踊られてきたものだ。
「こきりこ」が世に知られるようになったのは、詩人の西条八十による。昭和5年に一度、五箇山に訪れているのだが、すでに五箇山でこきりこ節をうたう人はいなかった。
しかし、昭和26年、こきりこ最後の伝承者が見つかり、西条八十が採譜して発表したことで一躍脚光を浴びることになったらしい。

こきりこは「筑子」または「小切子」と書く。「筑」は「竹」のこと。七寸五分(約23センチ)に切った2本のすす竹を、手首を回転させ指先で回しながら軽やかな音に打ち鳴らす。なお、筑子の竹は七寸五分と決まってる。それより長いと袖にひっかかるからとこきりこ節では歌われる。
「筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ 」

「踊りたか踊れ泣く子をいくせ ササラは窓の許にある」
踊りたいなら踊れ。泣く子はよこせ。ササラは窓のそばにあると歌詞は続く。・・・幼子を持つ若妻に亭主が気遣った歌詞だろうか。心優しい場面だ。
たまには子どもを預けて踊れば、子育ての元気も湧いてくる。

「想いと恋と笹舟に乗せりゃ 想いは沈む恋は浮く」
 「こきりこ」にはちょっと色っぽい歌詞もある。が、心を打つのは
「月見て歌ふ放下のこきりこ 竹の夜声の澄みわたる」
深く悲しき笛竹の夜声が夜風とともにあたりを渡っていくのを、じっと聞き入っている村人たちの姿が目に浮かんでくる。


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舳倉島の海女さんに嫌われた

2010-09-13 22:48:54 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

なぜか9月になると北陸に来たくてたまらなくなる。
去年は、台風で雨。輪島港で舳倉島行きの定期連絡船の欠航を告げられた。
舳倉島に渡れなかったぼくは、雨の中を輪島の朝市を覗きながらぼんやりと歩いた。

今年の輪島。台風9号が2日前に通り過ぎた日本海は、前の晩に全天の星空だった。
台風が猛暑の夏の名残を洗い流していた。
天気予報では、2日後に秋雨前線の南下を告げていたが、舳倉島に渡る日、つまり翌日の天気は確実と思われた。

夜明けの白米の千枚田から、輪島港の連絡船の待合室へ。そこでは民宿の「つかさ」のご主人からメッセージが待っていた。
「明日とあさっての連絡船は、悪天候で欠航するかもしれない」
待合室には、やはり、欠航かもの知らせを聞いてどうしようかと迷う旅行者のおばちゃんたちがいた。
島に渡ったら、2~3日、足止めを食らう可能性が高い。
連絡船の船長は、舳倉島で生活物資を降ろしたら、今日はとんぼ返りするという。
一目でもいいから、海女さんたちが潜るところを見たい。
そう、船長に告げると、待合室のおばちゃんたちがめいめいに
「今日は、第2土曜日で海女さんはお休み」
とあっさり。さらに船長は
「舳倉に渡りたいのなら、一週間の天気予報を見てから予定を組みな」
とダメ出し。海女さんの休みは知らなかったが、天気予報は見て、今回の舳倉島行きを決めたんだけど・・・
2年続けて舳倉島の海女さんに嫌われた。
だが、「三度目の正直」という言葉がある。諦めはしない。いつかきっと・・・

昨年と同じく、輪島で朝コーヒー。
すべて去年のまま。天気以外は何も変わらない。
輪島はちっとも変わっていない。だが、ぼくは少しは写真がうまくなっているのだろうか。。


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Re:PEPPER

2010-09-09 22:43:57 | my favorite songs
 
 
 

平原綾香さん19歳の時の1stアルバムの中の1曲。
妹尾武や アンドレ・ギャニオン、河野道生の書き下ろし曲とともに、デビューヒット「Jupiter」を含む自作の作詞・作曲オリジナル曲が加わった彼女の魅力が溢れるアルバム。

”あなたの1歩も100歩も前を行くわ
強くなる!翔んでみせる!!force back!!!”

見果てぬ夢を追い掛ける彼女の気持ちが素直に現れている曲。この曲を聴くといつか観た”コヨーテ・アグリー”を思い出してしまう。
この映画の内容はありきたりな青春サクセスストーリなのだが、オープニングの"I will survive"でまいってしまったし、随所に出てくるサブカルチャーとしてのストリート・ダンスもよかった。
しかしあの主役の女の子。掬い上げて見るような目線が、ジェニファー・ロペスを連想させてキュートだったんだけど、その後あまり観てないなあ。
平原綾香さんは、あっという間にメジャーになったけど。

さて、写真はサルスベリ。情熱のサマー・レッドと勝手に呼んでいる。高い青空、入道雲に赤の花が映えてきれいだ。


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