goo blog サービス終了のお知らせ 

tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

京都 平安神宮の市電

2012-05-18 22:07:06 | プチ放浪 都会編

 
 
平安神宮は1895(明治28)年に平安遷都1100年を記念して創建。同年に、日本初の営業電車となった今はない京都市電伏見線が開業。同年開催の第4回内国勧業博覧会(上京区岡崎)の開幕に合わせて鴨東線 木屋町二条 - 岡崎円勝寺町 - 岡崎博覧会場 - 南禅寺橋(後の南禅寺前) も開業。

この日本初の京都市電伏見線は、琵琶湖の水を京都まで引くことによる日本初の水力発電が行われ、大量の電力を確保するのが容易だったこともその理由のひとつだ。
南禅寺境内にはアーチ型煉瓦造りの水路閣が作られた。
こうした動きは、東京遷都に伴い京都が衰退してしまうのではないかという懸念あったためといわれている。

京都市電は、その後の自動車の普及により乗客の減少がつづき経営が困難となり順次廃止されていった。
一方、南禅寺の水路閣は、延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、いまも毎秒2トンの水が流れている。
京都でも有数の美しい景観だ。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 南禅寺

2012-05-17 21:57:25 | プチ放浪 都会編

 


13世紀に南宋で作られた青磁の香炉がある。千鳥の香炉。
盗賊の石川五右衛門が秀吉の寝所に忍び込んだとき、この千鳥が鳴いたため捕らえられたという。豊臣秀吉、徳川家康と伝来、家康の歿後尾張家初代義直へと伝わった。
円筒形で、三つの足が浮き上がる形態が千鳥が片足を上げるしぐさに似ていることから千鳥形と呼ばれるのだが、くだんの千鳥の香炉には、千鳥をかたどったつまみがついた蓋がついている。
人が歩き回る振動に鳴動するような蓋ではないのだが、古い陶器にはそんないわれが似つかわしい雰囲気がある。

時の権力者・豊臣秀吉に対抗した反体制派のヒーロー、石川五右衛門。捕えられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺される。
ただ、名ゼリフで知られる南禅寺の三門は、五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628)に再建されたものらしい。

この日、南禅寺を訪れたのは、先斗町の横道、木屋町から細い路地に入ったところにある「トラットリ屋 es」さんのかわいい女性のお勧めによる。ディズニーランド好きのお嬢さんで、関東に住むぼくをうらやましがったが、こちらからすれば、京丹波手前に住む彼女の方こそ日常の古き良き日本の風景がうらやましい。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 茶わん坂

2012-05-16 22:55:05 | プチ放浪 都会編
 


田舎で陶磁器商を営んでいた父の趣味は、古いガラクタのような陶磁器集めだった。
商品の陶器に囲まれて過ごした幼い日々。そのせいか、益子など陶器屋がならぶ街角に立つと心に安らぎを覚える。
父が集めていた陶磁器は中国のなんとかの時代のものとか、国内では九谷焼やら萩焼きやら益子焼やら・・・。そのコレクションの中には清水焼があったように記憶している。
陶器に囲まれて暮らしていた当時は、門前の小僧と同様に、習わずとも国内の陶器についてはだいたい見分けがついていたように思う。ただし、清水焼だけはその特徴がわからなかった。

さて、清水寺に通じる道はいくつかあるが、そのひとつに茶わん坂がある。その昔、茶わん坂で多くの陶工が技を競った街であることからその名がつけられたという。人間国宝・近藤悠三記念館や、6代目清水六兵衞の家などもある。

陶器は、その土地の風土で生まれる。その土地の上質な粘土、釉薬に使う長石などの石。その土地固有のものが独特の風合いをもたらす。したがって、上質の粘土のを算出する土地が有名な焼き物の里の条件だ。その意味で、京都では上質の粘土が採れるわけではなく、信楽焼の里(滋賀県)などから持ってきているものと思われる。そうした事情により、清水焼は比較的低温で焼成する陶器から、高温でガラス化させた色鮮やかな磁器まで清水焼は幅が広く、清水焼独特の特徴というものは顕著ではない。
陶器の見立てができたのはだいぶ昔の話だ。普段使いの食器も、耐熱のプラスチックを使っている今となっては、100均の安物と作家が作った清水焼を並べられたら、それらを見分けられる自信は残念ながらまったくない。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い矢痕 建仁寺

2012-05-15 22:48:41 | プチ放浪 都会編
 

宗建仁寺派の大本山、建仁寺。開山は日本に茶をもたらした栄西禅師。日本最古の禅寺だ。
建仁寺の勅使門の扉には戦乱の矢の痕がある。
この門は、銅板葺切妻造の四脚門で、鎌倉時代後期の遺構。
平清盛の六波羅邸の門、平経盛の館門、あるいは、平重盛邸の門を移築したなど諸説がある。

矢傷を受けたのは、「承久の変(1221年)」とか、「六波羅の二月騒動(1272年)」、「元弘の変(1331年)」などと言われているが定かではない。門は応仁の乱(1467年)の頃移築されたらしい。
パリの古い建物にも第2次世界大戦の銃弾の痕があり、こうした昔の戦争の名残を見ると、その時、はたしてどんなドラマがあったのだろうと想像をめぐらせてしまう。
特異な想像力があれば古い矢痕を元にして司馬遼太郎ばりの物語が書けるのだろうが、当時の社会の基礎知識もなければ読者の興味を引き付ける文才もないのでブログの記事で甘んじるしかない。

・・・それでも、「平家にあらざれば人にあらず」と言われた当時の武士社会において、平家一族の館門に弓を射るとなればただ事ではすまない。やはり、戦争で受けた傷跡とみなすのが良さそうだ。

いずれにしても、この矢が人を射たものではないことを祈るしかない。
その祈りも含めて、建仁寺法堂で、静かに手を合わせる人の姿には心を打たれるばかりだ。 


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランチde世界放浪(10)

2012-05-14 22:55:52 | 日記

 

本場フィレンツェ仕込みの自家製・生パスタ
 ALGERNON (アルジャーノン)
   東京都港区赤坂2-21-10 ヴェール赤坂 2F
   03-3582-2037
 
この2月にイタリアン カンティーヌアリバブの上にオープンしたお店。
職場から歩いて7分のLAWSONの途中にあるイタリアンビストロだ。開店したころは、カメリエーレ(Cameriere)らしき方が、店の前でちらし配りをしてたから気になっていたが、開店10日後、様子を見に行ったらランチタイムは満席に近い状況だった。

オーダーは、ホウレンソウのクリームパスタ。幅4mmぐらいの生パスタ。タリアッテレ(Tagliatelle)ですかね?フェットチーネ?スパゲッティと比べてどっしりとした感じで、濃厚なクリームソースによく合う。さすがはイタ飯。やっぱ、こういう店は一人メシじゃなくて、女の子なんかと来るべきっすよね。
赤坂の場所がらだけあって、隣の席の女性はバイリンギャルでお相手の男はアメリカ人?食事の間、非日常的感覚に酔いしれてました。

さてさて、記憶に新しい1991年の湾岸戦争。イタリアは十数機のトーネード IDS (Tornado IDS:イギリス、ドイツ、イタリアで国際協同開発された全天候型可変翼マルチロール攻撃機)を出撃。滑走路破壊兵器であるJP233の搭載能力と低空侵入能力により多国籍軍の空爆の第一撃を担うはずだった。

なお、トーネードはイタリアから戦場のサウジアラビアの基地まで無給油で飛べるほど航続距離が長くなく、途中で空中給油を行なう事に。
イタリアは空中給油機が装備されておらず、当然パイロットは空中給油の訓練など行なっていない。
だが、軍の上層部は「空中給油ぐらいなんとかなるだろう」と・・・。

実際に空中給油を行なってみると、一機を除き他の全ての機体が空中給油に失敗して本国へ帰還。
空中給油に成功し無事に目的地に到着した一機は、イラク軍施設攻撃の作戦途上に撃墜され、パイロットはイラクの捕虜に。(ノω・、) ウゥ・・・

時速500キロ。給油機との間隔は6m。・・・緊張するんだろうなあ。。(´・ω・`)
空中給油の時間は1分程度なのだが、 その給油ポジションに着くまでに相当の度胸が必要。
:・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え~~~~~~~~ん!!! そんな度胸ねえよ。。
まあ、空中給油に命を賭けるくらいなら女に賭けまつよね。
っつうことで、命かけるぞっと。・・・何に?


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする