公証人の定款認証の管轄の問題で想起されるのは,日本における公証人制度の歴史における後掲の点である。平成16年にドイツの公証人トマス・ミルデ氏をお招きした「予防司法を考えるシンポジウム」(京都司法書士会主催)を開催した際に,あれこれ調べているうちに見つけたものである(このブログでも取り上げたつもりでいたが,そうではなかったようである。)が,非常に興味深いものである。
というわけで,定款認証の管轄を撤廃することは,制度維持の観点からは,なかなか難しいと思われるのである。
「公証制度が一番急速に発達したのは京都だった。次いで大阪、神戸は公証制度がよく利用された。他方、遅れたところで最もひどかったのが東京だった。東京では、ほとんど利用者がなくて事務所維持に困難を極めた。そのため、生活の安定を図るために、嘱託人の誘引競争が激化し、問題化するようになっていった。これに対し、例外は浅草馬場役場の小川正直氏で、吉原遊廓を管内に持ち、前借金並びに稼業契約の公正証書を作成し、繁盛していた。」(後掲百年史)
「昭和12年7月7日、日中事変の勃発に伴って、わが国の経済は順次戦時体制に移行していった。これは公正証書作成にも当然影響を与え、事件数は激減していき、公証人の生活も下降線をたどり、他の国民と同様、厳しいものであった(百年史84~85頁)。
ただ、この事件数の減少を多少でも喰いとめたのが、昭和15年の定款認証制度の開始であった。同年1月1日施行の会社法改正で、株式会社、株式合資会社及び有限会社の定款はすべて公証人の認証を受けることを要することとなった。」(後掲百年史)
cf. 「日本公証人制度の概要と問題点」by 公正証書遺言被害者の会
http://yuigon.us/data/shohisha_a_7.pdf
※ いずれも,日本公証人連合会「公証制度百年史」からの引用であるようである。
「東京では、公正証書の作成は非常に低調であった。しかし、唯一の例外として、芸娼妓契約については頻繁に利用されていたようである。本来、私法上の権利関係を公的に確認し、司法手続きの円滑な運用実施を目的とした公証人制度が、芸娼妓契約に利用され、芸娼妓の人身を前借金に縛り付ける役割を果たしたことは、日本における公証人制度の機能を考える上で、従来意識的あるいは無意識的に、看過されてきた重要な視点であろう。」(後掲村上35頁以下)
cf. 村上一博「布施辰治における芸娼妓契約無効論と公娼自廃の戦術」
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/3644/1/daigakushikiyo_12_19.pdf