tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

最近気になる政治家の言葉2つ

2021年12月12日 12時01分58秒 | 政治
岸田政権が具体的な政策につての議論に、いろいろな場で入ってくる時期になりました。総理をはじめ自民党幹事長などが要所で発言している中で、何か聞いていて違和感のある、気になる言葉がこれまでに2つありました。

一つは「国益」という言葉です。もう一つは「私が決めます」という言葉です。
「国益」という言葉は、国際問題、国際関係などについて、種々の状況や考え方を説明したうえで、最終的には「国益」を考慮して決めていきたい、といった言い方になっているようです。

「私が決めます」という言葉は、矢張り議論が多く、いろいろな意見があることを説明しながら、決める立場にあるのは自分だから「私が決めます」という発言になるようです。

なぜこの2つの言葉に違和感を感じ、聞いた途端に気になってしまうという理由ですが、
原点はトランプさんにあるような気がしています。

トランプさんの人気の秘密は、「世界中がアメリカを利用し、アメリカは損ばかりしている。私としてはアメリカの国益が第1だ、だから『アメリカファースト』だ」と言って、多くの不満を持つアメリカ人(プアー・ホワイトなど)の被害者意識に訴えた事にあると言われます。

しかし、世界の人達は、「覇権国を持って任ずるアメリカが、自分の利益だけ考えるのでいいのか」と思い、また発言し、現実にアメリカのその後の行動は、多く世界中に混乱を齎すものでした。
それでもまだアメリカではトランプ支持が結構あるようですが、日本人はもう少しまともでしょう。

多くの日本人は、本当の国益は、世界各国、地球人類の共存共栄の中にあると理解しているのではないでしょうか。
そうであってみれば、日本という国のリーダーである人たちが「国益」を判断基準にすると公の場(マスコミなど)で発言することに違和感を持っても当然と思うのです。

日本に理解のある外国人でも、日本のリーダーから「国益」という言葉を聞けば、「ああそうか、やっぱり日本も国益中心の考え方になったのか」と受け取り、もしかしたらトランプさんを連想するかもしれません。

「私が決めます」という言葉は、安倍さんの「決める政治」というスローガンから始まったのでしょうか。
総理大臣になれば、確かに最終決定権者かもしれませんが、日本には「衆に諮る」という素晴らしい伝統文化があります。
聖徳太子の17条の憲法の「第17条」には「夫れ事は一人にて決めるべからず」と書いていあります。  

大体民主主義というのは多数決が基本です。最近、独裁色を強めてきた習近平さんも、「民主主義と言っても選挙の時だけで、選挙で勝てば、後は何でも出来るのが民主主義国だ」などと民主主義サミットを批判しましたが、トランプさんや安倍さんの事を知っていて言っているのでしょう。(中国はアメリカ、日本を確り見ています)

たしか、朝日新聞の「かたえくぼ」に
「私が決めます」/「『私』が決めるから心配だ」
というのがあったかと思いますが、思い出すのは、前総理の菅さんの「私が決めました」で、未だ問題が解決しない学術会議委員の任命問題が思い出されます。

未だいろいろなことがあるのかもしれませんが、一国のリーダーの方がたには、国民の気になるような言葉は使わないで頂きたいと思う所です。