tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

デジタル国家に近づくには?

2021年12月20日 17時12分26秒 | 政治
デジタル庁が出来ました。大臣には新進の女性が座りました。実戦部隊の長のデジタル監はデジタル化の経験豊富なベテランの女性だという方です。

さてこれから「デジタルリテラシーが重要」などという言葉が出てくるのでしょうか。
明治になって識字率を高めなければ国は発展しないと気づいた政府は全国民に「読み書き」能力を徹底するために、そして計算が出来ることを目指して「読み書き算盤」の教育を本気でやりました。

時代は変わりましたが、昔の「読み書き算盤」は「読み」以外はデジタル化になりました。
「読み」は相変わらず眼ですが「書く」と「算盤」はキーボードになりました。

しかも、書けない字も「デジタル機器」が書いてくれ、出来ない計算も「デジタル機器」が正確にやってくれるのです。

そして大変な変化は、遠くて聞こえないところでも、見えないところでも、音声でも文字でも写真でも、隣にいるのと同じように直接伝えることが可能なのです。

出来ない事は「頭の中で考えていることを直接相手に伝えること」だけでしょう。でもこれが出来たら世の中恐ろしい事になるでしょから、出来ない方がいいのでしょう。

話を戻してデジタル化がここまで進んできたとき、それを使うか使わないかという選択は人間次第という事でいいのでしょうか。

明治政府は「読み書き算盤」は国民必須の知識として全日本人に強制しました。結果的に、それは正しい選択だったと今の人達は考えているのではないでしょうか。

千数百年前にも、実は同じようなことがありました。中國から文字が入ってきました。その当時は誰も強制しなかったでしょう、しかし日本人は、それを自己流に使って、万葉仮名をつくり出し、万葉の人々は、万葉集に見るように、こぞって使ったようです。

それに比べると、今の日本人は些かズボラになってしまったようです。
まず国会です。相変わらず堂々巡りの投票をやっています。総選挙にしてからが、いちいち投票所に行って、紙に「鉛筆」で書いて、それを1枚1枚勘定して結果を出しています。

先日の建設受注の統計でもそうです。紙に鉛筆で書いて届けにいったり郵送したりで手間がかかったり、忙しいので間に合わず月次集計に間になわないことが多くなって、その結果,困った挙句に起きた不祥事です。(デジタルの手段もあるのにです)

「もうデジタル機器が進歩しているのですよ」と言っても、国会をはじめ、誰も変えようといわないのです。明治初年の文盲、無筆の人達が、「字が読めなくても、書けなくても、世の中一応回っているんだからいいんじゃないの」と言ったでしょうか。

多分当時の日本人には、そういう人は少なく、みんな頑張って字を覚えようとしたようです。字の覚え方の言い回しや、字の読めることを自慢する落語などもいろいろあるようです。

そして今度は、進んでいる人たちが、マイナンバーカードという国民の基本情報を登録するシステムをやろうと言い出したのです。
賛成という日本人も沢山いて、カードは出来たのですが、こうしたシステムは日本人全体の為ですから、日本人全体をカバーしなければ、本来の役には立ちません。

然し国会の投票のように、デジタルが嫌いな人も多いのでしょう。政府自体が「言う事とやる事」が違うようです。

日本人は、今、万葉時代と明治初年と同じ問題に直面しているのですが、さて、どう乗り切るのがベストなのでしょうか。少し考えてみましょう