tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

成長と分配の好循環:再論 1

2022年06月02日 16時01分20秒 | 経済
前回、岸田政権の経済ビジョンが、何かアベノミクスに似て来たようだという事を書きました。

8年ほど前、鳴り物入りで登場したアベノミクスも、結局はゼロ成長時代を続けただけ、という事に終わったことを考えれば、新しい資本主義、成長と分配の好循環を掲げた岸田構想も、その先行きが心配になって来てしまうのでは、日本経済も救いがないことになりそうです。

その原因としては、安倍さんがまだ院政を振るっていることもありそうですし、何よりも、政権の構想を肉付けする役割を担う関係省庁のスタッフの能力不足ではないかというのが心配されるところです。

このブログでもすでに「新しい資本主義に命を吹き込め」、「成長と分配の好循環」:4つの課題」で、指摘しましたように、こうしたスローガンの具体化のために必要と思われることを指摘して来ました。

しかし残念ながら、それがアベノミクスの踏襲のような姿になって来るのではないかと懸念されるような状況になって来そうという事ですから、改めて此処で岸田政権の経済政策の「核心」ともいうべき「成長と分配の好循環」について、あるべき方向の再論をする次第です。

成長と循環の関係について、鶏と卵の関係など言っていたのでは何の進歩もありません。
成長の役割は、分配を増やす源泉だという事です。分配はその在り方(企業では労使の分配、国民経済では消費と投資の分配)で、これは将来の成長を決める重要な要因です。

勿論、成長は多様な要因で変動します、農業や漁業では天候や潮の流れで成長は起きたり起きなかったりします。成長があれば、それは、今日の生活を豊かにする消費と、将来のための投資の両方を増加させる可能性を提供します。

問題はどちらにどれだけ分配するかです。今日の生活への分配を大きくすると、キリギリス型になり、冬になると蟻のところに物乞いに行くことになります(イソップ童話)。
現在をつつましくして、将来のために資本として蓄積しますと成長が高まる可能性が大きくなります(経済成長率が高い国は、労働分配率が低い)。

中世の時代は、何100年も成長のない時代が続きました。豊作の時もあったはずです。しかしそういう年は王様も領民も、楽しんで、翌年はまた例年と同じことを繰り返すだけだったのでしょう。

近世になって、蒸気機関をはじめ技術革新が起き、資本を蓄積して技術革新に乗れば、会社も経済の成長することが解り、資本家が生まれて、労働者を搾取し、資本への分配を増やせばもっと成長出来ると考えました。

しかしその結果は、一方では労働者の不満が社会主義、共産主義思想を生み、革命に繋がり、もう一方では生産は増えても消費が伸びず、需要が増えないので世界不況が起きるというのが現実ですた。

こうした歴史の経験は、分配が適切でないと、経済はSDGs(持続的成長目標)を達成できないということを示しています。

ここまでは基本的な成長と分配の関係についてです。
これだけ見ても、いま日本に必要なのは「適切な」成長政策と分配政策の組み合わせを、どう考えるのが良いかという問題への視点がかなり見えてきます。
つまり、常に分配を適切に考えないと成長のチャンスがあっても成長につながらないという事です。

現在の日本経済の場合は、もう少し複雑な面もありますので、その点も含めて次回に続けます。