「平和」は世界人類の希求するところでしょう。
それなのに世界には戦争が絶えないのです。このパラドックスの原因になっているのが「平和を実現するために戦争をする。という論理です。
私も小学校の6年生の夏までその理論を教え込まれて「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう」と歌って、平和のための戦争だと思っていました。
後から解ってみれば、やっていたことはアジア諸国での殺戮と破壊でした。300万人を超える日本人の犠牲もありました。
プーチンのウクライナ侵攻も。ウクライナ東部の人たちをナチスの圧政から解放し平和な日々を実現すると説明されていたようです。
ネタニヤフのハマス殲滅作戦も、危険なハマスがいなくなれば、イスラエルの平和は実現するという理論のようです。
この理論には問題が2つあるように思われます。
1つは、平和のためだと言って戦争をしている間は殺戮と破壊が続くという問題です。この間の殺戮と破壊は、将来の平和のために容認されるのかという事になりますが、それは許されることではないでしょう。
もう一つは、戦争をして勝てば、その後の平和が保証されるのかという問題です。報復という問題は考慮されていません。
第一の問題は、人間としての正常な思考過程からすれば、理由は何であろうが殺戮と破壊は許されないという事なのではないでしょうか。
平和の実現のためには平和な手段で事を行うのでなければなりません。勿論交渉に持ち込むために戦争を仕掛けるといった行動も許されるものではないでしょう。
これが国際的な行動の原則になれば、まず戦争はなくなるでしょう。
そして更に重要なのは、第2の問題です。
歴史を見てみれば、大国から小国まで興亡の歴史はいろいろあるでしょうが、ヨーロッパでもアジアでも、その他のいかなる地域でも、「結局、戦争はなくなりました」という歴史はないようです。
原爆という最終兵器が生れて、これで戦争はなくなるかとも思われましたが、お互いに原爆は使わないだろうという暗黙の前提を置いて、通常兵器で戦争をしようということで戦争をしているというのが現状です。
多くの場合戦争は勝てば驕り、負ければ恨みを残し、結局、報復の連鎖を生むことが歴史の示すところです。宗教や思想の違いが絡むと、この報復の連鎖はさらに深刻となる例も多く見られます。
また恨みはなくとも、戦争に勝つことで、主権が握れると考え、内戦やクーデターに走る人間を生み出します。
戦争に勝つことで平和が生まれるというのは多くの場合、戦争を正当化するための口実で、理論的にも経験的にも、ほとんど無いのではないでしょうか。
若しあるとすれば、それは日本の場合です。
日本は太平洋戦争で敗戦した結果、世界から軍国主義の権化のように見られた国から、世界に先駆けて憲法で不戦を謳う「平和国家」になりました。そして戦後79年、戦争の殺戮、破壊とは無縁の国として着実に行動してきています。
日本に勝ったアメリカは、戦争に勝って平和な国をつくった成功の実績の再現をとその後いくつかの戦争をしましたが、すべて失敗に終わったようです。
その当事国、日本として「戦争で平和は実現されない」と(残念ですが)明確に発言すべきではないでしょうか。