被団協のノーベル賞受賞、本当に良かったと思います。普通なら、「おめでとうございます」という言葉を使いたいところですが、原爆という背景を考えますと、「おめでとう」という言葉は何か使いにくい気がします。
今、ロシアがウクライナ問題で核の使用をほのめかす発言をしていますが、こうした人類としてあるまじき態度に対し「頂門の一針」ともなってほしい受賞です。
日本人として誇りに思うのは、被団協に典型的なように、アメリカの原爆投下に対して、日本は、怨念とか報復といった言葉を全く言っていないことです。
原爆の悲惨を唯一の被爆国として経験しながら、そこから導かれる発言、行動は、核廃絶という人類共通の主張だけです。
アインシュタインもオッペンハイマーも何等かの形で反省の言葉を述べているようですが、日本は、「過ちを繰り返さない」ことだけを人類に訴えているのです。
2016年の現職のオバマ大統領と被爆者代表坪井直さんの握手と対話、あの世紀の和解は、人類のあるべき姿を世界の人々眼に焼き付けたはずです。
アメリカと日本の関係は、あの人類の将来を最大の課題とする認識に立つ和解の姿にあるのではないでしょうか。
現実には、冷戦の中で、アメリカは日本に核の傘を差し出し、日本はその下に入りました。しかし、日本は非戦を憲法で謳う平和国家です。たとえアメリカの核の傘の下にいるとしても、日本は独立国として、核廃絶を目指す独立国なのです。
しかし、これまでの日本は、核の傘の下にいることをあまりに強く意識しすぎているのではないでしょうか。
世界の多くの国は日本が核禁条約を批准していないことに疑問を持っています。多くの国や人々が、世界で唯一の被爆国である日本こそが、核禁条約をリードすべきではないかと考えているでしょう。
人間関係では日本人は「控えめ」という意識、習慣を大事にしています。これは日本では美徳のように考えられていますが、それは国内、つまり日本人社会の中での話で、国際社会では「控えめ」でないことが要求されるのです。
会議での積極的な「発言」は、でしゃばりではなく、積極的な「貢献」なのです。より良い考えを持っていたら、控えめでなくリードするのが正しい行動でしょう。
被団協の行動はまさにその実践であり、今日の極めて混乱した状況の中で、人類全体のために、そのあるべき姿を明確にする活動を一貫して続けてきていることが評価されたと考えるべきでしょう。
日本人は、そして日本政府は人類社会、国際関係の中で、その将来についての望ましい姿、選ぶべき方向について、積極的に発言し行動するという姿勢、態度でアメリカとの付き合い方も考えていく必要があるように思います。
これは、今回の選挙においても十分に考えるべき問題ではないでしょうか。