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家族の練習問題―木陰の物語
昨日の、団士郎さんのワークショップのノートを読み直しています。昨日はジェノグラムの書き方の勉強やったんやけど、おもろいこと言うてはりましたで。
まあ、この人の時間はずっとおもろいんやけど、「客を寝ささんのんもサービスやて」 サービス業はこうあらなあかんて…
「自分の意思で、自分の時間を使って、自分のお金でやってること」が続くことやて。仕事でやってると仕事を終るとしまいになるって。勉強も結局パチンコと一緒や…、そんなんが長続きすと言うてはりましたで。
ヒューマンサービスの仕事には鈍感さが必要や…とも。おもろいで。
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今日は出勤の日です。一昨日・昨日と妻が帰ってきておりました。
今日は仕事場で眠くて眠くて…。
昼からすることもなかったので、病院の造花を3人で拭いておりました…。
梅雨だとういうのに雨が降りませんね。新幹線口の工事もだいぶ進みました。
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家族力×相談力 (文春新書) 団 士郎 文藝春秋 このアイテムの詳細を見る |
今日は、団士郎さんのワークショップがあったので 会員価格4000円を払って参加してきました。12時から17時まで 途中10分ほどの休憩を2回入れただけで、5時間たっぷりの研修会でした。
おそらく、手話通訳者の研修会なら「4000円!えっ高すぎる」との声が出るでしょう。ボランティア主流の手話通訳業界では、通訳者にも、ろう者にも甘えがあります。権利をいいながらも実は自分たちにはとてもあまいのです。
団さんは、私が児童相談所に勤めていた20年ほど前に、京都の児童相談所の心理判定員でした。 触法少年と不登校少年たちを連れて四国四万十川の川下りをおこなったり、また、それを楽しいイラスト入りでレポートしたりで、まあ、こんな人がいる児童相談所へ行く子供たちはいいなと思ったりしたものです。
また、正月明けにワークショップの続きがあるとのことなので、カレンダーにマークしておきます。
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スウェーデンの税金は本当に高いのか
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移動することの多い日はいくつかの新聞を読むことができます。自分では自動車の運転が出いないので、バスなどを利用するからなんです。
昨日の日経新聞は「高福祉・高負担」のスウェーデン、政府編信頼前提に と題して
成長政策庁長官へのインタビュー記事を載せています。
スウェーデンでは国民は高い税負担をどう受け止めていますか
「スウェーデンは1960年代は日本とほぼ同じくらい税負担が小さかったが、それから長いプロセスを経て段階的に税負担が大きくなった。社民政党が多くの期間政権を担当したことが背景にあるが、、ここ5年ほどはこれ以上、税負担を上げるのは難しいところまで来た…」
「全般に国民は公共サービスで社会が機能しているという信頼感があるから、高負担を受け入れている。自分が納めた税金の分だけ樹液があるということだ」
と続き
スウェーデンの場合、付加価値税は高いが法人税率は低い。
「法人税率は約26パーセントと日本よりも低い。スウェーデンは米国や日本のように母国市場が大きくない。法人税率を高くすれば、企業が逃げて、法人税自体がなくなってしまう」と
財界の意見を代弁する日本経済新聞らしく 記事をくくっている が、
もちろん
健康保険や年金などの企業の法定負担比率は、日本が18.47パーセント弱なのに対してスウェーデンの企業は32.8パーセント強であることなどはもちろん書かない。(これは日本の内閣府の調査です)
ここまで書いてくれたらちゃんとわかるんやけどなあ。なんだか世論を誘導しているみたいやなあ、いややな。
手話の勉強会へ出ていると 二男から電話がかかってきました。
「お母さんがこけて 頭を切った」 えええええ
家に帰ったんではしゃぎすぎたのかもしれません。
結局3針ほど縫ってもらいました。
本人が一番ウワーと思っているからと何も言わないように
我慢我慢
でも、これじゃあ、帰れませんぞよ!
(写真はベランダでできた きゅうりです)
田んぼの稲も少しずつ育っています。だいぶ緑が増えました。山の緑はすっかり夏用の色となりました。
先日こんなことがおました。
ろう者から朝の早い「う?」と思うことを頼まれたが、よう断らんかった、でも…と言うのです。「主婦だから、朝早くからは困るんだけど、よう断らんし…。」
いやと思う時にははっきりと いやや といわなあきません。
1回2回はよかっても、長続きはせんのです。3回目に断られたら、「なんでやろ、今まで大丈夫やったのに」と相手は思うでしょう。
初めにしっかりと、こちらの事情を告げてお断りすることが大切です。
そしてほかに方法がないのかを(場合によっては一緒に)考えたらいいんですわ。やさしいことが ええことばっかりではおまへんで。
お互いの立場を考えあうことが 本当の手をつなぐことになるンと違いますやろか。
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シリーズ障害科学の展開 第1巻 障害科学とは何か―障害をとおしての人間理解、共に生きるための障害支援 (1) 中村 満紀男,四日市 章 明石書店 このアイテムの詳細を見る |
反貧困ネットワークのメーリングリストを読んでいたら、障害者福祉関係者のこんな文章が入ってきた。
余談ですが、障害者福祉に携わるものの一人として普段から感じていることですが、障害者福祉関係者は、自分たちの社会貢献のあり方についてもっと積極的に考えなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。障害者福祉関係者の間には、「自分たちがやっていることがすでに社会貢献であり、“協力=してもらうものである”」という観念が染み付いているように思えてなりません。今やと言うか、本当は昔からそうだと思うのですが、貧困の形はさまざまであり、人間らしい生活状況におかれていないのは障害者だけではありません。
自分の事を本気で心配してくれる家族や職員集団に囲まれた重度の障害者・児がある一方、一人ぼっちのまま国の無策や悪策に曝されている健常者・児たちがたくさん作り出されています。私たちは、小規模作業所・法人施設を問わず、十分とはいえないまでも、公的な補助金(税金)によって運営されています。このような私たちの立ち位置を、世直しに生かしていく工夫と知恵を、みんなで考えていけたらいいのにと感じています。
ほんの少し、福祉にかかわるものとして 自分の目を少しでも広く周りの動きへ向けていきたいものだ。
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労働、社会保障政策の転換を―反貧困への提言 (岩波ブックレット) 遠藤 公嗣,木下 武男,布川 日佐史,本田 由紀,後藤 道夫,今野 晴貴,小谷野 毅,河添 誠,田端 博邦 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
通勤の電車の中で岩波のブックレットを読んだ。
このブックレットの中で、「使い捨て」にいや気がさしてやめる若者がいる一方で、職場にとどまり続ける若者もたくさんいる。違法状態にさらされていたり、「使い捨ての雰囲気」を感じていたりしても、労働組合に入るでもなく、やめるでもなく、働き続けている若者も大勢いるだろう。こうした若者が働き続けるける理由は、諦念とそこに入り込む「自己責任」の論理だけではない。 「やりがい」だと書いてある。
『一般的な話だが、高度成長以後、進行したサービス産業化と《消費者本位》の生産体制の浸透、そして感情労働化の進行が、労働者の労働意欲を増大させたということはよく知られている。
典型的な事例は、看護・介護労働の場合だ。彼らのような対面サービス職に従事する者は、日々自らの感情を労働に向けて自己統制しつつ注ぎ込む。そうした行為は「すべて患者のため」という奉仕の意識を生みみずからの労働条件を顧みさせない』
と書いてある。
私はここまで読んで、自らの手話通訳活動について考えた。私たち自身が、あまりにも手話通訳者の勤務条件に無関心であったのではないかと。あたかもすばらしいことをやっていると思い込んで…。
本当だ! そうなんだ!
お隣の岡山では最近、ある自治体で手話通訳者の正職員化を実現したが、残念ながらこの広島ではそんな声を当事者からもとんと聞かない。それどころか「次は正職員化ですね」と声をかけられ「正職員になると転勤があるから非常勤のままでいいです」とお答えになった専任通訳者もおられるそうだ。残念なことだ。
手話通訳士協会の役員を18年間やらせていただいたが、手話通訳士の知らないところで進んでいた手話通訳士関係の話がたくさんあったことに最近気づいた。
たとえば通訳報酬が源泉徴収の対象となったときに手話通訳だけが例外となったのはなぜだろう。また、そうなっているということもほとんどの手話通訳士も手話通訳者も知らないのではないか?(恥ずかしい話だが、私もついつい最近まで知らなかった)
医療機関の手話通訳士配置に対し、当時の厚生省が医療点数化しようとしたこと、
ろう者の公正証書遺言の手話通訳が国は最初「手話通訳士」と考えていたのに、消えてしまいなんの基準も無くなってしまったのはどうしてなんだろう?
自らの立つ位置をしっかりと見つめていたい。
「人」は支えあう生き物だ と教えていただいたことがあるが、 一方が他方を必死で支えているだけでは どちらもがだめになってしまう。これはろう者と聴者の間でもいえることだ。
お互いが支えあうのだ と 手話通訳者自身が目覚めない限り、頚肩腕障害も うつ病も これからまだまだ多発していくだろう。
歩いていたら こんなブログがあった
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介護情報Q&A―介護保険を使いこなすために (岩波ブックレット) 小竹 雅子 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
妻のところへ洗濯物を届け、帰る際に「リハビリだから玄関まで出よう」と妻が見送りについてきていました。
でも、なかなか出てきません、おかしいなと思い戻ってみると警備員さんと看護師さんらしき人が彼女の車いすを抑えています。
「どうしたんですか?」と尋ねたら「勝手に出る人がいるのでお尋ねしていたのです」と言われました。
彼女の車いすには聞こえないことを表示するマークが付いています。これはリハビリテーションセンターがつけられたものです。
聞こえない者に 口でしゃべって尋ねることができるのか!と「訪ねていただいても聞こえないからわかりません!」と申し上げました。
もう、入院して4か月になろうとしています。そんなにたくさんの入院患者がいるわけではあるまいし…。
後で、本人がい言うには「車いすを一生懸命故意でいたんだけど、急に動かなくなって、見たら、人が後ろから抑えていた…」
おそらく、いくら話しかけても返事もせずに、漕いでいるので『認知症』か何かの患者さんと間違われたのかもしれません。でも、認知症の患者さんは首から信号機をぶら下げています、一定のところから外れるとスタッフステーションでわかるように。
ベッドに毎日張り替えられるリハビリの予定表には「まずは病院生活に慣れていきましょう」なんて文句が全く換えられずに毎日プリントされているし、一体どうなってるんでしょう。
情報の共有化もできているんでしょうか…
基本方針として、
「一貫した計画のもとにリハビリテーションサービスを提供すること」、
「個人の権利を尊重したサービスを提供すること」、
「病院はチーム医療とインフォームド・コンセントを推進すること」、
「自立訓練施設は通過型施設として相談・訓練等のサービスを提供すること」
の4つの柱を掲げ、スタッフ全員が利用者中心の姿勢を持ち、利用者一人ひとりの状態に応じた、最適なサービスを提供したいと考えています。
この理念や基本方針が単なるお題目になることなく、市民の皆様に愛される施設として、その機能を十分に発揮・実現するとともに、健全な運営ができるよう努めていきたいと思います。