降って来るもの

写真と散文とぽえむ

夜と朝の間で

2018-08-28 05:56:48 | 随想

                       夜と朝の間で


02:49一度目覚める。つけっ放しのクーラーの27℃が部屋中に行き渡って、蹴飛ばしてしまったタオルケットの温もりが必要になったみたいだ。少し前を思ってみると季節は確かに僅かながら移ろった。

クーラーを切り、ふたたび目蓋を閉じてみるが、せっかく起きたのだからとPCを開いてみる。閲覧数と訪問者数を確認しただけで先にはゆかずシャットダウン。卓上の蛍光灯の明かりを消すと、街路灯の明かりが闇の中から4枚の障子を際立たせ、それはまだ真夜中なのだという事実を納得させるように闇に浮かぶ。

二度目にdigital数字を読んだのは04:40。室温はやっぱり27度を越えて紛れもなく熱帯夜を証明している。一度目の短い覚醒から有耶無耶の内に100分という長さの時間が過ぎ去ったが、周りの状況に何一つとして変化はない。ただ止まらない時間という観念が100以上の分を刻んだというだけのことなのだ。

”週”という単位で括られる日時の束を解しながら、無為だと思えなくもない時間をこんな風に過ごす。今日は火曜日という名称のついた早朝の部分、もしかしたら、その一日の最初の部分に覆い被さる夜と呼称される部分の終わりに位置する時間帯なのか?茫洋と混沌と、HITOは、否ボクはそんな時間のjigsawのpieceを持って、何が待ち受けているのか?何に出会えるのか?想像すらできないこれから来る今日に身構えているところだ。けれど、取り敢えずもう少し眠るか・・。

それからしばらくの間、夜と朝の間の薄い意識の海を浮き沈みして05:33、起きる!と心に宣言して本格的に僕の朝を始める。

それにしても、体の節々が痛む。何故なんだろうと考えてみると答えはすぐに見つかる。昨日も、一昨日の日曜日も一昨昨日の土曜も僕は古里に通い、何れの日も120分ばかり汗塗れになったゆえの痛みなのだと。

老いたという実感にへこたれたり、頭にこびり付いた空き巣の薄汚いimageの払拭に苦慮したり、友人の助力に感謝し、書き残したブログにもらった同じような体験話と励ましのコメントに力づけられたりし、お陰で忌むべき事実はそれはそれとして影を薄めている。

もう少し日参し、風景とイメージの汚さを完全に拭い去れば、今よりは晴れ晴れと日替わりの朝を迎えられるに違いない。陽はまた昇る!!なのだ。                           2018 08/28 07:13 まんほ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする