囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

佳作! 映画「フラガール」

2013-02-17 21:29:08 | 囲碁きちのつぶやき
昨夜、夜間大学時代の囲碁仲間と飲んでから帰宅した。
何気なく、NHK・BSテレビで映画「フラガール」を見ました。



私は、この映画を単なる「娯楽映画」だと思って気にも留めていませんでした。
でも、見始めたらなかなかの作品で珍しく最後まで真面目に見ました。



舞台となるのは、昭和40年の福島県いわき市の炭鉱町。今や石炭から石油へとエネルギー革命が押し寄せ、閉山が相次いでいるなか、町の危機を救うため、人々は「常夏の楽園」をつくろうと立ち上がる…。それが、フラダンスを踊るチームを育てるという実話に基づく作品でした。

私が特に気にしたのは、石炭から石油に切り替わる時代の炭鉱の街の苦悩を描いています。
今は、石油から原発へと切り替わる時代ですが、その原発をめぐって日本だけでなく世界中が苦悩しています。危険極まりない原発から脱却して、これからのエネルギー源をどこに求めるか? は人類にとって永久の課題でもあります。
そんなことを考えながらフラガールを見たとき、単なる娯楽映画としては見ることができませんでした。

常盤ハワイアンも津波で被害を受け、原発事故の放射能の影響もあり、閉鎖の危機に立たされました。



そんな時、被災地を励まし、復興のために立ち上がったのも「フラガール」たちでした。

そんなこんなを考えながら見ましたが、思いがけず、素敵な映画に出会えて、得をしたような夜でした。





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ざる碁を楽しむ

2013-02-17 12:58:15 | ハイキング
このブログの名前は「囲碁きちのひとり言」になっていますが、囲碁の記事がとても少ないです。
それは囲碁に親しむ機会が少なくなったからです。
昨日は、久しぶりに夜間大学時代の学友との囲碁会がありました。



みなさん、現役は引退した人ばかりで、70歳前後の仲間です。

対局終了後、今年の計画などを話し合いました。

月1回の例会は何とか続けたいということになりました。

その他に、6月には、新築したNさん邸でお披露目の囲碁会。
9月には、Hさんの郷里の栃木県益子町の生家で一泊の囲碁会をすることになりました。

勝った、負けた と大騒ぎ得おしたあとは、一杯飲んでの懇親会です。みんなが一番元気の出るひと時です。

今朝、東京新聞を見たら「社説」に囲碁のことが取り上げられていました。

「社説」に「囲碁」とは珍しいので、参考までに転載しました。


週のはじめに考える 囲碁は世界戦の時代
2013年2月17日

 日本囲碁界の話題は史上初の六冠を目指す井山裕太天元(23)の棋聖戦七番勝負の戦い、未到の六冠を手に世界戦での活躍が愛棋家たちの切なる期待です。

 一月十七日から始まった張栩棋聖との棋聖戦は最高位の戦いにふさわしい激戦、目下井山天元の二勝一敗、七大タイトル中の天元、本因坊、十段、王座、碁聖を手にしている井山天元が棋聖戦を制すれば六冠、一昨年までは名人でしたからグランドスラムの偉業達成ともなります。過去七冠制覇は趙治勲、張栩の二棋士だけでした。

 碁を打つ人なら井山天元の六冠もグランドスラムも驚きではないかもしれません。すでに子どものころからいずれは棋聖、名人にと知られた存在だったからです。

◆井山天元への熱い期待
 テレビゲームで囲碁を覚えたのが五歳、六歳で九路盤で争うテレビ囲碁番組でチャンピオン、才能に惚(ほ)れ込んだ日本棋院関西総本部の石井邦夫九段が弟子にします。

 五千人が参加するNHK少年少女囲碁大会の小学生部門で二年生、三年生で連続優勝、このころNHK教育テレビのお好み囲碁番組で小さな井山少年が女流棋士と対局する姿が見られました。

 プロ棋士初段になったのは十二歳、趙治勲二十五世本因坊の十一歳の最年少記録に次ぐ二番目(当時)、石井九段の「碁に強いだけではなく品格を備えた棋士」の方針もあったのでしょう、自己に厳しく礼儀正しいだれからも好かれる青年に育ちました。史上最年少の十六歳四カ月で全棋士参加のトーナメント優勝、二十歳四カ月での史上最年少名人、五冠も史上最年少と次々と記録を塗り替えてきました。

 国内での活躍より囲碁ファンが井山天元へ夢と希望を膨らませるのは国際棋戦での実績です。

◆没落の日本のお家芸
 一昨年の中国・重慶での大会では、非公式戦だったとはいえ世界最強の中国と韓国の両チャンピオンを破って優勝、世界選手権では伝統と権威の富士通杯で三位、優勝していてもおかしくない内容と評価されました。日本棋士の世界戦での個人優勝は二〇〇五年を最後に絶えてなく、日本の復活は碁界の悲願だからです。思えば囲碁はグローバル競争とその後の日本がたどる運命の先駆けでした。

 日本と中国の囲碁交流は一九七二年の日中国交正常化が始まり。当時の最高実力者の坂田栄男二十三世本因坊や藤沢秀行名誉棋聖らが訪中して棋士の育成や指導に当たりました。韓国の英才たちも来日して内弟子生活を送り、日本の棋士の指導や著書に学びました。

 碁は四世紀後半、朝鮮半島経由で中国から伝わり、平安時代の源氏物語や枕草子に登場します。江戸時代には名人・碁所の制度で幕府の庇護(ひご)を受けます。専門棋士本因坊の誕生からは四百年、碁は日本の誇るお家芸として技量が蓄積され、文化ともなりました。

 そんな歴史と伝統の技芸が簡単に追いつかれたりするはずがないとの油断や楽観、慢心がなかったとはいえません。中国、韓国が碁を本格化させて三十年、日本はあっという間に追いつかれ、追いつけなくなっているのが現状です。

 中・韓と日本では国や地域の取り組みと支援、親たちの熱意や意気込みがまるで違うようです。

 韓国のソウルには寮完備の囲碁道場がいくつもあり、親が積極的にすすめ、子どもたちは出入りのプロ棋士との囲碁生活に明け暮れます。花形棋士は国の英雄、兵役免除の特典もあります。

 中国でも全土で才能ある子どもたちが発掘され、有望な少年はプロ棋士となって北京の中国棋院に集められ合宿生活、国の支援でコーチたちの徹底指導を受けるようです。このシステムと激烈な競争からでしょう、毎年のように若き天才が出現するのが特長です。

 昨年、趙治勲主将に率いられた日本の若手棋士チーム(四人一組)が中国のプロ棋士リーグ戦に参加しました。日本復活の手掛かりを探るためです。上位から甲、乙、丙の順位のうち乙リーグでの戦いでしたが、十六チーム中の最下位、層の厚さに圧倒される形でした。結果を謙虚に受けとめるところから再出発しなければならないのでしょう。

◆格下扱いはくやしい
 東京・日比谷の松本楼で天元就位式、井山天元は自らの立場を十分に自覚していました。「世界での戦いは子どものころからの目標です。中国、韓国の棋士との対局では格下扱いされているのを感じることがある。とても悔しいことですから」というのでした。

 勉強量豊富で中国、韓国選手の棋譜点検は井山天元の日課。選ばれた超天才たちの戦いはいずれにしても紙一重の争いとなる。その勝利で日本の碁界が奮起し、若手が続く夢を見たい。

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