土砂降りの関越道を、TBSラジオを聴きながら走りました。すると気象予報士の森田さんがこんなことを言っていました。
「4月3日は、悪天候の特異日なのです。なぜ、そんなことを言うかといいますと、この日は私の誕生日で、毎年なぜか大荒れの悪天候なので、統計を見るまでもなくよく覚えています」と。
その悪天候も午後には急速に回復しました。
母親の兄のお墓に行きました。

雨も上がり、お墓と駐車場が近いのでこのお墓だけは母親もお参りすることができました。
次に母親の姉のお墓に行きました。

お墓は母屋の奥の山の麓にあります。この辺りも猪が出るそうです。勿論、母親はそこまで行けません。
母親の姉の連れ合いさんは、海軍兵で太平洋戦争で戦死しました。

立派なお墓で、軍歴などが刻まれていました。
しかし、亡くなった叔母は女手一つで、一人娘と家や田畑を守るために大変な苦労をしたようです。
兵隊に行った人も、銃後を守る家族の人も、国民すべてが辛酸を舐めるのが戦争です。
「4月3日は、悪天候の特異日なのです。なぜ、そんなことを言うかといいますと、この日は私の誕生日で、毎年なぜか大荒れの悪天候なので、統計を見るまでもなくよく覚えています」と。
その悪天候も午後には急速に回復しました。
母親の兄のお墓に行きました。

雨も上がり、お墓と駐車場が近いのでこのお墓だけは母親もお参りすることができました。
次に母親の姉のお墓に行きました。

お墓は母屋の奥の山の麓にあります。この辺りも猪が出るそうです。勿論、母親はそこまで行けません。
母親の姉の連れ合いさんは、海軍兵で太平洋戦争で戦死しました。

立派なお墓で、軍歴などが刻まれていました。
しかし、亡くなった叔母は女手一つで、一人娘と家や田畑を守るために大変な苦労をしたようです。
兵隊に行った人も、銃後を守る家族の人も、国民すべてが辛酸を舐めるのが戦争です。