親戚の方の不幸があり、昨夜の通夜、今日の告別式と参列しました。
故人は、長崎県出身のカトリック教徒で、キリスト教による葬儀でした。
キリスト教による葬儀に参列するのは初めてですので、いろいろ勉強させてもらいました。
キリスト教では、通夜とは言わず前夜祭というようです。亡くなった後、信仰により「復活」するのがその理由のようですが、私にはよくわかりません。
今日は告別式でした。
祭壇です。外国人の司祭が執り行いました。初体験で戸惑いました。司祭の行う儀式もよく理解できませんでした。
式進行は、このしおりに基づいて行われました。
私には「賛美歌」がとても新鮮に思えました。
告別式も終わり出棺のため、参列者が表に出ました。
その時も、パイプオルガン(右端)の素晴らしい賛美歌が流れました。そして、聖歌隊のみなさんがこれまた素晴らしい賛美歌で送ってくれました。
キリスト教徒でない私には、「アーメン」「これが神の言葉です」など聖書を唱和させられたり、違和感お覚えました。しかし、考えてみれば意味も解らぬ「お経」をあげられるのも同じだと思います。
少なくても、賛美歌だけは無条件に素敵でした。
仏教でももう少し「声明」を大事にしたほうが良いと思いました。
若くして幼子を残して亡くなった故人のご冥福を祈ります。
故人は、長崎県出身のカトリック教徒で、キリスト教による葬儀でした。
キリスト教による葬儀に参列するのは初めてですので、いろいろ勉強させてもらいました。
キリスト教では、通夜とは言わず前夜祭というようです。亡くなった後、信仰により「復活」するのがその理由のようですが、私にはよくわかりません。
今日は告別式でした。
祭壇です。外国人の司祭が執り行いました。初体験で戸惑いました。司祭の行う儀式もよく理解できませんでした。
式進行は、このしおりに基づいて行われました。
私には「賛美歌」がとても新鮮に思えました。
告別式も終わり出棺のため、参列者が表に出ました。
その時も、パイプオルガン(右端)の素晴らしい賛美歌が流れました。そして、聖歌隊のみなさんがこれまた素晴らしい賛美歌で送ってくれました。
キリスト教徒でない私には、「アーメン」「これが神の言葉です」など聖書を唱和させられたり、違和感お覚えました。しかし、考えてみれば意味も解らぬ「お経」をあげられるのも同じだと思います。
少なくても、賛美歌だけは無条件に素敵でした。
仏教でももう少し「声明」を大事にしたほうが良いと思いました。
若くして幼子を残して亡くなった故人のご冥福を祈ります。