囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

元祖つけ麺・東池袋 大勝軒の思い出

2015-04-03 20:38:17 | 囲碁きちのつぶやき
元祖つけ麺・東池袋 大勝軒の山岸一雄さんが亡くなったことを新聞・テレビで報道している。写真は、東京新聞の「ことら特報部」の記事です。



大勝軒の山岸さんの死を悼む記事がこんなに大きく取り上げられることに驚いています。
実は、私は大勝軒を創業の頃からよく知っています。評伝によれば、山岸さんは、1961年に東池袋に大勝軒を開業したとあります。そのころ、現役時代の私の職場も東池袋にあり、爾来40年近く、その職場で働きました。私の職場と大勝軒とは、ごく近く歩いて3分程しか離れていませんでした。

大勝軒は、開業当時はお客もいませんでした。そのため、私たちは昼食によく大勝軒のつけ麺の出前を頼みました。麺が多いのと、値段が安いのが若かった私たちには魅力でした。開業したばかりの山岸さんか山岸さんの奥さんが配達に来ました。店が段々繁盛してきて、つけ麺の出前を頼んでも、昼休みが終わる午後1時までに来ないことが何度もありました。その頃の職場はおおらかで、昼休みが終わった午後1時過ぎにつけ麺が届いても、それを仕事時間中に食べることを黙認してくれました。



その内、店が繁盛しすぎて出前そのものをしなくなりました。その為、私たちがお店によく食べに行きました。あらかじめ注文しておくと時間に作ってくれてあり、店の裏側の方で食べさせてもらいました。
大勝軒は一時・休業しました。それは奥様が亡くなられた時でした。奥さんを亡くされた失意と調理のアシスタントを失ったショックで、仕事をする気持ちを失ったようです。

しかし、常連のお客さんなどに励まされて、再開しました。その頃から、人手不足をカバーすることも兼ねて、弟子をお店で使うようになりました。狭いお店ですから、弟子も一人か二人しか置けません。その為、山岸さんの目指すレベルに達した弟子は、のれん分けして独立させました。すると新しい弟子が入れ替わり立ち代わり入ってきました。

最初のお店は、二軒長屋のお店でした。隣りが「ありのす」と言う場末のスナックでした。このスナックにもよくいきました。安くて、ボトルキープが出来、ツケが効くのが魅力でした。スナックでのみ、シメに大勝軒のつけ麺を食べると言うようなこともありました。

再開発のためお店も取り壊され、ビルに建て替えになってしましました。のれん分けしたお店もどんどん増え、大勝軒の名前をアチコチで聞くようになり、段々、元祖大勝軒と縁遠くなりました。
私にとっても、東池袋・大勝軒は二軒長屋の一つで、ゴキブリが出そうな汚いお店です。

記事によれば、山岸さんは享年80歳。私より少し先輩です。同じ年ごろで、東池袋で青春を共にしたことになります。
人生の短くない期間、共に過ごした東池袋。元祖大勝軒の山岸さんのご冥福を心よりお祈りします。
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