所沢うたごえ喫茶でリクエストの多い曲のひとつに「あざみの歌」があります。今日新聞を読んでいたら、その「あざみの歌」を作詞した横井弘さんが19日、83歳で亡くなられたと報じられていました。別面では「あざみの歌」が出来るまでの経過が横井弘さん生きざまと共に報じられていました。
東京新聞の記事です。
わたくしたち70歳以上の世代の人は誰もが知っており、歌ってきたうたです。
6月13日、「あざみの歌」の歌碑がある長野県八島湿原に家族と一緒に行きました。歌碑の周りにはあざみではなく、満開のツツジが咲き乱れていました。
写真は長野県の観光PRのHPのものです。歌碑の前で「あざみの歌」をうたい、40代の私のこどもたちに「この歌知っているか?」ときいたところ、みな知らないと答えました。時代と共に忘れられてしまう歌にしてしまうのは何とも惜しい歌です。
太平洋戦争が終わり、やっと戦争のない時が訪れ、軍歌から解放され、日本の自然を歌えるようになった時の歌のひとつです。今度、我が家でアコーディオンで伴奏して家族に覚えてもらおうかと思いました。
横井弘さんが亡くなり、作曲した八洲秀章さんの生誕100年、没後30年だそうです。これも偶然とは思えないような気がします。
また、記事から、横井弘さんが「下町の太陽」を作詞したことを初めて知りました。どちらも所沢うたごえ喫茶などで何回となく歌ってきたうたです。7月には、年金者組合の集まりでこの歌を私のアコ伴奏でうたってもらおうと思いました。
また、ひとり戦争体験をした大事な方が亡くなり、残念です。ご冥福をお祈りします。
東京新聞の記事です。
わたくしたち70歳以上の世代の人は誰もが知っており、歌ってきたうたです。
6月13日、「あざみの歌」の歌碑がある長野県八島湿原に家族と一緒に行きました。歌碑の周りにはあざみではなく、満開のツツジが咲き乱れていました。
写真は長野県の観光PRのHPのものです。歌碑の前で「あざみの歌」をうたい、40代の私のこどもたちに「この歌知っているか?」ときいたところ、みな知らないと答えました。時代と共に忘れられてしまう歌にしてしまうのは何とも惜しい歌です。
太平洋戦争が終わり、やっと戦争のない時が訪れ、軍歌から解放され、日本の自然を歌えるようになった時の歌のひとつです。今度、我が家でアコーディオンで伴奏して家族に覚えてもらおうかと思いました。
横井弘さんが亡くなり、作曲した八洲秀章さんの生誕100年、没後30年だそうです。これも偶然とは思えないような気がします。
また、記事から、横井弘さんが「下町の太陽」を作詞したことを初めて知りました。どちらも所沢うたごえ喫茶などで何回となく歌ってきたうたです。7月には、年金者組合の集まりでこの歌を私のアコ伴奏でうたってもらおうと思いました。
また、ひとり戦争体験をした大事な方が亡くなり、残念です。ご冥福をお祈りします。