能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

吉田松陰トランプ・・・松陰先生の志、想い、大和魂はトランプ、カードに乗って後世に引き継がれていきます

2024年08月13日 | 学問

山口県萩への旅行の際に、おみやげで買ったものがあります。

吉田松陰トランプ!

松陰先生がトランプになるとは、ちょっと不謹慎にも思いました。

でも、松陰先生の偉業を後世に伝えていくためにも大切なことだと思った次第です。

このトランプは、ジョーカー2枚を加えた54枚で構成。

松陰先生の文筆、歴史的資料、塾生たちなどがカラーで印刷されています。

これなら小中学生でも理解できる内容です。

吉田松陰先生がいなければ、日本という国は欧米列強の植民地となり、英国のアヘンで国が滅んでいたとも言われています。

小さな私塾・松下村塾で教育指導した塾生からは、初代総理大臣の伊藤博文、山縣有朋、初代司法大臣山田顕義を輩出、明治維新の立役者となった高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠などを送り出します。

たった1年あまりしか運営されなかった松下村塾・・・まさに驚異的な教育機関だと思います。

松陰先生の指導方針は、一方的な講義ではなく、双方向、強みを延ばす、褒めるといった現代にも繋がる指導方法だったといいます。

静岡県下田でペリー提督の乗る黒船に密航。

米国に行きたかったという飛耳長目説とペリー暗殺説が歴史家の間でも分かれています。

 

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂

幕府による安政の大獄で獄舎、そして江戸にて斬首・・・享年30歳。

波瀾万丈、疾風怒濤の人生。

辞世の句です。

親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何と聞くらん

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂


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松下村塾に行ってきました・・・吉田松陰先生の私塾・・・明治維新に火を点けた長州の志士たちを輩出しました

2024年08月06日 | 学問

松下村塾(しょうかそんじゅく)に行ってきました。

山口県萩市の郊外にあります。

小学校6年生の時、修学旅行で訪れてから、今回で5度目の訪問になります。

ここに来ると、モチベーションとヤル気をいただくことが出来ます。

武士道や大和魂、至誠や志が、この地にはあります。

萩市の郊外・旧松本村に造られた小さな松下村塾。

わずか1年ちょっとしか松陰先生の指導は行われなかったようですが、ここから伊藤博文、山縣有朋という2名の総理大臣や明治政府の多数の元勲を輩出しました。

この塾がなければ、明治維新はなかったでしょうし、また、日本が欧米列強の植民地になっていたと思います。

松下村塾。

本当に小さな質素な造りです。

続いて、奥にある松陰神社に参拝。

おみくじは「吉」。

そのまま進めば、よし!とのこと。

松陰神社のおみくじには、「凶」があるとのこと。

松下村塾門下生の山田顕義と吉田松陰先生のパネルがありました。

山田顕義は、武人、軍人で明治維新前後の国内戦争で連戦連勝。

岩倉具視欧米視察団に参加し、法律制定、法治国家に向けた法整備を推進、東洋の「小ナポレオン」と言われました。

明治政府の初代司法大臣に就任、明治22年には日本法律学校(現日本大学法学部法律学科)を創設します。

当時の日本はフランス法やドイツ法をコピーしていこうと動きが主流でしたが、山田は日本の独自性を活かした法律制定を主張します。

同時に、国内法の整備、法治国家への移行により、欧米列強との間にかわされた不平等条約の廃止のために奔走します。

松陰神社は、明治、大正、昭和と様々な政治的な思惑に翻弄されたようです。

ただ、明治維新の原動力となった日本の底力を後世に遺すことは必須だと思います。

敗戦後、GHQや進駐軍、東京裁判で否定、廃棄された、大和魂、武士道、志、至誠・・・。

安岡正篤先生も「ナショナリズムがなければ、インターナショナリズムもあり得ない」と喝破されています。

今回の訪問で、志(こころざし)を新たに、気持ちを新たに、仕事に励んでいこうと思います。


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道の駅「萩往還」吉田松陰記念館に行ってきました 明治維新に火を点けた長州の志士たち・・・吉田松陰先生や高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文

2024年08月05日 | 学問

山口県萩市に行ってきました。

国道262号線、萩の町に入る手前にある「道の駅 萩往還」。

レストランや地場の食べ物の販売をしている「道の駅」とは異なり、ここには博物館が併設されていました。

「萩往還 松陰記念館」

NPO法人萩まちじゅう博物館が運営する吉田松陰先生をテーマにした小さなパビリオンです。

広場には、吉田松陰先生や高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などの彫像が建てられています。

明治維新の原動力となった志士たちは、ここを歩いて全国の飛耳長目に向かいました。

萩市の郊外・松本村に造られた小さな松下村塾。

わずか1年ちょっとしか松陰先生の指導は行われなかったようですが、ここから2名の総理大臣を輩出しました。

この塾がなければ、明治維新はなかったでしょうし、また、日本が欧米列強の植民地になっていたと思います。

松下村塾を再現した講義室。

塾生が松陰先生に質問します。

「自分は記憶力が弱いので、本を読んでも、すぐに忘れてしまいます。どうすればいいんでしょうか?」

松陰先生は答えます。

「記憶力の良い優秀な人は本を一度しか読みません。それでは身につかず良くありません。何度も何度も読み返すことが大切です。」

松下村塾は、一方的な講義だけではなく、塾生との対話が中心だったようです。

今でいうアクションラーニングです。

時には野外で農作業を行い、塾生との対話をしていたといいます。

わずか1年ちょっとしかなかった松陰先生の指導教育でしたが、明治維新の立役者を多数輩出しました。

本当にすごい教育家だったんですね。

「萩往還 松陰記念館」は、本格的な展示がされており、小中学生でも理解できるように解説されています。

入場料は無料。

明治維新や日本史の勉強にもなります。

おすすめのスポットです。


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カルタゴ 古代貿易大国の滅亡 「歴史は繰り返す」・・・考えさせられる経済都市国家カルタゴ滅亡の教訓

2024年05月11日 | 学問

書棚の奥から古い一冊の本が出てきました。

昔、東京神田の古本市で買った本です。

古紙のにおいが、知的好奇心を刺激します。

カルタゴ 古代貿易大国の滅亡

アラン・ロイド著  大本彰子訳  河出書房新社

 

古代ローマの時代、ローマ帝国と地中海をはさんだ対岸にあったカルタゴという都市国家。

その歴史を綴った一冊です。

都市国家カルタゴは、アフリカ大陸にある現在のチェニジアの首都チェニスのそばにありました。

 

カルタゴは、紀元前814年に建国され紀元前146年に滅亡しています。

わずか750年間。

ローマ帝国の侵略により、カルタゴは地図から消えました。

都市国家カルタゴは、海洋民族フェニキア人が造ったと言われています。

フェニキア人は、英語のアルファベットの基礎を作りました。

海の商人で多大なる富を行きかわせるために、合理的な言葉が必要だったんでしょうね。

カルタゴは、海の商人。

軍隊も基本持たず、有事の際には傭兵を雇って抵抗していたようです。

都市国家カルタゴは地中海に張り巡らされた情報ネットワークで危機やリスクを入手、国家間の駆け引きや情報戦でしのいでいました。

現在のシンガホールや以前の香港のような都市国家だったんでしょうね。

 

当時、巨大帝国を誇ったローマ帝国が対岸にあるという地政学上のカルタゴの地理上の位置。

これが、悲劇的な最後を迎えることに繋がります。

第二次世界大戦前の大日本帝国とアメリカ合衆国という感じの国力の差です。

 

一時は、カルタゴの名称ハンニバルで巨大ローマ帝国に勝ったりしました。

象のアルプス越えでローマに進撃した戦争は、高校の教科書にも載っています。

3回にわたるポエニ戦争で、都市国家カルタゴは最後を迎えます。

それまで、ディオニシオス、スキピオ、カトーなど世界史でも有名な登場人物が出てきます。

 

同書の元タイトルは「Destroy CARTHGE!」。

「カルタゴを破壊しろ!」です。

第3回のポエニ戦争の前に、ローマの監察官カトーは言います。

「カルタゴ、滅ぼすべし!」

当時、海の商人カルタゴは、お金持ちでローマより豊かで裕福だったようです。

ローマ帝国は、これが気に入らなかったようです。

ローマ帝国は、結局、都市国家カルタゴに圧勝。

繁栄を極めたカルタゴの街は、完膚なきまでに破壊され、跡形も残らなかったと言われています。

最後まで籠城したカルタゴの人たち5万人は、殺されたり、奴隷に売られたりして1名も残らなかったそうです。

一発の原子爆弾で廃墟となったヒロシマ、ナガサキを彷彿させます。

 

経済が発展し、国民が豊かに暮らしていける国。

理想だと思います。

ただ、地政学的に領土拡大を志向する独裁者国家や帝国主義国家が近隣にあれば、豊かさも一瞬にして消え去り、国家自体が消滅することになります。

歴史は繰り返す・・・。

わたしたちが生きるこの国・・・考えさせられるカルタゴの教訓です。


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博士人材活躍プラン・・・文部科学省の打ち出した高度知識人財の活用策・・・もう不幸な若者を生み出してほしくはありません

2024年05月06日 | 学問

またか!と言う感じです。

文部科学省が打ち出した博士人材活躍プラン。

日本の未来のために、博士を増やたい、産業界は博士を採用してもらいたい・・・。

そんな要請です。

米国のGAFAMと呼ばれるグーグル、アップル、メタ、アマゾン、マイクロソフトなどのハイテック企業は、たくさんの博士、Ph.D、ダブルマスターなどの高学歴者が多数雇用されています。

MBA(経営学修士)の学位がなければ経営幹部にはなりにくい米国。

それを日本も見習おうということでしょうか?

 

かつて、大学院重視の大学経営を推し進めた文科省。

法科大学院などもそうです。

なぜか日本経済の「失われた30年」と時期を同じくしています。

博士号は取ったものの研究職に就けない、企業や行政への就職がない・・・たくさんの高学歴ワーキングプアを生み出しました。

奨学金という大借金をして、国費も投入して、結果、アルバイトやパートなどの非正規雇用。

学生時代の友人も、そんな人がいます・・・遊ばず、趣味も持たず、勉強・研究を繰り返して半世紀・・・家庭も持てず、仕事も非常勤講師の掛け持ち・・・会うたびにため息をついています。

なんだかなあ?という感じです。

会社を辞めて修士課程に行った友人もいます・・・彼も未だに非正規雇用。

人財の無駄遣いです。

学生募集に苦労していた大学院だけが国策により潤いました。

文部科学省の打ち出した高度知識人財の活用策は、一見、素敵な取り組みに見えます。

17年後、博士後期課程/学士の比率を2.7%から8%にする、博士後期課程学生の就職率を70%から80%にする・・・。

2040年には、博士の比率を世界トップにするというのが大目標だそうです。

目的、出口戦略が曖昧すぎます。

その間、日本の人口減少は進み、若年層を採用出来ない企業や行政は、次々と淘汰されていくことでしょう。

結果、日本の国際競争力は低下の一途をたどることになると思います。

 

前回行った文科省の大学院重視施策で喜んだのは、大学経営と学生が集まらない大学院でした。

そして、たくさんの飯の食えない不幸な高学歴ワーキングプアを生み出しました。

大学院の延命措置は、もうたくさんです。

オーバードクター輩出(排出)プランは必要悪だと思います。

志の高い人財には、企業内で働きながら、母校の院で研究しながら、論文博士を目指したり、放送大学大学院などで働きながら博士の学位を獲ることも出来ます。

これ以上、不幸な若者、研究者を生み出してほしくはありません。


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「ペリー黒船艦隊の日本・下田への航路」展が静岡県下田市の下田開国博物館で開催中です・・・ペリーと吉田松陰

2024年04月19日 | 学問

現在、静岡県下田市の下田開国博物館で「ペリー黒船艦隊の日本・下田への航路」展が開催中です。

この博物館は、昨年リニューアルされたばかりです。

日本で最初に海外列強に開港した下田の港。

深さもあって大型帆船にとっても使い勝手の良い港だったそうです。

 

ペリー提督は、米国東海岸を出航、アフリカ喜望峰を通って、インド洋から東アジア、そして日本に行くという航路をとりました。

約500日の長い冒険ということを初めて知りました。

当時は、パナマ運河もなかったため東回りに針路をとったんですね。

下田の港で、幕末、黒船に乗り込んだ吉田松陰先生。

米国を見てやろうとして黒船に乗ったという説、ペリー暗殺のために黒船に乗り込んだという説の2説があります。

尊王攘夷の先頭に立っていた松陰は、下田事件を理由に江戸で斬首されてしまいます。

近代日本を築く基となった下田の町・・・ぜひ観ていただきたい下田開国博物館の企画展です。


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日本人の目を歴史に向けさせた頼山陽のベストセラー「日本外史」・・・漢学者、歴史家、作家、画家、マルチタレントだった頼山陽

2024年01月08日 | 学問

広島県竹原市に行ってきました。

ここは、漢学者・頼山陽の父・春水の出身地で、大阪生まれの頼山陽も何度も訪れた地です。

頼 山陽(らい・さんよう 1780年~1832年)は、江戸時代後期の日本を代表する漢学者で、歴史・文学・美術などのさまざまな分野で活躍。
歴史の分野では、没後に出版された「日本外史」がベストセラーとなり、幕末から明治初期の人々に大きな影響を与えたそうです。

日本外史は、平安時代の源平合戦から江戸幕府までを綴った歴史書。

日本史を面白おかしく読み解ける歴史書です。

文学の分野では、数多くの詩文を作り、川中島の合戦を題材にした「鞭声粛々」の詩や、天草洋の風景を詠んだ「天草洋に泊す(雲か山か)」の詩などあります。

また、美術の分野では、能書家として著名で、絵画についても「耶馬溪図巻」などの優れた水墨画をのこしています。

今で言うマルチタレント・・・日本のレオナルド・ダヴィンチですね。

竹原の町並み保存地区には、頼山陽の父の実家が残されています。

また、広島市の中心部には頼山陽史跡資料館(広島県立歴史博物館分館)が設置されています。

まだ読んだことがない「日本外史」。

今年読んでみたい一冊です。


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寒い冬の日・・・珈琲を飲みながら世界地図と世界史でイタリア史を学んでみました VIVA!VERDY

2023年12月23日 | 学問

最近、イタリアに興味深々です。

オペラや三大テノール、赤ワインやスパークリングワイン、パスタにチーズ・・・。

塩野七生さんやヤマザキマリさんの著作も愛読書です。

クルマもイタイア車に乗り替えました。

古代ローマ帝国から続く伝統、工業力はイマイチですが、デザインやブランド、センスは世界最高水準です。

1人当たりのGDPは下落し続けるニッポンと同じくらいですが、イタリアの人たちは日本の人たちより幸せそうに見えます。

ラテン系だからなのか、楽観的なのか、その明るさが魅力的です。

決して豊かではないけれども日々明るく楽しく生きて行く・・・そのスピリットは実に羨ましいです。

寒い冬の日・・・珈琲を飲みながら世界地図と世界史でイタリア史を学んでみました。

イタリア共和国が成立したのは、なんと1948年。

わずか75年前です。

それ以前は、イタリア王国。

第一次大戦後にファシスト・ムッソリーニが台頭し最後は処刑、第二次大戦後にイタリア共和国になりました。

ローマが首都になったのは1871年・・・これも意外でした。

いろいろ調べてみると、イタリアの礎となったのが都市国家・・・ヴェネチアやフィレンツェといった経済力のある都市が群雄割拠していました。

このため、国民国家という欧州の波に飲み込まれず、自主独立自尊で都市国家を運営していきました。

このためイタリアの統一は、長い時間がかかることになりました。

ミラノを中心とするお金持ちの北部と、ナポリやシチリアなどのビンボーな南部という図式も、この無理やり統一に起因しているようです。

今宵は、ドミンゴのヴェルディを聴きながら、スパークリングワインをいただきたいと思います。

VIVA!VERDY


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おもしろき こともなき世を おもしろく・・・志士・高杉晋作の遺訓が、いつも勇気をあたえてくれます

2023年06月16日 | 学問

吉田松陰の松下村塾に学んだ高杉晋作(1839~1867)。

明治維新の志士たちの中で一番好きな人物です。

松下村塾では、この高杉と久坂玄瑞が二傑と言われた俊英。

「学の久坂」、「識の高杉」と称されていました。

高杉は、尊王攘夷思想、陽明学の行動派・・・英国大使館を焼き討ちにしたり、下関で外国船に砲撃を加えたりしました。

のちの総理大臣伊藤博文は「動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし」と高杉を称しています。

1867年5月、肺結核を患い、大政奉還、明治維新を待たずに、この世を去ります。

享年29歳。

その際に高杉晋作が遺した言葉。

 

おもしろき こともなき世を おもしろく

 

看病にあたっていた野村望東尼が下の句として「すみなすものは 心なりけり」と続けると、高杉は「おもしろいなあ」と言って息をひきとったそうです。

師匠の吉田松陰は享年30歳・・・世の中を変える革命家の多くは短命・・・実に残念です。


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Googleが全部わかる本・・・宝島社から増補改訂版が出版されました 世界最高水準の天才たちが作り上げたGoogleを使い倒す

2023年03月17日 | 学問

Excelもそうなのですが、Googleも多くの機能がありながら、そのほとんどが活用されていません。

有人には、Gメールから始まり、Googleのスケジュール管理、ドキュメント管理、ドライブなどフル活用しているグーグラーがいます。

彼は言います。

「世界最高水準の天才たちが作り上げたGoogle」を使い倒さないともったいないよね。

しかもその機能の多くが無料です。

ChatGPTのリリースにより、GAFAの牙城も従来のようなビックテック独占とはいかないと言われていますが、それでもGoogleのプレゼンスは別格だと思います。

Googleが全部わかる本

宝島社から増補改訂版が出版されました。

ざっと目を通して、使えそうなGoogleツールを練習してみようと思います。

「クグる」だけからの脱却・・・リスキリングに役立つのではないかと思います。


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