能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

ゆきてかえらぬ 詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄、女優・長谷川泰子の悲しい物語・・・主演の広瀬すずさんの鬼気迫る演技が素晴らしい!

2025年03月04日 | 映画

中学生の時に初めて読んだ中原中也の詩。

感動したことを覚えています。

ランボーやダダイズム詩人と並ぶ天才的な言葉の魔術師だと思いました。

わたしの上に降る雪は 真綿のようでありました・・・

汚れちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・

思えば遠くに来たものだ・・・

中也の詩は、今でも時々、自然に口から出てきます。

邦画「ゆきてかえらぬ」を観ました。

詩人・中原中也、小林秀雄、長谷川泰子の三角関係、恋愛関係を見事に描いた作品でした。

本当に暗い・・・映画でした(笑)。

長谷川泰子役、主演の広瀬すずさんの演技は鬼気迫るものがありました。

でも、中也の世界に引き込まれていく彼女の感覚は、とてもシュールな感じでした。

ストーリーの始まりは、大正時代の京都。

20歳の新進女優・長谷川泰子(広瀬すず)は17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出会い、互いに惹(ひ)かれ合った二人は共に暮らし始めます。

その後東京に引っ越した二人。

東京は、モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)の時代。

ファッションも実にお洒落です。

中也の友人・小林秀雄(岡田将生)が訪ねてきます。

彼は中也の詩人としての才能を誰よりも評価し、中也も批評の達人である秀雄に認められることを誇りに思っていましたが、そんな二人の様子を目にした泰子は一人取り残されたような感覚を抱きます。

しかし秀雄もまた彼女に惹かれていく・・・。

詩人・中原中也と文芸評論家・小林秀雄ら実在の男女3人の物語を描くドラマ。

中也に大きな影響を与えた詩人・富永太郎も登場します。

中原中也が30歳で早世するまでの13年間を辿っていきます。

中也の最後の数年間は、こども(長男・文也)を亡くしたり、詩が書けなかったりと、かなり悲しい状況・・・。

この映画では、風車の付いた空の乳母車で中也の心情を見事に表現していました。

映画のタイトル「ゆきてかえらぬ」は、中也の詩集「在りし日の歌」の中にある作品です。

僕はこの世の果てにいた。陽は温暖に降り注ぎ、風は花々を揺すっていた・・・。

京都での長谷川泰子との楽しい思いでを紡いでいます。

 

長谷川泰子は、広島市出身、広島女学院を出たお譲さん。

ちなみに陸軍軍医の息子・中也は広島時代、広島女学院幼稚園(現ゲーンズ幼稚園)に通っていました。

泰子は女優を目指し、京都撮影所、東京蒲田撮影所を目指します。

ただ、性格は波瀾万丈・・・今でいう「めんどくさい女」「こじらせ女」と言う感じでしょうか?

監督、脚本も山口市の中也記念館や伝記などをしっかりと読み込み、うまく表現しています。

また、主演の広瀬すずさんの演技もピカイチでした。

監督は根岸吉太郎さん。

根岸監督と「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」で組んだ田中陽造さんが脚本を担当。

才能あふれる二人の男の間で揺れ動く女優・長谷川泰子役を「流浪の月」などの広瀬すずさん。

すずさんは超絶美人でもなければ、スタイル抜群でもありませんが、天性の女優オーラを持ち、高い演技力を持つ素晴らしい女優だと思います。

後に詩人として名をはせる中原中也役を「先生!口裂け女です!」などの木戸大聖。

彼の友人で後に日本を代表する文芸評論家となる小林秀雄役を「ゴールド・ボーイ」などの岡田将生。

みなさん、いい仕事をしました。

大学生の頃、中也風の黒帽子をかぶり、黒マントのファッションを楽しんでいた時期がありました。

多感な頃だったんですね(笑)。

 

ゆきてかえらぬ・・・ちょっと暗くなっちゃいますが、中也ファンには、ぜひ観ていただきたい作品です。

今夜もウイスキーをなめながら、ふたたび中也の世界に浸ろうと思います。


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この世界の片隅に こうの史代さんの原作のアニメーション作品・・・ほのぼのしたムードを醸し出した名作「コノセカ」に癒されます

2025年01月28日 | 映画

「この世界の片隅に」

2016年にアニメーション化された、 こうの史代さん原作の作品です。

戦時中の広島市と呉市を舞台にしています。

略して「コノセカ」と呼ばれています。

 

この作品の主人公は浦野すず。

やさしく明るい女の子です。

この作品は、第二次世界大戦、太平洋戦争の暗い時代。

ですが、同作品は、庶民、市民の健気な生活感が漂うコンテンツになっています。

広島県呉市にある青山クラブ。

帝国海軍の下士官集会所、戦後は海上自衛隊の厚生施設だった場所です。

ここに「コノセカ」のパネルが多数設置されています。

「コノセカ」ファンには、たまらない推しスポットになっています。

JR呉駅から、徒歩7分。

「コノセカ」ファンの皆さん、ぜひお越しくださいね。


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ゴールデンカムイ、wowowで放送配信スタートです!

2024年10月06日 | 映画
大人気の邦画ゴールデンカムイ。
今日からwowowで放送配信です。
北海道を舞台にした壮大なストーリー。
楽しみですね。


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女優・月丘夢路さんの生誕100年記念碑が広島市・平和大通りにあります・・・広島市出身の凄い人がいました

2024年03月23日 | 映画

仕事で広島市の平和大通りを歩いていると、美しく輝くモニュメント。

ANAホテルの道路をはさんだ反対側にあります。

月丘夢路(つきおか・ゆめじ)さんを生誕100年を記念したモニュメント。

名前はどこかで聞いたことがあったのですが、銘板を読むと当時の大女優と知って驚きました。

月丘夢路(つきおか・ゆめじ)

1921年広島市大手町生まれ。

1937年、宝塚音楽学校へ入学、翌々年には初舞台を踏み、その類まれなる美貌で瞬く間にスターの座にのぼりました。

越路吹雪、乙羽信子、淡島千景など、のちに芸能界の第一線で活躍する同級生たちのひしめく中で頭角を現わしたそうです。

1940年に「瞼の戦場」でスクリーン・デビュー。

映画「新雪」「晩春(小津安二郎監督)」などが主演代表作。

1943年に宝塚歌劇団を退団したあとは映画を中心に活躍。

1957年、映画監督の井上梅次と結婚。

郷里に投下された原子爆弾の惨禍を描く「ひろしま(1953年・関川秀雄監督)」に無報酬で出演するなど、幅広い作品で存在感を発揮します。

2017年に逝去するまで映画、テレビ、舞台で精力的な活躍を続けました。

月丘夢路さんの主演映画をフィルムライブラリー等で観れる機会があればなあと思います。

平和大通りの一番良い場所にある月丘夢路さんのモニュメント・・・いつまでも輝き続ければいいですね。


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ブルース・リー没後50年・・・香港が生んだスーパースター

2023年08月26日 | 映画

BSにチャンネルを回したところ、懐かしい映像が・・・。

なんと「燃えよドラゴン」をオンエアしていました。

久々に見たブルース・リー。

映画史の中で燦然と輝く大スター。

こどもの頃、ヌンチャクもどきを自作して遊んでいました。


今年は、ブルース・リーの没後50年にあたるそうです。

楽しく読めたタイムリーな記事でした。

カッコいい!!!本物のイケメンです。

ブルース・リーの歩みも紹介されていました。

1940年11月27日 米サンフランシスコで生まれる 本名は李振藩 父は広東オペラの俳優

1941年 一家で香港に

1950年 子役で映画に出演

1953年 詠春挙の道場に入門

1959年 単身渡米 シアトルでワシントン大学哲学科で働きながら学ぶ

1966年 連続ドラマ「グリーン・ホーネット」に日本人カトー役で出演

1971年 「ドラゴン危機一髪」が大ヒット 香港に引っ越す

1973年7月 脳腫瘍のため香港で死去 32歳

1973年8月 映画「燃えよドラゴン」全米公開 世界各地でブームに

 

32歳で逝去・・・本当に残念。

ジェームズ・ディーンのように若き才能が亡くなることは映画界の喪失です。


香港には、ブルース・リーの銅像がある公園、香港文化博物館での展示、当時のロケ地などがあるそうです。

観に行ってみたいものですが、現在の政情ではちょっと難しいですね。

 

一度に1万種類のキックを練習する男は怖くないが、1つのキックを一万回練習する男には恐怖を覚える。

ブルースの遺した言葉です。

 

改めてブルースのご冥福をお祈りいたします。

合掌。


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人生に必要なもの・・・喜劇王チャップリンが遺した素敵な言葉「人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金」

2023年06月09日 | 映画

学生時代、チャップリンの映画にハマったことがありました。

「独裁者」「殺人狂時代」「ライムライト」などレンタルビデオで借りてきて朝から晩までチャップリンを観ていた時期・・・青春ですね(笑)。

「ライムライト」の中で、今でも語り継がれる名フレーズを残します。

 

Life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it takes is courage, imagination… and a little dough.

人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

 

最後の「little dough」というのがユーモアとエスプリが効いていていいですね。

「some money」ではなく「little dough」。

doughは、スラングでお金のことを言うそうです。

大金と言われたらドン引きしますが、少しのお金であれば希望も持てます(笑)。

勇気と想像力、そして少しのお金。

とてもシンプルで行動、実践に移しやすいフレーズです。

 

この他に、チャールズ・スペンサー・チャップリン(1889~1977)の好きな言葉を2つ紹介させていただきます。

優しい英語で、人生を楽しむことを教えてくれます。

 

You’ll never find a rainbow if you’re looking down.

 下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。

A day without laughter is a day wasted.

 無駄な一日。それは笑いのない日である。


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映画「生きる LIVING」を観てきました・・・黒澤明監督の名作の英国リメイク版 カズオ・イシグロさんが脚本 今年のアカデミー賞候補作品

2023年04月30日 | 映画

久々に映画館に行ってきました。

「生きる LIVING」

黒澤明監督の名作「生きる」の英国リメイク版です。

脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロさん。

監督は、オリバー・ハーバーマスさん。

この映画は、今年のアカデミー賞候補に上っているとのことです。

日本人として、ちょっと嬉しいですね。

舞台は、1953年のロンドン。

黒澤監督が「いきる」を撮った時期に設定されています。

戦勝国も戦敗国と同じように、復興に向けて社会的な混乱が続いています。

主役は、ビル・ナイが演じる役所の公務員・市民課のウィリアムズ課長。

生真面目で冗談も言わない堅物管理職、その彼が末期がんの宣告を受けるところから物語は始まります。

ショックを受けた彼は、貯金の半分を降ろして旅に出たり、飲めない酒を飲み歩いたり、ナイトクラブに出入りしたりしますが、何の憂さ晴らしにもならないことを悟ります。

無断欠勤の後、やっと出勤。

そこから、今まで棚上げにしていた市民から陳情・児童公園の設置に向けて真剣に仕事を前に進めて行きます・・・。

この映画のキャッチコピーは、「最期を知り、人生が輝く」。

「人生を生きる」こととは、「自分の人生を生きる」ということ。

人生の最期に決して後悔しないことが、最高の幸せということをこの映画は伝えます。

自利より他利・・・世のため、人のため、社会のため、地域のために貢献することが、人生の最期に出来れば、それはベストということなんでしょう。

 

主演のビル・ナイさんは御年72歳・・・実に渋いです。

志村喬さんの英国ジェントルマン版です。

 

助演女優はエイミー・ルー・ウッドさん。

飛びぬけて明るい性格のサラリーウーマンを演じています。

長年のサラリーマン生活、社畜生活で、事務的仕事、役人的な働き方でコミュニケーションも取れないウィリアムズ課長は、彼女の性格に憧れます・・・どうすれば、そんな風になれるのか?

 

長年の社畜生活で身に着けた処世術や態度・・・そう簡単には脱皮出来ません。

「働いたフリ」「他責」「忙しいフリ」「上には逆らわない」「見ざる・言わざる・聞かざる」「保身」・・・。

長年サラリーマンをされてきた方々には、ぜひ観ていただきたい作品です。

黒澤監督の「生きる」で主演を演じた名優・志村喬さん。

ラストシーンは、雪が降る児童公園のブランコに乗って歌を歌い続けます。

「いのち短し、恋せよ乙女・・・」

英国版「生きる」も同じシチュエーション。

涙、涙のラストシーン・・・。

違う角度から人生を考えさせてくれる、おススメの作品です。


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シネマパラダイス・・・広島市・横川にある小さな映画館・横川シネマ がんばれ!応援します!

2023年02月04日 | 映画

最近、町の本屋さんが激減していると言うニュースをよく目にします。

インターネットの普及やamazonなどの影響なんでしょうか。
その意味では、町の映画館も、町の本屋さんのように、今や絶滅危惧種と言えます。

広島市の横川にある横川シネマ。
ロードショー映画は扱わず、独立系やマイナー系の映画を上映しています。
古い建屋ですが、実にコダワリの映画館です。
シネマパラダイス!

若き日、広告代理店に勤めていた時、外資系の映画会社を担当していたことがありました。
15秒のテレビスポットの扱いをいただくために販促プロモーションも手がけていました。
前売り券を売るため、女子大生のアルバイトを雇い、お揃いのスタジャンを着てもらって、有楽町マリオン、新宿ミラノ座、渋谷パンテオン前で缶バッチを配っていました(笑)。
テレビではCFをオンエア。
その映画の売れ行きが予測できる「初日」土曜日朝には必ず有楽町マリオンに行ったものです。
外資系映画会社ということでハイカラなイメージがあったのですが、宣伝部の部員はかなり浪花節でフレンドリーな方が多かったです。
たまたま大学の先輩がいたため、可愛がってもらったものてす。
宣伝部のスタッフは、映画のことを「写真」と言ったり、映画館のことを「小屋」と言ったりと実に面白い業界でした。
外資系の映画会社なのに、ちょっと浪花節・・・義理と人情・・・面白く仕事をさせていただきました(笑)。
地下にあった試写室では、おすぎとピーコさんなどの有名人によくお会いしたものです。
インターネットもなく、四媒体を扱う広告代理店が一番輝いていた時代でした。

映画はエンターテイメントであり、文化。
いつまでも続けていただきたい横川シネマです。
シネコンに負けない!
そのためにも、出来るだけ足を運びたいと思います!

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アチョー! ブルース・リー没後50年 カンフースターの頂点を極めたブルース・リーよ、永遠なれ!

2023年01月02日 | 映画

新年、NHKのBSにチャンネルを回したところ、懐かしい映像が・・・。

なんと朝から「燃えよドラゴン」をオンエアしていました。

久々に見たブルース・リー。

映画史の中で燦然と輝く大スター。

こどもの頃、ヌンチャクもどきを自作して遊んでいました。


また、広島の地方紙・中国新聞を読んでいると、またまたブルース・リーの特集記事。

小龍伝説 今も アチョー!


今年は、ブルース・リーの没後50年にあたるそうです。

楽しく読めたタイムリーな記事でした。

カッコいい!!!本物のイケメンです。

ブルース・リーの歩みも紹介されていました。

1940年11月27日 米サンフランシスコで生まれる 本名は李振藩 父は広東オペラの俳優

1941年 一家で香港に

1950年 子役で映画に出演

1953年 詠春挙の道場に入門

1959年 単身渡米 シアトルで働きながら学ぶ

1966年 連続ドラマ「グリーン・ホーネット」に日本人カトー役で出演

1971年 「ドラゴン危機一髪」が大ヒット 香港に引っ越す

1973年7月 脳腫瘍のため香港で死去 32歳

1973年8月 映画「燃えよドラゴン」全米公開 世界各地でブームに

 

32歳で逝去・・・本当に残念。

ジェームズ・ディーンのように若き才能が亡くなることは映画界の喪失です。


香港には、ブルース・リーの銅像がある公園、香港文化博物館での展示、当時のロケ地などがあるそうです。

観に行ってみたいものですが、現在の政情ではちょっと難しいですね。

 

改めてブルースのご冥福をお祈りいたします。

合掌。


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ドライブ・マイ・カーの快挙!パネル展が広島銀行本店の一階ロビーで開催中です!アカデミー賞取ってほしいものです

2022年02月26日 | 映画

映画「ドライブ・マイ・カー」・・・そのほとんどのロケ地が広島です。

その映画が、キネマ旬報で1位、ゴールデングローブ賞受賞(非英語映画賞)、そして最高峰のアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の4部門にノミネートされています。

日本の映画界にとって、驚くべきことです。

まさに快挙。

濱口竜介監督の力量・・・恐るべしです。

広島の魅力を最大限に引き出していただきました。

ありがとうございます。

西島秀俊さん、三浦透子さんなどの名演技も見事でした。

それにしても、この地味な映画、大人の映画が本場米国の映画人たちの琴線に触れたことには驚きです。

「ドライブ・マイ・カー」のパネル展が広島銀行本店の一階ロビーで開催中です。

入口には、ほぼ実物大のサーブのパネルを展示。

少しクラシックな赤いサーブ、かっこいいです。

この赤いサーブでなければ、広島の地でなければ、この映画の魅力が出せなかったと思います。

インスタ映えしますね。

新聞報道によると、ドライブ・マイ・カーの熱烈ファンの聖地巡りが始まっているようです。

宇品の倉庫街を改装した海辺の公園、瀬戸内海の島々、ゴミ焼却工場、高速道路など映画の主人公になったつもりで楽しまれているようです。

原作は、村上春樹さん。

「女のいない男たち」という短編小説です。

わずか50ページ。

ハルキストをも味方につける「ドライブ・マイ・カー」です。

それにしてもこの短編小説から3時間の映画を創るとは・・・スゴイです。

左下に赤いサーブ。

コロナが収束したらここのBarにも行ってみたいものです。

どの部門でもよいので、アカデミー賞取ってほしいなあ。

地元の人も知らないようなスポットを取り上げた広島の街の魅力が映し出された名作映画です。

ぜひ、ご覧くださいね!


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