マンネリ、ワンパターン、思考停止、シュリンク・・・。
ルーティンワークを続けているうちに必ずおこる壁。
改善を日々行っていかなければ、ムダは日々蓄積していくことになります。
人間は習慣のカタマリである以上、ややもすると快適ゾーンから出たくないのです。
一所懸命続けても、気合と根性で臨んでも、成果や結果に結びつかないことが多々あります。
その状況を問題視し、能率というコンセプトを研究、普及していったのが能率技師上野陽一(1883年~1957年)。
彼は、ムリ・ムダ・ムラをなくし、モチマエ(強み)を活かしていくために、動作研究、時間研究を続け、さらには儒教をはじめてする東洋思想を取り入れた独自なワールドを創出したのです。
その上野陽一が最後にたどり着いたのが、創造性、独自性の追求。
上野の没年に出版されたのが、独自性の本でした。
要は、問題解決、課題解決をするために、いかにして優れたアイデアを出していくかというテーマが上野の一つのゴールだったのです。
石油や石炭、鉄鉱石といった天然資源を持たない日本が生き延びさせることも上野の研究テーマ。
そのため、人的資源から産みだされるアイデア、発想、独自性こそが、能率コンセプトを現実のものとし、イノベーションにつなぐというのが上野陽一の人生をかけた結論だったようにも思えます。
わたしの修士論文から、このあたりの論旨を引用させていただきます。
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上野陽一の晩年、著作活動や教育活動の中で最も注力したのが、独創性の開発である。無から有を産む独創性・創造性に上野は注目した。太平洋戦争に敗れ、焦土となり、しかも資源の乏しいわが国の復興に向けて、知的活動が重要であることを具体的に提言したのである。
1957年(上野没年の年)の著書「独創性ノ開発トソノ技法」技報堂には、①独創性の基礎理論とその心理、②独創性の開発と教育、③独創力開発のための技法の項目立てで構成されている。上野は、知識詰め込みの学校教育に対する批判と独創性開発の重要性について説いている。具体的に創造性開発の最新手法を紹介し、属性列挙法・欠点列挙法・希望列挙法・設問法・チェックリスト法・アメリカ陸軍法(5W1H)・オズボーンの設計法・アーノルドの設問法・類似法(アナロジー)・入出法・ブレインストーミング法(オズボーン)・ゴルドン式下行法等の具体的解説を行っている。当時、米国の繁栄を支えていた産業界における創造性開発の手法・技法を整理し、それらに詳細な解説を加えている。これは、日本国内において画期的な出来事であったと言える。
上野が、独創性開発に着目したのは上野の能率研究の最終ステージと位置付けることができる。現場からスタートし、改善レベルを極め、能率の思想・技法・方法論が社会的に一定レベルに達した今、その上の段階である独創性開発・創造性開発の研究に着目したのである。
これは、能率の適用段階においても当然のステップであると言える。例えば、生産現場における改善活動を実施するためにも、常にアイデア出し、創意工夫の具体策の追求、出来るだけ多くの案を出し選択するといった独創性開発のステップが存在するからである。管理技法のひとつであるVE(バリューエンジニアリング)では、改善レベルから三段階で川上に昇る手法をとっている。改善対象の物レベルである2nd-LOOK・VE(セカンドルックVE)、その物の開発設計段階である1st-LOOK・VE(ファーストルックVE)、さらに川上のその物のマーケティングレベルでの0-LOOK・VE(ゼロルックVE)である。上野は、VEでいうところの、2nd-LOOK・VEから1st-LOOK・VE、0-LOOK・VEへの進化を目指していたものと推察できる。
上野は、独創性の心理を「アイデアと観念」「観念結合の法則(接近結合・反対結合・因果結合・類似結合)」と意味づけた。独創性は誰にもあること、それを阻害するのが、「認識の関」「習慣の関」「社会文化の関」「知識の関」「感情の関」「性格の関(保守と進歩)」であるとし、それをブレークスルーするのが独創性開発であるとした。
上野は、その著作の中で半生を振り返り、三期に分けた自身の半生の三期目に独創性訓練による専門家教育を位置づけている。
「著者は若いころからテーラーの科学的管理法に興味を感じギルブレスの動作研究については直接先生の教育を受けその後約50年間、産業能率の向上のために勉強してきた。今から振り返ってみると私の能率研究は3期に分かれると思う。
第1期 この仕事は文献を読んだだけでは決してものにならない。→能率指導 自分が改善にあたる。
第2期 50歳を越すと急に老人になったような気がしてきた。→能率教育 改善のための専門家をつくる。
第3期 独創性訓練 専門家に新しいアイデアを出させる訓練」
「独創性ノ開発トソノ技法」上野陽一著・技報堂1957年 155ページ
上野の晩年は、まさに独創性の開発、創造性の開発に捧げられた。米国からブレインストーミング法、ゴードン法等の最新の創造性開発技法を翻訳、紹介した。上野が「独創性ノ開発トソノ技法」の中で取り上げたのは次の12の技法、手法である。
属性列挙法・欠点列挙法・希望列挙法・設問法・チェックリスト法・アメリカ陸軍法(5W1H)・オズボーンの設計法・アーノルドの設問法・類似法(アナロジー)・入出法・ブレインストーミング法(オズボーン)・ゴルドン式下行法
上野は、工場での工程改善や企業へのコンサルティング活動等を通じ、効果性を高めるための鍵が、アイデア出し・案出しにあることを痛感していた。いかに現状の診断や問題点等を抽出したとしても、質的・量的に充実したアイデア出し・案出しが出来なければ能率の実現はできないと考えていた。上野は、現場の人であり、実践・行動の人であった。上野は、自身の半生を振り返り、次のように整理している。
「自分が過去50年にわたってしてきたことを振り返ってみると次の3つにつきるようである。
1.つねに現状に満足しなかった。それはテーラーが従来の工場管理を根本的にくつがえして科学的の方法を導入したあの大改革の記録に読みふけった影響もあったに相違ない。またレンガつみの徒弟にはいった日からあれこれと改良意見を出して親方にしかられたギルプレスという動作研究の主唱者に師事したための影響もあったであろう。何を見てもそのままでは満足しない癖がついた。破邪顕正の破邪である。
2.いつも改善を考えた。テーラーもギルブレスもただ現状に満足しないばかりでなく常に改善の案をたてることを忘れなかった。消極的な破邪の他ならず積極的な顕正を忘れなかった。
3.かならずその改善を実行した。破邪も顕正もただ口さきだけの観念的なものであってはいけない。どんな小さなことでも、これを実行して成果をあげるところに価値が発生する。実行をともなわない言説は無意味である。」
「独創性ノ開発トソノ技法」上野陽一著・技報堂1957年 200ページ
さらに上野は、日本の教育にも焦点をあてている。単なる詰込み型、知識偏重型の教育では、独創性や創造性は開発されないことを訴求しているのである。上野は、学問を「枠の中の学問」と「問題を解くための学問」に分類しているが、特に後者の学問について重点を置くとともに、知識よりも知恵が重要であることを強調している。
「それよりも問題にぶつかるごとに早くかつ巧みにこれを解決していく「チエ」の方が、知識よりもはるかに大切であると言わなければならない。それにも関わらず従来の教育は、あまりにもこの大切な「知恵」をおろそかにしていた。」
「独創性ノ開発トソノ技法」上野陽一著・技報堂1957年 222ページ
上野は、学校教育が独創力の発展におよぼす影響として、形式教育によって創造力は睡眠状態となること、社会経験からくる法や型による考え方を型はめすることの独創性阻害を説明している。独創力を育てる上に必要な心がけは、疑問的態度・集中的態度・持続的態度の3つの態度が必要不可欠としており、この強化のために学校教育から改善していかなければならないと強調しているのである。
さらに、独創性をシステマテックに教育の中で開発していく方法論についての研究を進めていく。独創性は、先天的な才能だけではなく、後天的な教育によって育むことが出来る事を考えていたのである。上野は「インスピレーションは教育により、パースピレーションは協力によってその目的を達しようとする」ことを目指した。
上野は、米国の先行研究をベースとして、「Creative Thinking Course(CTC)」を開発した。これは、数日間の集合研修の中で、入出法・ブレインストーミング法(オズボーン)・ゴルドン式下行法等の創造性開発技法を習得し、実践の中で活用できるようにした研修プログラムである。このプログラムの中では、「世の中には新しいものは存在しない。新しいものは、すべて何かと何かの組み合わせである」と定義し、先天的なセンスや才能ではなく、組み合わせの技術の中から独創的なアイデアを産み出すことを目的としているのである。