僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/7/4)愛猫トモの爪切り、病院で。

2020年07月04日 18時27分37秒 | ネコ
夜中にパソコン復帰。

昨日、トモの爪切りに失敗した。
後ろ足の爪が伸びて肉球に食い込んでいて
これは今切っても、血が出たりして化膿するかも、と思い中断。
年を取ってきたトモもめっきり爪の手入れをしなくなった。
こちらが切ってやるのだが、暴れてすごい抵抗感。
今朝、一番に病院に連れていく。
やっぱり爪を肉球からはずしたら血が出てきて
化膿する可能性があるので化膿止めの注射を。
帰りのタクシーの中ではおとなしくしていたが
帰ってからは2階の奥の部屋で固まって出てこない。
しばらくは安静を。
トモは今年14歳だ。
末っ子のトモでさえ14歳になる。
2006年、まさに私が山Pが好きになって夢中になっていた年。
迷わず、「智久」のトモを借りて命名。
なかなか人間に懐かず、シンノスケやトチたちにべったりで
いつもにぎやかだった。
お兄ちゃんたちがいれば、私は全然寂しくない、といった毎日。








そのトモがひとりぼっちになったこの年。
シンノスケが逝き、ナナが逝った。
それについてはブログで触れていない。

トモ、頑張って生きようね。
皆に守られて育ってきたあなた、
今は夫に夢中だね。
夫をずっと避けていたのに、今年の大変化だね、あなた。
やっぱり、なでられたり、身体を舐められたりって
猫たちの安堵の行為なんだね。

今ようやく
奥の部屋から出てきて
ごはんの催促。
嬉しいよ。

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(5/29)久しぶりの職場。そして痩せた猫のこと。

2020年05月29日 16時24分30秒 | ネコ
5月半ばから有休を取っていた。
その前は義母の死去、葬儀等あったし、コロナの影響で仕事も休みであった。
5月分の給料がほぼ出ないので、これまで使っていなかった有給を利用した。
一昨日、上司から連絡があり、仕事内容が大幅に変更になったので、その様子を見にくるようにと言われた。
6月からの仕事をスムーズにするために、私もしばらく現場を離れていて不安だったので、今日行ってきた。
感想として、以前よりややこしく、細々としている、と思った。
ベテランの人たちがこちらに駆り出され、朝から黙々と仕事をしている。
それらを見て、写真を撮って、6月1日から私の再スタートである。
しかし、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、客の出足は鈍い。
今年は七夕も中止になったし、変則的な仕事内容である。
が、これが今後の姿になっていくのかもしれない。

そういうわけで
久々に街に出た。
時刻は午前7時前。仕事の時は4時半ごろなので
朝の光景は少し違う。
道路は車でいっぱいだった。
そして職場を出たのはその1時間後。
ちょうど出勤者が駅方面からドドッと流れてくる頃。
私もその流れに乗って、西側へと歩いてみる。
解除になったとはいえ、皆マスク出勤だし、お店の張り紙を見てみると
時間短縮が多い。

朝食のパンを買って
自転車に乗り、途中の公園で食べる。
そこで見たものは・・・・

痩せた猫が数メートル先を歩いていた。
あ、この猫、見たことがある!と思った。
すぐに思い出せなかったが私の脳裏に焼き付いていた猫の姿に似ていると思った。
人がいたし、草叢の中に隠れたかもしれず、跡を追う事はできなかったが
よく、そこで餌をやっている人がいるので、その人を探していたのかもしれない。

モヤモヤとした気持ちを抱えて帰宅する。
そして数時間後、突然思い出した。
あの猫、うちに来たことがある。
何匹も来ているので、来ない事よりもその存在すら忘れていた。
夫はココアちゃん、と言い、私はモカちゃん、と勝手に言っていた猫だ。
その名前の通り(本当はちゃんとした名前があるのだろう)、模様がココア色、モカ色のような子なんだ。
もちろん、懐いていない。すぐに逃げていく。
そして、その猫、どこかの飼い猫なのである。
どこか、と言っても、うちの庭に来るたくさんの猫の飼い主を知らないが、大体の家の目星をつけている。
何匹も飼っていて、放し飼いである。
そして、もしかしたら避妊、去勢の手術もしていないかもしれない。
もし、生粋のノラ猫であれば、私が捕獲して手術をしてあげたいのだが
飼い猫である限り、勝手なことはできない。
いなくなったらそのまま、という人なのかもしれない。
どういう人なのかまったくわからないので、こちらからアプローチするのはリスクがある。
ただ、今、結構問題になっているのは事実。
うちの庭に来たこれまでの猫のことを思い直すと、そこの飼い猫かもしれない。
前にも書いたことがある。
うちに来る3匹、とかタイトルつけて。
それらの猫たちとは違う今年世代の子たち。

もう少し静観しよう。



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(12/3)ダイジローの命日。室内飼いのネコのノミについて。

2019年12月03日 20時38分06秒 | ネコ
昨日は我が亡きネコのダイジローの命日だった。
昨年のその日に亡くなった。
その時の記事を探したら、今年の3月に書いていた。
どうしても亡くなった当日に書けなかった。
そのことを思い出した。
パソコンの周りにはダイジローとタヌ(ダイジローの母親。私のプロフィールの写真のネコです)が
親子でじゃれ合っている写真などを貼っている。
ダイジローと同じ年のシンノスケは16歳になった現在、頑張って生きている。
とても16歳とは思えない体系と甘えんぼうな姿。
21歳のナナは一時(いっとき)、痩せて足元のふらつきなどでもうそろそろかもしれないと覚悟を決めたが
あることがわかって、それを解決したら、元気を取り戻して維持している。

あること、とは。
ノミである。
ナナは耳が聞こえない。故に、鳴く時の声が甲高い。
あまりに鳴きすぎる。
身体も痒がる。
私はそれは、老いたネコの特徴だと思っていた。
人間も年老いたら、奇異な行動をとったりするから
それと同じなのか、と勝手に判断していた。

ある時、ナナのお腹にノミを見つけた。
驚いた。
完全室内飼いのネコたちである。
保護した当時は病院で、ノミの駆除もやってもらった。
そして、もう死滅したと思って何年も経っている。
たまに痒がる動作も、ノミで痒いとは思っていなかった。
私の認識が誤りであることと戦うことにした。
ノミは完全に駆除できないと知った。
だから、数カ月おきに駆除薬をつけたりするのだ。
それはたまに外に出たりするネコが対象だと思っていた。
ノミがいる、とわかったら、そのノミたちとの戦い。
熱湯に少しの洗剤を入れて、ノミ取り櫛を使って(これまでの猫たちのために4つもある)
毛の奥にいるノミを駆除し、お湯攻めである。
ナナにいる、となったら、一緒にくっついているシンノスケにもトモにもいるに違いない。
いた、いた。
室内飼いの盲点だった。

そして、ナナの鳴き声が収まった。
痒さのストレスで鳴いていたのだ。
足のふらつきもほぼ快復した。

ノミの存在はしつこい。
だから毎日、何回も駆除する。

室内飼いのネコが、身体を掻いていたら、それの主因は
ノミ、だと思ってもいい。
ただ、身体が痒いだけと思わないで
ノミを疑ってみてもいい。

年だから、鳴き声も甲高い、痒みもある、なんて
勝手な解釈をしていた私は猛省である。

そうすると、歴代のネコたちもそうだったのかもしれないと後悔である。

ダイジロー、君もそうだったのか。
ごめんよ、ダイジロー。
命日の時に思う。
ヒカルやトチやクロポチや・・・みーんな、ごめん。
もっと徹底的にやってればなあ。

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(3/2)ダイジロー、15歳逝く。2018年12月2日。

2019年03月02日 22時04分37秒 | ネコ
                     在りし日のヒカルとダイジロー。
昨年、この2人(匹)が逝った。
ヒカルについては、昨年の5月から6月にかけて、このブログに写真をたくさん載せた。
19歳。
そして、ナナ、シンノスケ、ダイジロー、トモが残った。
年齢の順番で行けば、ナナ(今年の夏ごろに21歳になる)が次であろう、と覚悟をしていた。
シンノスケやダイジローは昨年当時15歳。あと1、2年か、などと勝手に思っていたのだが、
11月、ダイジローの不調が続いた。
病院で検査をすると、胸水がたまっているとのこと。それを抜くために通うが、治療の甲斐なく
12月2日、私が出勤している時、夫の在宅中に亡くなった。
        

ナナと寝ているダイジロー。


トモによく狙われたダイジロー。トモはダイジローに異様に粘着して、よく待ち伏せをしては襲おうとしていた。
ダイジローはトイレの後にトモがいるのではないかと、常にドキドキしてソロリソロリと寝床に帰る。


庭の散歩から家の中に戻るダイジロー。私が庭で作業をしたり、ゴミ出しに行くときなど、唯一ダイジローが外に出かけられる。
あとの子たちは外を知らない。勿論、皆、ノラ出身だから、外の世界は体験しているが、家猫になってからは1歩も出ていない。


ダイジローと母親タヌ。このブログのプロフィールの写真に誰を載せるかと考えたときに、タヌだ!と思った。
ノラのタヌをどうしても保護したくて3、4年悩んでいた。すぐ手を伸ばせば捕まえられそうな距離なのに、素早く逃げ去るタヌ。
何回も子供を産んでいただろう。早く避妊手術を受けさせたいが、思うように捕まえられなかった。
こんなに手が届く距離なのに、心は長い長い隔たりだった。
白い子猫を連れたタヌ。やんちゃな子猫1匹。落ち葉の塊の上に寝ていた2匹。
愛護団体から捕獲器を借りて、いよいよ決行だと決意した2003年の冬。
空地に捕獲器を置いた。白い子猫は素手ですぐ捕まえられた。
そしてタヌ、設置してすぐに捕まえられた。あの時、このあっけなさに歓喜し、タヌさえ捕まえられれば何も要らない、
などと毎日のように祈っていたことが嘘のように思えた。
そしてこの白い子猫がいなかったら、あの空地までタヌはやってこなかったであろう、別な空き家の縁の下をねぐらにしていたであろう。
白い子猫に感謝していた私だ。


ダイジローの頭にキトンキャップが残っている頃。この写真は、貼っていた写真をカメラで撮ったもので、少々歪んでいます。
白い子猫の名前を決めるとき、バイクの選手の名前、と大体決めていた。
ダイジローとは、亡くなった加藤大治郎選手からとったものです。いい名前だ、ね、ダイジロー。
そのタヌは、東北大震災を知らずに2009年に亡くなった。
夫のオーディオルームを寝床にして1階の台所、食堂など2匹は自在に過ごした。
独りぼっちになったダイジローのために私は布団を持って一緒に毎晩寝ていた。
ダイジローは私が2階から降りてくるのを階段前のドアの前で待っている。そしてオーディオルームのドアを開け放しにして
玄関、廊下、部屋を手製の猫じゃらしで走り回って遊ぶんだ。母親にべったりだったダイジローだったので、その分私が遊び相手になった。
姑の部屋にも遊びに行き、ソファで寝たりしたね。

震災で、オーディオルームのCDがぐちゃぐちゃになって、余震も続き、この部屋で寝起きするのは危ないということで
ダイジローを2階に上げた。
当時、トチやノリやみんな健在で、大所帯だった2階。
皆とは顔を合わせているので、割とすんなり打ち解けて喧嘩もしなかったね。夫の股の間を自分の寝床として夜はそこが定着していた。
トモだけは、同じ白い毛並みのせいか、ダイジローを目の敵にしていたね。ダイジローの便秘はトモのせいかもしれない。


ダイジロー。まさかのあなたの死。
まだまだ生きてくれる、と思っていた。
ヒカルのように、何が何でも食べる、という欲を見せてくれれば、もう少し長生きしたかもしれないね。
あなたの死を、心の中で自分を納得させるまで時間がかかった。
今でも、ちょっと受け入れていないのかもしれない。
でも、こうしてあなたと出会った2003年からの出来事を振り返ってみると、やはり長い歳月だったのかもね。
あの空地、家がたくさん建っているよ。
あの面影なしの風景だ。
古い家々は壊され、路地の風景も変わったよ。

あちらでは、母親タヌと会っているか。
また2人で追いかけっこしているか。
あなたのおかげで、タヌを家猫にできたと、信じて疑わない。
大感謝している。私の4年の悩みから解放してくれた白い子猫。
あなたは孤独だったけれど、
ヒカルやナナは姉妹、兄弟でうちに来たし、母親ハルもいたから、家族、という感じだった。
2階にあなたを上げたときに、孤独の気持ちだったかもしれないね。
でも、シンノスケやトモも独りでうちに来たんだよ。
皆、仲間だ。

ダイジロー、15年間お疲れさま。
あなたにその気持ちを文字にするのを避けてきた3カ月です。
漸く、今日文字にしました。
愛してるよ、ダイジロー。



ホントはカワイイのに、写真写りが悪くって。
カメラマンの私が、ダメなのね。
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(7/13)ヒカルの死 明日で1カ月

2018年07月13日 15時11分42秒 | ネコ


6月14日、午後4時半ヒカルが静かに
トチやノリ、カズなど兄弟のいる天国に逝った。
彼女の死を予感した5月13日。その一カ月後か。
そして死の一か月後の今日に、こうして報告する。
その間、書こうと思っても写真を見たりすると
気持ちが進まなかった。

5月13日のメモに「食欲なし。血尿。」とある。
誰よりも一番食べたがりのヒカル。
皆の食餌のお盆を二階に運ぶと、階段の前でいつも「ニャ~ン」と待っていてくれたヒカルが
その日を境に、食べなくなり、脚も踏ん張りが効かなくなっていた。
血尿は次の日には解決したが、いよいよだなあという不安は払拭できなかった。
それでも5月29日、体調がよくなったとき、階段を降りて食堂まで歩いてきた。
夫に食べ物の催促をしていた。
6月3日、母の一周忌で家を出なければならなかった。
その日は暑かった。
置いていくヒカルが心配だ。

その日の、出かける前の写真である。


どんなにふらついても、排尿はトイレに行くので、廊下のトイレの傍に寝床を作ってやる。

そして、夜など管理できるときは、できるだけ私達の傍に置いている。
ソファにいるヒカル。





もう固形やとろみの食餌もできなくなり、今はたくさんの種類のあるチュールを大量に買ってきて、色々ととにかく食べられるものは与えた。

夫の膝の上に載せる。これも最期のそれ。
寒い時はヒカルやナナ、シンノスケ、ダイジローがいつも夫の膝の上の取り合いをしていた。


早朝、私が起きるとまず、ヒカルの生存を確認し、ソファに移動させる。
そしてシリンジで水素水を飲ませる。チュールをやる。


ナナがヒカルの傍に。ヒカルにとって煩わしいかもしれないが、あるいは傍にいてくれて安心していたかもしれない。




この時間帯は、ソファに夫や私と過ごす。







当日の夜中。生存確認。


仕事から帰宅して生存確認。
この後、食餌、水を与えたが、もう気力なし。
ソファに移す。
横で私もウトウトする。そしておならのにおいで目が覚める。
ヒカルに「おならしたね。」と声を掛けても、反応なし。
大きな声で「ヒカルー!」と呼んでも反応なし。

本当に静かに逝った。苦しそうな表情、声もなく。
おならは、なかなか便が出なかったので、最期に腸が働いたのか。






この寝姿、生きている時と変わらない。





食欲旺盛だったヒカルは晩年も素直に与えた物を食べてくれた。
とりわけお世話になったのが色々な種類のチュール。
そして水素水。
これが効き目があるかどうかはわからない。
これを飲んだことによって、寿命が数日伸びたかどうかもわからない。
でも美味しそうに飲んでくれて、生きている側の人間が安心したものだ。

あれから10日近く、ソファに一緒にいた。朝夕、氷や保冷材を駆使して。
そして今はお骨になって、これまでの逝った子たちとともにいる。
ヒカル、愛をありがとう。
いつか会いにいくよ。
皆の傍に行けると信じている私だ。
ようやく、ここに書けた、ヒカル。

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(5/24)鳥、一喜一憂。そしてヒカル。

2018年05月24日 20時37分01秒 | ネコ
今朝は少し遅めに家を出る。
5時15分頃だ。雨が降ったあとに
強烈な朝日が眩しくて
そろそろ暑くなる季節だなあと感じながら自転車に乗っていた。
うちの近くの真っすぐな道路を走っていくと
燕が二羽飛び交っていた。
あ、そうだ、このビルは前から燕の巣があるところだ、と気付いて
自転車を降りる。シャッターが閉まっていた。
その辺りを二羽が飛び交っているので
巣はあるのか、或いはシャッターで巣に辿り着けないのか、と気になって見ると
庇の内側にちゃんと巣があった。
むしろ、鳴きながら飛び交っていたのは、私が巣に近づいたからだ。
もちろん、巣の中は上の方なので、地上から見えないが、今年も子育てをしているのだろうと安心して出勤した。
良い気持ちだった。
燕と人間が共存している、優しい世界だ、と思いつつ。

そして仕事を終えて
帰宅途中。あの真っすぐな道路を再び走っていると、交差点から入ってすぐの家の通路の前にカラスが地面に座っていた。
どうも、大人のカラスではなさそうだ。
私のことだから、通り過ぎればよいものを、降りて様子を伺いにいった。
もしも、巣から落ちたヒナであれば、あの時の(数年前に鳩のPちゃんを助けたとき)ように、また私はカラスを
助けるのか、と思った。
よく見ると、両足が曲がっている。立てるような足ではない。奇形的な曲がり方だ。
なおのこと、助けなくては、と思った。産毛が残っている中くらいのヒナだ。
すると、大人のカラスが私に向かって抗議、威嚇の鳴き声だ。
近づこうとすると、あのカアーカアー、という大きな声で威嚇するのだ。親なんだ。
とうとう、私の頭を攻撃してきた。
いいよ、離れるよ、でも、このヒナ飛べないでしょ、抗議したって、あなた、どうやって巣に連れていくのよ、と
心で思う。もしかしたら、親に倣って(ならって)、飛ぼうとしたのかもしれない。しかし、足が正常じゃないから、
止まり木にも止まれない。スムーズに跳ねて移動すらできない。
車に轢かれたらどうする、と思いつつ、親に攻撃されながらも、ヒナを追って道路から離した。
飛べるようになればいいが、カラスというのは、燕と違って歓迎されない立場だ。どうか無事親の元に、と祈りつつも
自然淘汰のことを考えれば、致し方ないのかもしれない。

しばらくあの道路を通勤路にしない。
自分の手で助けられないと思ったら諦めるしかない。

それにしても、なぜ、私の目に入ったのか。スーッと自転車で通り抜ければ、こんな不幸な場面を知らずに済んだのに。
いつも、こんなことに遭遇する自分だ。
あの鳩のPちゃんにしても、奇跡的に助けられたけれどもその過程の自分の心を思うと、ほぼ絶望と隣り合わせだった。
不幸は見たくない。
特に動物、生物については。

と書きつつ、自分は不幸を拾いに行っているようなものだ、毎晩、カエルの救済をしに行っても、全てを救われるわけじゃない。
車に轢かれたカエルをうちの庭に埋めることもある。


今、うちのヒカル、死に向かいつつある。
すっかり痩せて、食餌もままならない。19歳。2月に19歳になってお祝いをしたんだ。
昨年の夏も、フラフラして、19歳を迎えられないかと思ったが迎えられた。
が、20歳は無理かもしれない。
チュールでもなんでも、口に入るものは今与えるようにしている。
食べてはくれるが、身体の衰えは目に見えて進んでいる。
人間の一日は、ネコにとって、一体何カ月分なんだろうか。
以前、クロポチが亡くなったときにもそれを感じた。
朝出勤前に見たとき、少し元気で、一日大丈夫であろうと思ったら、数時間して帰宅した時には
まるで朝から、数日経ったかのように急激に衰えた身体になっていた。
ネコの数時間は人間の数時間ではない、スピード感なのかもしれない。
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(12/12)義母の予言?

2017年12月12日 20時43分07秒 | ネコ
今日は朝から雪だった。全国的な寒さ。
雪の少ない仙台なので、積もりはしなかったが、うっすらと地面が白くなる。
幸い仕事が休みだったので、ホッとするが。
明日も寒そうだ。ツルツル自転車が滑りそうだ。気を付けよう。

ゴミを出しに行く7時ごろ、久しぶりにあのネコが庭に来た。
昨年の夏によく、うちに来ていた3匹のうちの1匹だ。
昨年の冬を迎えるにあたって、サンルームを掃除して、夫に出入り口を作ってもらい
日向ぼっこをできるようにしたのだが、ピタッと来なくなった。
3匹とも。
最後に見たのはいつだったろう。
今年は母の入院、葬儀があって、そっちまで気が回らなかったが、明らかに来なくなった。
シロ(夫はモーちゃんと呼んでいる)、
チャイロ、
クロ。
そのうちのシロである。相変わらず首輪をつけているし、肥えているようなので、
飼い主はいるのだろうが、ここ最近3回ほど見かけるようになった。
うちの樹の下で、雪宿りしていた。
なぜ、こんな寒い日の早朝に出てくるのだろう。
ご飯を用意してサンルームに置くと、しばらくして入ってきた。
ご飯を平らげて、出ていく。
これからまた、ご飯を用意してあげようと思った。
そして昼過ぎ、
サンルームを覗いてみると
なんと別なネコ。
チャイロだ。
このチャイロは懐っこい。
サンルーム続きの食堂にスーッと入ってきて、廊下を渡って、夫のオーディオルームに入っていった。
しばらく冒険して戻ってくる。
ご飯を用意する。
今日は雪模様なので日差しがないから、サンルームは寒い。
日差しがあれば、ポカポカなんだが。寝床がいっぱいあるからそこで昼寝ができる。
今日はしかたない、そのまま出ていった。

ずっと姿を見せなくなった数カ月、
もうチャイロは死んだのかなあ、と時折思っていた。
縁がなかったんだ、なんて思ってね。


一昨日から、義母から
「トモロッシちゃん、見て。」と毎日
コタツの上のウサギのぬいぐるみを見せられていた。
ぬいぐるみをおくるみに包んで(それはいつもやっていたことだから特別何も感じなかった)、
「死んだのに、戻ってきたの。」と3日続けて言われた。
ボケが進んだなあ、ぐらいに受け取った。

しかし、
後から考えて、
「あれ?義母って予言者?」と思った。
死んだかもしれない、と思っていたチャイロが生きていた。
気候の良いとき、季節の良いとき、
どこかで見かけたとか、塀の上を歩いていたとか全くそれがなかったから
半ば、死んだと思っていたんだ。
それが、また姿を現し、家の中を闊歩していた。

「死んだのに、戻ってきた」の義母の言葉が当てはまったような日だった。
義母よ、仙人になれ、と思った。
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(3/23)3匹の猫

2017年03月23日 17時13分35秒 | ネコ
うちに通ってくる猫が3匹いた。

それぞれバラバラにうちの庭を通っていったり、サンルームで休んでいったり。

茶色と白の猫を、チャイロ
白とブチの猫を、シロ
黒の猫を、クロと名付けた。

シロの顔は面白い。頭がおかっぱのようで、鼻の下の模様も鼻くそが伸びているように見えて
剽軽顔だ。
首輪をつけているので飼い猫だ。

チャイロは、うちのシンノスケと同じ模様で、シンノスケよりは痩せている。
首輪をつけていないので、ノラかと思ったが非常に懐っこい。見たら、去勢をしている。
これも飼い猫か。
1階の食堂に躊躇なく入ってきて甘えるほどだ。

クロはおとなしい。これはノラかも。
チャイロによく追いかけられていた。

昨年の秋ごろ
毎日のようにその3匹が入れ代わり立ち代わりやってくる。
クロは黒いので、台所のすりガラスの向こうに座って待っているのが見えるのでよく餌をやっていた。

11月末にサンルームの大掃除をした。
私の頭の中では、クロを迎えようと思っていた。
他の2匹は飼い猫のようなので、クロが、うちを望んで住み着くならそうしてもらおうと思った。
だが、なかなか思うようにはいかない。
チャイロがクロをいつも威嚇追いかけていくうちに、クロは来なくなった。
そのうち、シロがサンルームで休むようになった。
チャイロとシロがいっしょに寝ている姿も1回だけ目撃している。
同じ飼い主なのだろうか。
そんなに飼い猫を外に自由に出している家があるだろうか。
毎日姿を見せていたチャイロが来なくなった。
最後に目撃したのは1月の半ば?
サンルームの籐椅子に座っていた姿は、薄汚れて元気のない姿。
今度はシロが毎日来るようになった。
ご飯を食べて、少し寝て、かと言って懐くようなことはなく。


クロもいないし
チャイロも姿を消したし
思惑通りに行かないなあと思っている。

そして今日。
午前9時ごろ、自転車でコンビニに行くとき
うちから数分のアパートの駐車場でチャイロを見た。
そこは前から何度かチャイロを目撃していた所だったので
今日もそこを横目で見ながら通ったんだ。
私は自転車から降りて、声をかけた。
チャイロは相変わらず、ニャアと言ってすり寄ってきた。
チャイロは私のことを認識しているかどうかはわからない。
他の方がマンションなどの入り口にいたチャイロに声をかけて、それに甘えた声で応じた姿も目撃していたから。
駐車場でゴロンゴロンとしたけれど
以前見たような薄汚れた状態じゃなかったので、
飼い主がもう外に出さないようにしていたのかもしれない。

コンビニの帰りに見てみるともういなかった。

毎日のように姿を見せていながら
こうして別な場所で会いながら

どこの猫なのか一切わからない。
シロもチャイロも、このアパート付近で目撃していたことから
車の往来の激しい道路を隔てて渡ってくることは確かだ。
できれば放し飼いはやめてほしい。
チャイロの姿をずっと見なくなった今日まで
いろいろといやな想像までしていたのだ。

さて、クロ。
もしかしたらあの猫も飼い猫なのでは、と根拠なく思い始めた。
生粋のノラなら、餌を求めて、うちに来るはず。
見た目、コロコロと太っていたような気がする。
どうかあの猫も飼い猫であってほしい。
そうでないなら、うちに来てほしい。
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(2/18)ヒカル、18歳。

2017年02月18日 08時19分51秒 | ネコ
暑いくらいの昨日だったのに
今日は冬らしい朝の気温でした。
でも8時過ぎから日差しが強くなって
家の中は暖房が無くても十分な暖かさ。
確実に春に向かっています。
庭の樹木の芽もちらほら。
雑草も蘇ってきました。
しかし、冬眠中のカエルは覗いたらまだぐっすり寝ていました。
3月に暖かい雨が降ると
いよいよカエルの目覚めです。

今日はヒカルの誕生日。
18歳。

手前がヒカル。ナナ(もうすぐ19歳)といっしょに。
この写真は2年くらい前のかな。
私のカメラ、壊れてしまってしばらく写真とは離れています。
4月の誕生日には欲しいのですが。

ヒカルの兄弟のトチやノリ、カズは16歳で空の上。
画像フォルダーを観るのはちょっとつらい。

今日はお魚を買ってきて
いつものゴハンにトッピングです。
ヒカルは一番食欲がある。
去年は、足元がふらついたりして
もうダメかと思ったりしたけれど
なんとか18歳を迎えることができました。
18年も歴史を刻んでくれて
ありがとう、ヒカル。
生まれたとき一番小さくて
この子、育つのかなあと心配したけれど
こんなに長生きしてくれて、感謝しかないね。
ナナの生まれた月日はわからないけれど
(うちに来たときは生後2か月くらいだったかなあ)、
ヒカルより半年くらい早い(母親はいっしょ)。
1998年生まれのナナ。
1999年生まれのヒカル。
ナナの耳は全く聞こえません。
でも、よくダッシュしているので
身体は丈夫なんですよ。
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(5/2)寒い日。老いの猫たち。

2016年05月02日 18時43分56秒 | ネコ


今日は寒い日だ。
灯油がもう切れそうだ。明日買いに行かなければならないだろうか。
明日の昼ごろは20℃くらいになるから
陽が当たれば暑いくらいだ。
しかし朝はまだ寒い。
迷うところだ。なるべく真夏に灯油が残らないように買ったのだが
使い切ろうとしたら、一日中寒い今日。
私が帰宅して、点灯したストーブの前に陣取るうちの長老猫、ナナ、ヒカル。

さて
ヒカル、私が帰宅してゴハンの催促。
いつもなら朝のゴハンが残っているものを食べるのだが
どれも空だった。
その催促をしている姿、下半身がふらついていた。
腰の周りの筋肉が落ちているなあ、と最近思っていたのだが
高い位置にある寝床にはそれなりにジャンプして上がっていたので
まだ大丈夫であろうとビクビクしつつも安心していた。
そのふらつきを見て
とうとう来たか、という愕然とした気持ち。
老いがやってきた。
いや以前から来てはいた。
2月18日に17歳になったヒカル。
トチやカズ、ノリたち逝った猫の兄弟である。
唯一17歳を迎えてくれたことに喜んでいたのに。
しかし、実際は
なんというか・・・触れれば壊れそうな華奢な身体だ。
もともと身体が小さい。他のオスの兄弟と違って、小さいときから
脚、腰が短いなあと心配し、病院の先生にそんなつぶやきをした。
大丈夫、育つから、と言われて17年。
他の兄弟はここ2年のうちに亡くなった。
その腰のふらつき、しばらく続いたが
動かしているうちに
寝床に上がれるようになった。


17歳の背中。ストーブにしがみついているナナは18歳。耳が聞こえなくなって数カ月。
そのナナに対して、耳が聞こえないということの悲しさを感じていたのだが
ナナは身体をグチャグチャに触っても、まだまだ若い、という感じがする。
私との追いかけっこで家じゅう走り回る健脚ぶりである。


腰のふらつきが落ち着いてグルーミングをするヒカル。


この姿は17歳に見えますか。
5歳と言っても通じるし、10歳と言っても通じるかな。


私の歴史ですね、この子たちとの生活。
1日でも長く生きてください。愛しい子たち。

お腹空かして帰宅して、さあ遅いお昼を食べようと思ったら
ヒカルのふらつきを見て、食欲が無くなりました。

ヒカルが一番、食欲があるのですが、痩せてきましたね。
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(12/31)今年の出会い、別れ。

2015年12月31日 19時37分39秒 | ネコ
疲れて、もう寝ようかと思っている。
たいていの人たちは
休みのピークであろう。
夫も休みに入って何日か経っている。
私は
今日も明日も仕事である。

家にては年越しの食事、正月のお節料理、お雑煮などの料理を
夕刻早めに手を付けて一気に作った。
我が家は
元旦の朝食は、雑煮とあんこ餅と決まっているので
それを作っておいた。
早朝4時半に家を出るのでそれらは食べられない。
仕事から帰ったらすぐに
実家に行くことになっている。

慌ただしくて
全然気持ちが追い付かない。
つい先日
クリスマスイブに、久々に友人に会って
ランチをし、気分転換ができたのに
幻のように
その余韻が消されていく。
仕事、仕事である。

今年を振り返ると
自分に影響を与えた出会いは誰だったろう、と
すぐに思い浮かばない。
出会いというよりは
身近な愛する者と別れ逝くという思いのほうがどうしても強い。
そのため
ブログも遠ざかり
心に余裕をもって何かを書き付けるということとも遠ざかった。

このブログを書くきっかけになった
山Pを好きになってちょうど10年。
野ブタをプロデュースというドラマから10年である。
そして
その10年目の今年に
またも
思い出に残る
アルジャーノンと
月9ドラマをプレゼントしていただき
ありがとう、山P。
10年前の今日のときめき、手に取るようにわかります。
ドラマは終わったのに
世間は
修二と彰があちこちのテレビ局でひっぱりだこで。
格闘技のコメンテーターとして出ていたっけ。

復活しないかしらね、一時的にも。
フルコーラスで、あの踊りを
二人でやってほしいね。
だってミリオンですよ、アミーゴ。

では
その曲を聴いて
眠りましょう。

2015年、悲しい別れの連続でした。


来年もよろしく。
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(12/22)クロポチを火葬に。

2015年12月22日 16時43分20秒 | ネコ
今日
クロポチを火葬に見送った。
クリスマスイブの日に火葬である。
死んだのが8日の火曜日で、2週間もうちにいた。
1週間ぐらいのつもりでいたのだが
先週は、うちの前の道路工事で日中は車が入れない状態だった。
2週間、氷を取り換えつつ家にいてもらった。

クロポチの死は穏やかだった。
ミミやトチのように
他の仲間との接触を避けるように奥の私の部屋にこもって過ごした晩年とは反対に
クロポチはずっと居間でいつものように過ごしていた。
トチが死んだあと、クロポチは急に食欲が増してきた。
人間の食べるものを欲しがり、夫の横にニャアニャアと付いていた。
おかしいね、と言い合っていた。
何かの前兆のように思えた。
日に日に、目が奥目になっていった。
どこが悪い、という様子もなく、ただ、奥目と目ヤニが人間の老人のような様子に見えた。
ああ、この子もそう遠くはない日に・・・と
続けざまに愛猫を失っていった私には予測ができた。
まだ食べ続けるだけいいが、これがパタッと食欲が無くなると
たちまち死を意味する。

そして今月に入って食欲不振の姿になった。
いろいろな缶詰や、スープ状のレトルトなど試したが
それらも拒否するようになった。
それでも
陽の当たる場所から離れることなく日常の中で過ごした。
早朝、仕事に出かけるとき
クロポチに声を掛け、痩せたなあと思って帰宅すると
朝見た時よりも、更に痩せていた。
たったの数時間で、急激に痩せる。
猫の数時間は、人間の何日分、何週間分にも当たるのだろう。

あの日の朝。
私は休日だった。

クロポチは廊下に置いてあるトイレの中に
丸くなって倒れていた。
体力のないところに動いたから
倒れてしまったのだろう。
出るものはなかった。
垂れ流しでもいいよ、と寝床にシートを敷いたが
それを許さず、自らトイレに行ったのだろう。

しかし、気を失っていただけで生きていた。
寝床に連れていった。
午後
日差しにまどろむネコたち。
冬とはいえ
南向きは暑くなる。

日陰を作ってやろうと、雨戸を半分閉めた。
クロポチはそれでも暑いのか
寝床から移動して居間の隣の夫の寝室(居間続きになっているので、そっちに寝そべるネコもいる)
にバタンと倒れて寝そべった。
それが最期だった。
寝ているようだった。
動けば、身体に負担がかかる。
そのまま呼吸が止まった。

つらそうな様子はなかった、一切。
これが老衰なのか、と思った。
生命は朽ちる、いつか。
その朽ち方が静かだった。
寝ている姿だった。

その姿のまま箱に移動した。
そして2週間、私たちの日常をクロポチの横で過ごした。
朝出かけるときに声を掛け
帰ってきたとに「ただいま」と声を掛け
クロポチはずっと寝ていた。
そう思ってきた。
そして今日
私のメッセージを枕にして花に囲まれたクロポチは葬儀の車に乗っていった。

午後
昼寝をした。
そして夢を見た。
クロポチが生き返ったと。
夢の中では、
4日間死んでいるようにしていたが
生き返ったから、葬儀場の迎えはキャンセルしなくちゃ、と
電話番号を探していた私だった。
腕の中でゴロゴロ言っていたし、歩き回っていたので
確かに生き返ったのだ。

そんな夢をタイミングよく見た。
この夢が
クロポチへのはなむけだった。
私の心の表れだよ、と。
2週間、クロポチの死を受け入れられなかったのだ。
あまりに静かに寝ているので、これからもずっとそのままでいてくれるようだった。




今年は4匹のネコを見送った。
覚悟はしていたが
この連続はかなり私の身体に堪えた。
それでも生きていかなければ。

うちには
まだ17歳のナナがいる。
クロポチと同じ日に生まれた。
そして
トチたちと同じ日にうまれたヒカルがいる。
16歳だ。
来年の2月には17歳になる。
何とかその日を無事に迎えたい。
食欲があるので、まだ大丈夫だと思うが
人間の1日がネコの何カ月分になるのかと考えると
彼女たちも死に向かっているのである。

そして
他のネコたち。
一番若くても
9歳である。
年明けには10歳だから
皆高齢になる。
あんなに幼い顔、しぐさでありながら
うちのネコたち
じいちゃん、ばあちゃんである。


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(12/8)クロポチの死

2015年12月08日 18時55分41秒 | ネコ
クロポチ、今日12月8日逝く。
17歳。

       
   この写真、6年前の12月8日に記事にして載せていた。
   まさにちょうど6年前の今日。11歳の長男、と書いている。




 
ブログから離れている間、今期のテレビドラマを観ていました。
山Pや岸部サリー、西島さん、田中圭さんとか私の好きな人たちが出ているドラマ。
刑事もの、医療ものそれなりに面白いけれど
やっぱり山Pには癒され、笑わせられます。
なるべく現実のことを忘れるように、とずっとドラマを録画して観てきました。

ジャスさん、メールしないでごめんなさい。



クロポチのこと、落ち着いたらまたブログに書きます。
なんだか、ごっちゃになっているんです、頭が。
トチのこと、ノリのこと、ミミのこと、カズのこと、クロポチのこと
だんだんと誰の死がどうだったか、わからなくなっている。
そのためにも
ここにはきちんと記録していかねば、と思っています。

取り敢えず更新。
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(10/23)ミミの死

2015年10月23日 16時58分08秒 | ネコ
あれから1時間ほどしてから
また呼吸が荒く聞こえてきた。
そして
手足が交錯したり、身体の内部から意思でどうにもならない痙攣のようなものが時折襲う。
意識が無い分、救い。
あとはミミ、静かに眠れの気持ちだった。
もうこれ以上苦しめないで静かに逝ってほしいと。
それでも身体のマッサージを辞めなかった。
12時25分
ミミ、眠るように眠っているように
私の腕の中で永眠。
しばらく私の腕の中に抱きしめていた。
愛おしい愛おしい可愛い寝顔のようだ。
その写真を撮らなかった。
トチの時はあまり抱きしめてやれなかった。
だからミミの時はまだ柔らかい身体を抱いて私の思いを温もりで伝えた。
ちょっと泣いた。
泣いた。
義母に伝えに行った。
「ああ、そう。」と答えただけだった。
ミミの面倒を2日間見てくれてありがとう。

夫に
昼休みだったので電話した。
トチの死には夫は立ち会えた。
これまでの死は夫は
いつも事後である。
そのほうがいいのかもしれない。



一つの時代の終わりの始まり。
98年、99年生まれの子たちがこの1,2年のうちに死んでいく。
16年、17年の歳月は人間にとっても長い。
それだけ生きたんだ、と思えば
有限の生命なのだから、万歳じゃないか、と言い聞かせる。

ミミ、ナナ、クロポチが来た98年。
実はもう1匹、マユというネコもいた。
4匹の1カ月くらいの子猫を口に1匹ずつ咥えて
ロッシの恋人、ハルがうちのサンルームに運んできた。
ノラのロッシがうちに来はじめたのが97年。
まだ義父が生きていたころだ。
そしてそのうち
ロッシに付いてハルが遊びに来た。
「ロッシがガールフレンドを連れてきた」と何枚も写真を撮った。
ロッシがぞっこんのように見えた。
そのハルが
ミミたちを咥えてうちに来たのだ。
ノラの子猫は最初は私たちを威嚇してはみたが
すぐに慣れて遊ぶようになる。

当時
うちには
初代のネコたち(オオコシ、マミに加えて、タマ、マゴタマという近所のネコがうちのネコになっていた)がいて
さてさて
大所帯になることの不安があった。
しかし、可愛さのほうが増して、結局うちのネコになった。
外に自由にでていた。
近所のネコ好きのおばさんがいて、そこにも通っていた。
まだハルのオッパイを飲んでいたので
ハルの避妊はもう少ししてから、と思っていたら
いつの間にか
ハルのお腹が大きくなっていた。
それが99年の2月、トチたちの誕生となる。
この子達が
うちの2代目グループである。
そのあと、初代グループのネコたちが死んでいく。
次の世代のグループになる。

同じ99年に生まれた外のノラのことが気になる。
誰が母親かわからないが
(ハルにそっくりの模様のネコ。だからハルとは血の繋がりがありそうだ)
タヌキのようなハクビシンのような子猫がいた。
その猫のことが気になって気になって4年目の秋(2003年)に
成猫になったそのネコ(タヌ)とその子供ダイジローを保護。
タヌの写真はこのブログの紹介のところにある。

パソコンのデスクの横に貼ってある写真を撮影したものです。
トチたちと同じ年齢のタヌ。が、10年で死亡。
2009年であった。
2003年生まれのダイジローと、同じ年に単独で保護したシンノスケと、2004年に保護したシマトラ(何歳か不明。
2011年に死亡)、2006年に保護したトモは
第3グループと言っていいだろうか。

おそらく
この文章を読んでいても
年代やネコの名前が錯綜して分かりにくいかもしれないが
当の私はよく把握しているのでそのまま書いていきます。

98年組、99年組があと3匹います。
ナナ17歳
クロポチ17歳
ヒカル16歳

この子たちがやがて遠くはないある日
トチやミミたちのような旅立ちが来る。
痩せてきて、たまにクシャミをして(これが命取りになる)、それでも元気にしているが。

できるだけ順番に。
もしも第3のグループの子が先に逝くようになるなら
それはそれで悲しい。まだまだ長く生きていける年齢なのに、と思っているから。

ここでやめておきましょう。
頭痛がするので。
今日、休みでよかった、としみじみ。
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(10/23)ミミの蘇生

2015年10月23日 11時43分02秒 | ネコ
さっきのブログを投稿したあと、掃除機をかけたりとしていた。
ドサッと音がしたので
見ると
ミミがソファから降りて
体を引きずるようにして水飲み場に行こうとしていた。
こういう不自由な状態になってから水は
彼女の口元に持っていって飲ませてはいるが
ネコのこだわりというか
いつも飲む水の所に行きたいと思っての行動だった。
身体が支えられないので私が支えて
思う存分飲ませた。
そしてまた歩こうとしたが、それが苦しくなって
今までにないいよいよ死を迎えるような取り乱しになった。
頭がのけぞった。
あ、呼吸が止まる、と思い
頭を下げてソファに横たえた。
呼吸が止まった。
腹が動かない。
最期の声になった。
私は急いでマッサージをした。
心臓や血の気の引いた足や背中、ずっと手は胸をマッサージしていた。
すると
腹が動きだした。
呼吸がウッと何回か声に出してされた。
そんなとき携帯が鳴った。
会社からだった。
イエスマンの上司。
27日の私の休みの日。母の病院に行き、最終的な判断をする日に
仕事が入った。
その日にお願いしたいのですが、と言われるが
その日は母の病院です、無理です、と言った。
母の再発のときに
病院と打ち合わせした様々な検査日、検査入院の日付を上司に予め伝えて
27日は大事な日だと伝えていたが当然それは彼は忘れているようだ。
淡々とした口調で私は
無理だと伝えた。

その間も手はミミをさすっていた。
再び呼吸をしだしたミミ。
もう瞳孔は開いて意識はないが
心臓は動いて呼吸はしている。
大事なのはこっちだ。
私の代わりはいるだろう、会社。
ミミの傍にいるのは私しかいない。
もう時間の問題かもしれないが
心臓が動く限り、ミミ、生きていて。

体力のないところに
何か動きがあるとたちまち
呼吸が止まってしまう。

ロッシというネコがそうだった。
病院にいてもどうしょうもない状況で
家で死を迎えることになった。
そして静かに死を迎える準備をしようと
家についたとたん
ロッシは死んだ。
あのときもウウウッとのけぞった。
あのとき、うんとマッサージをしてやれば
蘇生したのかもしれない、とさっき思い出してしまった。
家について3分も経たないうちにだ。
身体を動かすことがたちまち血の気を失うくらいに土色になる。
足も手も冷たくなる。
人間、自分への慰めしかならないが
死の間際まで身体を温めてやりたい。
今日の休みは
ミミのためだ、そうなんだ。


蘇生したところ。呼吸しています。
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