僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(10/23)ミミと母と義母と

2015年10月23日 10時01分12秒 | ネコ
今朝のミミ。

今日は私の休日。
久しぶりに家にいそうです。

今月初旬、実家の母のガンの定期検診に付き添ったときに
肝臓に新たなガンの影が見つかる。
はっきりとわかる陰影。
そこで
また1からの検査の日々が始まり
ちょうど私の休みの日がそれに偶然重なり
仕事への影響なしに付き添うことができた。
しかし逆に言えば
自分自身の休みがなく
ネコの世話と義母の相変わらずの対応と更に実家の母の付き添いがすべてとなった。
来週の火曜日27日に、最終的な処置の判断を決定するのだが
その日もたまたま自分の休日なので、差支えなかった。
が、その日、仕事の後に、全体の会議が入っていた。
直接の上司に、母の付き添いのことを言って、その会議を欠席することをお願いした。
今までは用事がある限り、強制ではなかった。
ところがその旨を上司がさらに上の上司に伝えると
「じゃ、トモロッシさんが出席できる日に延期しましょう。」と言われてきたと私に伝える。
無能な上司め、と内心思った。
イエスマンと化した直接の上司。
一介のパートに、「個人の用事で会議を延長させた」という無言のプレッシャーを植え付ける。
私は
「11月以降は手術となればいつになるかは病院次第、それに準じたい。」と述べた。
会社側は私の出席できる日と言いながら、単純に11月5日と指定してきている。
もしその日、手術となればさらに会議延期か?
では、11月5日に別のパートの人がどうしても抜けられない案件で欠席となれば延期なのか?
病院側に譲歩してもらうしかないのか。

一度この会社を辞めた理由の1つとして(当時は正社員)
父と母の二人のガン手術の付き添いに(病院は別々)私自身の身体が持たないと思い
そちらを優先したい、というのがあった。
そして
再び、会社から声がかかった時
「両親や義母のことを優先したいので、午後の仕事(会議等)はしない、というのを受け入れるのであれば」
ということでパート希望、それでも人手不足なので
「手伝ってもらうだけで大助かり」となっていたのに、
どんどん仕事が入ってきたりして
これは違う、と最初のころ思っていた。
そのうち直接の上司が異動で変わったことで(今回の上司はイエスマン、と皆理解している)、更に
仕事が増え、不満も増してきた。
それに馴らされたところに、こんな変なプレッシャーがあるとは。



まあ、それはたいして大きな支障ではないんだ。
人生に付き物の小さな不満だ。


母のガンの再発。
半年前の検診では、大丈夫だ、様子を見ましょうということだったが
この半年で、自分の目で見てもわかるほどに
丸い影ができていた。

母は一人で先生の話を聞くことはできない。
内容が分からないんだ。
自分がなぜ、こうして再び、PETやMRIなどの検査を受けているのか把握していない。
その場でわかったようなふりをしていても、実はわかっていない。
母の脳梗塞からの認知症は進行しているように見える。
検査入院のことも、どんなに説明しても(言葉も短くして伝えるが)
なんで入院しているのかわかっていない。
検査後、トイレに行きたいと言われて付き添ったのだが
トイレの後に水を流し
「ちゃんと手を洗ってね」と言ったら、便器の流れる水に手を突っ込んだ母。
「ああ~!ダメ!こっちでしょ、手を洗うところは!」と私。
これにはちょっとショックだった。
あんなにきれい好きな母が便器の水に手を入れるとは。

ただ、母は自分の名前だけは書ける。
元々のきれいな字で。
いろんな書類の本人のサインのところに
80年染み着いた字の美しさが本能的に出てくる。
自分の名前を書いて、と言うと躊躇なく書ける。
これが書けなくなったらおしまいだね、と私。
それに対して
義母は
書類の自分の名前は震えて書く(手が恒常的に震えているわけではない。トモロッシさん、書いてくれ、と言うが
拒否)。
やれることは自分でできるだけやるように、と言っている。

義母に
「うちのお母さん、トイレの水で手を洗った~」と言うと
「あら、まだ私のほうがマシね。」


その義母に
昨夜もミミのことを頼んだ。
どうしても目を離せないので、食事の準備のときは目の行き届くところ(一階の食堂続きの義母の居間へ)に
ミミを連れていく。
一生懸命、ミミに声をかけて、身体をなでて
その間、義母の被害妄想は吹き飛んでいる。
何かに夢中になっていれば、その被害妄想は現れない。
夜、食事後に
ミミを連れて再び二階に上がるとき
「明日も生きていたら、お願いね。」と義母に言う。
それが何日も続いてほしい。
もう、望みはないかもしれないけれど
最期の最期まで、愛情で固めてあげたい、包んであげたい。
声の出せない小さな生き物が、なでてもらって嬉しいと尻尾で表現している。
ゴロゴロも聞こえる。ミミ自身の耳には聞こえないかもしれないが
あなたが喜んでいる、心が落ち着いていると、こちらに伝わっているよ。


今朝も
食餌は、一舐め、二舐めした程度と水飲みだけ。
しかし
自分の寝床からまた何度か起きて
こちらの部屋(二階の居間)まで来ようとしていた。
そうか、こちらに来たいのか。
抱きかかえて
ソファの上に。
餌は拒否。
カイロを下に敷いたが、いつの間にか熱くなったのか少し移動。
仲の悪かったヒカルが同じところに寝ているが
もうヒカルは攻撃しない。
皆、何かを悟っているのか、ミミの行動に干渉しない。
ありがとう、他のネコたち。
君たち、バタバタとはしゃいでいるけれど、いつ、こうなるんだ?
そんなことまで考えてしまう年齢。
他のネコたち、元気であれ。
ギリギリまで元気であれ。
私はまだまだ、君たちの世話に明け暮れたい。



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(10/22)ミミと義母と

2015年10月22日 17時02分53秒 | ネコ

昨日の夕方の様子。義母の部屋のコタツの上で。


昨日は
仕事中にもミミのことが浮かんできて
早くミミの元に帰りたいと思った。
ミミ、ミミ、と心の中で呼んで
もしかしたら・・・と最悪の覚悟の気持ちで帰宅した。
しかし
ミミ、呼吸していた。
それを見て安心したのか私は居間のソファで眠ってしまった。
そして
目が覚めると
足元にミミがいた。
エ?
ミミ、隣の部屋から歩いてこちらに来て、ソファの上に上ったの?
そんな体力、あったのか?
最期の力?
私の傍にいたいなら、好きなようにそうしていてね。

そして
夕飯の支度をするのに立ち上がってネコのトイレを直したりすると
他のネコたちも夕食目当てのソワソワ。
私の後について皆、階下に降りてくる。
するとミミも起きだして
階段を下りようとする。
フラフラとした足つき、ちょっとしたことで骨折しそうなので
抱きかかえて
ミミの好きなように、抱きかかえて1階に下りた。
義母に
「お義母さん、ミミが死にそうなの。下に来たいって言うから連れてきたよ。
ご飯支度する間、ミミの傍にいてね。ここをこうやってなでると、喜ぶから。」
とお願いすると
コタツの上に載せて、ミミの頭などを優しくなでてくれる。
ミミ、幸せだね、気分のいいときはこうして皆と行動したいね。
義母に
「今日で最期かもしれないけれど
明日、もし生きていたらまたよろしくね。」と頼んだ。
「ミミちゃん、長生きだね。」と義母はミミに語り掛けていた。
ミミの食餌はスープのようにしてやったが、少し食べて終わりだった。

二階の私の部屋に戻り
もうトイレに行く体力も怪しいので
垂れ流しをしてもいいように、ペットシーツ、タオル等を敷いて
あとは好きな所にいてもらうようにしている。
そして私の寝床は
三畳の納戸である。
本来の自分の寝床に寝ると、ミミを蹴飛ばしそうなので隣に縮こまって寝ている。


今日も昨日のような気持で帰宅する。
もう息していないのでは、と。
見ると、お腹の呼吸の動いているのが見えたので
「ああ、生きていた。」と思う。
しかし今日は、ソファに横になっても来ない。
じっとしている。

だんだん寒くなってきたので
敷物の下にカイロを置いたりしたが、嫌なのかなそれを避けてじっとしている。
写真で見ると
それほど痩せては見えないけれど
触るとゴツゴツと骨がわかる。
たまたま
ミミの傍にナナが来て
義母に
「ミミとナナ、姉妹なんだよ。同じ日に生まれたのに、ホラ、こんなに違うでしょ。」と
ナナの滑らかな背中、毛並みを触って比較してもらった。
これが元気な姿。ナナも鼻炎があるけれど、まだまだ大丈夫かもしれない。
クロポチもミミと同じ年齢。
彼も痩せてきた。おしっこも時々出なくなるし、
次は誰なのか・・・と
私は不安になる。
こうしてナナも元気でいるけれど
それが何年続くのか、何カ月続くのか、と彼らの年齢の残酷さを思う。
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(10/20)ミミも・・・

2015年10月20日 21時29分55秒 | ネコ
実はもう1匹
ここ2,3日で逝くかもしれない子がいます。
トチと並行して
ミミというネコが具合悪くなって1カ月。
トチとミミ
奥の私の部屋で私とともに過ごしていました。
どうも
病人になると
静かなところに引き下がってじっとしているネコたち。
いつもは
居間のソファなどに皆固まったり、それぞれ気の合う子同士でくつろいだりしているのだけれど
トチが具合が悪くなってから
いつもシンノスケと一緒だったのが奥の部屋に自ら下がりました。
ミミは元々、社交的ではないので、人間には甘えるけれど他のネコたちとはさほど仲良くはしてこなかった。
トチとミミ
ほぼ同時に食餌を拒否し始めて
トチが昨日先に逝きました。
ミミも今日は全く。
シリンジでの給餌さえ拒否。
いよいよだな、と思っています。
高齢(ミミは17歳)のネコはたちまち痩せ細ってガクッと来ます。
足もよろけてまともに立てません。
水を飲むのも身体を支えねばなりません。


こうして
ミミが
トチが
本当に去っていく。
ノリの死のとき
次々にやってくるであろう死(皆同じような年齢なので。98年組、99年組の老齢ネコたちが多い)を
予感して
自分で覚悟を決めなくては、と言い聞かせてきました。
死に対して、自分が強くいなければ
自分の心が持たない、こんなに長生きしてくれたんだ、命は有限だ、しかたない、見届けるのが私の使命、
いろんな言葉を浮かべて鼓舞してきました。
今回も然り。

ただ、あまり苦しまないように、できれば意識のない状態で静かに眠るように、と
それを願っていました。
これ以上、奇跡は起こらない、ならばせめてそれを・・と。

もっと書きたいのですが
明日は早く起きなくてはならないのでこの辺で。
ミミの傍にいようと思います。
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(10/20)トチ、逝く。16歳。トチの画像。

2015年10月20日 08時18分24秒 | ネコ
トチ、昨日の夜
10月19日午後10時、逝きました。

いつもいつも、単独で保護されたシンノスケの傍にいてくれたトチ。



ヒカルにいじめられていたシンノスケの相手をしてくれたトチ。お兄さんだったね。







大震災直後の家の中。トチ、まだ怖がっています。





この1999年生まれの3兄弟、とうとういなくなりました。ここに写っていないヒカルだけが残っています。


里親に出した2匹も昨年亡くなっています。残るはヒカルのみ。
99年、ノラのハルがうちのサンルームのコタツの中で産んだ8匹の兄弟。既に2匹は死亡していて、
残り6匹が生き残る。そのうち5匹がオス。1匹がメス。当時の職場の先輩同僚の所に里子として貰われていき
昨年だったか亡くなったとの報告あり。一度会いに行ったこともある。
そしてうちには4匹が残る。昨年カズ、今年ノリ、トチ逝く。とうとう5匹のオスは向こうの世界で再会している。唯一メスのヒカルが元気にゴハンの催促をしている。
オスの兄弟5匹の写真があったのが嬉しい。皆、この世に生まれてきて幸せだったか?
愛されて幸せだったよね、皆。


手前がヒカル。メス。オスのほうがやはり早く逝く。


一番愛嬌があって、頭が良くて、4兄弟のうち長男、と位置づけしていたトチ。




トチの死の瞬間に立ち会えました。
ノリのときもカズのときもちょっと目を離した時に、と続いたのですが
昨夜は立ち会えました。
立ち会う、というのは辛いけれど
最期、しっかりと腕の中で。
16年、私の傍にいてくれてありがとう。
弟分のシンノスケを愛してくれてありがとう。

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(9/21)ミミの耳が聞こえなくなっている

2015年09月21日 14時49分09秒 | ネコ
夫は昨日の夕方
台湾から帰国。
土産話も特になく
写真もなく
お土産もなく
いつも社員旅行はこんな感じです。
一昨年の北海道旅行では、多少買ってきてくれましたが
昨年の九州旅行でも一切無し。
お土産は私が
買わなくてよし、と言っているので。
他の社員は
夫が何も買わないことに不思議に思っていることでしょう。
皆、旅行カバンは、あのガラガラと音を立てるケース。
夫のバッグは下着等入ったホンダの肩掛けバッグ(なので、手荷物として客室に)。
私といっしょに旅行に行けば
お土産好きの私はなんでも買うけれど
夫は全然興味のない人。
お土産を買うなら、CD代に回したい人なのです。
旅行から帰ってくるなり
(航空便の)CDはまだ届いていないのか、と開口一番です。
どうも、1カ月以上音沙汰無しのそれ。

義母には
台湾に行くことは報告してあり
わかっていたのですが
2日経つと
朝、4時過ぎにネコたちのゴハンを用意していると
「亭主はどこに行ったんだ。」と言ってくる。
「台湾に行った、って言ってあるでしょ。」
「で、二階の人とアンタはどうするのか?」
「二階の人って誰?いないよ。」
カチンとしながらも、出勤前なので
あとは何を言われても聞こえないふりして出かける。

あとはまあ、義母とは平穏でした、概ね。

仕事は連休のため大忙しです。
特に
今、嵐が仙台に来ているので、街の中は人、人、人。
旅行客もいっぱい。
連休こそ休めない。
今日は一日だけ休みですが
土曜日から目が回るほどの忙しさ。
金曜日までそれが続きます。



ネコのこと。
うちにいる老齢のネコたち。
ビクビクしている私。
ノリのことがあったので
他のネコたちがいつそうなってもおかしくない、と思っている。
あんなに元気だったトチは
鼻炎で臥せっています。
でも食欲はあるので、この病気とおつきあいしていかねばと。
ミミ。
17歳のミミは
耳が聞こえないということがつい最近気が付いたのです。
ミミ、ミミと呼んでも
耳が動かない。
ネコって
返事をしなくても
耳だけは音の方向に動くけれど
ミミはそれがない、とここ一週間ほどのうちに感じ取っていました。
後ろから身体をポンと軽く叩くと
ビックリしてこちらを向いて
甲高い声で鳴きます。
あ、耳が聞こえなくなっているんだ、と思いました。
老齢から来るのでしょう。
前足も湾曲してきました。
ミミは結構孤独なネコでした。
ミケの柄なんですが
顔が可愛くて、小さいときは
人間が可愛がってくれそうなその柄とカワイイ顔。
しかし、唯一のミケで、似た模様で群れていた他のネコたちと
あまりいっしょに寝ることはなく
奥の部屋でのんびりと過ごしていました。
私たち人間に甘えてくるときは
もうもう、顔中舐めまくるようなしぐさ。
彼女も・・・・あたりまえのように、老齢です。
いろんな病気が出てくるけれど
とにかくこうして生きていてくれてありがとう。
食欲もあり、ベランダの日光浴も好んで
そうやって17年生きている。
どうなるのでしょう、
この命。
また、自分自身が乗り越えなくてはならない悲しみが待っているなんて
と考えてしまいます。
が、別な方向から「いや、こうして長く生きているのはありがたいことじゃないか。」と
自分の声が聞こえます。
悲しみを乗り越えるのは自分のもう一つの声の励まし。



亡きカズの。

カズが首辺りを引っかいて大事にならないように、チラシで作った簡易のカラーをつける。


ミミです。


ミミとクロポチ。現17歳。このころは何歳くらいかな、若いとき。ミミ、可愛いね。


亡きシマトラ。カラスに狙われていたのを助けました。鼻炎持ちだった。それが皆に移っていった。


トチとカズ。トチは今16歳。カズは去年12月15歳で死亡。兄弟です。


亡きノリ。先月に死亡。16歳でした。カズやトチと兄弟。あれから少し、季節が変わる。
涼しい日になってきたね。


カズとクロポチ。母親がいっしょ。生まれたのは1年違い。

ナナとミミ。現17歳。ナナは優しい子。ミミは臆病者。仲良しの姉妹。

高齢のネコたち、逝ったネコたち。
私の愛するネコたち。
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(8/28)ノリの歳月。

2015年08月28日 11時41分31秒 | ネコ

画像を取り込むのに苦労している。
簡単なようで、面倒くさい。

ノリの死ぬ三日前の写真をUPしました。
これから死に逝くと思えないでしょ。

デジカメではない古いカメラで撮った写真がたくさんあるので
それをスキャナーして取り込みたいけれど
また1から覚えなくてはならないなんて
気持ちが億劫です。
これに馴れたいために
自分の休みまで我慢していたのですが
挫折しそう。


ノリの生きた16年半。
自分の年に合わせてみると

例えば
自分の10歳(函館にいたとき。)から
16年後の26歳半(仙台で働いてまもなく夫と結婚しようというとき)までの
長い長い道のりを考えると
いかにノリたちが長く生きてきたかと
感慨深いものがあります。
その間に
自分は小学校は更に苫小牧へと転校、
そして中学も卒業のころに仙台へ。
そのあと
自分の将来はどうするかと考えたり
受験があったり
夢を追って仕事に就いたり
夫と出会ったり
濃い年数です。
そのぐらいの歳月をノリたちは生きてきたんだね。
改めて
ノリ、カズ、そしてこれまでのネコたち
今いるネコたちに
長生きありがとう、と言いたい。
ネコの16年は立派だよね。
もちろん
それ以上に長生きしてきたネコたちも。



東北、急に寒くなりました。
8月は長く感じられます。
初旬の猛暑、酷暑。
仕事が忙しかったこと。
仕事でのトラブル。
ノリの死。
トチたちの病気。
外にいる偶然出会うノラたちの不安定な生き方。
夫の会社からの依頼の仕事。
東京から帰省したジャスさんとの再会。
義母を連れて私の実家へ。
などなど
心を休めることなく目まぐるしくいろんなことがありました。
喫茶店でボーっとしているのが
貧しき安らぎかな。
トモロッシさん、頑張ってくださいよ。
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(8/24)ノリ、15日に逝く。16歳6か月。

2015年08月24日 13時20分26秒 | ネコ
パソコン、漸く新しくしました。
前のパソコン、ナンダカンダと直しつつ使っていましたが
七夕が終わったあたりから
動くことが稀で
先週の日曜に買いに。
そして昨日設置して、今快適に静かに使用しています。
昔のカタカタと馴れたキーボードを打つ音が懐かしい。
そのうちこのキーボードにも馴れるでしょう。


さて。
ノリ、前回の記事の翌日にそっと
ちょっと目を離したすきに
静かに逝きました。
意識のない状態で
シリンジで食餌を与えていましたが
15日、早朝5時ごろ
食餌を与えたあと
私が隣の部屋に移動して
数十分後
また様子を見に行くと
いつもと違う姿勢、反った姿勢に
あ、ノリ、死んでしまった、と思いました。
やはり息していませんでした。
10日ごろまで元気だったのに
急に食餌を拒否して
苦しむこともなく
あっという間にカズのもとへ。
悲しむ暇もなし。
暑い日が続いていたのと
お盆が重なり
すぐに火葬できず
ドライアイスを3キロ買ってきて
保冷剤と併用し3日保たせ
18日に火葬しました。

気の沈んだ日々。
あまりに静かに逝ったために
どこかに出かけていったような感覚。
ただいま~と戻ってきそうな感覚。
    
  これは数年前の。お客さんが来訪したら、ほかのネコたちは一斉に逃げるのに、ノリとシンノスケだけは友好的な態度。ノリが一番社交的でした。

    
   生まれて2か月くらいかな。もう16年も前なんですね。ノリの後ろ姿。母親のハルがこちらを向いています。

  ハルもノリもカズも、皆、当時バイクの選手として活躍していた日本人ライダーから名前をいただきました。
  ノリは阿部典史(のりふみ。通称ノリック。でもプライベートで事故死)から。

プリンターも新しくしたので、使い方を馴らして、うちのネコたちの写真をスキャナーしたりして整理しなくては。

ノリ、カズと会えたかな。同じ兄弟のトチもまもなく・・・・何とか頑張ってほしいが。
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(8/14)ノリが危ない

2015年08月14日 13時39分12秒 | ネコ
ネットカフェからです。
うちのパソコン、騙しだまし使っていたが
ここ数日
ウンともスンとも言わず
とうとう駄目か、と
休みの今日、ここへ。

それで
しばらくはまた
ネットと離れなければならない。
パソコン、いよいよ買うことになりそう。
夫に任せよう。

書いておくこと。
うちのネコ、ノリが
今日、明日中に逝ってしまいそうです。

昨年12月に逝ったカズの兄弟。
16歳。
カズが死んだあと
これから続く死を予感していました。
ノリはもともと
食の細い子。
ゆえに身体も細い。
元気な若いときから歯の問題があって
病院の先生からも
年をとったらこのネコ、歯の問題が出てきそうだ、と言われていた。
軟便気味で、太らない。
そして
最近、人間の食べる魚とかに興味を持って欲しがる様子。
何でもいいから食べて、と魚を焼いてやったりしてきた。
暑い日が続いたときは
いっしょにサンルームや食堂で寝てきた。
皆と同じ行動をとり
行動面、食事面心配な様子はなかったのに
2日前、急に元気が無くなった。
それから食べない。
痩せているので、たちまち骨がゴツゴツ目立つようになる。
今は
シリンジで給餌。
時折
自ら移動しているが
もう意識が朦朧としている。
ノリ、ノリ、と呼びかけている。
もう少しがんばってほしいよ、ノリ。


カズ、ノリ、トチ、ヒカル。
この4兄弟が1999年生まれ。
唯一誕生日の分かるネコたち。
トチも危ない。
一番食べるヒカルだけが毛艶もよく、元気だ。
やはり、食欲旺盛なのが元気の元だ。

では、また。
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(7/30)昨日の夜の生き物

2015年07月30日 18時07分11秒 | ネコ
昨日の夜
夫が帰ってくる前に
庭のカエルたちの点検(駐車場の雑草の中にカエルがいないかどうか)をしていると
向かいの家の庭の樹木がサササッと揺れるのを聞いた。
夜なのでもう鳥たちは活動していないだろうと見ていると
ハクビシンが塀を伝って移動していた。
何度か目撃している。
その後に夫が帰宅。
風呂に入っている間にまた庭に出てみた。
すると
うちと南側のホテルの境の塀の上に
ハクビシン、涼んでいた。
いつも、人の姿を見ると逃げ出していくのに
まるでネコのように箱座りしてこちらを見ていた。
至近距離5メートルほどか。
目が合っても逃げない。
話しかけようとしたら
路地からネコが。
塀はネコの通り道でもある。
バッティングしてしまったら惨事になる。
異種の喧嘩になる。
そこで
私はハクビシンを威嚇した。
慌てて塀を渡って逃げていった。
今度はネコを威嚇して、反対側に追った。
ネコは逃げるものを追う習性があるので、敢えて
両方を威嚇して
その場を惨事にさせないようにした。
両方から嫌われたね。
そのネコ、たまに見る。
普段はそんなに怖がって逃げるようにしない仲なのだが
今回はごめんね。
ハクビシンもごめんね。

都会にいるハクビシン。
一体どこを棲家ととしているのだろう。
古い家は結構取り壊されているのに。
以前、やはりこの塀で
親子らしきハクビシンの姿を見る。
繁殖できるほど、複数いるのだろうか。
不思議な光景だ。
日中は見ないので
私のように
夜、庭や路地をウロウロしていると
遭ってしまう。
害獣かもしれないが
何とか生き延びてほしい、とひっそりと思う。
あんなにマッタリと寛いでこちらを見ている姿を見ると
ネコもハクビシンも同じ生き物、と思ってしまう。
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(7/7)ねじ花と老齢のネコたちと。

2015年07月07日 18時06分11秒 | ネコ




みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに

ねじ花が咲いています。(雑草だらけで失礼。取っても取ってもまだまだ追いつかない)
このねじ花を雑草の中から見つけるのが毎年楽しみなのです。
ヘタしたら、まだ花がつかないうちに雑草とまちがえて引っこ抜くこともあり。
それゆえ、見つけたら印をつけます。派手なモールで囲み、そこを踏まない、踏まれないように目印をつけます。
でも、駐車場も兼ねているので、タイヤに踏まれることもあり。
無事踏まれず、引っこ抜かれず成長したねじ花が可憐にピンクのねじねじになって咲き、
写真を撮ります。
一体どこからこのねじ花はやってきたのでしょう。
毎年増えたり、減ったりして、うちの雑然とした庭に定着化しています。
種が飛んで、大きなプランターに咲いていたとき、ちょうど向かいの奥さんが
分けてほしいと昨年だったか、言ってきたのでプランターごと譲りました。
下手に株分けとかしても難しいらしく、そのままお嫁入り。
すると今年、増えていました、向かいの大きな庭にも。

私がこのねじ花の存在を知ったのはずっと昔。
教員時代に、福島、山形の吾妻山、天元台に登山をし、リフトで降りるときに
足元にピンクの花が咲いていたのです。なんて、カワイイ、可憐でいながら、くっきりと
ピンクの色を主張していて、でもねじっているのはわからなかった。
そして
冒頭の百人一首の歌に出てくるもぢずりというのがこのねじ花(もぢずり草)とかけていると知りました。
とてもとても大切にしたい我が家の野草です。

バラも大切にしたいが
何十年も経ったバラが死にそうです。
枯れたところは思い切って切っていますが、バラの育成に素人の私は
せいぜいアブラムシを駆除することしかできません。
古木化してきて、もうダメなのかなあと思っていますが
再生することを願って。


我が家のネコたちは老齢化しています。
17歳、16歳が大半を占めるネコたち。
こんなに長生きしてくれるのを喜んでいると同時に、寿命は寿命、
前年のカズの死を迎えて(16歳前だった)、いよいよ
他の子たちの覚悟もしなくては、と思っている。
立て続けに、ということに自分自身が持ちこたえられるか。
ここ1、2年なんでしょうね・・・
皆が皆、20歳まで生きる、という保証はないものね。
20歳といったって、あと3年です。
フーッ・・・・ためいき。



こんなにいますが、それでも一部なんですよ、我が家のネコ。




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(12/30)カズ、今日戻ってくる。

2014年12月30日 07時33分33秒 | ネコ

病院にて。

元気だったころのカズ。隣は兄弟のトチ。

カズがお骨になって今日戻ってくる。
16日に亡くなって、実に10日うちにいた。
その間に旅行とか祭日、仕事があって
火葬引渡しの日が延びてしまった。
たくさんの保冷剤が効いてくれた。
正月は
お骨になって迎える。

私の失敗は


病院を換えたことである。

いつもお世話になっている病院が遠いため
通院に困難だと思い
そろそろ
新しい、うちに近い病院にシフトしよう、と思い
ネットで探して
比較的近い病院に行った。
これからここにしよう、と漠然と決めていた。

しかし。
よくはならなかった。

そして結局
いつもの病院に頼った。
血液検査をしたら
大変なことになっていた。
「その近くの病院では血液検査をしなかったのか。」と言われた。
70パーセントは覚悟しておいたほうがいい、と言われた。

入院、通院しつつも
カズ、力尽きた。

カズ、ごめんね、という謝罪は
私の選択ミスのことである。




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(12/20)カズ、逝く。15歳。

2014年12月20日 16時48分41秒 | ネコ



カズの小さいとき。皆、兄弟。

目がブルーです。

カズの目がちょっとグチュグチュしています。

兄弟そろって食事です。もう、15年前のこと。





明日、横浜東京へ出発。
1泊2日の研修旅行。
東京よりも、横浜の知識がない。
2、3回行った事があるけれど、昭和の話。
しかも昭和50年代のこと。
元町にも中華街にも行ったことがあるけれど
一体、どうやって着いたんだ?と思うくらいに
何線に乗ったらいいのかなどさっぱり地図を見てもわからない。
ジャスさんに会うので
会社の皆とは別行動。
しかも
彼らもよくわかっていない。
まあ、何とかなると思うけれど。

この話が来たとき
結構喜んでブログに書いたね。

そのあと。

うちのネコ、カズの看病が続き、
とうとう
16日の夜、静かに息引き取りました。
可哀相なことをした、と自分を責めています。

今日で4日目。
まだ眠っているようで、声をかけています。
火葬の日が決まらないんですよ。
今日辺りがよかったのでしょうが
仕事があって、土曜日ということもあって
連絡しそびれてしまって。

もしもまだ生きていたら
旅行、(心情として)行けないと思っていたのですが
カズ
何か察したのでしょうかね。
行ったとしても
心は仙台に、
全然旅行を楽しめないような気がしてならない。

今は
自分の心
落ち着いています。
カズ、ごめんね。

帰宅したら
カズのことを。
旅行のことを。

ヨコハマよ
トーキョーよ
私を楽しませてください。
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(7/10)幻のネコ

2014年07月10日 17時16分09秒 | ネコ
    そのネコの写真を撮らなかった。
    名前もつけなかった。
    だから
    私にとって、幻。

    5月下旬ごろに
    うちの庭に現れたハチわれのネコ。
    夫が声をかけると
    立ち止まってじっとしていた。
    何度も声をかけているうちに
    3日置き、6月の下旬になるとほぼ毎日
    顔を見せる。
    うちの南側の台所の外でゴハンを食べる。
    私が午後帰宅すると、ニャーニャー鳴いて
    ゴハンの催促をする。
    食べたあと、すぐに帰っていくこともあったが
    慣れ始めると
    庭でくつろぎ、台所の外の縁台でくつろぎ
    小さなボールを投げてやると
    それを口にくわえて、サンルームの下で遊んでいた。
    私が庭の草取りをすると、姿の見えるところに移動してはくつろいでいた。

    君はうちのネコになるのかな。
    ノラなのか
    飼いネコなのか
    判断がつかなかった。
    これからずっと、こうして通い始めて
    触らせてくれるくらい慣れたら
    うちの飼いネコとして迎える心の準備をしなければと思っていた。
    
    私の心の中では迷いがあった。
    うちにはたくさんネコがいる。
    もう15歳、16歳が中心。
    最後にうちに来たトモでさえ、8歳になる。
    そのトモで最後だろう、と決めていた。
    皆、縁があってうちに来た子たち。
    君と縁があるのなら
    やはり、その縁を選ぼう、と思った。
    6月29日、日曜日
    外のネコ専用の大きなケージにダンボールを置いていたら
    ゴハンを食べたあともそこに寝そべっていた。
    夜9時、そっと覗いたら
    姿はなかった。
    また、明日。
    そう思って、翌日来なかった。
    2,3日したらまた姿を見せるだろう、と軽く考えていた。
    そして7月に入った。
    カレンダーに×印が連なった。
    来ない日に×がついたがずっとついたままだ。

    まだ1歳になるかならないかの若いネコ。
    ノラだったら
    なわばり争いに負けたか。
    飼いネコだったら
    そろそろ去勢手術をして、自分の家にのんびりと過ごしているのか。
    怪我をして、塀を乗り越えられなくなって
    こちらに来られない状態になったか。

    いろいろとネガティブな想像が毎日つきまとう。
    縁。
    なかった。
    そう思っていくことにしよう。



そんな一ヶ月だった。

いろんなことで心が晴れない。
今こうして書いている心も晴れない。
ずいぶん
自虐した。
夫にも「生きる価値がない」なんて言われた。
結構響いている。
そうか、そうなんだ、と思ったり
開き直ったり。




明日は
Iさんと急遽ランチ。
父の北海道旅行でおみやげに買ってきてくれたものの一部が
Iさんの大好物。
それを渡そうと思い、メール。
彼女の勤め先に届けようと思っていたら
明日休み、とのことで
午後に会うことになった。
台風の真っ只中に。

それに相談したいことがあったので。
先月のちょうど今頃に
彼女の住む町の散策をした。
それをブログに載せようと思いつつも
結局、写真を載せないままブログの中断に入ってしまった。   

頑張れ、私。
いつも鼓舞するが
裏切るのは私自身である。
























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(2/9)片岡さんのブログ「猫論」について

2014年02月09日 01時50分27秒 | ネコ
ボクシングの亀田問題について
片岡さんの「拳論」を観に行くと
ブログがリニューアルされていた。

「拳論」に付属されていた
「猫論」が消えていた、と以前紹介した。
その「猫論」が復活。
更新が滞りがちであるが、時間に余裕があれば
猫について記事を書こう、という意欲はあるようだ。

私が気になっていたのは
震災時に重傷のノラを助けたことの一連の記事(これはもう見られない)。
顔面がひどい状態だったノラの生命を救って
なかなか人間に慣れない、他の飼い猫と共存できないといったノラ。
その後のことがチラリと、それぞれの猫プロフィールに書いてあった。
キーコと名づけられたその猫は地域猫となり
片岡さんの庭の小屋に住んでいるようだ。
片岡さんを信頼している証拠だ。
片岡さんのところに新しいネコが保護され、そのネコが
キーコと仲が良い、と書かれていて
ネコはネコ同士、キーコ、助けられてよかったね、という気持ちである。

ここが新しい「猫論」

気長に、彼のネコたちの記事を待っていようと思う。
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(10/30)トモと遊ぶ

2013年10月30日 07時02分41秒 | ネコ


昨日の午後
夫から電話があって
「市民広場で新蕎麦祭り、やっているから行ってみろ。」と言われて
昼下がり
出かけてみた。
その出かける途中、車通りの真ん中に
カマキリがいたので拾い、
ポケットにそっと入れて、家に戻った。
庭に放す。
あのまま道路に放っておけない自分。

その祭りは
もうほぼ終わっていた。
その途中の銀杏並木の銀杏(ぎんなん)のなっている木。
黄色く見えるのがぎんなんです。道路にはぎんなんがたくさん落ちてつぶれていた。
まだまだ
黄葉には早く、来月中旬あたりが
黄葉の季節。


日曜日のお昼に
元の職場に。古新聞を取りに。
Iさんには土曜日辺りに行くかもと事前に伝えていたが
雨が降っていたのと頭痛で行かなかった。
日曜日を逃したら、また一週間後になってしまうので
その日に。
Iさんのグチが止まらない。
Eさんとの確執はずっと続いていて
言いたい放題だ。
爆発した、と言っていた。

昨日、一昨日とその職場から電話が何度かあった。
私は出なかった。
内容がわかっているだけに。
Iさんが辞めたあとに、来てくれ、ということだ。
今はその気持ちがないので
先日断りの返事をしたのだが。




トモをよくいじる。

エアモミモミしているところ。

いじりやすいのよね。
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