僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/2/12)手術延期の理由を書くのを忘れていた。

2020年02月12日 08時39分28秒 | 日常、仕事、認知症
さっきの続きとして肝心なこと。
なぜ延期になったか。
医師の説明の時に
「予定は12日。手術できない何か原因があった場合は電話をする。
電話がなければ、予定通り行う。」と言われていたので
10日の夕方、夜になっても電話がなかったので、心エコーもクリア、となったんだな」と
思った。
そして翌11日昨日、前述のとおりの義母の様子。
そして夫と帰宅。
私は食事後眠っていた。
夫に起こされる。
夫の携帯、私の携帯に電話があったようだ。
夕方4時過ぎである。
私は気付かなかった。夫も自分の部屋にいたのですぐにとれなかった。
そして折り返し電話をすると
あれから義母は熱を出したらしい。
発熱によって延期、となった。おそらく祭日なので、主治医は不在。

義母は熱の出る人のイメージがなかった。
救急車で運ばれるときも
身体が冷たい、手が冷たく熱はなかった。
むしろ冷たい方が心配だった。
その後、熱が出ていた。
昨日の食事のときは、いつもより温かい程度に感じた。
その後、上昇したのだと思う。
とにかく後で、行ってみる。
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(2020/2/12)義母、手術延期。これまでのこと。

2020年02月12日 08時16分50秒 | 日常、仕事、認知症
予定で行くと
今日が義母の手術日だった。
昨日は祭日で、病院は閑散としていた。
10日月曜日、医師との面談で、心エコーを撮ってから、手術をするか否か、延期かを判断するとのことだった。
90歳の老人が手術に耐えられるのか、というこちらの疑問に対して
この手術は年齢が90歳前後が圧倒的に多い、1月の手術した60数名の年齢を見せてもらったが
90歳以上が随分といた。
それは変な言い方だが、安心材料になった。
術そのものの時間もわずかである。
絶対的な自信を持って臨む、といった姿勢だった。
心エコーもまずまずであった。
不安材料は、
義母の抱えている血小板減少の問題だった。
あちこちに、特に下半身や腕に、血小板減少の特有の痣がある。
今回入院して異様に増えたように感じる。
自分がなぜここにいるのかわからないと、表情が憮然としたものになるのがわかる。
昼食の介助をしたが、口を開けよ、と言っても、意志的に口をつぐむ、
あるいは申し訳程度にパッと開けてすぐ閉じる。スプーンが入るはずがない。
何回もそれをされる。
この意地悪さに笑った。
そのうち、自分の置かれている立場がわかったら、両手を使って器や箸を持ち、自分で食べだした。
そう、つい4,5日前まで、家で普通に食べていたじゃないか。
その調子、その調子。
酸素吸入の管を鼻に掛けていたらしいが、病室に行ったときには
なぜか、眼鏡の鼻に掛ける突起部分のように、位置をずらしていた。
義母が自分でやったのだろう。
顔や身体に付いているものをことごとく、取ったり剥がしていく義母だ。
前日は、点滴をしていた針を自分ではずしたらしく、右腕袖、シーツが血に染まっていた。

2月2日の日曜日に、夕方義母を見ると、左目の上おでこが何かにぶつけたようで、血が流れ、腫れていた。
その辺りから今回の骨折に繋がっていく。
翌日3日に近所の外科に。それまでの応急処置として、血が出たところを大きなカットバンを貼り、保冷剤を貼って冷やしていたのだが
案の定、夜中にでも自分で剥がし、その辺の壁に貼っていた。
どこにぶつけたかも判明しなかった。聞いてもわからない。
彼女の行動範囲はだいたいわかっているので、畳一畳分の分厚いコタツ板かもしれない。
その傷が治るまで(翌日以降、左半分が大痣になっていくので)しばらくの辛抱だ、と思っていた矢先。

2月7日金曜日、
私の仕事が休みであった。
私が休みの時は、5時過ぎに夫や義母の朝食の準備をする。
その準備をしている間に、義母が起きて食堂にやってきたり、自分の居間でごそごそやっていたり、寒いのでまだベッドにいたり、と
その3パターンの1つになる。
6時過ぎに夫が出勤して、起きてこないなあ、と彼女の居間に行った。まだカーテンは閉ざされたままだ。
隣の寝室を開けると、義母がベッド下脇に倒れていた。
薄暗い寒い部屋に倒れていた。
ギョッとした。
心臓とか脳のトラブルか。
呼吸しているのか。
声を掛けると、わずかに動いた。
どうして倒れているのか聞いても、正確に答えられない。
どこか痛いのか、足が小刻みに震え始めた。
これはベッドから降りて転んだのかもしれないと思った。
いつもなら、上半身を持って立たせることもできるが、足が硬直しているのがわかったので
そのままにした。部屋は暖房をつけたばかりだ。まだ寒い。
そして救急車を呼んだ。
その間、廊下の置いてあるものなどを片付けた。
担架が通るのに不都合なので。
救急隊が到着したあと、事情説明。
まず、顔の傷に目が行く。これは日曜日の傷、など説明。
早朝なので、受け入れる病院が固定された。
その病院名を聞いた時、昨年12月、実家の父が運ばれた病院だったことを思い出す。
そこでの対応が(私にとって)いやな印象を持っていたので、拒否しようと思ったが
そこしかなかった。
あの時、言い争った医師の顔を覚えていた。
そして運ばれると、いた、いた。
なんと主治医になった。
どうしても20数年前に亡くなった義父の顔を浮かべてしまった。

私の職場にも連絡しなければならなかった。
職場にてのあれこれも替えなければならなかった。
9日日曜日、職場に行く。仕事だ。
夫がいるので、その日のことは任せた。
職場にては、とにかく周りに、義母と同じ骨折で車いすになっている親がいる、あるいは兄弟で車いすの日常の人もいる、など
聞かされる。
老人女性に多い、と言われる。
何でもない動作で転び、骨折するんだ、と言われる。
それは医師の話と一致したし、義母も漏れずにそうなってしまった。
病院の評判など、詳しい詳しい。

10日、仕事後、医師の説明を聞く。
あの医師だ。
しかし、懇切丁寧に、時間を掛けて(何度も繰り返し)説明してくれる。
大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。
義母は
「トモロッシちゃんのお母さんは元気なの?」と相変わらずの質問をしてくれるのでホッとした。
そのホッとしたついでに病院を出てから
うちの近くの内科、義母の主治医の所に骨折入院の話をしに行く。

その日の早朝(10日)の月。
まあるくて、いつもより少し大きめ。
あ、これは、頑張れ、という意味だ、と思った。
あとで、何とかムーンかもしれないから調べよう、と思った。
家の前の長い路地を左に曲がると、早朝の月が出ていると
わずかの間、月に語り掛ける。
ありがとう、今日もこんな素敵な満月を見せてくれて、と。
そしてあとで調べてみるとスノウムーンだとわかった。
正確にはその日の夕刻からがスノウムーンということで
私は半日早く、ほぼ満月の状態を見られたのだ。
その時刻に出勤でなければ、見ることもない月。
早朝の月は綺麗だよ。
夜見るのとまた別な感情を抱かせてくれるんだ。
あのスーパームーンの時も驚いた。

何かに苛立って
孤独を感じた時に、
人間とは全く異種のものに
ただ存在するだけで、「孤独じゃないよ、見守っているよ」と
言われているように、
左に曲がると正面に見える月。
ありがとう。

それにしても
自分が休みの時でよかった。
もし仕事日だったら。
私が先に家を出るので、
夫が、義母の朝食を準備し、顔を見ないで出勤する時もあった。
倒れたまま
寒い所で・・・と考えるとゾッとする。
だから頑張らねば、と思った。





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