月曜日。
夫は仕事に出かけ、暑くなる前に私は庭の雑草取り、樹木の剪定など時間を設定して作業。
今週は気温が低い日が続く。
それをラッキーと思って、外の作業に精を出そうと思っている。
来週からまた20℃以上の日が続くし、それが当たり前になっていく。
私にとって恐怖の夏へ向かっていく。
雑草を引っ張り抜いていると
カエルのミイラが出てきた。
あ、これは・・・
3月頃、カエルが冬眠から覚めて、車通りに出た途端、轢かれて死んでいたカエルだ。
それを回収して、夜だったため、明日埋葬してやろう、と花壇の奥の方に置いておいたカエル。
すっかり忘れてそのままだった。
申し訳ない。
雑草を取り除き、穴を掘り埋めてやった。その上に石を置いてちょっとした墓だ。
何か球根を植えようと思ったが、生憎転がっている球根はなかった。先ずは目印として石を置く。
カエルの神様は、私のいい加減な扱いに怒っていたかもしれない。
でも見つけられて、思い出させてくれてありがとうございます。
我が家のカエルたちは、伸びた雑草に苦戦しています、何とか除草、頑張ります。
バラの花を切って、玄関に飾る。
15日、金曜日。
この日は
友人との約束の日。
3つ目の病院に勤めている方
病院にては1回しか会ったことがない。
多忙であるのと、私が行く時刻を約束していないので
入院した日に挨拶だけとなった。
彼女としても、もっと義母が長く入院すると思っていて、色々と話しかけてあげようと思っていた。
そして実際に
夜勤や、彼女が義母の病室担当の時に
よく話し掛けてくれたそうだ。
その中で
有りがたい話があった。
「お嫁さんのこと、トモロッシちゃん、て呼んでいるんでしょ?トモロッシちゃんは優しい?」
うん、て頷いたよ。
「息子さんはどういう人なの?」
「バカ息子。」
2人で笑った、と言う。
この「バカ息子」という義母の言葉、夫と義母のやりとりの中で実際に出てくる言葉。
これを引き出してくれたのが嬉しかった。
ちゃんと、友人の言葉を理解して、義母の頭の中で真っ先に出てきた言葉をしっかり口にしている、ということに
私は喜んだ。
一方的な話にただ相槌を打つのではなく、自分の頭で考えた言葉を発したというのが、まだまだ大丈夫だ、いつもの義母だ、と
思わせる。
夫にその話をすると、やはり笑っていた。
その翌日、義母は血圧が下がり人事不省に陥るのである。
だから、この「バカ息子」が義母のしっかりした頭で答えた最期の言葉であり、
それを、友人から引き出してもらって本当に彼女に感謝だ。
その光景が目に浮かぶのです。
私は決して優しくない。
でも義母はそれこそ「忖度」して、友人の手前、トモロッシちゃんの悪口など言えるはずがない、家庭円満、嫁姑円満を演じなきゃ、と
思ったかもしれない。
それこそ正常な頭の働きだったかもしれない。
認知症だからといって、何もかもチグハグではないのだ。
義母の最期の、演技と本音である。
「バカ息子」の響きに、息子可愛さがあったよ、と友人に言われる。
友人よ、ありがとう。