人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラ、モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」を観る~フィナーレの意味は?

2013年06月04日 07時00分06秒 | 日記

 

4日(火)。昨夕、新国立劇場でモーツアルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」を観ました キャストはフィオリディリージにミア・パーション、ドラベッラにジェニファー・ホロウェイ、デスピーナに天羽明恵、フェルランドにパオロ・ファナーレ、グりエルモにドミニク・ケーニンガ-、ドン・アルフォンソにマウリツィオ・ムラーロほか。イヴ・アベル指揮東京フィル。演出はダミアーノ・ミキエレットです

 

          

 

ミキエレットの演出は、舞台を夏のキャンプ場に設定しています。この演出で観るのは2011年5月に次いで2回目なのですが、3回目のような錯覚を覚えます これは何故なのか、それ程印象深い演出だったのか、自問自答が続きます。あらすじは次のとおりです

美人姉妹のフィオルディリージとドラべッラはそれぞれの恋人、グリエルモとフェルランドと共にキャンプ場にバカンスにやってきます キャンプ場のオーナー、ドン・アルフォンソは「女はみな浮気するもの」という持論を展開し、それぞれの恋人を信じる二人の青年に賭けをもちかけます 二人は、突然出征するとウソをついて、別人に変装して、それぞれ別のパートナーを口説き始めます 最初のうちは拒絶する姉妹ですが、キャンプ場で働くデスピ―ナにそそのかされて、魅力的な男性の誘惑に心が揺れて最初にドラべッラが折れ、次いでフィオルディリージが陥落します。そして、ドン・アルフォンソが登場、種明かしをして「女はみな、こうしたもの」と言って大団円を迎えます   

 

          

  

カナダ・トロント出身のイヴ・アベルの指揮で序曲が始まります。彼の指揮は自然体で軽快です 気分良く聴いている中、1階左サイド前方の客席からケータイ画面の光が・・・・しかも4~5回点けたリ消したりしています 会場アナウンスもロクに聞いていない傍若無人のヤカラです。こういうのは後部座席の人が頭を張り倒すなりして注意すべきです。ちょっと過激か

オペラで、舞台設定を現代に移したり、場所をまったく違う所に移したりする演出は好きではありません。が、2年前に初めて、舞台をキャンプ場に移したミキエレットの演出でこのオペラを観たときは、なぜか違和感を感じませんでした 今回も同様に思ったのですが、それは「モーツアルトの音楽はいかなる演出も超える」からに他なりません

2011年5月の初公演に際してミキエレットがインタビューに答えて次のように語っています

「オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』に関してまずお話ししたいのは、本作がまさに”アンサンブル・オペラ”であるということです 物語に主役と脇役の区分がなく、モーツアルトの音楽も役柄ごとの歌の分量がバランス良いですね

これを読んで、あらためてこのオペラが”アンサンブル・オペラ”であることを再認識しました。今までそのように意識してこのオペラを観たことはありませんでした。二重唱、三重唱、四重奏のオンパレードなのです そして音楽が絶えず流れていて留まるところがありません。これはモーツアルトのオペラの特徴です 今回のイヴ・アベルの指揮はその流れを意識した素晴らしい指揮で、東京フィルがそれに十分応えて演奏していました

歌手陣は、主役6人がそれぞれ歌も演技も素晴らしかったのですが、強いて言えばフィオルディリージを歌ったソプラノのミア・パーションと、フェルランドを歌ったテノールのパオロ・ファナーレが、それぞれ良く通る美しい歌声を聴かせてくれました また、ドン・アルフォンソを歌ったマウリツィオ・ムラーロは深みのあるバスで聴衆を魅了しました

 

          

              (フィオルディリージを歌ったミア・パーション)

 

演出で気になったのはフィナーレです。今回の演出では、二人の若者に賭けで勝ったドン・アルフォンソが「女はみんなこうしたもの」と説くと、負けた若者二人、騙された姉妹、デスピーナが、悔しまぎれに近くの物を投げて散り散りに去っていき、残されたアルフォンソが勝利の高笑いをして幕が下ります

今、2年前の演出を思い出すと、若者や姉妹たちが去った後、舞台に取り残されたアルフォンソが感慨深げにうつむいた状態で幕が下りたのです 私としては2年前の演出の方が良いと思いました。最後にアルフォンソが高笑いする今回の演出はあまりに当たり前すぎて特別の感慨もありません

仕掛け人ドン・アルフォンソは、ミキエレットの演出ではキャンプ場の支配人ですが、ダ・ポンテの台本では老哲学者となっています。ドン・アルフォンソは「貞節な女性など存在しない。女はみんなそうしたもの」という自分の主張が証明されたからと言って、高笑いするような人物でしょうか むしろ、二組のカップルは今回いい経験をした(このオペラの副題は”恋愛の学校”)ものの、彼らの今後の行く末に思いを致して”君たちが考えているほど人生は甘くないよ”と言いたかったのではないか、と思います

もう一つ今回の演出で気になったのは照明です 最後に幕が下りてカーテンコールになり、歌手たちに明るい照明が当てられて顔がよく見えるようになったのです その時に思ったのは、今まで観てきた3時間の舞台がいかに暗かったかということです もちろん夜のシーンが暗いのは当たり前ですが、昼のシーンでも極力明るさを控えていたように思います。このオペラは、二人の若者が変装してそれぞれ相手の恋人に言い寄って口説き落とすというストーリーですが、「いくら変装したからと言ったって、いつも身近にいる恋人くらい見分けがつくだろう」という批判に対するエクスキューズのために舞台を暗めにしたのか、とも思いますが、こればかりはミキエレットに訊いて見なければ分かりません。せっかく美男美女をそろえた舞台だったのに残念だと思いました 

午後6時半に始まったオペラは途中休憩30分を挟んで9時50分に終了しました

 

          

 

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