21日(金)。CIAの元職員が「米国政府がインターネットを通じて世界中の個人情報を極秘に集めていたことを暴露した」問題で、ドイツの複数のメディアが加えた論評がふるっています 曰く、
「オバマ氏はイエス・ウィ―・キャンではなく、イエス・ウィ―・スキャンだ」
うまい can に s を付け加えただけなのに・・・・さすがはプロです 私などは s ではなく a を付けて acan (アカン)です
閑話休題
19日の日経夕刊「エンジョイ読書」欄で青山通著「ウルトラセブンが『音楽』を教えてくれた」(アルテスパブリッシング)が紹介されていました 風俗史家の井上章一氏は次のように論評しています
「『ウルトラセブン』はテレビで1967年に初めて放映された その最終回、第49話で主人公のダン隊員がアンヌ隊員に、自分はウルトラセブンだと正体を告げる その山場でBGMとして流れていたのはシューマンのピアノ協奏曲だった その時の演奏は誰のだったのか?少年だった青山氏の追跡が始まる
ル―ビンシュタインの弾き方は遅すぎる ケンプには起伏がない アンセルメの指揮でリパッティが弾いた演奏は比較的近いが、ずれもある。そしてついに、その時の演奏はカラヤンと組んだリパッティの演奏であることを突き止める 演奏者による解釈のちがいを、たのしむ。クラシック鑑賞のそんな勘所が、少年の成長物語とともにしめされる」
ウルトラセブンは私もテレビで観ていましたが、その頃は、クラシック音楽とはまったく無縁で、シューマンよりもシューマイでした 少年時代の青山氏の根性には敬意を表しますが、1,600円は高い 文庫本になったら買うことにします
も一度、閑話休題
中村文則著「掏摸(スリ)」(河出文庫)を読み終わりました 文庫の帯に「アメリカ、イギリス、フランス、中国、韓国・・・・既に7か国語で翻訳!」とあります
東京の繁華街を仕事場とする天才スリ師は、ある日”最悪の男”と再会します 男は木崎といい、かつて仕事をともにした闇社会の男です。木崎は彼に言います。「これから3つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げれば、あの女と子供を殺す」。彼は逃げずに仕事をこなしますが、最後には殺される運命にあります
「あの女と子供」とは、たまたま彼が目撃した万引き母子のことです。彼はその子に万引きの仕方を教えますが、早く手を引けと言います。一方,母親には自分で子供を育てられないのなら金を提供するから施設に預けるようにと説得します
彼は逃げようとすれば逃げられたはずですが、それが出来ませんでした 運命を感じたのでしょうか。自分の意思で人生を生きるとはどういうことか、他人の人生を支配するとはどういうことか・・・・・・深刻な問いかけをして物語を閉じます
生まれついた環境や、自分では選べない親の影響で、不本意な人生を送っている人たちは数限りなく存在します そういう環境から脱するためには相当な努力と忍耐が求められるのはもちろんですが、一人の力では如何ともしがたい現実があります 例えば、もし自分が北朝鮮に生まれたらどうだったでしょうか? それを運命として受け容れるしかないのでしょうか この本を読んで、そんなことを考えてしまいました