2日(土)。わが家に来てから552日目を迎え、おしっこシートの上でオヤツを期待するモコタロです
パパイヤちょうだい! ほかのでもいいけど
閑話休題
昨日、新宿ピカデリーに行って「METライブビューイング、プッチーニ『マノン・レスコー』」の指定席を取ってきました いつも通り左ブロック後方の右通路側席です。ヒロインのマノンは下のチラシの女性クリスティーヌ・オポライスです
そのついでに、チケットぴあでコンサート・チケットを買ってきました 5月26日(木)午後7時からの第54回東京藝大シンフォニー・オーケストラ定期演奏会です。プログラムは①矢代秋雄「交響曲」、②サン=サーンス「交響曲第3番”オルガン付き”」です
公演に先立って6時15分からプレトークがあるとこのこと。指揮は湯浅卓雄、オルガンは廣江理枝です。チケット代は全席自由で1,500円と格安です
最後の、閑話休題
山田耕作著「自伝 若き日の狂詩曲」(中公文庫)を読み終わりました 日本におけるクラシック音楽を語る時に欠かせないのが山田耕作です
1886年(明治19年)東京に生まれ。東京音楽学校(現、東京藝術大学)卒。1910年から13年までドイツに留学。日本人で初の交響曲「かちどきと平和」やオペラ「堕ちたる天女」(坪内逍遥原作)を制作する 日本で初の交響楽演奏会を開催する
カーネギーホールで自作の管弦楽曲による演奏会や日本楽劇協会の設立など、日本の交響楽運動やオペラ運動の創始者となった
このほか、童謡「からたちの歌」「赤とんぼ」「この道」なども作曲、広く国民に愛唱された
1965年(昭和40年)に79歳で没する
この本の内容を一言で言い表せば、本の帯にある通り、「破天荒な一代記」です 幼年時代に義兄(姉の夫)のガントレットから西洋音楽の手ほどきを受けたのがキッカケで、やがて上野の東京音楽学校(東京藝大)に入学します
そして岩崎小彌太男爵の経済的支援を受けて日本人で初めてベルリン王立音楽院に入学します
その辺りの経緯が非常に面白可笑しく書かれています。いかに彼が努力家であり、大胆であり、女性にモテたかが得意げに書かれています
まあ「自伝」ですから「話半分」として読んだとしても相当 波乱万丈の生涯だったことが分かります
何しろドイツ語もろくに話せないのに、日本で初めてドイツに渡って音楽院の試験を受け、見事に合格したのですから 相当度胸と実力のある人であったことは間違いありません
第一、当時はジェット旅客機などない時代です。船と鉄道(シベリア鉄道)を乗り継いでドイツまで行ったのです。ドイツに行ってからは、下宿先の家族との会話からドイツ語を学び、つたないドイツ語を笑われると、「それでは あなたは英語が話せますか?」と逆襲し、さらにドイツ語を学んたと言います。帰国した時はドイツ語がペラペラだったのは不思議なことではなかったようです
面白いエピソード満載です。読んでみると分かりますが、山田耕作という人は非常に文章が上手いです 「読ませる文章」の書ける人です。堅苦しいこと抜きで、小説として読んで楽しい本です。とくにクラシック音楽好きにはお薦めしておきます