4日(月)。わが家に来てから554日目を迎え時事問題を語るモコタロです
遂にシャープも台湾企業の傘下か 目の付け所がフラットですか?
閑話休題
昨日、初台の新国立劇場で、マスネの歌劇「ウェルテル」を観ました 出演はウェルテル=ディミトリー・コルチャック(マルチェロ・ジョルダー二の代役)、シャルロットにエレーナ・マクシモワ、アルベールにアドリアン・エレート、ソフィーに砂川涼子、大法官に久保田真澄、シュミットに村上公太、ジョアンに森口賢二ほか。指揮は当初マルコ・アルミリアートでしたが本人都合で降板、ミシェル・プラッソンが代役に決まりましたが、「転倒による右腕骨折」のため、子息のエマニュエル・プラッソンが代役を務めることになりました。演出は二コラ・ジョエルです
若き詩人ウェルテルはシャルロットに恋心を抱くが、彼女には亡き母が決めた婚約者アルベールがいたことを知り絶望する シャルロットを諦めきれないウェルテルは、数か月後 アルベールと結婚したシャルロットに再び愛を告白するが、シャルロットは彼に町を去るように言う クリスマス・イヴの夜、ウェルテルからの数多くの手紙に心揺れるシャルロットの前にウェルテルが現れ、激しく求愛し彼女を抱きしめる しかし、シャルロットは理性を取り戻し 永遠の別れを告げる。絶望したウェルテルはアルベールから借りたピストルで自殺を図る。駆けつけたシャルロットの胸の中でウェルテルは息を引き取る
私がこのオペラ「ウェルテル」を観るのは、2年前にMETライブビューイングでヨナス・カウフマンのタイトルロールで観たのと、本番3日前の3月31日に新国立オペラで「ゲネプロ」を観たのに次いで今回が3度目です
ゲネプロの時にも感じたのですが、今回の公演はロシア生まれのテノール、ディミトリ・コルチャックとモスクワ・チャイコフスキー音楽院出身のメゾ・ソプラノ、エレーナ・マクシモワに尽きます
コルチャックは、当初、マルチェロ・ジョルダー二が歌う予定のウェルテルを代演で歌うことになったのですが、これが”不幸中の幸い”という結果をもたらすことになりました 輝く高音のベルカント・テノールです 各幕でシャルロットに求愛するアリアは情熱に溢れ、聴く者の心を鷲掴みします。とくに第3幕で、思い出の詩文を読み上げる「オシアンの歌・・・なぜ私を目覚めさせるのか」は、背筋が寒くなるほど感動的で、拍手とブラボーの嵐を呼びました 彼は今年10月のワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団によるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」でレンスキーを歌いますが、ゲルギエフが彼を登用するのも無理のないことだと思います
一方、エレーナ・マクシモワはモスクワ音楽院で学んだ後、2000年に国立モスクワ音楽劇場と契約し数多くのオペラで活躍しました。深みのあるメゾ・ソプラノで、とくに第3幕における いわゆる”手紙の歌”は迫真の演技とともに感動的なシーンでした
アルベールを歌ったバリトンのアドリアン・エレートは新国立オペラではモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」のタイトル・ロール等を歌ったので日本の聴衆にはお馴染みの歌手です ウィーン生まれで、6年間ウィーン国立歌劇場の専属歌手として活躍した実力者です この人の歌を聴いているとフランス語がいかに美しい言語かということが素直に伝わってきます
日本人歌手も頑張っていましたが、一人だけ挙げるとすればシャルロットの妹ソフィーを歌った砂川涼子の歌と演技です。良く通る美しいソプラノです
演出上「さすがだな」と思ったことが何点かありますが、1つだけ挙げておきます。それは、第2幕で、結婚後 街でウェルテルに出会ったシャルロットが、彼の愛の告白を拒み、「クリスマスには戻っていらして」と言って立ち去るシーンです ここで、シャルロットは後ろ姿のまま、右手を眼頭に持っていきながら立ち去っていくのです これは何を意味しているかと言えば、彼女は迷惑がってウェルテルを追い返したいのではなく、本当は愛しているので別れるのが惜しいのです この演出が、第3幕冒頭のシャルロットが手紙を読んで涙ぐむシーンに繋がっているのです
また、舞台に登場するテーブルや椅子(第1幕)、クラヴサン(第3幕)などは、単なるイミテーションではなく骨董品的な品物をかき集めてきたようで、ちょっと見は気が付かないところにもこだわりを見せています。この公演ではこうした演出・舞台作りが光っています
さて、最後に今回の公演の最大の貢献者を挙げる必要があります。それは、代理の代理で指揮をしたエマニュエル・プラッソンと東京フィルの演奏です しっかりと歌手に寄り添い、的確にマスネのロマンティシズムを描いていました とくに第3幕が降りて第4幕が開くまでの「間奏曲」は管弦楽だけで物語を表す優れた演奏でした 今回の公演に当たって、父上のリハーサルを身近で見てきたのでスムーズに代演が可能だったとのことです。「備えあれば憂いなし」。これで父上のミシェル・プラッソンさんは 骨折はしたものの、ご子息の活躍で「骨折り損のくたびれ儲け」にならなくて済んだ、ということでしょうか 言えてマスネ