7日(木),わが家に来てから今日で1072日目を迎え,トランプ政権が5日,オバマ前政権の移民救済制度(子どもの時に親に連れられ米国に入国した不法移民の若者や労働者ら約80万人を救う制度)の段階的撤廃を発表したことについて感想を述べるモコタロです
若者たちは自らの責任で米国に来たわけではないよね キミ 初めて見るけど異民?
昨日,夕食に「麻婆茄子」と「生野菜サラダ」を作りました 涼しかったので「冷奴」は休止です
昨夕,池袋の東京芸術劇場コンサートホールで読売日本交響楽団の第571回定期演奏会を聴きました プログラムは①ヴァインベルク「ヴァイオリン協奏曲ト短調」(日本初演),②ショスタコーヴィチ「交響曲第4番ハ短調」です
①のヴァイオリン独奏=ギドン・クレーメル,指揮=ヤツェク・カスプシクです
これまで1階右サイドのバルコニー席=RBC列2番でしたが,サントリーホールのリ・オープンに伴って,次回の11月公演からサントリーホールに戻ります
1曲目はヴァインベルク「ヴァイオリン協奏曲ト短調」です ヴァインベルクは1919年 ポーランド・ワルシャワ生まれのユダヤ人で,家族をホロコーストで失い,亡命先の旧ソ連でも不遇だったようですが,ショスタコーヴィチとはお互いに刺激し合う関係にあったと言われています
「ヴァイオリン協奏曲ト短調」は1959~60年に作曲された4楽章からなる作品です レオニード・コーガンに献呈され,彼の独奏,ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ・フィルにより初演されました
それ以降忘れ去られていましたが,近年クレーメルが蘇演してから再び脚光を浴びるようになりました
ヴァイオリンのソロを受け持つギドン・クレーメルは1947年ラトヴィアのリガ生まれ,モスクワ音楽院でダヴィッド・オイストラフに師事,70年のチャイコフスキー国際コンクールをはじめ世界的なコンクールで優勝しています 81年にロッケンハウス室内音楽祭を創設し,毎年夏に開催,97年にはバルト3国の若い音楽家の育成を目的としたクレメラータ・バルティカを設立し,世界各地でツアーを行っています
読響との共演は1986年以来31年ぶりとなります
ヤツェク・カスプシクはポーランド出身,1977年のカラヤン指揮コンクール第3位に入賞した指揮者で,2013年からワルシャワ・フィルの音楽監督を務めています 読響との共演は1987年,89年に次いで今回が3回目で28年ぶりとなります
オケはいつもの読響の編成です.コンマスは4月から読響コンマス陣に加わった萩原尚子です 2007年からドイツ・ケルンWDR放送響でコンマスを務めています
彼女のコンマスで読響を聴くのは初めてです
クレーメルがカスプシクとともに登場します.奇才クレーメルも70歳,すっかり頭が白くなりました
カスプシクのタクトで演奏が開始されます.初めて聴く曲ですが,聴き易い曲だと思いました 全楽章を聴く限り,ヴァイオリンとオケとの丁々発止のやり取りを楽しむ曲というより,ひたすら寄せては返す波のように奏でられるヴァイオリンの独奏を楽しむ曲といった感じです
とくに,第3楽章「アダージョ」は美しく優しいメロディーがクレーメルの独奏で綿々と奏でられます
CDではあれこれと聴いていますが,生でクレーメルを聴くのは今回が初めてです
弱音に魅力があるな,と思いました
繰り返されるカーテンコールに,クレーメルはヴァインベルク「24のプレリュード」から第4番と第21番を鮮やかに演奏,喝さいを浴びました 第21番はいつかどこかで聴いた覚えがあります
プログラム後半は,ショスタコーヴィチ「交響曲第4番ハ短調」です これは1936年5月20日に完成した作曲者29歳の年の作品です
この年の12月にフリッツ・スティドリー指揮レニングラード・フィルによる初演が予定されていましたが,数回のリハーサルの後,作曲者自身により初演が撤回され,以来26年間 陽の目を見ることなく,やっと1961年12月30日に キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルにより初演されました
26年間の沈黙は,当時のソ連の文化政策「社会主義リアリズム」の影響であったことは言うまでもありません
この曲は第1楽章「アレグレット・ポコ・モデラート ー プレスト」,第2楽章「モデラート・コン・モート」,第3楽章「ラルゴ ー アレグロ」の3つの楽章から成ります 大雑把に言うと,30分,10分,30分という配分の作品です
性格的には,ショスタコーヴィチの交響曲全15曲の中で楽器編成は最大規模で,初期の作風の集大成と言われています 暴力的な強音,葬送行進曲,ワルツ,ギャロップ,レントラー等の多彩な音楽が登場し,壮大な宇宙的な概念から通俗的な人間の感情表現までを包括した曲想はマーラーの交響曲様式によく似ています
その反面,3つの楽章とも弱音で終わるというところに大きな特徴があります
「大衆が喜ぶ分かり易い音楽を書け」という社会主義リアリズムの考え方からすると,この終わり方は受け入れられないと若き作曲者は考えたのかも知れません
オケの規模が拡大し100人を超えるメンバーが舞台に上がります 管楽器だけで4列は壮観です
カスプシクのタクトで長大な第1楽章が開始されます
この楽章で一番強烈な印象を受けるのは中盤での弦楽器の超高速によるフガートです
暴力的なまでの強奏は まるでショスタコーヴィチが「社会主義リアリズムなんかぶっ飛ばせ
」「ジダーノフなんかぶったおせ
」と叫んでいるかのようです.後半ではコンマスの独奏によりカッコウの鳴き声が奏でられ,引き続き美しいメロディーが演奏されます
「ああ,これはマーラーの第1交響曲の冒頭のパロディだな
」と思いました.この時のソロで読響の新人コンマス萩原尚子の実力が試されたわけですが,まずは合格でしょう
比較的短い第2楽章を経て,再び長大な第3楽章に入ります 冒頭は葬送行進曲です.ここでもマーラーを思い起こします
次いでアレグロに転じるとショスタコーヴィチの本領発揮です.管が咆哮し,弦が唸り,打が炸裂します
そして,最後はチェレスタとハープにより静かに曲が閉じられます
最後の音が鳴り終わって,カスプシクのタクトが下されるまでかなりの”間”がありました 指揮者がタクトを下すと2階席を中心にブラボーがかかり,会場一杯の拍手がステージに押し寄せました
70分にも及ぶ交響曲を聴き終わって思ったのは,社会主義リアリズムに”負けた”第5交響曲よりも第4交響曲の方がよっぽど感動的な良い曲ではないか,ということです