23日(水)。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものです 朝夕を中心にだいぶ涼しくなってきました 昨日、半袖シャツをしまい 長袖シャツを出しました これから暑い日があったとしても、映画館などでは新型コロナウイルス感染拡大予防措置としてエアコン(冷房)をガンガン効かせて寒いくらいなので、長袖の方が良いのです
ということで、わが家に来てから今日で2183日目を迎え、米国ではトランプ政権が発足後、連邦地裁が大統領令を差し止める事例が急増しており、米放送局VOA(ボイス・オブ・アメリカ)によると、オバマ政権では年平均2.5件だったが、トランプ政権では最初の1年間に20件に達している というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプ・ファーストの方針で 大統領令を出せば何でもできると勘違いしている
昨日、夕食に「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました わが家のビーフカレーは牛バラ肉を使います。安くて美味しいです
昨日から池袋の新文芸坐で「ミシェル・ルグランと巨匠たち」シリーズの上映が始まりました 19日から映画館の入場制限が緩和されたことに伴い、すべての席に座れるようになりました ただし、マスク着用、入口での体温検査と手指のアルコール消毒は継続されています 昨日は祝日ということもあって、久しぶりに多くの観客が入りました
昨日は「女と男のいる舗道」と「女は女である」の2本立てを観ました
「女と男のいる舗道」はジャン=リュック・ゴダール監督による1962年製作フランス映画(モノクロ・84分・4Kデジタルリマスター版)です
舞台は1960年代初頭のフランス。ナナ(アンナ・カリーナ)はパリのとあるカフェで、別れた夫ポール(アンドレ・S・ラヴァルト)と近況を報告し合い、別れる。彼女は女優を夢見て夫と別れ、パリに出てきたが、夢も希望もないままレコード店員を続けていた 家賃も払えないほどの貧困生活に陥ってしまった彼女は、ある日、街の舗道で男(ジル・ケアン)と出会い、誘われるままに抱かれ、その代償を得る。ナナは昔からの友人イヴェット(ギレーヌ・シュランベルジェ)と会う。イヴェットは売春の仲介をしてピンハネをして生きていた。ナナはいつしか娼婦となり、知り合った男ラウール(サディ・ルボット)がヒモになっていた やがてナナは見知らぬ男と関係を持つことに無感覚になっていく。ラウールはナナを売春業者に売り渡すことにする。引き渡しの時、業者から受け取った金が不足していたため、ナナを連れて帰ろうとするが、業者側のギャングは拳銃を撃ち、ナナを直撃する ラウールもギャングも逃走し、ナナは舗道に倒れ絶命する
この映画はジャン=リュック・ゴダールの長編第4作です 強烈に印象に残るのはナナを演じるアンナ・カリーナの横顔のアップです 何度となくスクリーンに登場しますが、ゴダール監督はよほどアンナ・カリーナの顔を撮りたいのだと思います それはそうでしょう。二人はこの映画製作の前年(1961年)に結婚したばかりなのですから
もう一つは、始まったかと思うと急に止み、無音が続き、しばらくしてまた始まる悲し気な旋律です これはミシェル・ルグランの作曲による音楽ですが、途中で止めるのも彼の意図かどうかは不明です それにしても、ラストで死んでしまうナナが可哀そうです
「女は女である」はジャン=リュック・ゴダール監督による1961年製作フランス映画(84分・カラー)です
コペンハーゲンから来たばかりでフランス語の「R」の発音がうまくできないキャバレーの踊り子アンジェラ(アンナ・カリーナ)は、パリの小さな書店に務めるエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)と一緒に暮らしている ある日アンジェラが、突然、24時間以内に子どもが欲しいと言い出す エミールはそんな彼女に戸惑いを隠せない 二人の意見が合わないため、アンジェラは「それなら他の男に頼む」と啖呵を切ると、エミールは動揺しながらも「勝手にしろ」と答えてしまう そこへ、アンジェラに想いを寄せる青年アルフレッド(ジャン=ポール・ベルモンド)が現れる ついにアンジェラはアルフレッドと寝てしまう。ある晩、アンジェラがエミールの住むアパルトマンに帰ってくる。二人はベッドで黙り込むが、エミールは「試しに自分の子どもをつくってみよう」とアンジェラを抱く。行為の後、エミールは「君がそんなにみだらな女だとは思わなかったよ」と言うと、アンジェラは「私はただの女よ」と答える
この映画はジャン=リュック・ゴダールの長編第3作で、「登場人物が歌わないミュージカル・コメディ」と銘打って製作されました 音楽をミシェル・ルグランが担当しています
確かに「コメディ」であるのはその通りですが、「ミュージカル」にしては、誰も音楽に合わせて歌ったり踊ったりすることがないので、疑問です そのうえ、せっかくミシェル・ルグランの流麗な音楽が流れているのに、急に断ち切られたり、無音状態になったりするので、観衆は「慣性の法則」で気持ちだけが前のめりになって先を行くのでズッコケそうになります
この映画のラスト、「君がそんなにみだらな女だとは思わなかったよ」というエミールの台詞と、「私はただの女よ」というアンジェラの台詞のうち、「みだらな女」と「ただの女」のフランス語が韻を踏んでいる面白さを前面に出したようです 大学の一般教養課程の第二外国語としてフランス語を学んだだけの乏しい知識では、とても理解した上で楽しむところまではいきませんが
劇中、アルフレッド(ジャン・ポール・ベルモンド)が「早くしてくれ。テレビで『勝手にしやがれ』を観たいんだ」という台詞を言うシーンがありますが、これは言うまでもなく、ゴダール監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演による前年製作映画のタイトルです こういうところはゴダール監督のユーモアのセンスを感じます