9日(水)。香港の学生・周庭(Agnes Chow)さんの一昨日のツイートです
「今日の夕方、香港の区議員と街宣をやっていた時、パトカー3台が急に後ろに止まって、10人以上の警官が車を降りて私たちを囲みました。3人以上の集まりを禁じる防疫条例違反で罰金2000ドル(約27000円)。防疫政策の名目で民主化運動を弾圧。これが香港政府のやり方だ」
本当に酷い話です コロナ対策を名目に、3人以上集まると罰金を課して、民主化運動の萎縮を狙っている 香港警察は周庭さんの行動を四六時中監視しているに違いありません 香港政府と、陰で操っている中国政府の強権的な弾圧は許せません 言論の自由のないところに民主主義はない 周庭さん、頑張れ
ということで、わが家に来てから今日で2169日目を迎え、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館で2018年10月にサウジ人記者ジャマル・カショギ氏が殺害された事件で、殺害に関わったとする5人には昨年12月に死刑判決が下っていたが、サウジ外務省は7日、裁判所がこれを撤回し 20年の禁固刑を言い渡したと明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ムハンマド皇太子一派は 最初からそういう約束で逮捕・収監したと疑ってしまうな
昨夕は、娘も私も外食だったので、夕食作りはお休みしました
新国立劇場から2020/2021シーズンオペラ「夏の夜の夢」のチケットと「招聘キャスト来日中止に伴う出演者変更のお知らせ」が届きました それによると、政府による新型コロナウイルスの感染症に係る入国制限措置により、海外からの招聘キャストが全員出演できなくなり、すべて日本人歌手に変更になったということです
変更後のキャストは下の通りですが、私が名前が判るのは平井香織、村上公太の2人だけです しかし、これはチケットを手配する時点で”想定の範囲内”のことでした
タイターニア=平井香織、パック=河野鉄平、ライサンダー=村上公太、ディミートリアス=近藤圭、ハーミア=但馬由香、ヘレナ=大隅智佳子、ポトム=高橋正尚。
なお、演出は演出・ムーヴメント担当のレア・ハンスマンがリモートで行うとしています が、どうやってやるんだろ❓
海外勢総崩れは 聴く側にとっては残念ですが、代演する歌手たちにとってはチャンスです 大いに期待してます 覚悟を決めて頑張ってください
昨夕、サントリーホールで読売日響第601回定期演奏会を聴きました プログラムは①グレース・ウィリアムズ「海のスケッチ」、②モーツアルト「ピアノ協奏曲 第23番 イ短調 K.488」、③ペルト「フェスティーナ・レンテ」、④オネゲル「交響曲 第2番」です 演奏は②のピアノ独奏=小曽根真、指揮=尾高忠明です ②は当初 アンナ・ヴィ二ツカヤがバルトーク「ピアノ協奏曲第3番」を弾く予定でしたが、コロナ禍による入国制限措置により来日不能となったため、曲目と独奏者が変更となりました また④は当初 ウォルトン「交響曲第1番」の予定でしたが、多分、指揮者の希望で曲目が変更されました
新型コロナ禍対応の一環として再指定された席は1階21列13番、左ブロック右から3つ目です。座席は言うまでもなく前後左右を空けた市松模様です
弦楽奏者が配置に着きます。左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという編成です 昨今はヴィオラとチェロの位置が逆のケースが多い中、尾高氏特有の配置です 各奏者間はゆったりとしたソーシャルディスタンスを取っており、ステージの端から端まで広がっています 譜面台は通常2人で1台を使用しますが、1人1台を使用します コンマスは日下紗矢子、その隣は長原幸太です
1曲目はグレース・ウィリアムズ「海のスケッチ」です この曲はウェールズ出身の女性作曲家グレース・ウィリアムズ(1906-1977)が1944年に作曲した弦楽オーケストラのための作品です 第1楽章「強風」、第2楽章「航海の歌」、第3楽章「セイレーン海峡」、第4楽章「砕ける波」、第5楽章「夏の穏やかな海」の5楽章から成ります
尾高の指揮で演奏に入ります 第1楽章「強風」は強風が波頭を強く打ち、白いしぶきが舞い上がる風景が目に浮かびます 第2楽章「航海の歌」は穏やかな音楽で、航海の無事を祈っているかのようです 第3楽章「セイレーン海峡」はミステリアスな曲想ですが、ソロ・ヴィオラの鈴木ヤスさんの独奏が冴えわたりました 第4楽章「砕ける波」はアレグロで、文字通り波が砕けるような激しさが表現されます 第5楽章「夏の穏やかな海」は、包括力のある海に対する賛歌のような暖かみを感じる音楽が奏でられます
指揮がイギリス音楽が得意の尾高忠明氏であるだけに、1曲目にイギリスの作曲家の作品を持ってくるのは良く理解できますが、英国を代表するブリテンとかヴォーン・ウィリアムスとかではなく、あえて無名の女性作曲家の作品を取り上げる意欲に感服しました 素晴らしい選曲、素晴らしい演奏でした
2曲目はモーツアルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が1786年3月に作曲した作品です 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ロンド:アレグロ・アッサイ」の3楽章から成ります この曲の大きな特徴は、オーボエがなく、当時はまだ出始めたばかりのクラリネットを使用していることです
弦楽奏者が若干名退場し、代わって管楽器奏者が入場します ジャズ・ピアニスト小曽根真が配置に着き、尾高の指揮で演奏に入ります。小曽根真のピアノは軽やかです さて、聴衆がジャズ・ピアニストの小曽根真に期待するのは、言うまでもなく終盤の「カデンツァ」です 小曽根は純クラシックからはほど遠い、ほとんどジャズのインプロヴィゼーションにより唯一無二のカデンツァをたっぷりと演奏し、聴衆を納得させました 第2楽章「アダージョ」冒頭のピアノのソロを聴いていると、少ない音符にどのように自分自身のスタイルを込めるかを模索しているように見えました 演奏者の個性を出すにしてはあまりにも音符が少なすぎて工夫のしようがない、といった感じです 第3楽章は喜びに満ちた演奏ですが、小曽根真の演奏はどこまでが譜面通りで、どこからが即興なのか分からないところがあり、オケのテンポとズレているなと思ったり、いやこれは即興だろうと思い直したりして、純粋に楽しむまでは至りませんでした それでも、純クラシックのピアニストにはない刺激的な演奏で十分楽しむことが出来ました
演奏終了後、小曽根はコントラバス奏者を舞台中央に呼んで、ビリー・ストレイホーン「A列車で行こう」をアンコールに演奏しました 小曽根真の演奏が素晴らしいのは当たり前ですが、共演したコントラバス奏者が半端なくジャジーで巧かったのには驚きました 小曽根との掛け合いやソロでの演奏は とてもクラシックのコントラバス奏者とは思えないほどプロフェッショナルな演奏でした あれは、まさしく2年前に東京藝大を卒業してすぐに読響の首席奏者に就任した大槻健だ
休憩後の1曲目はペルト「フェスティーナ・レンテ」です この曲はエストニアの作曲家アルヴォ・ペルト(1935~)が1988年に作曲(90年に改訂)、1991年に東京で初演された弦楽合奏とハープのための作品です 「フェスティーナ・レンテ」とはラテン語で「ゆっくりと急げ」という意味です 日本の諺で言えば「急がば回れ」に近いニュアンスです
演奏を聴く限り、静謐な音楽で、ひと言でいえば「祈り」の音楽です この曲を聴いていて、「これは悲劇的な映画のタイトルロールの音楽に使えるな」と思いました
最後の曲はオネゲル「交響曲第2番」です この曲はアルテュール・オネゲル(1892-1955)がパウル・ザッハーの委嘱により1941年に作曲、翌42年にバーゼルで初演された、弦楽合奏とトランペットのための作品です 第1楽章「モルト・モデラート~アレグロ」、第2楽章「アダージョ・メスト」、第3楽章「ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります
第1楽章は鈴木ヤスさんのヴィオラ・ソロが演奏するテーマが素晴らしい この静かなメロディーを聴いていて、尾高氏はペルトの曲とこの曲をセットで考えてプログラミングしたな、と思いました と言うのは、第1楽章の冒頭「モルト・モデラート」は前のペルト「フェスティーナ・レンテ」の「祈りの音楽」を引き摺っていたからです 第2楽章「アダージョ・メスト」もその世界を引き摺っています。首席チェロ富岡廉太郎の独奏が素晴らしい 第3楽章は一転、明るくリズミカルな曲想に転換します 終盤では唯一の管楽器、トランペットの独奏によりコラールが演奏されますが、ここにきて、やっと静謐で重苦しい空気から解放される感じがします
尾高氏の意図は、ペルトからオネゲルを通じて、沈鬱な「祈りの世界」から、希望を見い出す「新しい未来へ」という流れを意識してプログラミングをしたのではないか、と思いました 現代に即して言えば「コロナ禍で苦しむ現状を超えて、新しい未来を迎えよう」というメッセージが込められていたのではないか、と思います