人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

今が旬の三浦文彰のヴァイオリンで”メンコン”を聴く~東京フィル・響きの森クラシックシリーズ

2011年09月24日 06時34分33秒 | 日記

24日(土)。昨日、文京シビックホールで「響きの森クラシック・シリーズvol.37」を聴いてきました 演奏は小林研一郎指揮東京フィルです。

演奏曲目は①ムソルグスキー「交響詩:はげ山の一夜」、②メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」(バイオリン=三浦文彰)、③R・コルサコフ「交響組曲:シェへラザード」の3曲です。

1曲目の「はげ山の一夜」を作曲したムソルグスキーは,ロシア国民楽派の「5人組」の一人です.曲は「聖ヨハネ祭の夜には,悪魔たちがはげ山で酒宴を開く」という伝説に基づくもので,「地下から響く奇怪な声.闇の精,続いて闇の神が出現.闇の神への賛美と黒ミサ,魔女たちの饗宴.狂乱の頂点で教会の鐘が鳴り,闇の精たちは消え去る.夜明け」という内容です.オーケストラは1曲目からエンジン全開.管も弦も奇妙な世界を音楽で表します この曲はディズニーのアニメ「ファンタジア」でストコフスキーが演奏していましたね.

2曲目のメンコンは,メンデルスゾーン35歳の時の作品です.数あるバイオリン協奏曲の中でも最も人気があります.個人的には”ヴァイオリン協奏曲というと何でメンコンなの?”と文句を言いたくなりますが,名曲であることに異論はありません.あまりにも有名なので,演奏する側は他のヴァイオリニストと差別化を図りつつ個性を発揮するのが難しいのではないでしょうか

ヴァイオリン独奏の三浦文彰は2009年世界最難関と言われるハノーファー国際コンクールで史上最年少の16歳で優勝し、一躍有名になりました。3歳からヴァイオリンを始め,徳永二男らに師事,現在は明治安田生命の財団から奨学金を得てウィーン私立音楽大学に留学中です.第1楽章の出だしから丁寧な音作りで滑らかな演奏が続きます.音の流れが自然で聴いていて気持ちがいい演奏です 第1楽章のカデンツァもなかなか聴かせました.終了後,圧倒的な拍手を受け,指揮者とハンギング,そしてコンサートマスターに握手を求めました.コンマスはオッと引きましたが,にこやかに応じました.オーケストラのメンバーからも熱烈なが寄せられました.小林は若手の演奏家を引き立てるのが上手です.年齢的には孫の世代の演奏家を前面に押し出します

三浦は5回も6回も舞台に呼び戻されて,アンコールにパガニーニの超絶技巧無伴奏ヴァイオリン曲(ネル・コル・ピラによる変奏曲?)を演奏しました.メロディーを弾きながらピチカートを弾くという,相当技術的に難しい曲です.三浦は何の困難さも感じさせず見事に弾ききりました.基礎がしっかりしていたうえで,技術も優れているのだと思います.これからが楽しみです

休憩後のシェヘラザードは「5人組」の最年少リムスキー・コルサコフが作曲した曲です.シェヘラザードというのは「千一夜物語(アラビアン・ナイト)の語り部となる女性の名前です.「妃の不貞に怒った王は,処女と初夜を過ごし,翌朝殺すという習慣を続けていた.しかし,シェヘラザードは,王に毎晩面白い話を聞かせ,遂にそれが千一夜にも及んで,王の残忍な心は消えた」という物語です.

第1楽章の王のテーマに続いて独奏ヴァイオリンが優美なシェヘラザードのテーマを奏でます.これを弾くのはコンサートマスターの役割.コンマスのソロは全楽章を通じて演奏されますが,なかなか味わいのある演奏です.指揮の小林は暗譜で通します.

終演後,大きな拍手を制して小林が,例によってオーケストラをパートごとに立たせて賞賛します.いつも思うのですが,やりすぎです.そして拍手を制して”一言あいさつをしたい”という合図を送りました.私は”絶対やるな!”と思っていましたが,やっぱりやりました 彼はコンサートマスターの三浦章宏を立たせ,「さきほどメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いた三浦文彰君のお父さんです」と紹介しました.会場からは「おーっ」という感嘆の声とともに大きなが起きました.コンマスは嬉しいような,恥ずかしいような微妙な顔をしていました.この日,ソリストとコンマスの親子競演が実現したということですね.

気をよくした小林が再び拍手を制し,「このたびの震災で被災された方々の霊に届くように,アンコールとしてマスカーニの”カバレリア・ルスティカーナ間奏曲”を演奏します」とあいさつして,静かなメロディーを演奏しました.この曲は本当に魂が救われるような美しい音楽です.このシリーズ定期会員の知人のAさんは”葬儀の時はこの曲を流して欲しい”と言っていますが,気持ちは良くわかります

        

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三ツ橋敬子の指揮でブラームス「第1交響曲」を聴く~東京シティ・フィル特別演奏会

2011年09月23日 07時41分01秒 | 日記

23日(金・祝)。昨夕、ティアラこうとうで「三ツ橋敬子特別演奏会」を聴いてきました オーケストラは東京シティ・フィル。演奏曲目はオール・ブラームスで①大学祝典序曲②ハイドンの主題による変奏曲③交響曲第1番ハ短調の3曲です。

6時半から開場ですが,ここでもロビーでプレ・コンサートがあり,弦楽四重奏によってブラームスのハンガリー舞曲が演奏されました

 指揮者の三ツ橋敬子は1980年江東区の生まれ。16歳から指揮を学び,これまでに小澤征爾,小林研一郎,ジェルメッティなどに師事しました.2005年に東京藝大大学院指揮科を修了、2008年第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで日本人として,女性として初めて,最年少優勝を果たしました.そして2010年のアルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクール準優勝・聴衆賞を受賞しました  今回はその受賞記念公演(出身地での凱旋公演)です。演奏曲目のブラームスの交響曲第1番はコンクール決勝の時に指揮をした記念すべき作品です

オーケストラの編成は70人くらい.プログラムに載っている団員名簿によると正規のメンバーはコンマスを含めて60人弱でした.エキストラを入れて70人を確保したのでしょう.背景にはオーケストラの厳しい財政事情があるのだと思います 他の在京オーケストラは100人近く在籍しているのではないでしょうか.会場は7~8割の入りでしょうか.今回の座席は1階R-8番で中央やや左の席です.

黒のスーツで三ツ橋敬子の登場です.思ったより小柄な女性で,髪の毛を後ろで結わえてポニーテールにしています.チラシの写真とはまったく違ったイメージ,もっと引き締まった顔立ちとでも言うのでしょうか

第1曲目の「大学祝典序曲」は,ブレスラウ大学がブラームスに名誉博士号を授与したことへの返礼として作曲され,1881年1月(作曲者47歳)にブラームス自身の指揮で初演されました.

三ツ橋のタクトが振り下ろされた瞬間から,ブラームスの世界が広がります.三ツ橋の指揮は”キビキビ”,”ハキハキ”というイメージがピッタリの若さ溢れる情熱的な指揮です.一世代先輩の女性指揮者・西本智美の”華麗な”指揮のイメージとは全く違う印象です.極端な言い方をすれば,西本が”静”とすれば,三ツ橋は”動”です.エネルギッシュに全身を動かし,身体全体を使ってオーケストラから,求める音を引き出します.一瞬,若き日の小澤征爾の指揮を髣髴とさせるタクトさばきを見せます

これは2曲目の「ハイドンの主題による変奏曲」でも変わりません.ブラームスが主題として選んだのは,ヨゼフ・ハイドンのディベルティメント(Hob.11-46)に登場する「聖アントニウスのコラール」と言われていますが,現在ではハイドンの作なのか疑問視されているとのことです.三ツ橋はメリハリを付けて溌剌と表現します

休憩後の交響曲第1番は,ブラームスが20歳の頃からチャレンジしては挫折を繰り返して20年以上経った43歳の時に完成しました.当時の名指揮者ハンス・フォン・ビューローが「(ベートーベンの第9に続く)第10交響曲だ」と絶賛したエピソードは有名です.

第1楽章のティンパニの連打から集中力を見せ,ブラームスの世界に引き込みます.この曲の白眉は第4楽章です.序奏の後半でホルンが演奏する有名なメロディは,ブラームスが生涯を通じて思いを寄せていたクララ・シューマンに誕生日プレゼントとして贈った歌「山の上から谷の深いところから,私は1000回もお祝いを申します」という歌詞のついた曲です.三ツ橋は気持ち良さそうにオーケストラに歌わせます.そしてフィナーレのアレグロに突入して,オーケストラの能力を全開させます.最後の音が鳴り止んだ瞬間,とブラボーの嵐です.

オーケストラは70人ほどの比較的小規模編成でしたが,オーボエもフルートも良かったので,少数精鋭主義でやっているのだと良心的に解釈することにします.

今回初めて三ツ橋敬子の指揮ぶりを観ましたが,とてもいいと思いました.願わくば,彼女のリハーサルを見てみたいと思いました.若い女性の指揮者が70人のオーケストラを相手にどういうやり取りをして,どこまで妥協し,どこまで主張を通して音楽を作っていくのか,それを見たいと思います.11月29日に川口のリリア・ホールでもう一度ブラームスの「第1交響曲」を彼女の指揮で聴きます(東京交響楽団).この時は萩原麻未のピアノでシューマンの「ピアノ協奏曲」も演奏されるので,今からとても楽しみです

彼女は今後レパートリーを広げていくのでしょうが,当面,交響曲だったらベルリオーズの「幻想交響曲」なんかやって欲しいと思います.また,オペラも振って欲しいと思います

        

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ワーグナー「ラインの黄金」初演日~1869年9月22日

2011年09月22日 06時36分33秒 | 日記

22日(木).昨日は大型台風の襲来に備えて、早く帰るのではなくて、遅く帰ることで対処することにしました。早い話が地下の飲食店で7人で飲みました。最初,串焼きRで飲んだのですが,だんだん混んできたので,たまにはKにも行ってみようということで,揃ってお店に入り飲みました.すると,あっという間に満員御礼に.もう1件の炭火焼鳥Oも満席でした.台風特需ですね

   閑話休題 

今日はワーグナーの舞台祝典劇「ニーベルングの指輪」四部作の「序夜」に当たる「ラインの黄金」が初演された日です.1869年9月22日のことでした.

「ニーベルングの指輪」は中世のドイツ英雄伝説や北欧神話を下敷きにして,ワーグナー自身がドイツ語の台本を作りました.物語は,ラインの黄金から作られた,富と権力の象徴である”指輪”を巡って,天上,地上,地下それぞれの世界で闘争が繰り広げられる,という内容ですが,大規模なオーケストラ編成によって壮大な音楽が展開されます

ワーグナーと言えば18日付の日経朝刊に「歌劇新演出・伝統に挑む・100回目の独バイロイト音楽祭」というタイトルの記事が載りました.要約すると、

100回目の節目を迎えた今年のバイロイト音楽祭で,新演出や子供向け歌劇などの新機軸が目立った.8月18日の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を演出したワーグナーのひ孫カタリーナ・ワーグナー(33)が,終演後に登場したときにブーイングを浴びた.ゲーテ,バッハ,ワーグナーなどドイツの巨匠12人が縫いぐるみ姿でラインダンスを踊るシーンもあった  日本人の観客からは「まるで新喜劇」との感想も.一方,子供たちのために,4部作で16時間に及ぶ「ニーベルングの指輪」を1時間半に縮めて物語り調の楽曲に仕立てる試みもあった

最近15年でみた聴衆数は下がり気味で,若年層の関心は高くない.1925人収容の劇場で「10年待ちは当たり前」といわれたチケット事情も,少しだけ緩和した.音楽祭の伝統と神話を維持しながら,将来のファンをどう広げるか.クラシックの本場にも時代の挑戦が忍び寄る

 一方、21日付の朝日朝刊には「過激な演出緩めず・独バイロイト音楽祭100回目」のタイトルの記事が載りました。

カタリーナ・ワーグナーは「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を演出したが、ワーグナーのかぶりものをした男性がブリーフ1枚で躍るシーンがあった・・ 背景には保守的なワーグナー崇拝者の手から作品を「解放」し、新たなワーグナー受容の歴史へと道を開きたい、との強い思いがある。音楽祭当局は、生誕200年の2013年に向け、さらなる改革を進める意向だ。

「時代とともに演出も変わる」、それもいいでしょう。しかし、まず音楽が第一にあるべきで、音楽を台無しにするような演出であれば、それは作曲者の意図を否定するものでしょう一連の改革の中で、長いオペラを短くして子どもたちに観せるという試みはいいことだと思います。中には「オペラのダイジェスト版などとんでもない」という向きもあるかもしれませんが、まず、その作品に触れることが大切なのだと思います

[写真はオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団によるワーグナー「管弦楽曲集Ⅰ」のCD]

       

 

 

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オーケストラ・アンサンブル金沢でモーツアルト「交響曲第25番」「ミサ曲ハ短調」を聴く

2011年09月21日 06時51分31秒 | 日記

21日(水).昨日は救急救命講習の3時間コースを受講しました.AEDは心臓を動かす機械ではなく,電気ショックを与えて心臓を一旦止めるもので,何もしなければ心臓は止まったままになるので,心肺蘇生マッサージをしなければ意味がないことをあらためて学びました.3時間コースはさすがに疲れました.

さて,昨夕、初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢&シュレスビィヒ・ホルシュタイン音楽祭合唱団による「秋愁のモーツアルト」コンサートを聴いてきました 演奏曲目と指揮は①「交響曲第25番ト短調K183」指揮=井上道義,②「ミサ曲ハ短調」指揮=ロルフ・べックです。

開場時間の6時半に会場に着いてトイレに入るとすぐに,ロビーから美しい音楽が流れてきました ロビーに行ってみるとオーケストラのメンバーが弦楽四重奏曲を演奏していました.譜面台に置かれた紙に「ベートーベン作曲・弦楽四重奏曲第2番より」と書かれていました.どうも第1楽章だけ演奏したようです.

オーケストラは約40名,コンサートマスターは女性です.第1バイオリンと第2バイオリンを左右に分ける「対向配置」を取ります.座席は1階16列11番で中央通路側なので,楽員一人一人の顔も比較的よく見えます.

1曲目の「交響曲第25番ト短調」は,モーツアルトの約50曲ある交響曲の中でたった2曲の短調,しかもト短調の曲です.あとの1曲は言うまでもなく「第40番K550」です.25番の方は,第1楽章が映画「アマデウス」の冒頭で衝撃的に使われていました.どちらも悲劇的な曲想で哀しみが疾走します

2007年1月からこのオーケストラの音楽監督を務める井上道義の登場です.例によって自信満々の明るい表情で観客に愛想を振りまきます.そして後ろを振り返った途端にタクトを振り下ろします.これは,あのカルロス・クライバーや若き日の小澤征爾がよくやったパフォーマンスです これによって,観客は一気にその曲の世界に引きずり込まれることになります.テンポは非常に速いです.人の哀しみなんか待っていられるか,というテンポです.この曲はこれでいいのです

井上道義の指揮は,本人がクラシック・バレエをやっていたということもあってか,踊っているような印象を受けます.すべてがオーバー・アクションです.あれがいいんだ,という人もいるでしょうし,鼻持ちならない,という人もいるでしょう.私としては後者かな

後半は指揮者がロルフ・べックに代わって,シュレスビィヒ・ホルシュタイン音楽祭合唱団が加わって「ミサ曲ハ短調」の演奏です.1782年8月に,当時26歳だったモーツアルトはウィーンでコンスタンツェ・ウェーバーと結婚しました.彼女との結婚の成就を感謝して故郷ザルツブルクの教会に奉献するために作曲したということです.モーツアルトはコンスタンツェに歌わせるためにソプラノ独唱パートを作曲するなど準備を進めたようです

ミサ曲は通常,キリエ,グローリア,クレド,サンクトゥス(ベネディクトゥスを含む),アニュス・ディから成りますが,モーツアルトは,クレドは未完のまま,アニュス・ディは作曲さえしませんでした.初演は1783年10月26日,結婚1周年を終えたモーツアルト夫妻が里帰り中のザルツブルクで,聖ペテロ教会で作曲者自身の指揮で行われました

べックのタクトが振り下ろされオーケストラの合奏に続いて合唱が「キリエ」と叫びます.この時の感動をどう表現したらよいのでしょうか.一方,グローリアでは,ソプラノのソロが神を讃える歌を歌いますが,まるでオペラのアリアです.信じられない美しさです

合唱は男女各15人の編成です.合唱というと,体は出来るだけ動かさずに口をそろえて,楽譜を持つ手もそろえて,きれいに見えるように歌うというイメージがありますが,この合唱団はバラバラです.もちろんいい意味で 一人一人が身体全体を使って歌詞の意味を”表現する”という姿勢があるので,動きがバラバラに見えるのです.その反面,聴こえてくるコーラスは本当に素晴らしいハーモニーです

モーツアルトの音楽を聴くと,いつも思います.”あー,いつまでもこの音楽が終わらないでくれ”と.でも,終わるから音楽なのでしょうね


       

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クルト・ザンデルリンク逝く~ブラームスの交響曲全集の思い出

2011年09月20日 06時46分38秒 | 日記

20日(火).最近疲れ気味なので,昨日は家でのんびり過ごすことにしました.とはいうものの,窓ガラスの汚れが気になるのでベランダに出て,ジェット噴射の放水で汚れを落としました.やっぱり外の景色がきれいに見えるのは気持ちのいいものです 今週は5回コンサートが入っているので,その予習のため,モーツアルト「ミサ曲ハ短調」,ブラームス「交響曲第1番」,ベッリーニ「清教徒」などのCDを聴きながら,中山七里「おやすみラフマニノフ」と佐藤正午「事の次第」を読みました

 閑話休題 

昨日の朝日朝刊に「ドイツの名指揮者ザンデルリンク氏死去」の記事が載っていました.記事によると,

「ドイツのメディアによると,ドイツの名指揮者クルト・ザンデルリンクさんが18日,ベルリンで死去した.98歳だった.1912年生まれ.ベルリンで音楽家としてのスタートを切ったが,ナチスを避けて35年にソ連へ移住.レニングラード・フィルの指揮者などを務める.巨匠ムラビンスキーや作曲家のショスタコービィチら,旧ソ連の芸術家たちと深い人脈を築いた.60年に当時の東ドイツに戻り,ベルリン交響楽団とドレスデン国立歌劇場管弦楽団の主席指揮者を歴任.79年から読売日本交響楽団名誉指揮者.02年に指揮活動を引退した」

ザンデルリンクといえばブラームスの交響曲全集が忘れられません 1971年~72年にドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮したLPです.レコードジャケット(写真左)には日本語訳で「ドレースデン国立管弦楽団」という表記がありますが,原語は「スターツカペレ・ドレスデン」なので「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」です.写真右は同一録音によるCD盤です.彼が59歳の時の脂の乗り切った時期の演奏です

私はこの演奏を聴いて「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」が大好きになりました.ドイツの伝統に根ざした底力のある”いぶし銀”のような”しぶい”,しかし輝いた音です その後,ヘルベルト・ブロムシュテットがこのオーケストラを率いて来日した時には真っ先にチケットを買って聴きに行きました.それは素晴らしい音色でした.できればザンデルリンクの指揮で聴きたかったと思います.その後,FM放送などでブラームスの演奏がライブで流れてきたとき「あっ,これはドレスデンじゃないかな?」と思って,演奏終了後の解説を聞くと,当たっていたことが何度かありました.大好きなオーケストラの音色は耳が(頭が?)覚えているものらしいです

ザンデルリンクは,1990年に新たに「ベルリン交響楽団」を指揮して「ブラームス交響曲全集」をCD録音しました(写真下).彼が78歳の時の演奏です.ドレスデン盤に比べて,テンポがゆったりとして堂々たる演奏を展開しています このCDは今でもこの曲のベストスリーに入るほど専門家の評価が高いディスクです.

ザンデルリンクは,ブラームスのほか,ベートーベン,マーラー,ブルックナー,ショスタコービィチなどでも,数え切れない名演奏を残しています.その中でも,最も輝きが失せないのは「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」を振った「ブラームス交響曲全集」だと確信しています

    

  

 

 

 

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六本木「ケントス」で「ながつきみ隊」のライブを聴く

2011年09月19日 08時41分34秒 | 日記

19日(月・祝)その2.昨夕,六本木のライブ・スタジオ「ケントス」に「ながつきみ隊」のライブ演奏を聴きに行ってきました 「ながつきみ隊」というのは「長月(9月)に月見をしタイなあ」という願望を臨時編成のユニットに名付けたものです.仕掛け人は娘の小学校時代からの幼馴染の”かーりー”ことJちゃん.大学卒業後,外資系の会社に勤める傍ら,様々なイベントを企画しているスーパー・レディです 予備校時代の友人k(ボーカル)を中心にギター,ベース,テナーサックス,ドラムを集め(計7人・男),かーりー(Jちゃん)がボーカルを担当,娘Lが隣でコーラスを歌うことになりました

このイベントを会社のE部長に話すと,「一度,ケントスに行ってみたかった」と言うので,現地で待ち合わせをすることにしました.ネットで場所を調べてから六本木に行ったのですが,略図では全く分かりません.仕方なくE部長にケータイで訊くと店の近くまで出迎えてくれました.午後7時開演に”滑り込みセーフ”でした

受付で名前を言うと「あー,Lちゃんのお父さん!」とJちゃんが出迎えてくれました.入場料2,300円を払って中に入ると座る余地もないほど満員です.100数十人はいるでしょう.まさか,こんなにも多くの人たちが集まっているとは思ってもみませんでした 若い世代が圧倒的に多いのですが,中にはわれわれと同世代の人たちもちらほらと見られました.奥の方に入って辛うじて2人分の座席を確保し,ウイスキーのロックを注文しました(その後お代わりを2回しました).

今回のライブは2つのグループが45分ずつ演奏するというもので,前半が「Acology」という男4人女1人のグループで,休憩後の後半が「ながつきみ隊」です.Acologyはなかなか歌も演奏も良かったと思います 後でしっかり自分たちのCDを売っていました.

いよいよ後半「ながつきみ隊」の登場です.バックの7人の男たちを後ろに控えさせて,黒の衣装で統一したかーりーと娘L が下を向いてスタンバイ.静かなメロディーが流れているな,と思った次の瞬間,何とピンクレディの「ペッパー警部」のメロディーが ボーカルの2人はピンクレディのアクションで歌います 息がピッタリです.手でピストルを構えるポーズで歌が終わると,ものすごいが会場を満たしました.しょっぱなから鋭いパンチを食らったようなショックでした.すごい迫力でした娘の登場はあと2回(イーグルスの”テイク・イット・イージー”他)ありましたが,スポットライトを浴びて懸命に歌って踊る娘を目の前で見て,普段見たことのない娘の別の一面を垣間見た気がしました

2曲は,かーりー作詩,K作曲によるもので,かーりーが歌いましたが,なかなか聴かせました Jちゃんは詩を書く才能,歌う才能,イベントを企画する才能と,いろいろな才能を持っているのではないか,と思います

9時までに撤収しなければならないということで,時間通り8時45分に終演となりました.E部長と近くのお店に入って餃子,枝豆などをつまみに生ビールを飲みました.彼は「あれで2,300円は安いよ!」とさかんに感心していました.私もそう思います.「だけどさあ,プログラムに書いてあった娘さんのプロフィールで1箇所だけ違ってるとこあるよね.”猫と兎と大豆が好き”ってあるけど,兎じゃなくてモルモットだったよねえ」と言います.その通りです.最近は,この日のために練習,練習,リハーサルで家に帰らないこともあって,シェルギエール(モルモットの名)の世話はもっぱら弟に押し付けているようですが

あらためて,かーりーの書いた娘のプロフィールを見てみると「かーりーと幼馴染で現在ジム友」とあります.ジムに通っているなんて初めて知りました.また「幅広く色々活動してて何が本職か分からないくらいすごく忙しいので,何やってるか気になる方は2次会でこっそり聞いてみてください」とありました.本職は銀座の某レストランでウェブ・デザインのアルバイトをやっていますが,そのほかに何をやっているのかは知りません.たしかに毎日帰りは遅いし,預金残高は確実に減少しているようですが 「幅広く活動していて...」というコメントは,むしろJちゃん自身に当てはまるのではないか,と思います.

いつものクラシック・コンサートとは一味も二味も違うライブでしたが,演奏者と観客との距離が間近で親近感が沸きました.Jちゃんが次にどんなイベントを仕掛けるのか,娘がそれにどういう役割で絡んでいくのか,今後が楽しみです.まだまだ若いのだから後で後悔しないように青春すればいいと思います.自己責任の範囲内で

      

 

 

 

 

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今日はマーラーの交響曲第7番「夜の歌」初演の日

2011年09月19日 07時11分04秒 | 日記

19日(月・祝).今日はグスタフ・マーラーの交響曲第7番「夜の歌」が初演された日です.1908年9月19日にマーラー自身がチェコフィルを振ってプラハで演奏されました リハーサルに付き合った若き日の指揮者オットー・クレンペラーの回想録によると,リハーサルは何と24回だったとのことです.初演ということを割り引いても,24回は多いですね

お勧めCDは,クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア・オーケストラによるEMI盤です(下の写真).最初から最後まで悠揚たるテンポで音楽を進めます 気ぜわしい現代人にとっては”もっと速くしてほしい”と言いたくなるようなテンポですが,クレンペラーは一貫して揺るぎません.説得力のある演奏です.

      

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東響定期演奏会でシューマン「チェロ協奏曲」、ブラームス=シェーンベルク「ピアノ四重奏曲」を聴く

2011年09月18日 09時32分20秒 | 日記

18日(日).昨日の朝,近所の数少ない木の上で蝉が鳴いていました.短い命を惜しんでか「おーしい,つくづく,おーしい,つくづく」と聴こえました 街のあちこちではお神輿の山車を引く子どもたちの姿が見られました.まだ残暑厳しい毎日が続きますが,秋はすぐ目の前にやってきていると感じます

昨夕、サントリーホールで東京交響楽団第592回定期演奏会を聴いてきました 指揮は大友直人.チェロは宮田大.プログラムは①シューマン「チェロ協奏曲イ短調」②ブラームス作曲・シェーンベルク編曲「ピアノ四重奏曲第1番ト短調」の2曲です.

1曲目のシューマン「チェロ協奏曲」を生演奏で聴くのは初めてです.滅多に演奏されませんので.チェロ協奏曲と言えば,ドボルザーク,ハイドン,エルガーが有名ですが,この曲はその次に名前が挙がってもいいと思うほどロマン的で感動的な曲です.1850年9月に40歳のシューマンが作曲しました.全体は3つの楽章から構成されていますが,切れ目なく演奏されます.

チェロの宮田大は1986年生まれといいますから,ジュネーブ国際コンクールのピアノ部門の優勝者・萩原麻未と同世代です.2009年チェロ部門の最高峰と言われる第9回ロストロポービィチ国際チェロコンクールでの日本人初の優勝者です.

宮田は,歌わせるところは朗々と歌わせ,切り込むところは鋭く切り込んで,この曲のロマン的な表情を明らかにしていきます 彼のお蔭でこの曲の真価が発見できました

2曲目のブラームス「ピアノ四重奏曲第1番ト短調」はシェーンベルクが管弦楽用に編曲したものです.プログラムの解説によると,シェーンベルクは,調性を放棄して無調や十二音技法を志向しましたが,ブラームスを「師」と仰いでいたといいます.シェーンベルクはこの編曲について「ブラームスの第5(交響曲)」と呼んでいたといいます.あの進歩的なシェーンベルクがあの保守的なブラームスをねぇ,と意外な感じがしました 一見保守的と見られているブラームスの音楽には先進的な試みが至る所に見られると言うことでしょうか

シェーンベルクは,ナチスがドイツで政権を取ったことに伴い,教鞭をとっていた芸術アカデミーの職を辞し,アメリカに渡りました.その地で,古くからの友人の指揮者オットー・クレンペラーが,経済的な支援のためにシェーンベルクに編曲作品を依頼しました.その際にシェーンベルクが選んだのがブラームスの「ピアノ四重奏曲第1番」だったのです.

シェーンベルクは,この作品を選んだ理由として「1.この作品が好きだから.2.めったに演奏されないから.3.ピアニストが優れているほど大きな音で演奏し,弦楽器がまったく聞こえないから」と言っています.

オリジナルのピアノ四重奏曲と管弦楽用編曲版とを比べると,色彩に例えれば,オリジナルが”モノクローム”だとすれば,編曲版は”フルカラー”だと言えるでしょう ラベルがムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」を管弦楽用に編曲して色彩感豊かな曲に仕立て上げたのと同じです.

この曲は弦楽器,管楽器,打楽器,それぞれの特性がフルに生かされるように編曲されています.大友=東響はその特性を十分に生かして,圧倒的な推進力をもってブラームス=シェーンベルクの音の世界を表出していました

   

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ホーネック指揮紀尾井シンフォニエッタでモーツアルト,シューベルト,ベートーベンを聴く

2011年09月17日 06時52分09秒 | 日記

17日(土).昨夕,紀尾井ホールで紀尾井シンフォニエッタ東京の第81回定期演奏会「ドイツ・オーストリアⅠ」を聴いてきました.指揮とバイオリンはウィーン・フィルのコンサートマスター,ライナー・ホーネック,コンサートマスターはウィーン留学中にホーネックに師事したこともある東京フィルのコンサートマスター青木高志です

演奏曲目は①モーツアルト「ロンドハ長調k.373」,②同「アダージョk.261」,③同「ロンド変ロ長調k.269」,④シューベルト「交響曲第3番ニ長調」,⑤ベートーベン「弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調(弦楽合奏版)」の5曲です.いずれの曲も滅多に演奏される機会がないのでチケットを買いました

プログラムの曲目解説によると,ザルツブルクのコロレド大司教はイタリア人のバイオリニスト,ブルネッティを宮廷楽団の楽長,つまりモーツアルトの上司に据えましたが,このブルネッティがモーツアルトのバイオリン協奏曲を演奏した際に,作曲者に対し協奏曲第1番の第3楽章と協奏曲第5番の第2楽章を書き換えるように命じたということです その際にモーツアルトがそれらの代替として1776年に書いたのが,ロンド変ロ長調k.269(第1番用)とアダージョk.261(第5番用)だったというのです.初めて知りました

一方,ロンドハ長調k.373は,1781年にコロレド大司教が父親の病気見舞いのため,大勢のお供を連れてウィーンへ行った際に開いた演奏会のために書いた曲とのことです.この曲は比較的ポピュラーで,やさしさに溢れる優雅な曲です

オーケストラの面々が舞台に登場し,最後にホーネックがオーストリア国立銀行から貸与されているストラディバリウスを手に現れました.客席の方を向いてバイオリンを弾きながら,時に後ろを振り返ります.やわらかくて優しい音色が会場を満たします.”ウィーン情緒溢れるモーツアルト”といった感じです

次のシューベルトの「交響曲第3番ニ長調」は,2年ほど前にロベール・スダーン指揮東京交響楽団の「シューベルト交響曲全曲演奏シリーズ」で聴いて,すごく良い印象を持った曲です.ホーネックは,バイオリンの代わりに指揮棒を持ってオーケストラに対峙しました.曲の印象は”若く溌剌としていて,青春の息吹を感じる”曲です 演奏では特に鈴木豊人という人のクラリネットが,生き生きとしていて,抜群の存在感を示していました.この人は今年初めの紀尾井シンフォニエッタ演奏会のモーツアルト「グランパルティータ」で素晴らしい演奏をしていたクラリネット奏者です.あとは新日本フィルのティンパニスト近藤高顕の,古楽器のような演奏スタイルによる乾いた歯切れの良い音が全体を引き締めていました 紀尾井シンフォニエッタは,そのほかにも優れた演奏家が集まって音楽集団を形成しているプロの中のプロのオーケストラです

後半の部が始まるのを待つ際に目に付いた女性(多分20代)がいました.私の席は1階16列1番で,一番左サイドの席ですが,その左側にバルコニー席があります.私の席の6列ぐらい前に当たるバルコニー席にいる彼女は,プログラムに目をくっつけて見ていたのです よく観察すると,ルーペのようなものを持ってプログラムの活字を追っているのです.よほど目が悪いのでしょう.後半の演奏が始まると,今度は双眼鏡のようなもので舞台の方をずーっと見ているのです.「どんなに目が悪くても音楽は聴こえる.けれど,何とかしてその音を出している演奏家の姿を見たい」というひたむきな姿勢を見ると,”この人はそれほどまでに演奏家を目で見たいのか!”と感動さえ覚えました

休憩後のベートーベン「弦楽四重奏曲第14番」は今年,パシフィカ・カルテットや新日本フィル室内楽シリーズで聴いた曲ですが,今回は弦楽合奏版ということで,極めて貴重な機会です.この曲は従来の弦楽四重奏曲が4楽章から成るのに対し7楽章から構成されていて,しかも,全楽章が切れ目なく演奏されるように指示されています.この曲を聴くたびに想うのは”これはベートーベンの独白だ”ということです.言葉でなく音楽による告白ではないか

ホーネックはコンサートマスターの席に座り,目と体で合図しながらオーケストラを引っ張っていきます.そして,弦楽四重奏曲では成し得ない幅と奥行きのある表現を展開していきます.オーケストラはキオイ・シンフォニエッタですが,決してキオイを感じさせない素晴らしいアンサンブルでした

さて,件の女性はどのように今日の演奏会を聴いたのでしょうか.そして,その目で演奏家を見ることができたのでしょうか.そうであったことを祈っています

   

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情けは人のためならず~国語世論調査から

2011年09月16日 22時21分56秒 | 日記
16日(金)その2.今日の朝刊各紙に、文化庁が15日に発表した「2010年度国語に関する世論調査」の結果が載っていました。

「寒っ」「すごっ」など語幹のみの形容詞や、「来れる」など”ら抜き言葉”が、実際によく使われていることが裏付けられたといいますまた、誤りやすい言葉の使い方では「雨模様」「姑息」「号泣する」の誤用が多かったとのこと さっそく問題です。次の正解はどちらでしょうか

○雨模様とは

 1.雨が降りそうな様子   2.小雨が降ったりやんだりしている様子

○姑息とは

 1.一時しのぎ   2.ひきょうな

○号泣するとは

 1.大声を上げて泣く  2.激しく泣く

○情けは人のためならずとは

 1.人に情けを掛けると、巡り巡って自分のためになる 

 2.人に情けを掛けると、そのひとのためにならない

○すべからくとは

 1.当然、ぜひとも   2.全て、みな




















































正解はすべて1が正しい使い方です。さて何問できましたか? えっ、全問できた? すごっ私なんか難問できました・・・・・・寒っ
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