17日(土).昨夕,紀尾井ホールで紀尾井シンフォニエッタ東京の第81回定期演奏会「ドイツ・オーストリアⅠ」を聴いてきました.指揮とバイオリンはウィーン・フィルのコンサートマスター,ライナー・ホーネック,コンサートマスターはウィーン留学中にホーネックに師事したこともある東京フィルのコンサートマスター青木高志です
演奏曲目は①モーツアルト「ロンドハ長調k.373」,②同「アダージョk.261」,③同「ロンド変ロ長調k.269」,④シューベルト「交響曲第3番ニ長調」,⑤ベートーベン「弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調(弦楽合奏版)」の5曲です.いずれの曲も滅多に演奏される機会がないのでチケットを買いました
プログラムの曲目解説によると,ザルツブルクのコロレド大司教はイタリア人のバイオリニスト,ブルネッティを宮廷楽団の楽長,つまりモーツアルトの上司に据えましたが,このブルネッティがモーツアルトのバイオリン協奏曲を演奏した際に,作曲者に対し協奏曲第1番の第3楽章と協奏曲第5番の第2楽章を書き換えるように命じたということです その際にモーツアルトがそれらの代替として1776年に書いたのが,ロンド変ロ長調k.269(第1番用)とアダージョk.261(第5番用)だったというのです.初めて知りました
一方,ロンドハ長調k.373は,1781年にコロレド大司教が父親の病気見舞いのため,大勢のお供を連れてウィーンへ行った際に開いた演奏会のために書いた曲とのことです.この曲は比較的ポピュラーで,やさしさに溢れる優雅な曲です
オーケストラの面々が舞台に登場し,最後にホーネックがオーストリア国立銀行から貸与されているストラディバリウスを手に現れました.客席の方を向いてバイオリンを弾きながら,時に後ろを振り返ります.やわらかくて優しい音色が会場を満たします.”ウィーン情緒溢れるモーツアルト”といった感じです
次のシューベルトの「交響曲第3番ニ長調」は,2年ほど前にロベール・スダーン指揮東京交響楽団の「シューベルト交響曲全曲演奏シリーズ」で聴いて,すごく良い印象を持った曲です.ホーネックは,バイオリンの代わりに指揮棒を持ってオーケストラに対峙しました.曲の印象は”若く溌剌としていて,青春の息吹を感じる”曲です 演奏では特に鈴木豊人という人のクラリネットが,生き生きとしていて,抜群の存在感を示していました.この人は今年初めの紀尾井シンフォニエッタ演奏会のモーツアルト「グランパルティータ」で素晴らしい演奏をしていたクラリネット奏者です.あとは新日本フィルのティンパニスト近藤高顕の,古楽器のような演奏スタイルによる乾いた歯切れの良い音が全体を引き締めていました 紀尾井シンフォニエッタは,そのほかにも優れた演奏家が集まって音楽集団を形成しているプロの中のプロのオーケストラです
後半の部が始まるのを待つ際に目に付いた女性(多分20代)がいました.私の席は1階16列1番で,一番左サイドの席ですが,その左側にバルコニー席があります.私の席の6列ぐらい前に当たるバルコニー席にいる彼女は,プログラムに目をくっつけて見ていたのです よく観察すると,ルーペのようなものを持ってプログラムの活字を追っているのです.よほど目が悪いのでしょう.後半の演奏が始まると,今度は双眼鏡のようなもので舞台の方をずーっと見ているのです.「どんなに目が悪くても音楽は聴こえる.けれど,何とかしてその音を出している演奏家の姿を見たい」というひたむきな姿勢を見ると,”この人はそれほどまでに演奏家を目で見たいのか!”と感動さえ覚えました
休憩後のベートーベン「弦楽四重奏曲第14番」は今年,パシフィカ・カルテットや新日本フィル室内楽シリーズで聴いた曲ですが,今回は弦楽合奏版ということで,極めて貴重な機会です.この曲は従来の弦楽四重奏曲が4楽章から成るのに対し7楽章から構成されていて,しかも,全楽章が切れ目なく演奏されるように指示されています.この曲を聴くたびに想うのは”これはベートーベンの独白だ”ということです.言葉でなく音楽による告白ではないか
ホーネックはコンサートマスターの席に座り,目と体で合図しながらオーケストラを引っ張っていきます.そして,弦楽四重奏曲では成し得ない幅と奥行きのある表現を展開していきます.オーケストラはキオイ・シンフォニエッタですが,決してキオイを感じさせない素晴らしいアンサンブルでした
さて,件の女性はどのように今日の演奏会を聴いたのでしょうか.そして,その目で演奏家を見ることができたのでしょうか.そうであったことを祈っています