20日(日)。昨日の朝日朝刊第1面のコラム「折々のことば」(鷲田清一氏)はフランスの諺
「La nuit porte conseil」(夜は忠告をもたらす)
を紹介していました 田辺貞之助編「フランス故事ことわざ辞典」によれば、「何か重大な決定をするときには、すぐに決めずに、一晩落ちついてから考えろという訓え」。重要な決断は即決しないで一晩塩漬けにして待てということ 「夜は思案の母」「枕と相談せよ」とも言うらしいーと書いています
皆さんはブログを1日の中で いつ書いているでしょうか? 私は現役で働いている時は、毎朝6時に起きてバタバタと打って7時半前にアップしていましたが、途中から、夜に書いて翌朝アップするように変更しました 理由は、翌朝になると 書くべきことの一部を忘れてしまったり、何より書く時間が圧倒的に足りなかったからです 書く内容によってはネットや本で調べなければならないことも少なくありませんが、調べていると あっという間に時間が経ってしまうのです 現役時代は仕事がら飲んで帰る日も少なくありませんでしたが、睡眠時間が短くなっても翌朝6時には起きて、半ば意識朦朧の状態で書いていました そうしているうちに、アップした後で「しまった! 誤字脱字があった」とか「肝心のことを書き忘れたままアップしてしまった」とかいうことが頻繁に起こるようになりました そこで、どんなに遅くなろうが その日のうちに全文を書いて、少なくとも一度は推敲を加えたうえで、「一晩 文章を寝かせる」ことにしました 夜ベッドで寝ているうちに「あのことを書き忘れていた」とか「あの部分は不明確なので調べ直した方がいい」とか「あそこは表現方法を変えた方がよい」ということが頭に浮かんでくるので、電気を点けて枕元に置いてあるメモ用紙に書くようにしました 土・日を含め 翌朝7時に起きて、メモの内容を文章に反映させ、最後の見直しをして7時20分前後にアップするようになりました アップの時間が大幅に遅れているとすれば、”一夜漬け”した文章を見直した結果、再確認すべき箇所が出てきて調べる時間がかかったと考えて間違いありません これも「夜は忠告をもたらす」の格言の実践例になるでしょうか
ということで、わが家に来てから今日で2180日目を迎え、米国のピュー・リサ―チ・センターが世界13カ国・約1万3千人を対象に行った調査によると、世界各国で米国への好感度が急落、日本など7カ国では過去最低水準だったが、これはトランプ政権下での新型コロナウイルス対策の失敗が影響していると見られる というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプさん がっかりしないで! 米国の嫌悪度は急上昇して 今や世界一だからね
アマチュア オーケストラ「新交響楽団」から「維持会ニュース」と、10月18日(日)午後2時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれる「第251回演奏会」の案内が届きました このコンサートを聴きに行く場合は同封ハガキに名前・必要座席枚数・電話番号を記入して提出する必要があります それによって維持会員としての座席が確保される仕組みになっています 予め座席指定はできないので、通信欄に「できるだけ通路に近い席を希望します」と書いて出しておきました
ところで9月15日発行の「維持会ニュース」には、新響ホルン奏者Oさんと、新響トランペット奏者のKさんが、2月以降の新型コロナウイルス感染拡大に伴う新響の対応について書かれています これを読むと、コロナ禍はプロのオーケストラだけでなく、アマチュア・オケの活動にも大きな影響を及ぼしていたことがよく分かります
Oさんは、新響団員を対象に実施した2回のアンケート調査(コンサート開催の可否など)や、お金と練習会場の問題、感染予防を図りながらの開催方針などについて詳細に書かれています 一方、Kさんは医師の立場から「練習における新型コロナウイルス感染症対策(案)」を作成した経緯などについて詳細に説明しています Oさんも歯科医師とのことで、アマチュア オーケストラは演奏はアマチュアでも本業はそれぞれの分野のプロであることを再認識させられました 逆に言えば、医師もいれば、教員も、学生も、自営業も、会社員もいるといった、あらゆる職種のメンバーが集まった集団だからこそ、非常時にはプロのオケにはない”強み”を発揮できるのだと思いました
中山七里著「セイレーンの懺悔」(小学館文庫)を読み終わりました 中山七里は1961年岐阜県生まれ。2009年「さよならドビュッシー」で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー その後、出版業界では「中山七里は7人いる」と言われるほど多種多様なテーマにより小説を書き続けています
帝都テレビの看板番組「アフタヌーンJAPAN」は、不祥事により番組存続の危機に陥っていた 配属2年目の朝倉多香美は、先輩の里谷太一とともに起死回生のスクープを狙っていた そんな折、葛飾区で女子高生誘拐事件が発生する 被害者は東良綾香で、身代金は1億円だった。しかし、綾香の家庭は誰が考えても1億円もある裕福な家柄とは思えなかった 被害者の命を最優先させるため警察の要請により報道協定が敷かれる。警視庁捜査一課の刑事・宮藤賢次を尾行していた多香美は廃工場で顔を焼かれた綾香の遺体を目撃する その後、綾香のクラスメイトへの取材から、綾香が学校でいじめられていたという証言を得る。そこで少年少女のグループが浮かび上がる その主犯格の少女は6年前の小学生レイプ事件の犠牲者だったことも判明する 里谷と多香美は少年たちが密会する現場を突き止め、彼らの話し合いの内容を盗聴することに成功し、それをもとに番組でスクープとして報道する しかし、警察はまったく別のグループを逮捕し発表した 帝都テレビは再び大失敗をしでかし、会社の信用は失墜した 左遷させられた里谷を頼りにできない多香美は、原点に戻り、一人で被害者家族の住むアパートへ行き、隣家の取材をし綾香の家庭が崩壊状態だったことを突き止める 多香美は綾香の義父・東良伸弘が事件があった廃工場に向かうところを目撃し追跡するが、何者かに殴られ拘束されてしまう 多香美の運命は? 真犯人は誰か
この小説は「報道する側の論理」と「警察側の論理」のぶつかり合いがそれぞれの登場人物によって語られています
多香美は「許可されない場所には大抵真実が隠されています。わたしたちには大衆にそれを伝える義務があります。大衆にも知る権利があります」「私たちは犯罪の根幹を知ろうとして周辺取材をしているんです。犯罪の起きた原因、犯人を巡る人間関係。そうしたものを明らかにすることによって新たな犯罪を抑止しようとしているんです」とテレビ取材の正当性を訴えます
一方、警視庁の宮藤刑事は「君たちはニュースをバラエティー化させている。自分たちの報道する内容は派手でなきゃいけない。視聴者が憤慨して社会問題になるようなスクープでなきゃいけない。常に自分たちが社会のサイレンでなければならない 君たちはそんな強迫観念に駆られているんじゃないのか。ありきたりな事故、ありきたりな殺人ではもう飽き足らなくなっているんじゃないのか」と語り、さらに「そう言えば、サイレンというのはギリシャ神話に出てくるセイレーンとかいう妖精が、その語源らしいな 上半身が人間の女、下半身が鳥。岩礁の上から美しい歌声で船員たちを惑わし、難破に誘う。俺に言わせれば君たちマスコミはまるでそのセイレーンだよ。視聴者を耳障りのいい言葉で誘い、不信と嘲笑の渦に引きずり込もうとしている 君たちがいつも声高に叫ぶ報道の自由・国民の知る権利とかいうのはセイレーンの歌声そのものだ 君たちにとっては錦の御旗なんだろうが、その旗の翻る下でやっているのは真実の追求でも被害者の救済でもない。当事者たちの哀しみを娯楽にして届けているだけだ」。さらに「警察とマスコミ、似たような仕事をしていても決定的に違う点がある。君たちは不安や不幸を拡大再生産している。だが少なくとも俺たちは犯罪に巻き込まれた被害者や遺族の平穏のために仕事をしている 市井の人々の哀しみを一つでも減らそうとしている。それが君たちのしていることとの一番の違いだ」と吐き捨てるように言います
宮藤刑事のこの主張は著者・中山七里氏の主張と考えても良いでしょう
この小説のラスト、生放送の場面で多香美は自らの誤報事件を踏まえて次のように語ります
「わたしは犯人捜し、真相の追及が報道の使命だと思い込んでいました 確かにそうした一面もあります。警察発表のみに頼らない独自調査と速報性、そして問題提起。でも、それを優先するあまり視野狭窄に陥ってしまいました。結果として招いたのは経験の浅さによる早合点と、煽情を売り物にした取材合戦です そしてわたしたちの失敗は、そのまま今回の事件を引き起こした原因でもあります。それは想像力の欠如です。心ない言葉を浴びせられた痛み、殴られた痛み、孤立する恐怖、無援の心細さ、自分の秘密を暴露される不安、軽口を叩いてしまった油断、そして仲間と信じていた者から暴力を受けた悲痛、たった一人の味方と信じていた者から裏切られた絶望 そうした諸々の感情を想像できさえすれば、今回のような事件は起きなかったかもしれません。同じことは報道する側だったわたしにも言えます。報道する側の不安、実名で容疑者扱いされる理不尽さ、それによって社会的信用を失墜させられる恐怖を想像すれば、もともっと慎重になるべきでした そしてまた、自分たちが無意識に行使している力の大きさを認識すべきでした」
彼女の言葉こそ、セイレーンの懺悔でした
巻末の「解説」をジャーナリストの池上彰さんが書かれていますが、先輩の里谷が多香美に語る言葉を紹介し、感想を述べています
「『どんな商売でもそうだろうが、その道に進もうとしたきっかけや動機に立ち戻ってみる。駆け出しの頃だから業界の常識に洗脳されてもいない。会社の社是も知らない。自分がいったい何のためにテレビの仕事をするのか、自分はこの世界で何を実現したかったのか、頭にあるのはそのことだけだったはずだ。それを思い出すだけで、案外霧は晴れていく』
この言葉、私も若い頃に聞きたかった」
池上さんも書かれている通り、「読者は推理小説の醍醐味を味わうが、この書は若き女性の成長物語でもある」のです