宮沢賢治 デクノボーの叡知

2020年01月06日 16時17分53秒 | 社会・文化・政治・経済
 
今福 龍太 (著)

宮沢賢治の作品を読むことで、現代を生きる人々が忘れていることをいかに再発見できか。
賢治にとって人間、動物、森、山、水、大地は「共感と共苦」の世界をともに生きているのであり、火山を災害の根源としない自然との向き合いをしている。
デクノボーは「人間的は狡知(おこうち)から解放され、世俗の外部にある豊かな<愚>を生きるための、夢のような意識体である。
「そこに、人間の本当の故郷があるかもしれない可能性を、探求してみたい」と著者はデクノボーに共感する。
実は賢治の世界では幻想こそがほんとうの世界に近づく方法なのだ。
社会通念や常識で現実の輪郭を固める大人たちになる前の子どもたち。
この世界ではあらゆることが可能であるという真実を伝えるために賢治は童話を書いたのである。
デクノボーが示す「無主の(独占的所有者のいない)希望」を「賢治とともに私たちが希求すべき世界の可能性」とすることが、今本当に必要だ。

内容紹介

愚者の「助け」だけがもたらす希望――。〈土偶坊 ワレワレ カウイフ モノニナリタイ〉―― 殆どの作品を「未完」の状態で残した宮沢賢治。その手稿が示す揺らぎと可能性を丹念に追うことで、賢治世界=イーハトーブのまったく新しい姿が見えてきた。石、宇宙、火山、動物、風等に込められた創造原理を解き明かし、いまを生きる私たちの倫理を問う、画期的批評。

内容(「BOOK」データベースより)

ほとんどの作品を「未定稿」のまま遺した宮沢賢治。生涯にわたり書き換え続けられたその手稿が示す「揺らぎ」と可能性を丹念に追うなかで、賢治世界=イーハトーブのまったく新しい姿が見えてきた。石、風、火山、動物などの実在物や、心象、未完といった構造に隠された賢治の創造原理を解き明かし、いまを生きる私たちの「倫理」を問う、画期的批評。

今福/龍太
文化人類学者・批評家。1955年東京に生まれ湘南で育つ。1980年代初頭よりメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より群島という地勢に遊動的な学び舎を求めて「奄美自由大学」を創設し主宰する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


難解か、と予想に反して賢治の作品テキストと著者独自の解題はわかりやすい。一例をあげる。賢治は火山活動でもたらされた岩石と人の営みを同化させ、恵みや災厄とともに生きていると実感する。化石だって今も生きているのだ。

今や火山活動など人は災害としてしかとらえない。しかし、それらがなければ我々の存在もないのだ。そこにある自然こそ我々そのものなのだと。


少し難しいが、文化人類学者だからこその視点があり、ベンヤミンとの接点も描かれていて、宮澤賢治の世界を堪能できた。




東ドイツ史1945-1990

2020年01月06日 15時39分26秒 | 社会・文化・政治・経済
 

社会主義の「肯定的遺産」を再評価
社会主義社会を建設するためには、元ナチ党員の技術者や官僚を排除することができなかったであろう。
その結果、東ドイツでは、隠れた形でナチス思想が残ってしまい、それが東西ドイツ統一後に噴出してきたのであろう。
1970年代前半の東ドイツでは、ある種の覚醒の気風というものが広がっていた。

これに貢献したのは、生活状況が改善したばかりではない。
とりわけ比較的若い層は、その核にヒューマニズム的な要素を持つ社会主義イデオロギーを額面通り受け止め、希望と喜びの眼差しで、アフリカや南米、アジアの新しい国民国家を見ていた。


 内容紹介

東ドイツ研究の第一人者による通史の決定版!

指導者や政党など政治的な動向を中心に、「分断国家」の変遷をたどり、一般読者や学生に分かりやすく解説。数多く改訂を重ねる基本図書。図版多数収録。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)は、戦後40年以上、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)と二分された「分断国家」だった。ドイツ社会主義統一党(SED)が実質的に独裁し、東西冷戦の最前線に陣取り、市民は秘密警察に常に監視され、言論の自由も厳しく統制されていた。

しかし80年代、ゴルバチョフが東欧の共産主義政権を維持する方針を放棄し、これを拒否したSEDに対し、市民による抗議運動が拡大する。そしてついに89年、ベルリンの壁が開放、翌年、再編された5つの州は西ドイツへ加盟し、消滅するに至った。
本書は刊行以来、数多く改訂を重ね、「最もスタンダードな通史」として高く評価されている現代史だ。特長は、指導者や政党など政治的な動向を中心に、権力機構の誕生と崩壊という一本の筋道を設け、物語性がある点だ。

この変遷をたどることで、一般読者や学生にも分かりやすい構成になっている。いわば政治史を中心に簡潔にまとめられた、新しい正統派の「入門書」と言えるだろう。著者はドイツ現代史研究者、マンハイム大学で東ドイツ研究の泰斗ヘルマン・ヴェーバーに師事、SEDの歴史と党内粛清、大衆組織が専門。図版多数・参考文献・人名索引収録。

[目次]

凡例/略語一覧/第6版への序言/第5版への覚書

第1章独裁への道
一九四五年の終戦
占領支配
民主的再出発<? br> 統一への衝動——?統一への強制!
脆い平常
「世界の分割」
ドイツ政策に関する意見の相違
冷戦前夜のドイツ
二国家分断状態へ至る道における諸段階
ソ連占領地域における政治制度の変容
新しいタイプの党へのSEDの変容
計画経済の優位
スターリンによるブレーキ
「労農国家」建国

第2章一九五〇年代の東ドイツ
「社会主義の建設」
上からの階級闘争
新たな党内粛清
政治体制を揺るがせた一九五三年六月一七日
「新コース」
嵐の後の静けさ
一九五六年の短い雪解け
社会主義への最後の一歩<? br> イデオロギー攻勢
「追いつくことなしに追い抜く」
崖っぷちの東ドイツ国家

第3章壁の影での安定化——一九六〇年代
「我々の敵でなければ、我々の味方である」
文化の皆伐
近代化の努力

第4章ホーネッカー時代——一九七〇年代
ウルブリヒト解任
飴と鞭
両ドイツの接近
「ビアマン事件」

第5章最後の一〇年間
経済の凋落
現状維持という呪縛
SED国家と教会
一九八〇年代の両ドイツ関係
ペレストロイカ——?いいえ、結構です! 改革能力がないことを露呈したSED
反対派の形成
「私たちを出せ!」——「私たちは留まる!」
麻痺したSED
「転換」から終わりへ

第6章ドイツ統一への道のり

訳者あとがき
写真クレジット一覧/参考文献一覧/原注/人名索引

[原題]Kleine Geschichte der DDR

内容(「BOOK」データベースより)

東ドイツ研究の第一人者による通史の決定版!指導者や政党など政治的な動向を中心に、「分断国家」の変遷をたどり、一般読者や学生に分かりやすく解説。数多く改訂を重ねる基本図書。

著者について

ウルリヒ・メーラート(Ulrich Mählert)
ドイツの現代史研究者。マンハイム大学で政治学を学び、同大学で東ドイツ研究の泰斗ヘルマン・ヴェーバーに指導を受ける。東ドイツのドイツ社会主義統一党の歴史、党内粛清の歴史、東ドイツ社会における大衆組織が専門。

訳者:伊豆田俊輔(いずた・しゅんすけ)
獨協大学外国語学部ドイツ語学科専任講師。
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、博士課程単位取得満期退学、博士。

 

 

 
 
 
 

 
 
 
 
 

伊藤詩織さん訴訟と教師わいせつ事件の共通点

2020年01月06日 14時27分38秒 | 事件・事故

「認知の歪み」を社会が強める日本の絶望

1/6(月) mi-mollet(ミモレ)

2019年も終わりに差し掛かったころ。ジェンダーギャップ指数の世界順位が過去最低を更新し、日本の女性が置かれた環境の変わらなさにガッカリしていた年の瀬に、伊藤詩織さん勝訴のニュースが飛び込んできました。

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者の山口敬之さんに性的暴行を受けたとする民事裁判で、12月18日、東京地裁は山口氏に賠償命令を命じる伊藤さん勝訴の判決を下した。写真:AP/アフロ


私は、性被害の訴えに対して、自分が女だからと無条件に常に女性側を支持するというわけではありません。本件に関しては、ジャーナリストである双方が書いたものも読んでいて、レイプドラッグ使用の有無などについてはどちらが事実に沿った主張をしているのかは不透明だなと思いました。

でも、加害者側は当初被害者へのメールで主張していた「(彼女の方から)半裸で自分のベッドにもぐりこんできた」との説を裁判の過程で修正しており、自分がベッドを移ることで性行為に至ったことを認めています。それを踏まえると、積極的に同意があったと考えるのには無理があると感じました。

この「無理がある」は私の感覚です。加害者やその支持者からすれば、その感覚が理解できないのかもしれません。泥酔した女性の様子を見て、本気で同意があったと捉えるのであれば、そこには「男性と2人きりで酒を飲んだら性行為をされても仕方ない」「就職の紹介をお願いした女性は身体を差し出すくらい当たり前だ」といった認知の歪みがあるのではないでしょうか。加害者側が本気でそう考えているのであれば、実はこれは根深い問題ではないかと感じます。

昨年11月に日本の性犯罪を考える上で非常に示唆的な本が出ています。精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんによる『「小児性愛」という病―それは愛ではない』です。斉藤さんの著書は『男が痴漢になる理由』も目からうろこの知見が多かったのですが、『「小児性愛」という病~』は小児性愛に直接関係しそうにない人にも広く読まれるべき非常に重要な本だと思います。

教師によるわいせつ事件などのニュースが相次ぎ、一体日本はどうなってしまったのかと思っていた矢先にこの本を読んだのですが、加害者の治療に携わる著者がこれまでのヒアリングやデータをもとに論じるのは、まず小児性愛加害者には衝撃的なまでに認知の歪みがあり、性愛嗜好を実現するために自分自身の行為を正当化していくということです。

被害者は恐怖でフリーズしているだけなのに、それを「受け入れてくれている」と考える、最初は痛がったり嫌がっていてもだんだん気持ちよくなるから大丈夫……。そういった認知の歪みは、小児性愛に限らずありそうです。さらに小児性愛の場合はこれに輪をかけて、被害者が何をされているのかわからない、言えないように口止めされやすいなどの特徴があり、そして加害者側に再犯が多く、場合によっては長期の目的達成のために教師など子どもに接することができる職業に就いているなど、子どもを持つ親としては恐ろしい現実が描かれています。

一方で、加害者に共通する成育歴として(1)機能不全家族で育ち自身が虐待されていたなどの経験を持つ、(2)学校でいじめの被害者であった、(3)同年代女性に受け入れてもらえなかったり、受け入れてもらえないだろうと考えたりするという挫折経験があった、などの「逆境経験」があることがあげられていました。

そのように目を背けたい辛い現実があるときに、児童ポルノなどのトリガーがあると性的嗜好のパンドラの箱が開いてしまい、それに依存症的にはまってしまうという生々しいプロセスが当事者たちの語りから明らかにされており、児童ポルノがなぜ規制されるべきかについて非常に説得的な議論がされています。

 そのうえで、加害者を社会的に排除してしまいたい、一生刑務所に入っていてくれと思う気持ちも分かるけれど、現実的には、社会に戻ってくる彼らを孤立させることはストレス環境を生み再犯のリスクをあげてしまうこと、また原因が育った背景にあるからといって彼らにも責任はあり容認するわけではないが、社会的に学び取って強化してきてしまった嗜好であるがゆえに治療を続けることができれば回復はできる、というスタンスで著者は治療の意義を唱えています。

さらに本著では、日本社会が男尊女卑で、男性は性的欲求を満たしてもらえるもの、受け入れられるものであるべきという規範が根強く、そのために弱くてかわいいものが性欲を満たすために存在しているかのように描かれている「ペドフィリア傾向社会」であると論じています。

子どもの目にも触れるような場所にあるコンビニの雑誌や、街中のポスターなどで、性的対象化される女性。日本での児童ポルノの規制は他国に比べて弱く、世界に大きく出遅れているのが現状です。表現の自由や性的指向は認められるべきである、という話と、そのために他者が道具化されていいのか、そうした表現が世の中に溢れていていいのかという話は別問題です。

2020年、オリンピックやその後の景気などで話題は持ちきりとなりそうですが、世界中からゲストが訪れる都市であるからこそ、恥ずかしいジェンダー後進国を脱する契機にしたいものです。

中野 円佳


ゴーン被告にイスラエル入国罪で禁錮15年も 米報道

2020年01月06日 13時13分10秒 | 事件・事故

1/3(金) テレビ朝日系(ANN)

保釈中にレバノンに逃亡したカルロス・ゴーン被告をレバノンの弁護士グループがイスラエルに入国した罪で告発したとアメリカのメディアが報じました。有罪になれば、最長で禁錮15年の刑を受ける可能性もあるということです。

 ワシントン・ポストによりますと、レバノンの弁護士グループは2日、ゴーン被告がこれまでにレバノンと敵対関係にあるイスラエルを訪れたと主張し、ゴーン被告の起訴を求める報告書をレバノンの司法当局に提出しました。
レバノン国民はイスラエルへの入国が禁じられていて、司法関係者の話として「有罪になれば、最長で禁錮15年の刑を受ける可能性もある」とも伝えられています。告発の結果は9日に明らかになるとされ、もし訴追されれば軍事裁判にかけられるということです。
レバノンには日本との間に犯罪人の引き渡し条約がなく、ゴーン被告に安全だという見方がある一方で、「レバノンが安全だと考えていたとすれば大間違いかもしれない」と報じられています。

 



十五の夏 上 (日本語)

2020年01月06日 12時56分07秒 | 社会・文化・政治・経済
 
佐藤 優  (著)

内容紹介

一九七五年、高一の夏休み。ソ連・東欧一人旅。
異能の元外交官にして、作家・神学者である“知の巨人"の
思想と行動の原点。40日間の旅行記。

僕がソ連・東欧を旅することになったのは、高校入学に対する両親からの「御褒美」だ。旅行費用は、僕の手持ちの小遣いを入れて、48万円もかかる。僕は父の給与がいったいいくらか知らないが、浦和高校の3年間の授業料の10倍以上になるのは間違いない。両親には申し訳ないと思ったが、好奇心を優先した。

羽田→カイロ空港→チューリヒ→シャフハウゼン→シュツットガルト→ミュンヘン→プラハ→ワルシャワ→ブダペシュト→ブカレスト→キエフ→ 

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第8回 梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞作
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内容(「BOOK」データベースより)

一九七五年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。

著者について

作家・元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在露日本大使館勤務等を経て、国際情報局分析第一課主任分析官として活躍。2002年背任等の容疑で逮捕、起訴され、09年上告棄却で執行猶予確定。13年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。
著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『私のマルクス』『先生と私』などがある。



佐藤優氏の著作は数多く読んでいますが、本書は作者のもう一つの得意分野である「自叙伝」です。
そして自叙伝こそ、佐藤優の真骨頂が発揮されていると思います。

特筆すべきは他の著述でも見られる、その細密な状況の描写と心理背景の記述、
そして類稀なる食事の記録にあります。

15歳の夏に「御褒美」として両親から与えられたプレゼントが、多感な佐藤少年の目にどのように写り
どのように解釈したのか。
東欧諸国をどのように感じたか、なぜロシアにこだわり続けるのかを垣間見ることができます。

ストーリーは著者の抜群の記憶力(or 記録力?)により、まるで映画を見ているかのごとく進行し、
特に食事の描写シーンは「あたかも自分がその場で食事をしているように」錯覚するぐらいのリアリティです。
余談ですが佐藤さんの食事の描写は、超一流です(笑)

本書は大人の鑑賞に十二分に耐え得るものですが、今の中高生また大学生にぜひ読んでほしい名著です。

青春時代に出会う人々と出来事が、その後の人生に大きな影響を与えることがよくわかります。
その出会いは運命の必然なのか、偶然なのか、または引き寄せられたものなのか。。。
人生の節目でとても豊かな人材に出会えた著者には、嫉妬さえ感じてしまいます。

このレビューを読む方は読書好きのはずなので、迷わず十五の夏(下)も購入しましょう。
十五の夏(下)を読むことで、ストーリーが完結します。
(本書が東欧諸国編、下巻がロシア編となります)

また、本書を読む前に先生と私 (幻冬舎文庫)を読んでおくと、更に理解が深まりますので参考まで。


私は佐藤優氏と同じ学年、30代後半に東欧で3年間家族と共に滞在する貴重な体験をしました。その当時すでに民主化され10年たってはいましたが、日本との違い、現地の人々が語る東側時代の話などが、この本の展開とともに私自身の東欧生活を追体験することにつながりのめり込んでしまいました。路面電車(トラム)の切符のパンチ穴とそのざらついた紙の質、サラミ、チーズの美味しさと、うまい安い大衆食堂(バル)、やみつきになる硬いけど美味しいパンの食感、労働者の体臭がしみ込んだ紙幣など、書かれていること全てに五感が働き、次々によみがえりました。はっきりとした描写は見当たらないのですが、佐藤少年は美しい東欧の少女たちに恋することもあったのでしょう。しかしながら、30代後半の東欧での生活は、既に仕事と家庭を持った私には「人生の彩り」になったかもしれませんが、人生そのものを決定するには遅すぎたことに気が付き残念でした。
10代の東欧での滞在がその後の人生を決めることになる、というキーワードが私にはとてもまぶしく、うらやましくこれが何度も登場します。これで思い出されるのは佐藤氏に加え、少女時代をソ連支配下のプラハで過ごした米原万里氏がいます。若くして亡くなられたことが残念でなりませんが、彼女の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、「オリガ・モリゾヴナの反語法」も、私はプラハでの旅行滞在を最大限に引き出しながら推理小説としてのめり込むことになりました。10代の日本人少年少女の人生を決定づけ、価値観を変えた、当時の東欧のインパクトはすごすぎます。



沢木耕太郎の『深夜特急』とは、状況もいろいろ違うが、
青春時代の「原点」ということでは相通じるだろう。
佐藤優という「知の巨人」が生まれたのは、ここにあったのかと感じた。
沢木の旅と違って、進学校に合格したご褒美として両親が費用を出してくれている。
だが、この時代に社会主義国に行くのは極めて珍しい。
「なぜソ連だったのか」が。ページをめくるごとに、
すこしずつ分かってくる。上下巻の大部だが、一気に読める。
 
 
元外交官の佐藤優氏が15歳の時に夏休みを利用して、冷戦下の東欧・ソ連を旅行した時のことをまとめた自伝小説です。とにかく読みやすくて、上下巻の大作ですが、あっという間に読み終えてしまいました

上巻は、日本で旅行を企画するにあたり旅行会社や大使館でのエピソードと東欧での旅行記が中心となります。
東欧というと、チャウシェスクの圧政、チトー死去以降のユーゴスラビアの崩壊、計画経済による慢性的な物資不足、Masterキートンなどで描かれている秘密警察による取り締まりなど強権体制をイメージして負の印象が強かったのですが、佐藤さんが旅先で会った人からそのような負の印象はなく、与えられた状況下でたくましく生きている姿が浮かびます。

いわゆるデタントの時期で冷戦構造が少しずつ緩んできている時期とはいえ、1975年という時期に高校生が共産主義圏を一人旅をするという決断を、資金援助してでも許した両親はなかなかのもの。この両親の決断が権力の意思に敏感な感受性を育て、ベストセラー作家としての素地を生み出したのかなと思いました。

子供を持つ親ですが、こんな体験をさせられることができるのか、ふと、振り返ってみる機会になりました。



書を読んで
著者の他人への興味の深さを感じた.

15歳で,相手の考えを聞き出し,他人に自分の考えを述べる
対話の力を立派に身につけている.
会う人はこの少年を好きになり,人間として尊敬する.

鉄道や飛行機の移動,文化遺産,異国の風習,食事,
本書で読める旅の価値は,様々あるが
何よりも人との出会い
これが素晴らしい.


かわいい子には旅をさせろというが15才の子に外国にいかせる許可をする親もなかなかです。息子がこの年になったとき「ぼくロシアを旅する」と言われればまずやめさせる、と思う。体力、危機管理能力、語学力などなど大人と同様かそれ以上でないと許可できない。そういう意味では幼少の頃からしっかりした子供だったんだろうなあ。旅の話としてとてもおもしろかったです。左も右も関係ないすね。みんなおなじ人間だなと思いました。。それと料理が美味しそうでした。



 
佐藤氏の少年時代の自伝。ページをめくるにつれ、きっと誰もが佐藤氏に自らを投影し、40日間の旅を追体験していることであろう。
もっとも十五歳でこれほどの知識、興味、思考、度胸を有していたという者は、稀であり、大人の多くの読者は、尊敬と羨望にも似た思いを抱きつつ、スリリングな旅に同行させてもらうことになるのではないだろうか。

上下巻通じて、退屈な場面はなく、旅に出る前から戻ってきた後の過程の全てが、言ってしまえば見所であるわけだが、私は特に、政治というものに、そして人との出会いに興味を惹かれた。

政治は、古代から現代の今今まで、常に人間社会の形成と深い結びつきがある。むしろ、人間社会そのものと言ってもよい。佐藤氏が旅をしたこの時代、世界は東と西に分かれていた。
勿論この程度は誰もが知っている知識であるが、東の中において、国によってここまでの違いがあったことを、初めてリアルな感覚をもって、わかった気がする(あくまで佐藤氏の目線を通じた、ほんの一部の理解には違わないが)。
特にルーマニアで困難に直面した場面など、そこの張り詰めた空気が、まさにそこにあるように感じられた。

人との出会い。これがこの本のキーワードではないだろうか。国を問わず、佐藤氏の力になってくれる親切な人が数多く登場する一方、そうでなく不親切な、場合によっては悪意を持って接してくる人もいる。
これは時代、世界普遍のテーマであろうが、結局は人は人との間で関係をつくり、生きていく。それは、時には過酷で、時には眩しいくらい美しいものであること。
佐藤氏が旅を通じて出会う人達との対話、国や政治を超えた一人間同士の触れ合いによって、そのようなことが私の心に残った。
 
 
 
 

 

 

自分をコントロールする力

2020年01月06日 12時29分10秒 | 社会・文化・政治・経済

非認知スキルの心理学 (講談社現代新書) 


目標を達成するためには、様々な誘惑や困難を乗り越えなければならない。
目標を立ててそれを実現している人もいれば、いつも目標倒れになってしまう人もいる。
この違いはどこから来ているのだろうか。
生まれつきのものなのだろうか。
それとも訓練で克服できるものなのだろうか。
目標を達成するためには、自分の欲求や考え方をコントロールする能力をしっかり持っていなければならない。
誘惑があった場合でも、今までの習慣を続けたくなった場合でも、自分をきちんとコントロールして目標から外れたことをしてしまわないようにする能力だ。
子どもの時の環境が重要だ。
虐待を受ける子どもは大きなストレスを受ける。
直接的な虐待でなくても、夫婦間の暴力どころか口論さえ、子どもにストレスを与える。

内容紹介

「自分をコントロールする力」が人生の成功を左右する!

近年にわかに注目を集める「非認知スキル」。そのなかでもとりわけ「自分をコントロールする力(実行機能)」は、どうやら学校の成績や仕事の業績、そして将来の健康をも大きく規定するようです。
果たしてその能力は、どのようにして身につくのでしょうか。あるいはどんなときに働かなくなるのでしょうか。発達心理学の最新知見から、その育て方・鍛え方を大公開します。

―――

「非認知スキルがIQより大事って本当?」
「がまんが苦手な子どもの将来はどうなるの?」
「親の貧困や虐待は子どもにどんな影響を与えるの?」
「YouTubeを子どもに見せるのはやっぱりダメ?」
「理想の子育てって?」
「大人でも鍛えられるの?」
……いま大注目の「非認知スキル」にかかわる”そもそも”の疑問に、最新の科学が丁寧に答えます!

* * *

[目次]
はじめに
第1章 実行機能とは?
第2章 自分をコントロールすることの重要性
第3章 実行機能の育ち方
第4章 自分をコントロールする仕組み
第5章 岐路となる青年期
第6章 実行機能の育て方
第7章 実行機能の鍛え方
第8章 非認知スキルを見つめて
おわりに

内容(「BOOK」データベースより)

人生の成功を左右する「非認知スキル」。そのなかでもとりわけ重要な「自分をコントロールする力(実行機能)」は、どのように身につき、どんなときに働かなくなるのか?発達心理学の最新知見から、その育て方・鍛え方を大公開!

著者について

森口 佑介
福岡県生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。京都大学大学院教育学研究科准教授。専門は、発達心理学・発達認知神経科学。著書に、『自己制御の発達と支援』(編著、金子書房、2018年)、『おさなごころを科学する:進化する乳幼児観』(新曜社、2014年)、『わたしを律するわたし:子どもの抑制機能の発達』(京都大学学術出版会、2012年)など。Twitter:@moriguchiy

 

目標を達成するために、自分の欲求や考えをコントロールする能力を、実行機能と呼びます。

子どもの時にこの能力が高いと、学力や社会性が高くなり、さらに、大人になったときに経済的に成功し、健康状態も良い可能性が高いことが示されています。

第7章「実行機能の鍛え方」から読みたいところをぐっと堪え、第1章から読みました。これも実行機能なのでしょうか。実行機能は、基礎研究の段階を経て、家庭や保育・教育現場において支援・応用する段階に入っています。

子を持つ親や保育士・学校の先生ならこんなチャンスを逃す手はありません。もちろん、実行機能以外の力も大事です。何もかもを考えるのは難しいので、実行機能に注目するのが現実的であり、成功の秘訣です。各章の終わりに「まとめ」がありますが、振り返りは実行機能を鍛える方法の一つです。最も気になる大人になっても実行機能は鍛えられるのかについては、まずは誘惑のある状況に身を置かないのが大人の振る舞いのようです。


キーワードは「実行機能」(いわば自制心)、それをもう少し学術的にいうと「非認知スキル」というのでしょう。  たんに精神論でコーチング技術を唱える巷間の本とは別格、と思います。
ただ本著の性格上、著者の主張はボールドされません。  世界のさまざまな研究成果が紹介されます。  まずはこの「非認知能力」を”認知”してもらいたい、というのが本著のめざすところといえます。

「実行機能」をもっとわかりやすく(皮肉っぽく?)いうなら、「犬でもできる待て、ができるかどうか」、でしょう。  

ながらスマホにみられるよう、目の前の欲望に支配されるだけの大人への警鐘であり、そういう人間にならないよう幼少期から留意すべきヒントを提供しています。  

大人の定義とは(いろいろな本から一言でまとめるなら)、”感情を思考でコントロールできること”、といえると思います。  

本書には、それを実現するための「非認知スキル」という能力、またそれを具体化する「実行能力」の力量に着目してもらおう、という目的がうかがわれます。

前置きが長くなりましたが、差支えない範囲で少し引用してみます。
2章「自分をコントロールすることの重要性」では、IQよりも(というかIQだけでなく)、「自分や他人とうまくつきあっていく能力」がともなってこそ実社会でうまくやっていける、というわけです。 そのスキルがOECDでも報告される「非認知スキル」、というわけです。 

 たしかに、高学歴・高偏差値なのに、仕事ができない(むしろ足を引っ張る)人って、まぁいますよねぇ、、、。  

部分最適・全体非最適といいましょうか、視野の狭い我が道を行くタイプです。  いくら頭よくても考えものです(それを否定はしませんが。本人はそれで幸福なのかもしれませんので)。

5章「岐路となる青年期」は、中学生くらいのお子さんをもつ親御さんたちにとってお役立ちといえそうです。  

この章では、ローリスク・ローリターンをとる傾向にある幼少・成年に対し、ハイリスク・ハイリターンをとりがちな青年期(中学生の頃)の事情が説明されます。  

要は、青年期は脳のアンバランスな発達期なんですね。  

報酬系回路(アクセル)と前頭前野(ブレーキ)の領域が同時に発達しないというわけです。

 子ども期の実行機能は青年期における防御因子になる、という専門家の報告も紹介されています。詳しくは本書にあたってくださいね。 


6章「実行機能の育て方」は、育児(赤ちゃんを育てている親御さん)にお役立ちでしょう。  

アタッチメント(愛着)の重要性が説明されます。  

要は、ちゃんと抱っこしてあげて、赤ちゃんに情緒的な安心感を与えることが大切ってことでしょう。  

ネグレクトの罪深さも説明されています。  

あいかわらずニュースされる
虐待の原因を感じさせ、考えさせられます。

7章「実行機能の鍛え方」では、教育のありかたを考えさせられます。  

ステレオタイプな学習指導要領よりも、家庭や社会で直接・間接に「実行機能」を向上させることのほうが、教育的に末広がりなんだろうなぁ、と思ってしまいます。  

学校教育がムダというわけではありませんが、なにか方向がおかしいように思えてしまいます。  

たとえば、2020年から小学校で教科化される英語に対し、”英語より国語力を”と論じる識者は少なくありません。  

それは、この非認知スキルと無関係ではないと思います。  

コミュニケーション力とは語学というツール以前に、「そういう関係づくりができる能力」なのだと思います。  それができなくて困っている高偏差値系にさらに高得点を取る能力を積み上げたところで、コミュニケーション能力は上がるより下がるリスクの方が大きいのではないでしょうか…。 話をもとに戻します。
196頁で紹介される”ごっこ遊び”の効用は、ちょっとなつかしい。  

要は”オママごと”です。懐古趣味といわれそうですが、昔はみんなそうやって遊んでましたよね。  

お金もかからないし、実行機能を高めるためには理にかなった遊びだったといえそうです。

8章「非認知スキルをみつめて」では、”思考の実行機能”が世界の研究者に注目されている背景が説明されます。  

冒頭で述べたとおり、感情をおさえる理性的な方法として”思考”が重要、とはよく言われることです。  

人間である限り感情的になってしまうことを避けることはできません。  

しかし、感情に支配されたまま行動を脱線させるか、いち早く正常路線に自分を引き戻せるかで人生は違ったものになるといって過言ではなさそうです。  

そこで、感情と別の”思考”能力が大人としてのバランスには重要、というわけです。  

言葉の悪さを承知でいうなら、感情的な人ってバカっぽく見えます。  

それは、自制心(つまり実行機能に基づく非認知スキル)がないために自分にも周囲にも不利益な状況をばらまいているばかりか、それに自身が気づいていないからなのでしょう。  

本書は「非認知スキル」の説明(その世界の研究報告の紹介)が全213頁にわたり占めており、著者の提言やその検証、証明といったスリリングな展開はありません。  

しかし著者みずから212頁で述べているとおり、”この本を通じて実行機能についての理解が広まることを願っている”のであって、それが本書の目的なのですね。  

一冊の本としての完結度はさておき、まずは「非認知スキル」という聞きなれない能力への理解が深まったことだけでも本書を読んだ価値は大きかったと思います。  

今後、ご自身の提言から検証まで発展的に著作を増やしていただけるよう期待します。  

といいますのも、著者は「おわりに」の最後でこう述べます。 

執筆時、「学術的な書き方が抜けきれず苦戦したが、編集部から適切なコメントをもらった」、と。  

たぶんもっと堅苦しい内容だったけれども、玄人目線から素人目線に切り替えたのでしょう。  

全編、語り口調のとても分かりやすく読みやすい内容です。  
特に子育て世代にはおススメですね。

 


測量学の権威が警鐘 「東日本大震災の直前と同じ兆候出現」

2020年01月06日 12時19分26秒 | 社会・文化・政治・経済

 2019年の年末は日本各地で地震が頻発した。12月19日、青森県東方沖を震源とする最大震度5弱の地震が発生。同3日から5日にかけては、関東北部(茨城県、栃木県)を震源とする震度3以上の地震が6回起き、そのうち3回で最大震度4を観測した。

【警戒マップ】2020年の警戒ゾーン 危険度1~5

測量学の世界的権威で「MEGA地震予測」を主宰する村井俊治・東大名誉教授は、現在の日本列島の地表の動きには「東日本大震災の直前と同じ兆候が出ている」という。

「11月中旬、東日本大震災の約2か月前と同じ兆候が現われました。震災以降初めての出来事で、2020年は東日本大震災と同規模の地震が起こる可能性があると危惧しています」

村井氏が指摘するのは、伊豆諸島にある電子基準点「青ヶ島」の上下動だ。

「11月10日から16日までの1週間で『81cm』の高低変動が見られました。これは、東日本大震災前年の2010年12月26日~31日の1週間に同じ青ヶ島の基準点で観測された『76cm』を大きく超える異常変動です。

青ヶ島と宮城県沖は600km以上離れていますが、遠く離れた基準点での異常変動が、大地震の引き金となるケースは珍しくありません。さらに、秋田県の電子基準点『鹿角2』や『鳥海』でも7cm以上の異常変動が現われています」

この「異常変動」とは、全国1300か所に設置された国土地理院の電子基準点のGPSデータをベースに、1週間ごとの基準点の上下動を調べたデータだ。それに加え、地表の長期的な「隆起・沈降」、地表が東西南北のどの方向に動いたかの「水平方向の動き」の3つの指標を総合的に分析し、地震発生との関連性を予測するのが「MEGA地震予測」である。

村井氏が「2020年に最も警戒すべき5つの地域」を危険度順に分析した。

【1】東北地方警戒ゾーン

青ヶ島「81cm」の異常変動の他にも、東北地方には注意すべき兆候が出た。水平方向の動きを見ても、大地震発生前の兆候が現われているという。

「東日本大震災以降、日本列島の大半の地域は南東方向に動いています。しかし、それとは真逆の北西方向への動きが、北海道の根室・釧路地方、千葉県の房総半島南端などの一部地域で大きくなっている。

 地表の動きが逆転する境目にあたる青森県、岩手県北部や福島県、茨城県、栃木県に歪みが溜まり、年末にかけて地震が頻発したと考えられる。エネルギーはまだ放出されきっていないと見るべきでしょう」

 東日本大震災以降、太平洋側は隆起し、日本海側は沈降する傾向があったが、昨年末に秋田県、山形県での沈降傾向が強まっている点にも注意を要するという。

「隆起と沈降の境目となっている奥羽山脈に歪みが溜まっています。東北地方は震度5クラスの地震の常襲地帯ですが、隆起・沈降、水平方向、上下動のすべてを鑑みると、今年は新たな大地震の危険度が高いと言わざるを得ません」

◆“危険水域”を超えた

【2】首都圏・東海警戒ゾーン

 村井氏は首都圏にも警戒を促した。伊豆諸島や伊豆半島に異常変動が集中しているからだ。

「10月以降、伊豆諸島と小笠原諸島は異常な変動を繰り返し、不安定な状態です。特に隆起・沈降では、隆起傾向の三宅島と沈降傾向の神津島は約30km程度と近距離ですが、年末の両島の高低差は6cmを超えており、“危険水域”と言えます」

【3】九州南部・南西諸島警戒ゾーン

 九州南部も鹿児島県の電子基準点「垂水」の8.3cmを中心に異常変動が集中している。

「年末は鹿児島県の大隅半島と宮崎県南部で、地震発生前に見られることが多い大きな沈降が見られた。九州南部ではこの1年間、水平方向の動きでも大きな変動があった。2016年の熊本地震の余震ではなく、新たな地震が発生する可能性があります」

【4】北陸・信越警戒ゾーン

 長野県の「白馬」で9.5cm、福井県の「大野」で7cmの異常変動があった。

「長期的な隆起・沈降では、年末に福井県の『和泉』や『福井池田』、石川県の『白峰』が大きく沈降しており、ここも注意が必要です」

【5】北海道東部警戒ゾーン

 12月18日には、最大震度3の根室半島南東沖地震が起きているが、さらに警戒を強めるべきだという。

「『根室4』が沈降する一方、『阿寒2』は隆起しています。その差は1年前から10cmを超えており、依然として“危険水域”のままです。その境目に歪みが溜まっており、引き続き要注意です」

 MEGA地震予測は、今後6か月にわたる警戒地域を示す予測だ。政府の地震調査委員会が発表する「30年以内に〇%」という“雲を掴むような確率”のレポートとは一線を画する。

「MEGA地震の予測方法はアップデートを続けていて、いずれ1か月以内の予測を可能にしたいと考えています」

予測をもとに冷静に備えたい。

【MEGA地震予測 MAPの見方】
 地図中では、2019年6月1日から11月23日の間に、要警戒とされる「1週間で5cm以上の上下動」があった地点を示した。それに加え、地表の長期的な「隆起・沈降」と、地表が東西南北のどの方向に動いているかの「水平方向の動き」の分析を加味し、過去の地震発生の前兆現象と比較した上で「震度5以上の地震が発生する可能性があるエリア」を警戒ゾーンとしている。

●JESEAでは毎週水曜日にスマホ用アプリ「MEGA地震予測」(月額380円)で情報提供している。詳しくはhttp://www.jesea.co.jp

 

 


9割の企業が失敗「働き方改革」の実態 

2020年01月06日 12時05分15秒 | 社会・文化・政治・経済

上層部の勘違い、行動を改善する人が4・5倍になった実験

1/6(月) 

働き方改革」が叫ばれて久しい。世間では「週休3日」「全員が17時台に退社」など、華々しい成功例が取りざたされるが、88%の企業は、働き方改革に成功していないという。

マイクロソフト業務執行役員を経て、現在は働き方改革を支援する会社代表を務める越川慎司さんは、2017年1月から19年4月にかけて東証1部上場企業を含めた、製造、流通、金融、自動車など19業種の528社の実態を調査。『仕事の「ムダ」が必ずなくなる 超・時短術』(日経BP)にまとめ、働き方改革の目的を勘違いしている企業に警鐘を鳴らす。


*  *  *  *  * 

■ 問い合わせ殺到するAI、こぞって導入する企業の勘違い

 AI(人工知能)は様々なシーンで使われることが多くなり、スマートスピーカーや自動運転、深層学習などの言葉がメディアを賑わせています。働く個人にとって、最も影響があるのはRPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション)というツールです。間接業務を自動化する広義のAIの一つと捉えられ、提供側へ問い合わせが殺到しているそうです。

 例えば、インターネットで必要な情報を収集・統合してシステムへ入力する作業や、財務レポートの作成など標準化された業務プロセスを自動的に行うこと、さらには過去のやり取りを学習して、顧客からの問い合わせなどに対応することもできます。

 しかし、AIは神様でもマジックでもなく、RPAも多くの企業で成果が出ていません。

 うまくいかない理由の1つは、他の人に引き継ぐことができない仕事はAIにも引き継ぐことはできないからです。「Aさんがいないと仕事が回らない」「Aさんの勘に頼って仕事を回している」などのケースです。

 
■   はき違えた「目的」

 そもそも、特定の個人に依存して仕事が回っているのは危険です。業務を標準化して他の人と仕事が共有し、その人が休めるようにするなど、AIの導入以前にすべきことがあります。

 528社の業務変革を支援してきましたが、最も効果があったのは「やめる業務を決めること」です。アジェンダがない定例会議、派手で凝った社内資料や「メールを見ていますか」というメールを送ること…。当たり前を疑って、勇気をもって不要な業務をやめていかないと、いくら時間があっても足りません。

 失敗している企業は、AIを導入することが目的になっています。あくまでITツールは手段です。「会社が儲かること」と「社員が幸せであること」を両立させることが目的です。

 
■AIを人手の代替にするはずが、人が増える

 AIを入れることが目的になると、導入部門や導入業務の数と時期を決め、その達成に奔走していまいます。導入にあたっては担当者を増やし、人手不足解消の為にやっていたのに人員が増えた、と迷走する企業も多くあります。

 AIを導入するのであれば、浸透・定着を目指して現場の社員たちが使いこなすことを目指してください。情報システム部門だけが旗振りするのではなく、各部門の有志をプロジェクトメンバーとして集め、各現場で浸透する策を出し合い実行していくことが成功へと導きます。ITが働き方を変えるのではありません。働き方を変える時に、ITが役立つのです。

■一斉に消えたオフィスの光、社員たちがこっそり向かう先

 上から言われた事をだけひたすら行う「働きアリ」のような働き方が、会社にとっても個人にとっても望ましいものではなくなりました。来るべき変化を見越して、社員が自発的に動き、新たな儲け方を見つけて必要なスキルを身に付けていく必要があります。

 しかし「残業するな。でも、業績は落とすな」という上からの指示(トップダウン)のみが行われている企業が大半です。これでは「働かせ方改革」です。その典型的な例が、オフィスの一斉消灯です。

 言われたことをやるスタイルに慣れている社員が多ければ、電気が消えれば素直に家に帰ります。しかし、徐々に仕事が回らなくなります。仕事の仕方を変えずに帰る時間だけ早くしても、うまくいくはずがありません。業績も徐々に落ちてきます。仕事が回らなくなると上司に怒られますので、消灯後にこっそりパソコンと書類を持ち出して近くのカフェで仕事をします。実際、オフィス街のカフェは19時以降に大混雑しています。狭いスペースで書類とパソコンを広げて効率が悪そうな人も見かけます。これは完全に失敗のパターンです。

■勤務時間の40%超が社内会議?

 このような失敗ケースに陥るのは「どうやって残業を減らせるか」を考えてしまうHow(どうやって)企業です。一方、うまくいっている企業はWhy(なぜ)企業です。「残業が発生するのはなぜか」という問題の発生原因を考えてから対処します。

 大手製造業のクライアントA社は、なぜ長時間労働になるかを調べたところ勤務時間の43%が社内会議に奪われていることが分かりました。さらに調査を進めると、その社内会議の4割でアジェンダ(議題や目的)が決まっていないまま開催されていたのです。

 そこで、開催24時間前にアジェンダが参加者に共有されていない会議は禁止にしました。当初は反発者もいましたが、1カ月実施したところ会議時間が18%減り、結果的にオフィスの消灯をしなくても早く帰れるようになりました。How(解決策)を講じる前にWhy(発生原因)を追究してください。なぜ改革をやるかを「腹落ち」していないと、9カ月で人は行動を元に戻します。残業抑制を含む働き方改革はこのWhyを考えることが重要なのです。

■失敗の3大理由、つい探してしまう魔法

 約7割の企業が何かしらの働き方改革に取り組んでいると言われていますが「成功している」と弊社のヒアリングに答えた企業は、528社中わずか12%しかありませんでした。88%もの企業が、取り組んではいるものの成功していないのです。理由は3つあります。

 
(1)目的と手段を履き違えること

 冒頭のAI導入でも説明しましたが、いくら素晴らしい手段を持っていても、正しい目的が設定されていないとうまくいきません。働き方を変えるというのは、目的ではなく手段です。にも関わらず、働き方改革をすることが目的である企業が大半です。最新のAIを導入して人事制度を変えたものの、社員の利用率は10%未満というのが典型例です。

 働き方改革を通じて目指すべきは、会社が儲かることと社員が幸せになることを両立させることです。その実現に向けて問題を抽出し、その発生原因を突き止めてから解決策を講じていく必要があるのです。

(2)定まらぬ成功の定義

 驚くべきことに、働き方改革を始めて2年以上の企業のうち、3分の1が成功の定義を決めずにスタートをしていました。会社が儲かる事、そして働くことに関して幸せを感じる「働きがい」を社員が持つことを山頂として、経営陣と現場が一緒に山を登るのが働き方改革です。

 成功の定義をできる限り定量化(数値化)して、その達成度の進捗を見える形にすれば、経営陣と現場社員は「腹落ち感」を持ち改善活動を継続します。

 
(3)魔法を探してしまう

冒頭のAIもそうですが、状況を一気に好転させるツールや制度を探してしまう企業が多いです。しかし、そのような魔法や神様は存在しません。それらを探している時間こそ無駄です。

 目指すべき未来像に向けて、現在の課題を明確にします。そして、その課題の発生原因を見つけ、解決する策を地道に講じていきます。経営陣と現場で定期的に振り返り、さらに行動を改善していくのです。

 
■生き残りへの道

 「メールアドレスを持たずに仕事ができますか?」20年前に通信会社に勤務していた頃、顧客にメールアドレスを持って名刺に記載するように提案していました。しかし、多くの企業から「FAXがあるから要らないよ」と断られました。その前にFAX機を販売していた頃には「電話があるから要らないよ」と言われました。すぐに必要性を感じないと、人はなかなか意識を変えられないようです。

 企業や個人を取り巻く環境の変化が激しい中で、何もしないでじっとしていることはリスクになります。外部の変化を感じ取り、それに対応して行動することが生き残る道です。

 しかし、目の前にリスクが迫らないと意識は変わらないでしょう。今日、働き方を変えなくても死なないからです。経営者がいくら社員に「意識を変えないと生き残れない」と叫んでも、社員の意識が変わるのを待っていたら、5年も10年もかかります。

 ■7割の人が「意外とよかった」と答えた実験

お勧めするのは、小さな行動実験です。経営陣や人事部が「これやりなさい!」と行動を強制するのではなく、各部門で変化に対応するための改善活動を決めさせ、それを1週間実験的に実施してみるのです。提案資料の改善でも良いですし、会議のための会議をやめるのでも良いです。1週間だけの行動実験ですから、精神的なハードルが下がります。各部門で決めた行動をするので「自分ごと化」して取り組みます。

 実際に行動した人の約7割が「意外と良かった」と答えました。これこそ、意識が変わった瞬間です。意識が変わった社員は、改善行動を継続していきます。この行動実験の広がりが会社の新しい文化を作っていきます。28社で調査したところ、行動実験をしている企業の社員は、そうでない企業の社員よりも、自発的に改善行動する比率が4・5倍であることが分かりました。

 成功の定義を決めて経営陣からのトップダウンと、現場からの自発的なボトムアップを組み合わせることが必要です。小さな行動実験を継続することにより進捗を確認し合い、腹落ち感を持ちながら変化への対応力を身に付けましょう。それにより、会社と働く個人が未来の選択肢を得ることができるのです。(クロスリバー社長=越川慎司)

 



相模原事件、責任能力が争点に 8日に初公判

2020年01月06日 11時52分36秒 | 事件・事故

被告なお障害者の存在否定

1/5(日) 毎日新聞

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、利用者ら19人が殺害され、26人が負傷した事件で、殺人罪などに問われた元同園職員、植松聖(さとし)被告(29)の裁判員裁判が8日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で始まる。事件当時の責任能力の有無や程度が最大の争点になる。「障害者は不幸をつくる」という差別的な考えから事件に及んだとされる被告が、被害者の家族らが見つめる法廷でどのように事件と向き合うかも注目される。

【写真特集】公開された「やまゆり園」の内部

 事件後の精神鑑定で被告は自分を特別な存在と思い込む「自己愛性パーソナリティー障害」と診断された。人格障害の一つだが、一般的に物事の善悪を判断して行動をコントロールすることは可能とされ、検察側は完全責任能力があると判断して被告を起訴した。

 植松被告は毎日新聞の取材に、障害などがあって意思疎通ができない人は「社会にいるべきではない」と独善的な主張を展開して事件を正当化している。初公判で起訴内容を認める考えを示す一方で、弁護人の主張は「任せている」という。

 関係者によると、弁護側は事件当時は薬物の影響から刑事罰に問えない心神喪失状態だったとして無罪を主張するとみられる。事件前に措置入院した際に「大麻精神病」などと診断され、逮捕後の尿鑑定でも大麻の陽性反応が出ていた。

 一方、被告は監視の目が緩くなる未明に職員を動けなくするための結束バンドを用意して侵入し、意思疎通が難しいと判断した利用者を狙ったとされる。検察側は薬物の影響について弁護側の主張を否定した上で、被告の説明に一貫性があり、事件が計画的に実行された点などから自らの行動をコントロールできていたと立証していくとみられる。

 事件を巡っては神奈川県警が被害者の氏名を公表しない異例の措置をとった。刑事裁判は実名審理が原則とされるものの、今回は法廷でも名前を明らかにしないことが決まった。被害者は負傷の程度などによって甲、乙、丙の3グループに分けられ、「甲A」「乙B」といった呼称がそれぞれに付けられる。

 また、事件の犠牲者が多く被害者参加制度を使って出廷する人が多いことから、地裁は傍聴席の3分の1程度をパーティションで区切って被害者の家族らに割り当てて廷内と同じ扱いをする。審理は複数の予備日を含めて計26回あり、判決は3月16日に言い渡される予定だ。【中村紬葵】

 




浅草公園六区の今昔

2020年01月06日 10時12分03秒 | 社会・文化・政治・経済
浅草公園六区(あさくさこうえんろっく)は、東京都台東区浅草にある歓楽街である。
通称、浅草六区または公園六区。「六区」は元々1884年明治17年)より始まった浅草公園の築造・整備における区画番号の第六区画を指した。






繁栄

1884年(明治17年)4月1日付で公園の差配・世話掛に、劇作家で『江湖新聞』創始者の福地源一郎が任命。主に第六区の経営、公園全体の差配を任されるが、1889年(明治22年)7月に解任となった。

前後して、浅草公園六区は1887年(明治20年)の根岸興行部の「常盤座」に始まり、演劇場、活動写真常設館オペラ常設館などが出来て隆盛を誇り、江川の玉乗り浅草オペラ安来節等が注目を浴びた。1903年(明治36年)には、吉沢商店が日本初の映画専門館「電気館」をオープンした。

1890年(明治23年)に建設された凌雲閣(浅草六区北側)は通称「浅草十二階」と呼ばれた高層ビルで、その展望台は浅草はおろか東京でも有数の観光名所となったが、1923年(大正12年)9月1日関東大震災で崩壊した。

昭和に入っても「アチャラカ」と呼ばれた荒唐無稽の喜劇が好評を博した。

最盛期には劇場や映画館が30館を超え、娯楽の最先端の興行街となる。

第二次世界大戦に入っても人気を博し、1945年(昭和20年)になり東京大空襲で一帯が炎上するまで人気を博した。

終戦後もすぐに再建され、軽演劇、女剣劇、ストリップ、およびその幕間に演じられたコントが注目を浴び芸能の殿堂・一大拠点としてここからスターとなった芸能人も数多かった。

1951年(昭和26年)浅草寺は観音本堂の再建のためにランドマークであった通称「瓢箪池」(古瓢箪池を含む)を売却。

池は埋立てられ、1952年(昭和27年)浅草楽天地の映画館「浅草宝塚劇場」と1954年(昭和29年)遊園地「楽天地スポーツランド」、1959年(昭和34年)には東急グループの複合娯楽施設「新世界ビル」が建った。

また、1954年に観音本堂から六区興行街までの間が西参道商店街として整備された。

没落

1950年代後半に最盛期を迎えた浅草六区も、高度成長期と呼ばれた1960年代に入りテレビ時代を迎え、1964年(昭和39年)の東京オリンピック以降は東京都区部西側の新宿渋谷池袋等の方面に若者の文化が芽生えた。

1974年(昭和49年)、新世界の跡地にはウインズ浅草が造られ、1970年代に入り急激な地盤沈下を迎える。

若者世代の嗜好と合わなくなった映画館・劇場の多くは閉館となった。

以後、平日は通行人が疎らで、週末は競馬目当ての客が集中する光景が多くなった。

夜間は19時になると人通りも少なく、「不夜城」と詠われた嘗ての殷賑振りとは隔世の感がある。

バブル景気期の1986年(昭和61年)には複合商業施設「浅草ROX」が開業、1988年(昭和63年)に映画『異人たちとの夏』のロケ舞台にはなったが、六区は長い停滞の時期を迎える。

思い返せば、会社の懇親会で神谷バーで初めて電気ブランを飲んだのは、この頃であった。

まだ、みんな若かったな・・・・

亡き同僚3、亡き上司1人の顔も浮かぶ。

 
映画館が立ち並ぶ浅草六区の歓楽街、1937年昭和12年)1月

左 - 松竹館 池田義信の旧作『わが母の書』(1936年昭和11年)12月作品)、伊藤大輔の旧作『あさぎり峠』(1936年(昭和11年)10月作品)ほか上映中。
右 - 常盤座 アチャラカ演劇一座『笑の王国』(古川緑波菊田一夫退団後)上演中
 

昭和初期

 


新しいわれらを発見する

2020年01月06日 06時23分09秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽一切を勝ち開くのは自らの意志と力だ。
「よし やろう!」
この決意を胸に一歩を踏み出そう!
▽今日より明日へ、日々新たに、前進し抜いていくのだ。
その執念の行動に、栄光の勝利があり、幸福がある。
▽一日の勝利は、まず朝の出発で決まる。
断じて「朝に勝つ」ことだ。
▽新しい年がめぐってきて
新しいわれらを発見するのです-ゲーテの言葉
▽実生活での体験を通して真理をつかむ。
私の半生を一枚の絵のようにそこに写し出してみたい-デカルトの言葉
▽<庶民の言葉>が最適だ。
その言葉には、心を砕いた証がある。
▽現実の社会や生活で課題に挑戦する中で築いていく実証こそ、人生劇場の実相。