1/18(土) カナロコ by 神奈川新聞
【#実名報道】「あるがままの生」認め合う社会へ 公表された「美帆」という「生きた証し」
わたしたちメディアはなぜ、犠牲者の実名報道にこだわるのか。「生きた証し」を伝え、事件を社会全体で共有するため―。重度障害者19人が刺殺されたやまゆり園事件でも、クリエーター36人が放火で殺害された京都アニメーション事件でも、そう主張されてきた。(神奈川新聞報道部)
それは、命は等価であり、あるがままに尊いという通説によって立つ。やまゆり園事件の遺族は当初、障害者差別が潜在する現実を告発し、その通説自体を揺さぶり、そして匿名化を望んだ。
19人の呼称に「甲」とA~Sのアルファベットが割り当てられて始まった事件の公判。前夜、一人の遺族が3年半の沈黙を破り、「甲A」とされた末娘(当時19)の名前と顔写真の公表に踏み切った。一生懸命生きていた「美帆」の証しを残したい、と。
その決断は、命に優劣をつける被告の偏見、さらにはこの国のありようを克服するためでもあった。読者とともに考えたい。生きた証しとは、実名とは、何だろう。(神奈川新聞報道部)
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追悼とは、「遺影と名前に向かって祈るもの」と、神奈川県知事の黒岩祐治は考える。死者にも尊厳はあるから。
県主催の追悼式が巡り来る毎夏、黒岩はその信念と現実との落差を突きつけられている。県職員が家族会と園の運営側に遺族の意向を確認するたび、実名による追悼は容易でないと思い知らされる。
県は事件当初から、19人の実名を把握していた。匿名による対応を決めたのは、犠牲者の知的障害を理由に「遺族のプライバシー保護の必要性が極めて高い」と判断した県警と「歩調を合わせる」(保健福祉局)ためだった。
黒岩は「障害者だから実名で追悼できないというのは違和感を覚える」とはがゆそうだが、「遺族の反対を押し切ってまで、実名は公表できない」と折り合ってきた。
実名を匿いながら、しかし、19人の個性を尊重し、それぞれの死を悼むにはどうすればいいのか。県は腐心する。園職員に犠牲者の人柄について聴き取りを重ね、2017年7月の追悼式で試みたのが、生前のエピソードを紹介する次善策だった。呼称は無機質な記号でなく、「あなた」とした。
祭壇に語り掛けるように、黒岩は670人の参列者に披露した。「寒い冬のラーメンを楽しみにしていた、あなた」「お天気が良い日の日なたぼっこが好きだった、あなた」
以降、2回の追悼式。読み上げられたエピソードは一語一句、全く同じだった。昨夏は、入所者が19人をしのんで描いた絵を飾り、かろうじて既視感を払拭できた。今夏は未定だ。県職員は葛藤する。「本当は実名で追悼したい。事件を風化させないためにも」
参列した遺族は、3年前が12組25人、おととしが9組19人、昨年は7組10人と減じる一途だ。全国の知的障害者の家族を対象に共同通信が昨夏に実施したアンケート調査によると、8割近くが事件について「社会の関心が薄れている」と答えた。
県警の匿名発表と県のその追認に対し、「手の合わせ方も変わり、今のような状況では一人ひとりの死を悼みにくい」(日本障害者協議会)といった批判が、障害当事者や福祉団体から集中した。
実名報道を原則とする神奈川新聞も、「理不尽に『明日』を断たれた19人の人柄であり、生きた証し」(16年10月25日朝刊、社説)を語り継ぐには実名公表が不可欠である、と主張した。命は等価であるとも論じている。《世の中のあらゆるものの価値はすべて平等である。それぞれに尊い。みながみな心ゆくまま存在していい》(17年7月26日朝刊、1面コラム)
こうした通説を、遺族の一人は、きれい事とみなしていた。弟を殺害された女性の談話が物語る。
《わたしは親に弟の障害を隠すなと言われて育ってきましたが、亡くなったいまは名前を絶対に公表しないでほしいと言われています。この国には優生思想的な風潮が根強くありますし、全ての命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではないので、とても公表することはできません》
長男がやまゆり園に入所する男性が匿名で取材に応じ、遺族の苦悩を代弁した。「社会には、いろんな人がいますよ。悔しいが、偏見や差別をなくそうなんて、無理でしょう」。なぜ、実名を明かせないのか。「だって、いままでだって、ずっと、ひっそり生きてきたんだから」
障害者が支援を受けながら集団で暮らす大規模施設は、欧米をまねて「コロニー」と呼ばれ、「親亡き後」の生活を託せる終生の居場所として1960年代に登場した。70年代に入ると、国や自治体はこぞって建設に乗り出す。適地とされたのは、人里離れた片田舎だった。
81年の国際障害者年を契機に当事者の人権が省みられ、脱施設化と生活の「地域移行」が唱えられるまで、コロニーブームは続く。東京五輪に沸く64年、山あいの集落に建てられたやまゆり園も、そのひとつ。3万平方メートルの敷地に並ぶ二つの居住棟に、事件前は160人が身を寄せていた。
入所者は生前から「隠された存在」だった、と男性は明かした。
京都市内、ほぼ満員の劇場。エンドクレジットに、死傷者全員の実名も並んでいた。昨秋に封切られた京都アニメーションの新作映画だった。
共同通信によると、クレジットは「制作に参加した全員の生きた証し」(京都アニメーション)だった。場内にすすり泣く声が漏れ聞こえ、上映後に拍手も起こったという。第1スタジオの放火殺人事件から3カ月後の昨年10月、社長の八田英明は「やってきたことをフィルムに残すことはクリエーターとして大事なこと」と、会見で打ち明けた。翌11月の「お別れ会」に、2日間でファンら約1万人余りが参列したという。
京アニ事件の犠牲者35人(当時)が一様に実名で追悼される転機は、事件40日後、京都府警が先行して公表した10人に加え、25人の実名を明らかにした昨年8月27日だった。25人は当初、やまゆり園事件の19人と同様、「遺族の意向」を根拠に警察に身元を明かされていなかった。
実名公表を待たず、国内外から弔意が寄せられた。「我が国のアニメ界にとって、計り知れない悲しみであり、損失であります」(日本動画協会)、「京アニのアーティストは、その傑作で、世界中に世代を超えて喜びを広めている」(米AppleCEOティム・クック)といったように。
共同通信は「あこがれの先輩」「抜群のセンスと作画技術」「クラスで3本の指に入るほど作画がうまかった」「才能がある上に勉強熱心ですごく努力をしていた」といった元同僚らの証言を配信し、神奈川新聞も社会面で「日本一のアニメーター」「絵の質支えた功労者」と見出しを打って生前の功績をたたえた。
被害者支援も「異例」だった。共同通信によると、義援金を寄せた個人や法人の税負担を軽減し、集まった33億円余りの全額が遺族や負傷者にそのまま配分されるよう、政府が制度設計した。特定の刑事事件被害者に対する寄付として、税金を優遇するのは初めての試みで、税制の公平性をめぐって国税庁内で賛否が割れたが、「被害の甚大さを踏まえ、自治体が主体となって義援金を集めることは問題ないとの結論に至った」(2019年9月18日配信)という。
「追悼って、何を悼むんだろう」。やまゆり園家族会の前会長、尾野剛志(76)は問い掛ける。一方はひとくくりに「あなた」と呼ばれて毎夏に同じエピソードが読み上げられ、他方はそれぞれの生前の功績がたたえられる。どちらの犠牲者も、当初は実名が匿われていたが、最終的に警察の対応は分かれた。支援の格差も歴然になった。
長男の一矢(46)は、事件で瀕死の重傷を負っていた。尾野はさらに自問する。「生きた証し」ってなんだろう――。「ただ生きているだけじゃ、だめなのかな」。そして、同じ事件に遭遇した遺族の、あの告発が去来する。この国では「全ての命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではない」という。堂々巡りだ。
姉(当時65)を殺害された男性は、姉の知的障害を理由に、妻との結婚を相手方の親族に反対された。だから、「家族に障害者がいることで差別を受ける現実があることは知っています」。
尾野は釈然としない。やまゆり園の19人は「人に有益かどうか」(被告の植松聖)で生殺を選別され、死後も「あるがままの生」が受け入れられないでいる。「それじゃ、二重に殺されたも同然じゃないか」
事件の公判が今月8日、横浜地裁で始まった。一矢を除く被害者47人が「甲」「乙」「丙」にアルファベットを割り当てられ、匿名で審理されている。初公判の前夜、3年半の沈黙を破り、「甲A」とされた末娘(当時19)の名前と顔写真を手記とともに公表した母親がいた。「甲でも乙でもなく」「ちゃんと美帆という名前がある」から、と。
美帆の呼称は16年7月の事件後、「A子さん」、「V1」、「甲A」と移り変わった。代理人の弁護士によると、これまで実名を明かせなかったのは、障害を隠そうとしたわけでない。メディアスクラム(集団的過熱取材)や、二次被害を恐れていたからだった。姓の公表は「恐い人が他にもいるといけないので」と控えた。公判で「美帆」のみの呼称を地裁に希望したが、「フルネームか匿名」しか認められず、「甲A」として審理が始まった。代理人はあらためて上申書を提出し、地裁は3回目の公判から「美帆」に変更すると決めた。遺族の願いがかなった。
母親によると、美帆は自閉症で言葉こそ話せなかったが、物事が示されたカードや身ぶりで意思を伝えていた。児童寮に入りたてのころ、一時帰宅後に寮に戻ろうとしても「帰らない」といったそぶりで車から降りようとしなかった。2年ほどすると、リュックを背負って泣かずに帰寮できるようになっていた。面会後に「バイバイ」と手を振って見送ってくれた。「甘ったれの末娘」が、「ずいぶん大人になったな」。「親としては淋しい気持ち」もあったが、うれしかったという。16年4月にやまゆり園に入所すると、「かわいらしい笑顔で一躍人気者になった」と園職員は思い起こす。成人を控え、髪を伸ばして晴れ着姿で写真に納まるのを楽しみにしていた。
一生懸命生きていた美帆――。「その証しを残したいと思います」。だからこそ、明らかにしたのが、実名だった。あるがままの生にほかならない。
手記は伝える。「障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしい」「障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います」。母親は願う。「美帆の名を覚えていてほしい」。命の優劣を克服するために。
(敬称略)
文=川島秀宜
取材=竹内瑠梨 川島秀宜
企画統括=田中大樹
連載:#実名報道
この記事は神奈川新聞と京都新聞、Yahoo!ニュースによる連携企画記事です。大きく報道される事件が発生するたび、氏名や顔写真の報道を巡って議論が過熱しています。なぜ、実名報道でメディアとユーザーは対立してしまうのか。考えるヒントとなる記事を不定期で連載します。
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