特集記事 共産党に「アレルギー」? その正体とは

2020年01月28日 23時11分33秒 | 社会・文化・政治・経済

 2019年12月18日 NHK

「共産党」に、あなたは、どんなイメージを持つだろうか。
「桜を見る会」をめぐって、理詰めの追及を続ける姿勢?
それとも、崩壊したソ連や、中国の一党独裁?
永田町では、野党の合流話が一気に盛り上がりを見せているが、そこに共産党の姿はない。
他の野党からは、選挙では「共産党アレルギー」があるという声も出ている。でも、「共産党アレルギー」って本当にあるの?その実態を追った。
(奥住憲史、花岡伸行)

党首会談から委員長が消えた!?

臨時国会最終盤の12月6日、午後3時。

共産党からは、志位委員長が出席。立憲民主、国民民主、共産、社民の野党4党の党首らが会談し、内閣不信任決議案の提出を含む終盤国会の対応を協議していた。

席を立つ志位委員長たち。これで終了か、と思いきや…

共産党からの出席者は退出し、ほかのメンバーはおもむろに座り直した。

そして、志位委員長抜きで、再び「党首会談」が始まったのだ。

要するに、共産党は含まれていない。このあと、立憲民主党の枝野代表は記者会見で、国民民主党などに、合流を呼びかけたことを明らかにした。
枝野代表が合流を呼びかけたのは、国民民主党と社民党、そして野田・前総理大臣と岡田・元外務大臣がそれぞれ率いる議員グループだ。

「安倍1強」とも呼ばれる与党に対抗するためには、すべての野党が一緒になった方がよいのではないか。

だが、立憲民主党や国民民主党などの幹部たちは、共産党と選挙協力はしても、政党を共にすることは全く考えていない。

「共産党とは目指す国家像が違う」ある幹部は、突き放すように言った。

敗因は「共産党アレルギー」!?

党首会談から遡ることおよそ2週間。
与野党が固唾をのんで、その行方を見守っていた選挙があった。高知県知事選挙だ。自民党、公明党が支援する候補に対し、野党側は、共産党県委員を統一候補として支援。折しも、「桜を見る会」をめぐる問題が、国会の内外で大きく取り上げられていたこともあり、追い風が吹いていると見た野党各党は、幹部や大物議員を連日投入した。

しかし、結果は、自民・公明支援の候補が大勝。

ある野党幹部は「勝てないまでも、もっと競れる選挙だった。有権者の共産党アレルギーのせいだ」と分析した。

私たちは、NHKが実施した出口調査をもとに、探ってみた。その結果見えてきたのは「共産党アレルギー」の意外な実像だった。政治取材の現場で度々耳にする「共産党アレルギー」という言葉。
本当に、そんなアレルギーが存在するのだろうか。

これが「アレルギー」か、浮かび上がったのは…

分析した選挙は、高知県知事選挙に加え、ことしの参議院選挙で、野党統一候補として、共産党系の候補者が擁立された福井選挙区、鳥取・島根選挙区、徳島・高知選挙区の4選挙。これらの選挙区では、いずれも3年前の参議院選挙で、非共産系の野党統一候補が立候補しているため、有権者の投票傾向の違いを比較した(2回連続で無投票だった高知県知事選も、3年前の参議院選挙を比較対象とした)。

年代別で、支持の割合を比べてみたのが以下の表だ。

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右端の数字は、共産系候補と非共産系候補の支持割合の差だ。数字がプラスであれば、共産系候補の方が強く、マイナスならば弱かったということになる。

その結果、ほとんどの選挙区、年代でマイナスとなった。

選挙時の政治情勢などの違いもあり、一概には言えないが、この結果を見ると、やはり有権者には、一定程度の「共産党アレルギー」が存在しているように見える。

世代“ハンバーガー現象”

さらに、私たちが、注目したのが、年代ごとの差が非常に大きいことだ。

10代、20代、そして70代以上では、共産系候補と非共産系候補の差は、比較的小さく健闘が目立つ。反対に、30代から60代、特に40代、50代では「共産党アレルギー」が強い傾向が読み取れる。

アレルギーが薄い若い世代と高齢世代が、アレルギーが強い真ん中の世代を上下から挟んだ、“ハンバーガー現象”となっている。

別調査でも同じ傾向が…

なぜ、これほど世代間で投票傾向に差が出たのか。その答えを求めて有権者の投票行動に詳しい慶應義塾大学の小林良彰教授を訪ねた。


政党への感情を、好きを100、嫌いを0として、数値化したものだ。
私たちの疑問に、小林教授は最初にある調査結果を示した。小林教授が代表を務める研究会が、この夏の参議院選挙で、全国1800人の有権者から回答を得た意識調査だ。

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「我々の調査でも、そうした傾向がはっきり出ています。40代、50代の中年層が、他の年代に比べて、明らかに低いことが分かるでしょう。つまり、40代、50代は共産党に良い感情を持っていない人が多いということです」

「青年時代」に原因が!

小林教授は、その要因をこう解説してくれた。


アレルギー強めた「壁」
「青年期に、どういう経験をするかが、その人の政治態度、意識の幅を作るんです。もちろん、進学や就職、いろいろな経験をして将来変わることはあるけれども、青年期である程度完成します。これを『政治的社会化』と言って、日本では、大体15歳から18歳位だと言われています。ですから、それぞれの年代で、その時期にどんな出来事があったかをたどれば、理由が見えてくるんです」

そして、アレルギー傾向の強い中年層には、「壁」が大きく影響していると指摘した。

「55歳以上では、1979年の東京都知事選で革新統一の候補が敗北し、このあたりから社会党が共産党との『社共路線』から、公明党、民社党との『社公民路線』に移り、共産党が切り捨てられていきます。だから、自民党にとって代わるのは、『社公民』の方はありえるけども、ちょっと『社共』はないんじゃないか、そういう意識が強くなっていきます。
さらに、45歳以上では、非常に重要なことが起きます。1989年のベルリンの壁崩壊です」


若年層は「眼中になし」
「このベルリンの壁崩壊は、壁が壊れる前段階があって、共産主義圏から逃げてきた人たちから、『実態はこんなにひどかった』、『社会主義、共産主義は、決して楽園じゃないぞ』という話がメディアに相当に出てきたのです」

一方で、比較的、アレルギーが薄い若い世代にも、深刻な事情があると小林教授は話す。

「30代以下に影響しているのは、1996年の衆議院選挙から小選挙区制となったことです。これ以降は、共産党はごく一部の地域を除いて、選挙区で独自候補が当選する可能性はかなり低くなってしまった。支持の感情もなければ、拒否の感情もない、要するに共産党に関心がない人が多くなっています」

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「共産党の支持率は、10代、20代は1%以下、30代でもわずか2.3%で、共産党に良い感情を持っていない層が多い40代、50代よりもはるかに支持率が低いんです。他の年代に比べて、共産党への印象は大分変わり、拒否は少なくなってるけども、積極的に支持したいというプラスポイントが若年層にとっては、ないんだと思います」

「共産党」という名前のせい?

小林教授は、共産党アレルギーの処方箋として、思い切った提案を披露してくれた。

「ある意味、戦後の日本共産党は、ソ連と中国に振り回されてきた部分もあるんです。ベルリンの壁、ソビエト共産党、それから最近では香港のデモ隊を取り締まる中国の姿をみんな見てるじゃないですか」


志位委員長に直撃!
「『ああやっぱり共産主義はこうなんだ』と思っちゃいますよね。だから、ソ連も中国も関係ない、今後は独自路線で行くと日本共産党は決めたわけで、それはそれで正しかったんです。でも、『共産』の2文字がついてる限り、有権者には一緒に見られるんですよ。なので一度、共産党の人に『党名変えたらどうですか』って言ったことがあるんです」

当事者はどう考えているのか。

党本部で、単独取材に応じてくれた志位委員長に、出口調査の分析と小林教授の考察をぶつけてみた。


「確かにソ連の崩壊、天安門というところを若い時代に体験されたということで、日本共産党というと、つぶれちゃったソ連と同じ、あるいは中国のような専制的な支配を目指してるのかというような誤解があるかもしれない。僕らも40代、50代についてのデータはよく分析してみたい。それから、やはりソ連と中国の覇権主義を真っ向から批判してきた、戦ってきた政党が日本共産党なんだということも言いたい。国民の中に誤解が残っていることもあるだろうから、努力していきたいと思う」
テーマがテーマだけに、どういう反応が返ってくるか、覚悟の上だったが、調査結果の資料を手渡すと、志位委員長は興味深げに眺めたあと、口を開いた。

「若者には響く」

そう話したあと、志位委員長は、若年層のデータに関心を示した。

「これらの調査結果は、10代、20代は、誤解や偏見ということから、かなりフリーになってきてるということも示している。若い方の中では、今、新しい動きが起こっている。たとえば、ジェンダーフリーな社会を作りたいという切実な運動が広がり、気候変動をおさえたいという運動も始まっている。若い世代だから、何十年先の日本と世界がどうなるんだろうかと不安に感じているし、願いも持っている」


共産党は、来月の党大会で、16年ぶりに党の綱領を改定する。これをきっかけに、若年層の取り込みに期待をかける。
「今度の党大会で、綱領を改定するが、そこではジェンダー、核、気候変動、これらをぐっと前に出した。若い皆さんは、共産党に対する偏見や誤解もあまりないから、素直に受け取ってもらえるんじゃないかなと思う」

共産党抜きありえない

次に、立憲民主党が呼びかけた党の合流に共産党が含まれていないことを聞くと、笑ってこう答えた。


そして、こう断言した。
「それはお互い分かりきったことで、合流できるとこっちも考えていないし、向こうも考えていないのは当然。私たちが目指す究極の目標は、資本主義という体制を乗り越えて、未来社会に進んでいくこと。そこは立場が異なる」

「共産党アレルギーなるものは、政党関係ではもうないと思う」と。

「1980年に、当時の日本社会党と公明党が『社公合意』という政権合意を結び、共産党の排除を決めた」


政権合意なければ限定的
「我が党にとっては厳しい時代で、野党の幹部が集まる会にも共産党だけ呼ばれない、共産党の存在そのものを政界のなかで認めない、そんな時代がずっと続いた。

次に、『自民か民主か』という二大政党の政権選択と言われた時代も強烈な共産党外し、蚊帳の外の状態が続いた。
それが今は、幹事長・書記局長会談でも、国会対策委員長会談でも、共産党抜きはありえない。野党の共闘の中に共産党があるのは当たり前の姿になった」

与野党では、次の衆議院選挙で、どの程度、野党の候補者一本化に応じるのかが、大きな影響を及ぼすと関心の的になっている。どう臨むのか。

「政権交代したときに、共産党も含めて一緒に政権を作るんだという合意が出来た場合には、最大限の共闘が可能になる。政権合意が仮にできない場合でも、共闘はするつもりだが、かなり限定的なものにならざるを得ない」


「枝野さんとは、与野党が競り合ってるところを中心に、(候補者を)一本化しましょうというところまでは合意しているので、そこまではやろうと思う。今は競り合っていなくて、差が開けられているところでも、政権合意が出来ればひっくり返せる可能性が出てくる。政権合意ができた、自民党に代わる政権はこう、実行する政策はこれ、不一致点にはこういう対策をとるから安心してください、というパッケージで受け皿がしっかりできた場合は、野党に対する見方が変わってくると思う。政権合意もしっかり作り、最大の協力をしたいというのが私たちの考えだ」
そして、あくまでも政権合意を結んだ形での選挙協力を目指す考えを強調する。

党名は変えない!

最後に、小林教授のあの提案もぶつけてみた。

共産党という党名を変える考えは、ありませんか。
「たとえば、いろいろと罪を犯して捕まった同じ名字の人がいたとする、だからと言って、自分の名字を変えないでしょう?それと同じです。同じ共産党を名乗って、共産党の名に値しないような間違いを犯した党が外国にあるからといって、我が党の名前を変える必要はないと思う」


100年の節目に向けて
やはり、答えはぶれなかった。

日本共産党は、創立100周年を迎える3年後までに、野党による連合政権の実現を目指している。

共産党は、その道のりに立ちはだかるアレルギーという「壁」をどうやって乗り越えていくのだろうか。そして、次の衆議院選挙で、野党共闘を主導していけるのか。

その動きを、引き続き、追いかけたい。

政治部記者

 


大学はもう死んでいる?

2020年01月28日 23時03分22秒 | 社会・文化・政治・経済

内容紹介

なぜ大学改革は失敗し続けるのか――?
オックスフォード大学の苅谷剛彦と東大の吉見俊哉が徹底討論!

大学入試改革が混乱を極めているが、大学の真の問題はそこにあるのではない。
日本の大学が抜け出せずにいる問題の本質に迫る刺激的な対論!

【目次】(見出しは抜粋)
第一章 問題としての大学
東大が「蹴られる」時代/キャッチアップ型人材育成の限界/新自由主義と自己責任/問題発見型の学生はどうすれば育つか/世界の大学人が最重要視していること

第二章 集まりの場としての教室
学部生のレベルはハーバードも東大も同じ/日本の学生が「世界一勉強しない」理由/オックスフォードの贅沢な仕組み/チームティーチングへの移行が鍵/教室の外にあった学びの場/世界中の大学で同時発生している問題

第三章 社会組織としての大学
疲弊する若手教員たち/大学が生き残る二つの道/大学の中にある「村の寄り合い」/前例主義は覆せるのか

第四章 文理融合から文理複眼へ
文系学部廃止論とはなんだったのか/文系こそが「役に立つ」/文系を軽視する日本社会の陥穽/微分的思考の理系と積分的思考の文系/AIは人間にとって代われない

第五章 グローバル人材―グローバリゼーションと知識労働
本気が感じられない「スーパーグローバル大学」/グローバル人材で必要とされる本当の能力/東大独自のグローバルリーダー育成プログラム/補助金の計画主義から実績主義への転換

第六章 都市空間としての大学―キャンパスとネット
学生生活の始まりと終わりを儀式化する/大学とメディアのねじれた関係/日本の知が世界レベルだった半世紀/日本の知を誰が背負うのか

【著者プロフィール】
苅谷剛彦(かりやたけひこ)
●1955年東京都生まれ。オックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論。著書に、『追いついた近代 消えた近代―戦後日本の自己像と教育』ほか多数。

吉見俊哉(よしみしゅんや)
●1957年東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門は、社会学、都市論、メディア論など。著書に、『大学とは何か』『「文系学部廃止」の衝撃』ほか多数。

内容(「BOOK」データベースより)

今、大学は歴史的に見ても大きな変革期にある。世界の多くの大学が、いわば瀕死の状態に陥っており、とりわけ日本の大学が抱える問題は根が深い。幾度となく改革が試みられるものの、ほとんど成果が上がらないのはなぜなのか。本書では、オックスフォード大学教授の苅谷剛彦と、ハーバード大学でも教えた経験のある東京大学大学院教授の吉見俊哉が、それぞれの大学を比較し、日本のトップレベルの大学が抜け出せずにいる問題の根幹を、対論を通じて浮かび上がらせる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

苅谷/剛彦
1955年、東京都生まれ。オックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論

吉見/俊哉
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門は、社会学、都市論、メディア論など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

この本は東大とオックスフォ-ド大学という最高峰の大学の学生を対象として議論しているので、いわゆる偏差値中堅以下の大学の学生を対象とした大学論にはぞくわないように思います。一人握りのエリ-ト学生をもって、日本の大学について論じるのはきわめて早計と思います。著者のお二人も偏差値50以下の大学で実際に教えてみてはどうでしょうか。研究大学レベルと教育大学レベルの学生の「格差」を認識されると思います。大学論を論じる場合には、中堅以下の大学の数が多数派ですので、そうした大学の教員・学生、さらに、大学経営者を対象とした大学論を論じる方が現実的かと思います。(大学アナリスト・斉藤健一郎)

 

オックスフォードと東大で教える大学教員の対話型の問題提起である。日本では現在、最優秀の学生が東大を滑り止めで受験し、第一志望を欧米の大学にしていると言う。憂うべき事態の到来に何を考えねばならないか?二人の議論を読むと、社会のニーズに応える大学像が見えてくる。それはいつでもそうであろう。しかし、日本における大学のあり方の中で改革を見据えていかなければならない。
①実用性のみを尺度に人文・社会科学系学部の統廃合や縮小を求める政府の対応にしっかりノーと言える改革が必要なのだ。
②欧米の大学と日本の大学はコンセプトが異なる。欧米のマネをしているだけでは改革は実現しない。
③例えば、日本の大学は現在、学問の府としての機能を果たしているのだろうか?本を一冊も読まないで卒業していく学生も多い。論文もほとんど読まないし、卒業論文もろくな内容のものを書いていない。これでは単なる大卒という肩書きしかない。
④何を学び、いかなる能力を身につけたのかが問われるべきである。西洋の歴史や哲学を専門に学んだ学生が、一冊の歴史書も哲学書も読まないで卒業していくのであれば、入学する意味はない。英語やドイツ語を学び、カントをドイツ語で読めるくらいの技能を大学教員は学生に伝授すべきである。哲学科の哲学演習と言えば、ドイツ語や英語でカントやヒュームを読むのである。本や論文の読み方を教えるのが教員の仕事である。論文の書き方を指導するのもそうだ。つまり、教員が学生に指導するのは学問・研究の仕方なのである。これを技能と考えても良い。
⑤リベラル・アーツこそ大学の役割である。人文・社会・自然三分野に関するバランスのとれた知識・理解・教養を重視し、本書が指摘しているような、文系・理系にまたがる複眼的思考の育成する。大学は企業や社会におもねる必要はない。本物の大学教育を取り戻して欲しい。
今後の大学教育のあり方を考えるために、
参考になる本だ。

 

 


追いついた近代 消えた近代

2020年01月28日 22時50分57秒 | 社会・文化・政治・経済

 

追いついた近代 消えた近代: 戦後日本の自己像と教育

 

 戦後日本の自己像と教育

苅谷 剛彦
 

内容紹介

西欧に追いつき,追い越す――.明治以降の近代化と敗戦を経て,1980年代に「追いつき型近代」を達成した日本は,どのような自己像をもち,社会の変化に対応しようとしてきたのか.本書では教育政策を過去と未来をつなぐ結節点ととらえ,政策文書や知識人・研究者の言説を繙き,現在につづく問題群の原点を抉り出す.著者渡欧以降10年来の力を注いだ意欲作.

【著者プロフィール】
苅谷剛彦(かりやたけひこ)
●1955年東京都生まれ。オックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論。著書に、『追いついた近代 消えた近代―戦後日本の自己像と教育』ほか多数。

 

日本は後発型近代化をどのようにして進めたのか。キャッチアップ型近代化である。経済を前景にし、外部の参照点に照らして、欧米に追いつこうと目標を立て、その実現に努めてきた。しかし、1980年代に経済的に欧米に追いつくと、キャッチアップ型近代化の終焉が意識された。これまで、外在する近代を措定することで、それに照らして日本という近代社会を捉えようとしてきたからである。日本に目を向ける場合でも、先進-後進、普遍ー特殊といった外部の基準との比較・距離の測定によって、自らを理解しようとしてきたからである。「徹底的に近代内部の視線」で自らの近代を捉えようとしたのではなかった。そのような近代理解の経験を持たないまま、キャッチアップ型近代の終焉が意識されたため、近代は消され、それと同時に外来の視点も取り除かれてしまった。
 高度に抽象化された見解が展開されているため、内容の理解に時間はかかるが、とても参考になった。

 

圧巻。 
「変化の激しい先行きの見えない時代だからこそ、武器が必要だ」といった煽り文句に踊らされがちな昨今だが、そういう人たちにこそ本書を手に取って、冷静になってほしい。
 現実を無視した「エセ演繹思考法」や、外来の流行思潮をご都合主義で取り入れ続ける日本の課題を浮き彫りにしている。著者に対して、教育の論客というイメージを抱いている読者からすると意外かも知れないが、本書にとって教育はあくまで格好の素材であり、近代日本そのものを問うた知識社会学の労作である。ただ、もちろん著者の振るった刀は、臨教審等の政策側に対しても、アンチの主流派教育学に対しても「同じ穴の狢」だと鋭く斬り込んでおり、教育関係者も必読だ。
 左右の立場を超えて、全体を俯瞰する。著者が学力低下論争において「ゆとり教育」を批判した際にもそういう冷静な姿勢であったが、一段とスケールアップしたようだ。イギリスの地で、日本を徹底的に相対化して、新たな視座を持ったがゆえではないだろうか。
 まるで著者というお釈迦様の手のひらの上にいるような感覚を、読者は覚えることだろう。

 

近代と現代の社会の定義を教育を見ることによって明らかにしながら、その現代社会において何を論点とするべきなのか、その論点の解の方向性は何かを気づかせてくれる本

キャッチアップ型の社会から、日本が独自の世界観を作り出していかなければならないとなったときの葛藤が見えてくる。課題の整理の仕方として面白いようには感じたが、解自体については最後に少し示された程度であった。

今後、その解に関しての考察が深まったものを出版していただくことを期待して4つ星とします。

 

 


世界の名画との語たらい

2020年01月28日 21時31分59秒 | 社会・文化・政治・経済

美意識を磨くことで

 
本書の最大の魅力は、記者たちが、現地に足を運び、観賞した絵画を自分のこととして捉え、自分の言葉として表現しているところだ。

作品の背後にある作者の生活、そして人間らしい部分に迫っている。
人の心に訴える力がある。
実はこの<自分のこととして捉える>というのは、なかなか難しい。
作品を見ても、どこか人ごとに論じでしまいがちだ。
美術を語る上で、とても大切な視点。
あらゆる職業、あらゆる分野に、美意識は深く結び付いている。
美意識を磨くことは、人生を豊かにする。
いかに美意識というものが人間にとって大切のか。
美術の楽しみを体験してほしい。
自分で感じてみないと、楽しさというのは、分からないものだ。
日本の絵画は意外と知られていない。
外国の人々から見て<よく分からない>というのが率直な感想のようだ。
残念ながら、日本の発信力の弱さを感じる。

内容紹介

収録の絵画および所蔵美術館
マネ〈散歩〉東京富士美術館/ ミレー〈種をまく人〉山梨県立美術館/ ゴッホ〈ひまわり〉損保ジャパン日本興亜美術館/ レンブラント〈夜警〉アムステルダム国立美術館/ マティス〈ダンス〉ニューヨーク近代美術館/ ダ・ヴィンチ〈モナ・リザ〉ルーブル美術館/ ルノワール〈ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会〉オルセー美術館 など

内容(「BOOK」データベースより)
日本各地、世界各国の一流美術館が誇る名画の数々をオールカラーで一挙に紹介!


見慣れた有名な絵画も結構ある掲載されているのに、新たな発見や、改めて刺激を受けることができた1冊でした。手軽に読めて、とても勉強になったある意味お得な本でした。

本書の最大の価値というか魅力と思われるのは、これが学芸部でも文化部でもなく外信部の手になっている点だ。
かつて朝日新聞社会部の記者たちによって1984年から日曜版で連載され、全7冊の文庫となった『世界名画の旅』という好企画があった。
本書『世界の名画との語らい』のもととなる新聞連載を立案し編集デスクを務めた聖教新聞外信部長の野山智章氏は「あとがきにかえて」の中で、この企画が『世界名画の旅』へのオマージュでもあることを明かしている。
本書もまた、日頃は国際政治や安全保障などをテーマに国内外の第一級の識者らの取材に明け暮れている外信部記者たちが、その取材旅の合間を縫って美術館を訪ね、自分で巨匠の作品を鑑賞し、館長らにインタビューを重ねていく。
メインの書き手を担ったサダブラティまや記者は、インドと日本の両親の元にロサンゼルスで生まれ、米国と日本で育ってきた。父方の祖父はガンジーとともに戦ったインド独立の闘士であり、独立後は新聞の編集主幹を務めていたという。
こうした幾重にも多様な文化背景をもった記者のまなざしを通して見る、巨匠たちの生き様や名画に込められた意味は、読んでいて常にある種の新鮮な風と光に触れさせてくれたように思う。
一方で第4部のオピニオン編には、森佳子(森美術館理事長)、原田マハ(小説家)、蓑豊(兵庫県立美術館館長)、河野元昭(静嘉堂文庫美術館館長)、ピエール・ローザンベール(ルーブル美術館名誉総裁・館長)といった錚々たる顔ぶれが並ぶ。
ぜひ、巻が続くことを願う。

著者が玄人ではなく一読者目線で世界各国の著名な絵画を紹介しており、美術に造詣が深くない人にも大変オススメできる本です。また、各芸術家の生き様も併せて紹介しており、人間としてどのように生きていくべきかを考えさせられました。社会が混沌としていて、悩み深き現代人が読むべき本といえます。

大好きなモネとルノアールのカラー画が欲しくて購入しました。読んでみると、ピカソ、ルソー、ゴッホ、シャガール等々、本当にオールカラーで大満足でした。小さいのに17枚の絵画とその画家をカバーしていて、文章も読みやすく、本当に良い本を買ったなと思っています。

内容は4部構成で、国内美術館編 → 海外美術館編 → 芸術紀行編(海外取材の写真が綺麗。フランスに行った気分になりました。)→ オピニオン編となっています。オピニオン編では、人気アート小説家・原田マハさんのインタビューも載っています。

ちょっと本を開くだけで小さな美術館に行ったような気分になれる、素敵な本です!


『世界の名画との語らい』との本のタイトルが示すように、本書は聖教新聞外信部の記者たちが国内外の美術館を訪ね歩き、ゴッホの「ひまわり」やピカソの「ゲルニカ」、レオナルドの「モナ・リザ」など珠玉の名画たちに向き合って得た感動をそのまま言葉にした、いわば「美への案内書」ともいうべき逸品である。おそらくは意図したことではないだろうが、最初に取り上げられている作品がマネの「散歩」であることも象徴的で、私自身、ページをめくるごとに世界中の美術館を記者たちと共に訪ね歩き、名画散策・美学散歩を楽しんでいるような錯覚に陥ってしまった次第である。
 それほどに本書は、親しみやすく、分かりやすく構成されているのだが、絵に関してはズブの素人たる私をここまで惹きつけた要因はおそらくもう一つ、その装丁にもあると思っている。名画の数々がオールカラーで紹介されていて、無条件で「色彩の美」の世界へ誘ってくれるのである。
 さらにもう一つ、ズブの素人にとってこの上なく有難いのは、〝散策〟〝語らい〟とは言いながらも、画家たちが生きた時代や個々の生活環境、人間関係なども詳細に解説されている点である。巻末に「解説」を寄せている東京富士美術館の五木田聡館長が「(本書は)記者が画家と一対一で、心で語り合う芸術対話なのだが、それはまた美術紀行でもあり、画家探訪でもあり、作品鑑賞の手引きでもある」と記すゆえんであろう。
 とまれ、この好著を片手にいざルーブルへ、といきたいところだが、何ぶん財布は軽し。まずはマネの「散歩」に会いに東京富士美術館へ、あるいはミレーの「種をまく人」と対話すべく山梨県立美術館へと行きますか⁉

国内外の絵を見るうえで最適の入門書。本書の中の原田マハさんの言葉を借りるならば、この“入り口”はそのまま“出口”へとつながっていることだろう。美しいものを前にしたときのしばらくの絶句のあとに漏れてきた言葉に導かれ、読者自身の「語らい」が始まる。椹木野衣著『感性は感動しない』(世界思想社)と合わせて、おすすめしたい。

誰もが確実に知っていて、幸運ならば実物を美術館で見たことがある絵画が扱われていますが、そこに紹介されている画家の生涯やその作品の制作にまつわるエピソードの中に、画家のよく知られた激しく辛い人生を超越した、作品を生み出した生命の輝きや貫き通した信念、情熱に思いを馳せているところに救われる思いがしました。
「感じる心一つあれば、この世は輝きに満ちている」という記者の感性と希望によって、アートの持つ力が伝わりました。

 


生きることと考えること

2020年01月28日 18時56分00秒 | 社会・文化・政治・経済

 

生きることと考えること (講談社現代新書)

 

森 有正著
 

内容紹介

人間は経験をはなれては存在しえない。そして、ほんとうによく生きるには経験を未来に向かって開かねばならぬ。本書は、自己の生い立ちから青春時代、パリでの感覚の目ざめと思想の深まり、さらには独自の「経験」の思想を、質問に答えて真摯に語ったユニークな精神史である。

読者の皆さんへ――ここには、1つの精神の歴史が物語られています。森有正という、日本の思想界でもきわめてユニークな地位を占める1人の哲学者が自己を形成するにいたるまでのプロセスが、つつみかくさず物語られているのです。森氏は長い間、異国でのひとりぼっちの生活の中にあって、いやおうなしにすべてのできあいの観念を払いすて、自分自身の経験の上に思想を築き上げる道をえらばねばなりませんでした。観念をとおすことなく、自分の感覚に直接はいってくる事象をそのままうけとめ、そこから出発しておのずから1つの言葉に達する道を探索しなければなりませんでした。そうして獲得した独自の思想世界を、ここでは直截に、つまり経験をとおして思想を、「生きること」をとおして「考えること」を語っていただきました。――本書より

著者について

1911年東京に生まれた。東京大学文学部仏文科を卒業。東京大学助教授を経て、パリ大学、国際基督教大学教授を歴任。1976年死去。〈経験〉を土台にすえた独自の思想世界を形成し、多くの共感・感動を与えた。『デカルトとパスカル』『ドーストエフスキー覚書』『遙かなノートル・ダム』『バビロンの流れのほとりにて』『旅の空の下で』――以上、筑摩書房『いかに生きるか』――講談社現代新書などの著書がある。

 

40年以上昔の学生時代にアンダーラインだらけにして読んでから20年以上経って読んだ時も、さらに新しい表紙に変わった現在も、作品の中には普遍の時が流れ、森有正が静かに教え語りかけてくることが分かる。
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知らなかった。全集にも採録されていないのでは?若者向けの好著だと思う。
 
 
この本を手に取ったのは、誰かから勧められたとか、生きる意味を見失ったとか、そんなきっかけではなくて、たまたま家にあったからです。高校時代の課題図書だった気がします。高校生が学校以外で、評論なんてなかなか読まないですよね笑。全てを理解したわけではないし(保険です)、全てに賛同してるわけでもないので、氏のことばを引用して好き勝手に書かせてもらいます笑。評論なので、いわゆるネタバレということはないでしょうが、読みたくない人は読まないでください。

本書は九つの章に分かれていて、対談という形で森氏が自らの思想を語っておられます。だから、体験談を読むような感じで、難解な評論チックなものは少なめですし、高校生でも十分読めるものだと思います。ただ、ちょっとカタカナが多いですが、おそらく辞書的に訳すと意図するものとは異なってしまうからでしょう。それに加え、経験と体験、集団と個人、フランスと日本、というように分かりやすい対比を用いることで、氏の主張がくっきりと現れるようになっています。

いろいろなキーワードがありますが、やはり「経験」こそが氏の主張であり、思想であると思います。「経験」とは未来に開かれたもので、新しいものを受け入れる用意があり、ゆっくりと変貌していくもの。「体験」とは経験が過去で固まってしまって、新しいものを寄せ付けない。例えば、あるときにたまたま有効だったからといって、それをずっと守っていこうとする迷信や、ある人物や思想を熱狂的に支持したり否定したりすること。経験には知ることのできない不確定さ、自由さ、柔軟さがあり、これはすなわち批判的であること。やっぱり、私には上手く説明できないですね笑。

日本は昔から体験主義的で、集団主義的です。これが日本の良いところであり、悪いところでもあるということですが、私も賛同します。外国の文化や技術を積極的に受け入れ、有効だと信じ込んで励んだからこそ経済発展を遂げることができましたし、集団を重要視するからこそ、日本伝統の和が守られてきたのです。同時に、それが正しいものだと信じ込んだからこそ、先の大戦にも突入したわけです。

氏は、経験とことばを結びつけることが定義だいうようなことを言っておられます。そうでないと、ことばが自分から離れて宙に浮き理解できない、はじめにことばありきではダメなのだ、と。哲学用語なんか特にそうですよね。形而上とか全然意味分かんないです。私のことばに対する姿勢が変わったように思います。

政治的な話になりますが、今の安保反対デモは空回りしています。支離滅裂な主張と数の多さだけを宣伝するデモ、他の意見を断固として寄せ付けないことは、まさに体験主義そのものです。彼らは平和とは戦争をしないことぐらいにしか考えていないのではないのでしょうか。領土が奪われ、生命が侵され、主権が奪われても、戦争をしなければそれを平和と呼ぶことができるのでしょうか。こうならなければならない、こうありたいという同じ意思を持つ人々が集まって、ああこれこそが平和なのかとわかり、それに向かって働くものではないでしょうか。それがどこから出発してもいいけれど、平和から始まってはダメなのです。そこから始まると、他人に対するジェスチャーでしかなく、青春ごっこのように見えてしまいます。自分で考えなければならないのです。

レビューを読みましたが、字面をおいかけて、日本が批判されると、もうその意見に耳を傾けることなく、何もかも否定するのは、自ら考えていないことを吐露しているようなものです。まさに、それこそが氏の批判するものではないでしょうか。

スマホを見れば、いつでもどこでも、数多くの情報を手に入れることができるようになったいま、世界が自分から切り離されようとしている。自分で考えないからこそ、スマホを手放さず、安心するために新しい情報を求めて徘徊しているのではないか。私の意思決定はほんとうに私が行っているのか。体験主義であることに未来はあるのか。主体性のない生に、面白さや感動をみつける、「生」を感じることができるのか。「よく生きること」と「よく考えること」、「ほんとうに生きる」とは何だろうか。私はこれからもこのことを自ら考えていきたい。体験主義から脱却し、自らの世界を築こうともがいてみたい。ただの葦にはなりたくない。
 
 
偉大な足跡というにふさわしい知的巨人、森有正。その格好の入門書。
 
 
森有正は孤独な自己に帰ってくるために、「内面的促し」に導かれて遠くへ旅立つ。この「還帰の思想」はいまだに我々の感性を目覚めさせる魅力にあふれている。対象と、恋愛関係にも比される情意の陰を帯びた関係に入ることによって「経験」が形成される。それに値する「もの」と出会うための自己の精神史がこの本には述べられている。
 著者の感性をも含めた思想を味わうには『バビロンの流れのほとりにて』などを読まねばならないが、その全体像を概観するには、叙述が平易なこともあって、この本が最適である。真の感性の豊かさがいかに深い思索によって支えられるものであるのか。単に神経質であることは違うのだということを自覚するためにも、これからの若い人々にもぜひ読んでほしい一冊である。
 
 

右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。

2020年01月28日 18時16分01秒 | 事件・事故
 
 
 
 

右であれ左

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 


もはや奴隷労働「医師としての人権も尊厳もない」

2020年01月28日 18時05分12秒 | 医科・歯科・介護

 2千人超える「無給医」の実態〈AERA〉

1/27(月) AERA dot.

 診療業務をこなしながら、正当な報酬を得ていない医師・歯科医師が7千人以上いる可能性がある。もし正当な給与を支払えば、相当数の大学病院が赤字に転落するという。AERA 2020年1月27日号から。

【グラフで見る】大学病院の無給医数はこちら

*  *  *
 本来やりたい研究は二の次。どんなに働いても賃金は出ない。そんな奴隷労働ともいえる環境が、現代日本にある。

 都内の内科系医師の30代男性は、私立大学の院生でもある。男性の一日はたとえばこうだ。

 朝8時に大学病院に出勤、入院患者を回診。救急車が来たら、急患を診察。合間に研修医への指導を行う。昼からは別の病院にアルバイトに赴き、午後5時まで外来患者を診察する。その後、大学病院に戻って回診へ。入院患者の血液検査、研修医指導のレジュメ作成、患者の家族への説明も考える。患者の退院が近く時間に余裕があるとき、自分の研究ができる。帰宅は午後11時過ぎ。ベッドに入ってすぐ、入院患者の体調が急変。タクシーで病院に直行した。

 男性の診察は演習の名目で行われている。月に4度当直があり、勤務医と変わりない仕事ぶりだが、雇用契約は結んでいない。大学から月に2万円の手当と日当8千円の当直代をもらうほか、別の病院で行うアルバイトで生計を立てている。だが、男性が志しているのは臨床診療ではなく、研究の道だ。

「研究はゴールに向かって2%進んだくらい。診察は研究とは関係ないから、完全な奉公。研究できず、労働者とも認められない私には、医師としての人権も尊厳もありません」(男性)

無給医」が問題になっている。無給医とは、診療しているにもかかわらず、給与が支払われない、または極端に低額の給与しか得ていない医師を指す。

 医学部卒業後に医師免許を取得した医師の多くは、2年の初期研修を経て、専門医を目指す。その後、大学院に進むか、臨床医になるのが一般的だ。無給医状態に陥るのは、大学院生や、専門医を目指し大学病院で研修中の医師で、20代後半から30代が多い。

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大学院生は研究しながら、診察をする。学費に年間数十万円かかる。専門医とは、3~5年間程度、指定の病院で研修を受け、特定分野の知識やスキルを認められた医師のこと。

 文部科学省は2019年、全国99大学の108付属病院に給与を支払うべき「無給医」の実態調査を要請した。その結果、大学は「無給医」が少なくとも2千人以上存在することを認めた。だが、実際にはこのほかに、「合理的な理由があって支給しない」とされた「無給医」が3500人以上、「まだ調査中だが無給医の可能性がある」が1300人以上いる結果になった。無給医は、計7千人に上る可能性がある。

 無給医かどうかは、各大学の判断に委ねられている。「現在も調査中」とする日本大学は、AERA本誌の取材にこう答えた。「なぜ無給なのかについては、病院内で医師やスタッフといった立場によって意見が異なるため、統一的な回答はしかねます」

 文科省は大学に「無給医」への賃金の支払いと待遇改善を求めている。給与を支給していない医師に賃金を支払うことは、大学病院にとっては損益を意味する。国立大学病院長会議は昨年、無給医に賃金を払えば、「病院ごとに年間、数億円規模の影響が出る」との見解を示した。

 そこで、AERA本誌は病院経営に詳しい都内の税理士の協力のもと、文科省発表で無給医数が多い20大学について、「無給医」の実態を試算した。大学が認めた「無給医」に加え、「合理的な理由で給与を支払わない」とした医師も含めて、適正な給与を支払うと、多くの大学と大学病院が赤字に転落する可能性があることがわかった。各大学が支払うのは8億~45億円。給与を全額支給した場合、10大学・大学病院は黒字から赤字に転じる。(ライター・井上有紀子)

>>【週5労働なのに「3日と申告しろ」 「無給医」にかかる圧力と日本の医療危機とは】へ続く

※AERA 2020年1月27日号より抜粋

 



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「医師が一斉退職」一人残った34歳医師に職員たちが体を預けた理由

2020年01月28日 12時06分58秒 | 医科・歯科・介護

三重県志摩市の志摩市民病院は、志摩市南部の在宅医療で重要な役割を担う中核病院だ。しかし毎年7億円の赤字を垂れ流し、2015年12月、医師3人が一斉退職。唯一残った医師は大卒後7年目の若手医師・江角悠太さん(当時34歳)だけだった。江角さんは病院を建て直すため、「どんな患者も絶対に断らない」というムチャなアイデアを実行に移した――。(前編/全2回)

【画像】三重県志摩市の志摩市民病院のウェブページでも、「基本理念 絶対断らない。」と謳っている。

 ※本稿は、『プレジデントFamilyムック「医学部進学大百科 2020完全保存版」』の掲載記事を再編集したものです。

■毎年赤字7億円を垂れ流す市民病院が奇跡の復活できた理由

 2018年度の医療費は過去最高の42兆6000億円――。2019年9月26日、厚生労働省はこの数字を元に「再編統合について特に議論が必要だ」と主に地方にある全国424の公立病院の実名を挙げた。膨れ上がる医療費を前に経営効率化を促すものだが、名指しされた病院や地域住民には「病院がなくなってしまうのか」と動揺が広がった。

 しかし、このような時代にあって“奇跡の大復活”を遂げた市民病院がある。三重県志摩市の「国民健康保険志摩市民病院」だ。

■医師が一斉退職。市民病院に1人残った34歳の医師が院長に就任

 同病院は現在、志摩市南部の回復期や緩和医療、在宅医療において重要な役割を担う中核病院だ(一般病床17床、療養病床60床)。とはいえ、4年前まではいかんせん、毎年7億円の赤字を垂れ流す典型的な“お荷物病院”だった。

 しかし、2016年4月、34歳にして新院長に江角悠太さんが就任すると、診療所へ規模を縮小することさえ検討されていたダメ病院が奇跡の復活劇を遂げるのだ。

 それまで年間赤字7億円だったが、赤字額を毎年1億円ずつ減らし、今年2020年には、基準外繰り入れ額(※)の赤字額がほぼゼロになるところまで経営を立て直した。

 



 ※公立病院はへき地医療など、不採算医療を担うため、地方自治体の「一般会計繰り入れ金」と総務省が認める「基準内繰り入れ金」が経費として認められている。志摩市民病院で削減できたのは、これらを除く「基準外繰り入れ金」。

■たった4年で4億の赤字解消をした立役者とはどんな人物か

 約4億円分の赤字解消をした立役者、江角院長とはどんな人物か。

 三重大学医学部を卒業後、大学の医局で働いていた江角さんは2014年12月、志摩市民病院へ「医局派遣」でやってきた。これは医師が足りない地方の病院へ、医局が医師を派遣する仕組み。多くの医師が“ご奉公”として数年働くものの、その後は、医局に戻ったり、患者の多い都会の病院へ行ったりしてしまう。

 ところが、江角さんは東京出身ながら、大学で世話になった三重県への恩返しとして、医師不足のこの地に骨を埋める覚悟でやってきた。趣味はサーフィン。「病院から海が近い」という点も動機となった。

 そして、派遣からわずか2年後の2016年4月には院長に就任する。卒業してからの7年間でスピード出世して34歳という若さでの“トップ就任”には事情がある。

■ダメ病院に見切りをつけて他の医師が一斉退職してしまった

 実は2015年秋に、診療所への規模縮小が検討されていた志摩市民病院に見切りをつけて、江角さん以外の医師が一斉退職してしまった。

 一人残された江角さんは、考えた。

 このまま、本当に診療所へと規模縮小してしまっていいのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。志摩市民病院がある南部には、約2万人が住んでいる。この人たちが急病になったときに、北部にある県立志摩病院まで行くには時間がかかる。何より、これからニーズが増えていく緩和医療や在宅医療の拠点がないではないか。志摩市の高齢化率は37.4%(2015年時点 全国平均26.6%)。この人たちの終末期医療はどうなってしまうのか。

 タウンミーティングを行い、300人以上の市民の声を聞いた。「税金泥棒」「つぶしてしまえ」という厳しい声もあるなかで、「なくなると何かあった時に不安」「安心して暮らしたい」「見捨てないでくれ」という声もあった。

 「なくしてはいけない。志摩民病院がなくなると、志摩市の医療が崩壊する」

 そう結論づけた江角さんは、病院として成り立たせるために知り合いの医師を必死に口説き、常勤医師1人、非常勤医師3人(当時)をなんとか確保し、新院長としての仕事を開始した。

■「絶対に断らない」方針で、毎年1億円の赤字を削減

 そこから新院長は驚きの手腕を見せる。

 毎年1億円の赤字を削減し、4年で経営を立て直したのは先述した通りだが、一体どうやったのか?  よほど大胆なリストラやコストカットを断行したのかと思いきや、「外来や入院患者が増えたことによる純粋な収益増」だと言う。

 「医療ニーズは、やはり地元にあったんです。それまで志摩市民病院は、救急要請があっても専門外だと言って断ってばかりいました。そのために収入も少なく、地域住民からも信頼されていなかったんです。だから、私が院長になった時に『絶対に断らない』をモットーに掲げました。とにかく断らず、自分に回してくれと。これをやり続けたら、患者さんが来てくれるようになりました。そして、職員のモチベーションが上がった。これにはとても感動しました」(江角さん)

■地元に必要とされていると知り、職員ががらりと変わった

 医師が一斉退職してしまった2015年秋には、「この病院はもうつぶれる」とほかの仕事先が見つけられる有能な看護師や職員は早々に転職してしまった。残ったのは家庭の事情や本人の問題で、ほかの病院に転職できない人たちばかりだ。実際、江角さんと一緒に病院を立て直そうというモチベーションが高いスタッフは、ほんの数人しかいなかった。

 院長就任当初に「職員の皆さんのご意見を聞かせてほしい」と江角さん自らが面談を申し入れても、100人中50人しか受けてくれない。だが、来てくれた半数の職員から「風通しが悪い」と聞けば、朝礼や会議の回数を増やし、対話を重ねた。さらに、職員全員で協力しないと成り立たない「病院祭」を企画。来場者は「100人がやっとでは」と囁(ささや)かれる中、1500人が来る大成功を収めた。

 「これが本当に大きかったです。この病院が地元の人から必要とされていることを、職員が実感できた。人の意識は、人から頼られ、役割を与えられた時に変わります。信頼に応えたいと自ら動き出すんです」(江角さん)

 過疎地域医療の対策1「フレキシブルな勤務体系で医師を確保」

 患者が来るようになり、職員のモチベーションも上がった。

 だが、患者が来るようになれば、医師の負担は大きくなる。地方では、医師獲得が常に課題となっている。江角さんのように志の高い医師が、「絶対に断らない」という方針で患者を受け入れていっても、過重な負担がかかり、体を壊してしまっては元も子もない。

 江角さんはフレキシブルな勤務体系にすることで、現在自分を含めて常勤医師3名と非常勤医師1名という診療体制を築くことに成功している。さらに、4人の医師は全員、総合診療医であるため、皆がすべての患者を診ることができる。そのために、一人の医師に過重な負担がかかることを防ぐことができているという。

 「最近では医師でも起業したい人や、NPOやNGOを作りたいという人が増えています。しかし、医師との二足の草鞋(わらじ)を履かせてくれたり、3カ月の海外プロジェクトに参加さえてくれたりといった働き方を許してくれる病院はほとんどありません。そこでうちの病院では、これを叶(かな)える給料システムや雇用システムをつくりました。医師が希望する働き方をとにかく受け入れて、できる範囲で病院に来ていただけるようにしたのです」

 こうして働いているのが、81歳のアメリカ人医師クー・エン・ロックさん。クーさんは日本とアメリカ、カナダ、中国の医師免許を持っていて、それを使って半年は志摩市市民病院で働き、残り半年はアメリカで奥さんと自由に過ごしている。江角さんは2014年にピースボートの船医として働いていた。クーさんとはその時に出会い、彼が望む働き方に応える形で志摩市民病院に来てもらったのだ。

■医学生や不登校生も病院再建に協力しはじめた

 ちなみに、常勤の2人の医師は、沖縄徳洲会病院で一緒に初期研修をした、救命救急が専門の土田真史さん。もう一人は、江角さんの父でガン治療学が専門の江角浩安さん(71歳)だ。

 浩安さんは以前、国立がん研究センター東病院院長を務めていたが、志摩市で奔走する息子のためにひと肌脱いできてくれた。土田さんや宏安さんが縁もゆかりもない志摩市に来てくれたのは、個人的に仲のよい友人や家族ということもあるが、それまでに深い絆のある人間関係を築いていたからだ。

 過疎地域医療の対策2「医学部生~不登校生まで幅広く研修を受け入れる」

 さらに病院では、院内の働くスタッフを呼ぶために研修生や体験学習生を積極的に受け入れていた。ただ、この受け入れ方が、常識外れだった。

 受け入れたのは、まず医学部や薬学部などの医療関係の学生。これ普通だが、そのほかの医学・薬学部ではない学部の大学生や高校生、さらに中学生、今年の春からは志摩市の教育委員会からの要請で不登校生も受け入れることになった。筆者が取材へ行った昨秋には早稲田大学物理学部や慶應義塾大学理工学部の学生が院内で患者の身の回りのサポートをしていた。

 「医学部生であっても、そうでなくても関係ありません。ただ目の前の患者さんのために、できることを皆ができる範囲で行う。その中で、担当した患者さんから『ありがとう。あなたがいてくれてよかった』と感謝されるようにがんばることが研修の目的です。人が生きるとは?  健康とは?  幸せとは?  実際の患者に接することで感じてもらいたい。人の健康や幸せをつくっていくことは、すべての業種で必要ですから」(江角さん)

 たとえば、患者の話を聞くことなら、医学知識がなくてもできる。研修生たちは何時間でも患者に寄り添い話を聞き、患者の本音をくみ取ってくれるという。

 江角さんが語る。

 「こんなことがありました。脳梗塞のリハビリで入院していた一人暮らしのおばあちゃんが退院するので、看護師や理学療法士などがケアマネージャーとともに自宅を見に行ったんです(退院前訪問指導)。すると、家屋はボロボロだし、近所の人は、おばあちゃんが帰ってくると聞くと露骨にイヤな顔をしたそうです。これでは家には帰せないと、本人にも了解をとって施設行きの方針になりました。だけど、2週間経ったある日、学生が話を聞いていたら、おばあちゃんが『本当は家に帰りたい』と泣き出したんです。あわてて、自宅で暮らせるように支援する方針に変更しました」

 患者はしばしば、多忙な医師や看護師に対しては遠慮して本音を語らない。だが、時間をかけてじっくり話を聞いてくれる研修生なら、患者と人間関係を築くことができる。その中で患者は救われ、研修生にとっても「医療とは何か」「生きるとは何か」を考える貴重な機会になっている。

 「研修生を受け入れることは、患者・研修生・医療者、地域のすべてにメリットがある。まさに三方よしなので、積極的に受け入れています」(江角さん)

 彼らはここで、比較的重篤な患者のサポートを担当する。そして、その人に向き合い、自分なりの役割を見つけた時に、意識が変わる。若い学生たちが病院や地域の支え手になったり、新たな仲間を呼ぶ力になったりするといった小さな奇跡が志摩市民病院の大きな奇跡へとつながっていったのだ。(後編へつづく)

プレジデントFamily編集部 森下 和海

 


日米「同盟」 欺瞞の契約、真の盟約に

2020年01月28日 07時27分56秒 | 社会・文化・政治・経済

時代の風

毎日新聞<time>2020年1月26日</time>

小倉和夫・青山学院大学特別招聘(しょうへい)教授

 社会主義国・中国の急速な台頭、朝鮮半島を巡る新たな動き、米国社会における矛盾と国際協約への不信感の広がり、欧州統合の頓挫と民主主義への疑念、中東における混乱――。国際政治、安全保障環境には大きな変化の兆しが見える。

 そればかりではない。そもそも社会や国家への「脅威」が、他国の軍事的侵略といったものから、変動する主体によるテロ、サイバー攻撃と情報操作、国際的感染症、自然環境破壊による災害といったものへと変化している。しかも社会内部の葛藤の激化、核廃絶を含む環境保護への国際世論の高まりなどは、各国の安全保障戦略に大きな反省を迫るものだろう。

 こうした状況のもとでは、日本の防衛、あるいは安全保障政策、とりわけその基本をなしてきた日米「同盟」も、原点に立ち返ってそのあり方を検討せねばなるまい。

まず「同盟」の矛盾や欺瞞、誤解を再確認しておく必要がある。

実態として「欺瞞」に近い。(以下略)

 


石破氏は安倍首相に「辞めろ」と言え 亀井静香・元建設相

2020年01月28日 07時14分28秒 | 事件・事故

2020年1月1日政治プレミア

安倍政権は長すぎる
 安倍政権は長すぎる。牛のよだれみたいにだらだらやってもしょうがない。
 中国の習近平国家主席を国賓で迎えようとしているが、習主席は香港で民主化運動に圧力をかけている。新疆ウイグル自治区では少数民族ウイグル族などイスラム教徒を弾圧している。
 かつて玄洋社の頭山満は中国の民主化のために孫文を支援した。その伝統のある日本がなぜ民主化運動を弾圧する主席を国賓として迎えなければならないのか。どうかしている。
石破氏はもっと頑張れ
 自民党もだらしがない。私が安倍晋三首相に「誰も辞めろと言ってこないというのも困るだろう」と言ったら、首相自身も「そうなんです」と言っていた。
 石破茂元自民党幹事長には「首相に『辞めろ、俺が代わってやる』と言え」と言ったら「後についてくる人間がどれくらいいるかわからない」というようなことを言うので、「信長はそんな計算をして駆けだしたわけじゃない。単騎で突っ込んでいったんだ」と言ってやった。
 みんなが一緒にやるならやる、そんなことではどうにもならない。
終わりは難しい
 安倍首相は自分の首を取りに来るようなやつを養成しなかった。だから、辞めたくても辞められなくなっている。「まだやらないといけないのか」と思いながら続けているのだろう。物事は終わりが難しい。私も政治家を辞めるのは難しかった。
 後継指名というのはありえない。日本は独裁国家じゃない。国民が選ぶ。かつて中曽根(康弘元首相)さんが竹下(登元首相)さんか安倍(晋太郎元外相)を後継指名すると言ったことがあるが、実際にはそんなものではない。自分の力で勝ち取ったんだ。
上下が分離した日本
 今の日本は「上下分離」運動が起きている。富がどんどん、片方に分かれていっている。大企業に法人税をかければいいのに、大衆課税である消費税の税率をあげている。取り方を間違えている。企業の内部留保は過去最高になり、400兆円を突破している。遊んでいる金だ。もったいない。そこから取ればいい。
 そして東京一極集中で、地方はがらがら。私の生家の周りも建物ばかりが残って人は住んでいない。

 

 


日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構

2020年01月28日 07時08分25秒 | 社会・文化・政治・経済
 

内容紹介

「安保は軍事同盟ではない」。これが日本政府の公式見解だ。だとしたら、「日米同盟」の法的根拠とは何か。

あるいはその逆に、安保が軍事同盟であるなら安保条約のどこにその根拠を見出しうるのか。また、かつて吉田茂は旧安保条約を米軍の「駐兵条約」と言ったが、ではそれを改定した現安保条約は在日米軍の無期限駐留を米国に保障した条約という以上の、何か具体的な軍事的意味を持つものなのか。岸信介は条約改定によって米国が「対日防衛義務」を負い、それによって安保は日本の「平和と安全」を「保障」する条約になったと語った。

しかし、吉田茂もまたそれと同じことを語り、旧条約の国会「承認」を強行したのである。安保条約第五条一項。この条項はこれまで日米の「共同作戦」を規定した条項だと解釈されてきた。

本書はそのような解釈に真っ向から挑戦する。北大西洋条約を始めとした軍事同盟条約と安保条約の条文の一字一句をつぶさに対照しながら、本書は安保条約が結局のところ「改定された駐兵条約」であり、1970年代末期に登場した日米同盟論が、「在日米軍の無期限駐留のための安保条約の無期限延長」を正当化するために捏造された、条約上の根拠なき政治宣言に過ぎないことを明らかにする。

その意味で本書は、安保を「冷戦の産物」と捉え、軍事同盟規定した旧社会党や共産党の安保=対米従属論、さらには「60年安保」後の護憲運動が「九条を守る」ことを第一義に置き、安保問題を後景化させてきたことなどをも批判的検討の俎上にのせている。

「日米同盟という欺瞞」を暴き、「日米安保という虚構」の物語を解体し、在日米軍の無期限駐留を阻むためには避けて通ることができない課題としてそれはある。読者の忌憚無き批判を仰ぎたい。(なかの・けんじ)

出版社からのコメント

安保解消へ向けた本格的議論はこの書から始まる!平和と安全の論理を攪乱してきた“条約”と“同盟”の正体。

内容(「BOOK」データベースより)

安保解消へ向けた本格的議論はこの書から始まる。安保と在日米軍を永遠の存在にしてはならない。「平和と安全」の論理を撹乱してきた“条約”と“同盟”の正体、そして日本の政治エリートたちの筆舌に尽くしがたい欺瞞、詭弁、偽善。

著者について

第四世界・先住民族研究。他にNGO論や大学解体論に強い関心がある。現在、「戦後官僚独裁論の系譜」を研究中。著書に『国家・社会変革・NGO』(共編)、『制裁論を越えて』(編集責任。いずれも新評論)の他、『大学を解体せよ』(現代書館)等がある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中野/憲志
先住民族・第四世界研究。官僚制国家からの自律をテーマに、NGO論、現代教育―大学制度解体論、外交・安保問題に強い関心を持つ。目下、「ユナイティド・フルーツ社の興亡とラテンアメリカの先住民族」および「戦後官僚独裁論の系譜」を研究中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 

 
 

 


大学改革の迷走

2020年01月28日 06時58分26秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 

内容紹介

日経新聞: 竹内洋さん評(2020.1.18)
読売新聞: 苅部直さん評(2020.1.26)
毎日新聞: 松原隆一郎さん評(2020.1.26)で大絶賛!!

序章 大学解体から大学改革の解体へ

第1章 Syllabusとシラバスのあいだ―和風シラバスの呪縛

第2章 PDCAとPdCaのあいだ―和製マネジメント・サイクルの幻想

第3章 学校は会社じゃないんだよ!―残念な破滅的誤解から創造的誤解へ

第4章 面従腹背と過剰同調の大学現場―実質化と形骸化のミスマネジメント・サイクル

第5章 失敗と失政から何を学ぶべきか―?大学院拡充政策の破綻と「無責任の体系」

第6章 英雄・悪漢・馬鹿―改革劇のドラマツルギー(作劇術)を越えて

第7章 エビデンス、エビデンス、エビデンス…―「大人の事情」を越えて

内容(「BOOK」データベースより)

「大学は危機に瀕している」。何十年も前からそう叫ばれつづけてきたが、いまでも、様々な立場から大学を変えるための施策がなされたり、意見が交わされたりしている。では、大学の何が本当に問題なのか?八〇年以降の改革案から遡り、それらの理不尽、不可解な政策がなぜまかりとおったのか、そして大学側はなぜそれを受け入れたのかを詳細に分析する。改革が進まないのは、文部科学省、大学関係者だけのせいではない。大学改革を阻む真の「悪者」の姿に迫る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

佐藤/郁哉
1955年宮城県生まれ。東京大学文学部心理学科卒業。東北大学大学院博士課程中退(心理学専攻)後、1986年シカゴ大学大学院修了(Ph.D.)(社会学専攻)。一橋大学大学院商学研究科教授、プリンストン大学客員研究員、オックスフォード大学ニッサン現代日本研究所客員研究員などを経て、同志社大学商学部教授。専攻は、社会調査方法論、組織社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

これを読むと日本の大学をダメにした政府の無責任な教育行政の諸改革の問題点と、改革ごっこに同調した同じく無責任な教員集団の問題点の両方がよくわかる。大学改革では財務省の支配下にある文科省が、日本とは事情が全く異なるアメリカの諸制度や評価の仕組みを形だけ入れたところに、現在の諸問題の源泉はあるようだ。
著者によれば、行政は、授業計画をシラバス、計画の進捗の単なるチェックをPDCA、どうでもいい目標の達成度をKPIと呼んで、これらを欧米の進んだ大学を追いかけて大学の改革をの進めている大学の指標とした。それでいかにも日本の大学が経営されているように見せかけた。これに対して、大学側の教員のほうは、これに面従腹背するところもあれば、過剰に同調するところもありで、結果的に教育改革はうまくいかず、研究力も落ちてしまった。教育改革を主導する中教審等の本来大御所識者からなる諸会議も、メンバーは諸改革の効果について十分な証拠も示さず、床屋談義のレベルで自分の経験で教育を語ることになって、事態を更に悪化させた。
この20年ほどの大学改革の実情を、著者は社会学者らしく様々な現場での実例を詳しく示して、解き明かしてくれる。
最近の英語入試の迷走なども、この本を読んでいれば、あのような結果となるのが納得できる。日本の大学運営の無責任体制の実情を知るのによい本だと思う。

子や孫に良い高等教育を受けさせようと思ったら、法外に高い学費を払ってアメリカのトップレベルの大学へ行くか、日本で行くなら文科省に依存せず自己責任で独自の経営をしている高い私立大学がもしあればそこに行くのが良いのかもしれないと、この分厚い本を読んで思った

 

着眼点が斬新で面白かった
結論を述べるまでの論述がまわりくどく、同じ事の繰り返しが多いのが気になる
筆者が憂いている内容は良く理解でき興味深い。

 

この本の「まえがき」に述べられているように、今や日本の大学は氷河期の入り口にさしかかっているようだ。
それは少子化により学生の絶対数が減っていることで、現在100校以上もの私立大で経営危機に瀕していること。
また、研究大学としての国立大や私立大の多くが世界大学ランキングでその順位を落とし続けていること。
さらに、教育の現場では高校の学業成績が優秀な学生が海外の大学へ流出している現状などを踏まえると、日本の大学の将来は誠に暗いものといわざるをえない。

その原因が大学改革政策のまずさにあったことが挙げられる。この本ではそれらの問題点について検討を加えていくもので、政府や文科省の改革のせいで日本の大学は深刻な危機を迎える事になってしまった。
上から大学に示される通達や補助金プログラムの申請条件、認証評価機関が提示する評価基準などがあまりにも理不尽なものが多く、それらの政策によって改革どころか、大学での教育と研究に大きな障害とすらなってきたのだ。

この本では大学改革に関する病理診断を行うことで、改革政策や大学側の対応などに起因する弊害がこれ以上進まないよう警鐘を鳴らしています。改革が本当に進まない悪の根源は何か?文科省の中教審の形骸化などに焦点を当てて深く突っ込んでいきます。

 

新書で480ページもある本なので、大学での学びの本質に迫りつつ、いわゆる「大学(教育)改革」の迷走ぶりが説明される本なのかと期待しましたが、さにあらず、全然そういうタイプの本ではありません。

シラバス、PDCA、KPI、エビデンス等々の概念が大学に導入されてきた過去20~30年程の「大学改革」を、作者独自の「社会調査法」でねちねちと腐している本という印象でした。国立大学法人に仕組みが変わってからの大学への経営の視点の導入は確かにやや極端に見える部分もありますが、それ以前のやり方で放置すればよかったというわけではありません。

「ではどうするのか?」そのための本質的思考とアイデアは、本書では出されていないように見えます。生産的な結論もないし、洗練された提案もないように見えます。社会調査とか、社会心理だとか、そういう領域を専門とする一部の人々が制度の失敗を取り扱うと、こういうゴタクの堆積になるという見本でしょう。作者は大学で長年教員をされているようですが、これから活躍していく日本の若者に真摯に向き合うというよりは、「いま」という現状に寄生する内容で貫かれているように見えます。

日本の今後50年、100年を見据えて、日本の大学をどうするのか、どうすべきなのか。
そういう本質に関心のある人々にとっては、恐らく、とてつもなくつまらない本に見えるでしょう。

大学制度の調査の必要を感じて、大学改革への疑念からさまざまな資料にあたることは時間がかかるでしょうが、「大学改革が変だ、おかしい」という論点を先取りしていたら、その種の調査(研究)が十分に方法的になることはないでしょう。

大学教育を悪化させているのは大学行政・大学改革だ、そう言い切ることは難しいことではありません。一般の国民としてでもそうですが、大学にいる当事者であっても、難しいことではありません。だからといって、人間の学びがつまらなくなるわけではないし、大学でコストや制度に関係なく、若者に価値ある学びの機会を提供すべきことに変わりはないでしょう。

大学改革をどう評価(批判)するのか。学びの本質とたいして関係のない部分でいくら議論したところで、批判のための批判で終わるのではないでしょうか。

 

きっとそうだろうなと思っていたけど、やっぱりという高等教育行政の迷走ぶりがよくわかります。

それにしてもよくわからないのは、結果が予想できそうな低レベルの政策・プログラムをそもそも誰が打ち出しているのかということです。著者は犯人探しは建設的でないと言っていますが、その疑問はずっと消えません。文科省内に少しは自己チェック機能あると思うんですが。

昨今の例で言えば、大学の教育の質上げることに直結しないことが自明なのに、入試改革に熱心なのはなぜなのか、誰が言い出してるのか本当に不思議です。

 

大学に長年勤務し、大学改革の実効性に疑問を感じている者として、大きな期待を抱いて読みましたが、期待外れでした。大学改革として実施されてきた様々な施策が教員の負担増のみをもたらし何の効果も挙げていないどころか教員が学生に向き合う時間を奪ってしまっている、という著者の主張には全く同意しますが、その論拠として、PDCAはplan, do, check, actionとされるがactionは名詞なのでactが正しい、とか、アメリカのsyllabusと日本のシラバスは違う、など全く本質的ではないことが延々と繰り返されるため、何が本当に大学改革の問題点なのか分かりにくくなってしまっています。新書としては分厚くて高い本ですが、半分の厚さで十分同じことが書けたと思います。私もPDCAサイクルを回せば何でも解決できる、うまくいかないのはPDCAサイクルを上手に回していないからだ、といわんばかりの外部評価にはうんざりしていますが、著者は「それではどうすればよいのか?」という疑問には「もっと公的資金の投入が必要だ」というだけです。しかし、それに国民の賛同が得られるでしょうか?大学教育を受けた多くの人たちが、自分は大学教育によってすごく成長したので若い人たちにもどんどん高等教育を受けてほしい、と思っていれば賛成も得られるでしょうが、たいして勉強もせずバイトとサークルに明け暮れていても卒業できた人からは、そんな学生に税金をさらに投入するなんてとんでもない、と思われることでしょう。よい教育をするにはお金が要りますが、日本の大学もお金さえあればよい大学教育ができる、ということを大学全体としてどう国民に納得させるのかが問われていると思います。文部科学省や政権に対する批判には賛成ですが、建設的な代案が全く示されず、他大学の同じような境遇の教員の愚痴を延々聞かされているような気分になりました。

 

 

 

 

 

 

 

出会いは“インスタ”…中3女子にみだらな行為

2020年01月28日 06時53分42秒 | 事件・事故

 翌月には断られて顔蹴りケガさせる 33歳男逮捕

1/28(火) 東海テレビ

三重県警鈴鹿署

 SNSで知り合った中学3年の女子生徒にみだらな行為をしたうえ、女子生徒の顔を蹴ってケガをさせたとして、三重県鈴鹿市の33歳の男が逮捕されました。

 逮捕されたのは鈴鹿市のトラック運転手・佐藤大輔容疑者(33)で、去年11月、自宅アパートの部屋で18歳未満と知りながら中学3年の女子生徒(15)にみだらな行為をした疑いが持たれています。

 また12月19日には再度、女子生徒を自宅に呼び、みだらな行為をしようとしたものの断られたことに腹を立て、女子生徒の顔を膝で蹴り、左目に全治3週間のケガを負わせた疑いも持たれています。

 女子生徒が警察に通報したことで事件が発覚。調べに対し、佐藤容疑者は容疑を認めています。

 2人はインスタグラムで去年10月ごろに知り合ったということで、警察は余罪についても調べる方針です。

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黒岩涙香

2020年01月28日 06時26分49秒 | 社会・文化・政治・経済

黒岩涙香 新刊断じて利の為には非ざるなり

黒岩涙香
黒岩涙香(1862年から1920年)新聞記者、小説家。
明治時代、大衆新聞『萬朝報』を創刊しスキャンダリズムや社会悪の糾弾で部数を伸ばした涙香は、「探偵小説の元祖」としても知られ、『巌窟王』『噫無情』などで人気を博した。権力におもねらず、いち早く「大衆」を見据えた「まむしの周六」の全体像を描き出す。

[ここがポイント]
◎ 多彩な趣味をもち、多方面でその才能を開花させた涙香の全体像を描き出す
◎ 元新聞記者が、明治時代屈指の新聞王に迫る
 

内容紹介

明治時代、大衆新聞『萬朝報』を創刊しスキャンダリズムや社会悪の糾弾で部数を伸ばした涙香は、「探偵小説の元祖」としても知られ、『巌窟王』『噫無情』などで人気を博した。権力におもねらず、いち早く「大衆」を見据えた「まむしの周六」の全体像を描き出す。


【目次】

はしがき

序章大衆社会に先駆けた人

第一章「政治の世界」をめざして
1 誇り高き郷士
2 大阪英語学校
3 「政治青年」の誕生まで

第二章「政治青年」の挫折
1 黒岩大
2 筆禍

第三章『萬朝報』以前
1 『日本たいむす』まで
2 論説記者・涙香
3 探偵小説家・涙香の誕生

間奏1涙香をめぐる女性たち

第四章『萬朝報』の創刊
1 創刊前後
2 首都発行紙トップに躍り出る

第五章相馬家毒殺騒動
1 明治版お家騒動?
2 果敢に新聞紙条例を批判

第六章「まむしの周六」の虚実
1 淫祠蓮門教会
2 蓄妾の実例
3 「新聞の道徳」を説く

間奏2趣味人・涙香の周辺

第七章栄光の『萬朝報』
1 日清戦争前後
2 栄光の十年
3 理想団の顛末

第八章たそがれの『萬朝報』
1 日露戦争前後
2 「報道新聞」化の挫折
3 その死まで

終章黒岩涙香とは誰なのか

主要参考文献
あとがき
黒岩涙香年譜
人名・事項索引

内容(「BOOK」データベースより)

黒岩涙香(一八六二~一九二〇)新聞記者、小説家。明治時代、大衆新聞『萬朝報』を創刊しスキャンダリズムや社会悪の糾弾で部数を伸ばした涙香は、「探偵小説の元祖」としても知られ、『巌窟王』『噫無情』などで人気を博した。権力におもねらず、いち早く「大衆」を見据えた「まむしの周六」の全体像を描き出す。

著者は、新聞の公共的な役割を考え続けた人として黒岩涙香の像を描き直した。

著者について

《著者紹介》*本情報は刊行時のものです
奥 武則(おく・たけのり)
1947年 東京都生まれ。
1970年 早稲田大学政治経済学部卒業。毎日新聞社入社。
    学芸部長、論説副委員長、特別編集委員などを経て、客員編集委員(現在)。
2003年 法政大学社会学部教授(~2017年)。専門は近現代日本ジャーナリズム史。

 

黒岩 涙香(くろいわ るいこう、1862年11月20日文久2年9月29日) - 1920年大正9年)10月6日)は、日本小説家思想家作家翻訳家ジャーナリスト。兄は黒岩四方之進。本名は黒岩周六。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。執拗な取材をおこなうことから「マムシの周六」というあだ名がついた。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。

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翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。

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経歴

土佐国安芸郡川北村大字前島(現在の高知県安芸市川北)に土佐藩郷士・黒岩市郎の子として生まれる。藩校文武館で漢籍を学び、16歳で大阪に出て中之島専門学校(後の大阪英語学校)に学び英語力を身につける。翌年、上京して成立学舎慶應義塾に進学するも、いずれも卒業せず。大阪時代から新聞への投書を始め、自由民権運動に携わり1882年明治15年)には官吏侮辱罪により有罪の判決を受けた。

『同盟改進新聞』や大平三次の経営する『日本たいむす』に新聞記者として入社後、1882年(明治15年)に創刊された『絵入自由新聞』に入社。2年後に主筆となり、語学力を生かして記者として活躍していくも、後に翻案小説に取り組むようになる。『今日新聞』(後の『都新聞』)に連載した翻案小説『法廷の美人』がヒットして、たちまち翻案小説スターとなり、次々に新作を発表した。逐語訳はせず、原書を読んで筋を理解したうえで一から文章を創作していた。1889年(明治22年)、『都新聞』に破格の待遇で主筆として迎えられたが、社長が経営に失敗。新たに社長に就任した楠本正隆と衝突して退社。

1892年(明治25年)に朝報社を設立し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。紙名には「よろず重宝」の意味がかけられていた。

しかし、新聞の公共的な役割を考え続けた人として黒岩涙香の像を描き直した。

タブロイド判の日刊新聞で、涙香の『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』『巌窟王』『噫無情(あゝ無情)』などの代表作を次々に掲載したり、『相馬家毒殺騒動』(相馬事件)や『淫祠蓮門教会』といったスキャンダラスな出来事を他紙よりも長期にわたり、ドラマチックに報道することで部数を伸ばしていく。

一時は東京一の発行部数を誇り、最大発行部数は30万部となった。

また有名人無名人の愛人関係を本人はもちろん愛人も実名住所職業入りで暴露した人気連載「弊風一斑蓄妾の実例」も涙香の執筆によるものであった。

こうしたスキャンダル報道だけでは、やがて大衆に飽きられて売れなくなると、涙香は幸徳秋水内村鑑三堺利彦らといったインテリに参画を求めた。1901年(明治34年)には「理想団」を設立、人心の改善、社会の改良を目指し、青年の人気を得た。

しかし1903年(明治36年)になって、日露問題に非戦論をとなえていた「萬朝報」が開戦論に転じたことで、この3人の好論客は退社している。

1911年(明治44年)に朝報社より婦人雑誌『淑女かゞみ』創刊。婦人問題について執筆し、『小野子町論』『予が婦人観』などを刊行する。シーメンス事件では政府を攻撃したが、続く大隈内閣を擁護して不評をまねいた。

1915年大正4年)の御大典に際して、新聞事業の功労により勲三等に叙せられる。同年に長男のために米問屋兼小売商の増屋商店を開業。1920年(大正9年)、肺癌のため東京帝国大学附属病院で死去。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士(自らの撰)

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“フランスかぶれ"ニッポン

2020年01月28日 05時40分13秒 | 社会・文化・政治・経済

“フランスかぶれ”ニッポン

「ふらんすへ行きたいと思えども、ふらんすはあまりに遠し、せめて・・・」萩原朔太郎の「純情小曲」の一部の詩から、この本ははじまっている。

 フランスが遠かったのは、明治、大正の昔だけではなく、昭和初期、そして戦前、戦後もフランスは憧れの国であり、絵画や映画、巴里祭のシャンソンがかもしだす魅力ある国であった。

フランス好きを生んだのは、上田敏のボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌの詩歌の訳の欠かせないと著者は指摘する。

内容紹介

なぜニッポンは、フランスにかくも恋い焦がれてきたのか?
文学、絵画、音楽、建築、バレエ、映画、ファッション、料理などの文化・芸術、デカルトやパスカルの哲学、ケネーからピケティに至る経済学……
いつも“フランス"に片想いと憧れを感じ、心を揺さぶられてきたニッポン。
自身もフランスにかぶれた経済学者が、フランスの魅力を余すところなく博捜し、“フランスかぶれ"として在ることの栄光と悲哀を浮き彫りにする意欲作。

はじめに

序章 フランスに憧れる経緯
1 十九世紀フランスが文化で栄える背景
2 栄華を極めた十九世紀フランス文学と絵画
3 英米へ、独へ、仏への巧妙な区分わけ
4 フランスの小説が日本に与えた影響

第1章 憧れのフランス
1 フランスかぶれの文学
2 フランス文学を学んだ人の活躍
3 もっとも憧れの強かったのは画家
4 フランス音楽は一部の人に強く愛された
5 バレエとレヴュー
6 映 画

第2章 学問におけるフランスの偉大さ
1 哲学はフランスの専売特許である
2 アングロサクソンとは異なるフランスの経済学
3 パリ大学都市で学んだ人々

第3章 政治・軍事・経済の世界で学ぶことはあったか
1 西園寺公望ほか
2 軍人、秋山好古
3 渋沢栄一

第4章 ファッションと料理
1 ファッション
2 日本でパリモードが導入された経緯と、それを発展させた人
3 料理

第5章 フランスから日本への憧憬
1 マンガとアニメ
2 日本料理の人気

おわりに
参考文献
人名索引

出版社からのコメント

「巴里には踊り場というのが幾つもある。真に歓楽の巷だ。場附の踊り子が白鳥のような形をして足を高く揚げて踊る。その暇々には周囲に飲んでいる客人達が出て踊る。色紐(テープ)を投げたり風船で叩いたり他愛もない。」(岡本一平)

【本書に登場する“フランスかぶれ"な人々】
秋山徳蔵 秋山好古 芥川龍之介 阿部良雄 池内友次郎 池田理代子 石井柏亭 石井好子 石川啄木 磯部四郎 伊藤博文 上田敏 上田安子 内海藤太郎 梅原龍三郎 遠藤周作 大江健三郎 大島渚 大杉栄 大村益次郎 岡潔 岡倉天心 岡田三郎助 荻須高徳 大佛次郎 尾田栄一郎 尾髙惇忠 小野正嗣 加藤周一 河上肇 川久保玲 河瀨直美 川端康成 河盛好蔵 岸惠子 岸田辰彌 岸田劉生 北里柴三郎 北原白秋 北杜夫 木下杢太郎 九鬼周造 九鬼隆一 熊川哲也 久米桂一郎 黒田清輝 小磯良平 越路吹雪 後藤新平 小林一三 小林秀雄 是枝裕和 西園寺公望 佐伯祐三 坂本龍一 薩摩治郎八 佐藤春夫 渋沢栄一 島崎藤村 白井鐵造 杉野芳子 高田賢三 高村光太郎 竹田省 武満徹 太宰治 太宰施門 辰野隆 田中千代 谷崎潤一郎 田山花袋 丹下健三 千々岩英一 辻佐保子 辻静雄 辻仁成 徳川昭武 徳川慶喜 永井荷風 中江兆民 永瀬正敏 中村真一郎 中谷宇吉郎 中山美穂 長与専斎 西尾益吉 西田幾多郎 根本雄伯 野田又夫 萩原朔太郎 長谷川町子 長谷川泰 鳩山和夫 東久邇宮稔彦 久松定謨 福永武彦 藤島武二 藤田嗣治 前川國男 三島由紀夫 三宅一生 宮崎駿 三善晃 村上信夫 森有正 森鷗外 森下洋子 森嶋通夫 森英恵 モンキーパンチ 安川加寿子 山田顕義 山本芳翠 山本耀司 湯浅年子 横光利一 与謝野晶子 与謝野鉄幹 和田英作 渡辺一夫

著者について

【著者紹介】
●橘木俊詔(たちばなき・としあき)
1943年兵庫県生まれ。
小樽商科大学卒業。大阪大学大学院,アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学大学院で学ぶ。Ph. D.(博士号)を同大学より取得。その後フランスに渡り,INSEE(国立統計経済研究所)とOECD(経済協力開発機構)で研究員生活を送る。
日本では大阪大学教養部,京都大学経済研究所,経済学部で助教授・教授職。その後同志社大学で特別客員教授を経て,現在は京都女子大学客員教授。京都大学名誉教授,元日本経済学会会長。その間イギリスのエセックス大学,LSE(ロンドン経済政治学院),アメリカのスタンフォード大学で客員教授,ドイツのIFO,ベルリン・マネージメント・センターで客員研究員。
専攻は労働経済学,公共経済学。日本語・英語の書籍は編著を含めて100冊以上。主な著書に,『格差社会』『21世紀日本の格差』『教育格差』『家計の経済学』(岩波書店),『女女格差』『日本人と経済』(東洋経済新報社),『青春放浪から格差の経済学へ』『福祉と格差の経済学』(ミネルヴァ書房),『安心の経済学』『実学教育改革論』(日本経済新聞出版),Confronting Income Inequality in Japan (MIT Press),Wage Determination and Distribution in Japan (Oxford University Press)。フランスに関する著書として,『フランス産エリートはなぜ凄いのか』(中公新書ラクレ)。他に英・仏・日の学術論文多数

”フランスかぶれ”ニッポン。ぎょっとするタイトルだが、中身は極めてまとも・・。著者は経済学者で、京大名誉教授。『格差社会』(岩波新書)とか各種の経済・社会格差の研究で有名だ・ご本人は、アメリカで勉強して学位をとったあと、パリで4年ほど、フランスの国立統計経済研究所と、OECDで研究員として働いたので、その時期にかなりのこの分野での蓄積をしたようだ。森有正や加藤周一の著書からフランスに引き寄せられたそうだ・・。二人とは、面接、会食という形で会う機会があったそうだ・・。

・第2章2では、「アングロサクソンと異なるフランスの経済学」というので、フランス経済学の系譜と最近、脚光を浴びている「ピケティ」の経済学についての概説がある。このほか、文学、絵画、音楽、バレー、映画、軍事、ファッションなど幅広い分野でのフランスに引き寄せられた日本人についての記述がある。また第5章では逆にフランスから日本への「憧憬」が語られている。分野は、マンガ、アニメ、日本料理。エピソード満載だし、「なぜ?」という視点が常にあるので、それなりの解説が得られるので、読みやすい。

・ラヴェルについてのエピソード(p.130)というのを紹介しておこう。「彼は後世になって記憶障害や言語障害に悩み、交通事故による身体障害もあった。あるとき若いときに自分の作曲したピアノ曲『亡き王女のためのパヴァーヌ』を聴いたとき、「この美しい曲を誰が作曲したのだろう」と問うたらしい。自分の曲を認識できなかった不幸はあるが、素晴らしい曲であると第三者として認識できた幸せはあったのだ。」。。