▼一対一の触発があってこそ、一人一人の持つ「大きな力」を引き出していくことができる。
▼友の励ましのために、一軒一軒、足を運ぶ、その地道な労苦にとって起こした「一波」が、「万波」に広がっていくのだ。
▼近頃のは、若者たちは人の顔色をうたがいすぎるそうだ。
幼い頃から、「周囲に迷惑をかけてはいけない」「ちゃんとしんさい」などと言われる中で、大人が認める「いい子」になろうとしたのだと思われる。
▼他人の顔色をうかがってばかりでいると、「自分のしたいこと」ではなく、「嫌でもしなければならないこと」を優先することになりやすい。
そうした義務を果たし続けるのは、しんどいことだ。
▼「苦しみ」とは、「自分の何がしんどい」というふに、苦しさの内実を自分で理解し、言語化できることだ。
一方で、苦しみを言語化できばい時、人は「苦しいこと」を別の形で表現する。
▼どう表現したらいいかわからないけれどつらい、とい「苦しいこと」がある時、身近な人に話を聞いてもらえたら、少し楽になる。
▼「他者との比較」「他者からの評価」への拘りは、「他人に迷惑をかけてはいけない」と、空気を読み、同調圧力に身を任せるようになる。
そうすると自分自身への気遣いや配慮という「自分へのケア」が欠けてしまう。
▼自分の中の苦しいことをため込むばかりでは、いつかそれは爆発するかもしれない。
▼日本社会の「生きづらさ」は、表面的には物事をスムーズに進めるために「迷惑をかけたくない」と思うあまり、その裏側で、どんどんたストレスが溜まっていくものではないだろうか。
▼自分をそこまで傷つけるくらいなら、他人に迷惑をかけていい。
そう言うと過激なメッセージにもい聞こえる。
けれど、人は誰しも、人のお世話になりながら生きている。
つまり、人に迷惑をかけるしかならない存在なのだ。
▼自分のしどさを丸ごと受け止めてもらえる経験を通して、自分の言葉を取り戻したり、自分の本当の思いを大事にしたりする。
そうした経験をできる場所が、もっと必要ではないだろうか。