歴史家トインビーが期待を寄せた日本の宗教組織

2024年09月18日 19時38分50秒 | 沼田利根の言いたい放題

マスコミがほとんど記事にしないので、あえて記すこことした。

歴史家のアーノルド・J・トインビーが、人類史を巡る探究を続ける中でただりついたのが、「時間の遠近法」に基づく洞察であった。

現代における「世界的出来事」と着目したのが創価学会の存在だった。

トインビーは、1972年に「戦後の創価学会の興隆は、単に創価学会が創立された国(日本)だけの関心事ではない。

創価学会は、すでに世界的出来事である―と指摘した。

トインビーは以前から仏教に関心を抱いていた。

彼は1967年の訪日などを通じて、仏教の豊かな可能性を現代に蘇らせた創価学会に着目していた。

そして、池田大作会長との対談を切望する。

1969年9月、その思いを記したトインビーの書簡が池田会長のもとに届いた。

その後、準備が進められ、1972年5月と1973年5月の2度にわたり、ロンドンにあるトインビーの自宅で、のべ40時間に及び対談が実現した。

「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たし物と思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話をさらに広げていってください」とトインビーは池田会長に期待した。

そして、池田会長はトインビーの勧めで1973年11月科学者のルネ・デュボスと、1975年5月にはローマクラブの創立者のアウレリオ・ペッチェリと会談する。

さらに、1974年にソ連のコスイギン首相と会見した。

1974年12月には中国を訪問し、癌で入院していた周恩来を訪ねて対談し、1975年1月18日アメリカのキッシンジャー国務長官と会談した。

その内容はAP通信を通じて全世界に発信された。

 

アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee CH FBA1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリス歴史家歴史哲学者。

多数の著書を持ち、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスキングス・カレッジ・ロンドンの国際史研究教授でもあった。1918年から1950年まで、トインビーは国際問題の第一人者として活躍した。

代表作は『歴史の研究』(A Study of History、1934-1961年、全12巻)。

論文・記事・スピーチ・プレゼンテーションなどを大量に発表し、多くの言語に翻訳された数多くの著書を持つトインビーは、1940年代から1950年代にかけては、広く読まれ議論される学者であった。

しかし、1960年代になると、彼の大作は主流の歴史家の間では人気がなくなった。

トインビーは、事実に基づくデータよりも神話寓話宗教を好んでいるという認識があったためである。

 

 


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