マスコミがほとんど記事にしないので、あえて記すこことした。
歴史家のアーノルド・J・トインビーが、人類史を巡る探究を続ける中でただりついたのが、「時間の遠近法」に基づく洞察であった。
現代における「世界的出来事」と着目したのが創価学会の存在だった。
トインビーは、1972年に「戦後の創価学会の興隆は、単に創価学会が創立された国(日本)だけの関心事ではない。
創価学会は、すでに世界的出来事である―と指摘した。
トインビーは以前から仏教に関心を抱いていた。
彼は1967年の訪日などを通じて、仏教の豊かな可能性を現代に蘇らせた創価学会に着目していた。
そして、池田大作会長との対談を切望する。
1969年9月、その思いを記したトインビーの書簡が池田会長のもとに届いた。
その後、準備が進められ、1972年5月と1973年5月の2度にわたり、ロンドンにあるトインビーの自宅で、のべ40時間に及び対談が実現した。
「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たし物と思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話をさらに広げていってください」とトインビーは池田会長に期待した。
そして、池田会長はトインビーの勧めで1973年11月科学者のルネ・デュボスと、1975年5月にはローマクラブの創立者のアウレリオ・ペッチェリと会談する。
さらに、1974年にソ連のコスイギン首相と会見した。
1974年12月には中国を訪問し、癌で入院していた周恩来を訪ねて対談し、1975年1月18日アメリカのキッシンジャー国務長官と会談した。
その内容はAP通信を通じて全世界に発信された。
アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee CH FBA、1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史家・歴史哲学者。
多数の著書を持ち、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとキングス・カレッジ・ロンドンの国際史研究教授でもあった。1918年から1950年まで、トインビーは国際問題の第一人者として活躍した。
代表作は『歴史の研究』(A Study of History、1934-1961年、全12巻)。
論文・記事・スピーチ・プレゼンテーションなどを大量に発表し、多くの言語に翻訳された数多くの著書を持つトインビーは、1940年代から1950年代にかけては、広く読まれ議論される学者であった。
しかし、1960年代になると、彼の大作は主流の歴史家の間では人気がなくなった。
トインビーは、事実に基づくデータよりも神話や寓話、宗教を好んでいるという認識があったためである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます