創作 人生の相性7)

2024年09月19日 03時09分20秒 | 創作欄

東京駅の八重洲地下街の居酒屋「ホタル」の娘である北側春香は、静岡県網代の出身であった。
美形の顔立ちであるが、素朴なモンペ姿の似合う人であった。
彼女の母親の女将さんもモンペ姿で接客していた。
彼女の父親は網代の漁師で地元で民宿を経営していた。
網代と言えば、大学の同期生で親しくなった土屋治夫から夏休に招かれ、漁師である実家で新鮮な魚料理をご馳走になった経験があった。

人生には想定外の事が起こるものだ、水野晃とは破局したはずであった春香は彼との3回の交情で身ごもっていたのだ。
母親の梓が妊娠中絶を迫ったが、春香は「私は彼の子を産むの」と一途になる。

足立幸雄は、その事態を水野から聞かされる。
「足立君、どうすべきねかね」男気のある水野もさすがに困惑していた。
「この際は、責任を取るほかないな」先に打ち明けた本橋一郎がズバリ言ったのだ。
「どう責任をとるべきかな」ロマンチストの水野は、皮肉にも厳しいん現実を思い知らされる事態となった。
「身勝手だけど、もしも、妻子と別れることになったら、足立君に後を託したいんだ」
「後を託す?」
「一番の親友の足立君に、心からお願いしたいんだ。助けてほしい、どうかね?」
三島由紀夫にも心酔していた水野は、三島の壮絶な最後に強い衝撃を受けていた。
その日は、厚生労省日比谷クラブのテレビに記者たちの眼は釘付けになる。
12月25日の給料日でもあり、記者仲間は新橋や有楽町でそれぞに酒を飲む約束もしていた。

 

昭和45年(1970)11月25日午前11時10分頃であった

楯の会の制服に身を包んだ三島由紀夫は自身が主宰する

楯の会のメンバーである森田必勝(まさかつ)・小賀正義・

小川正洋・古賀浩靖を引き連れて、東京都新宿区にある

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れていた

三島が事前に連絡をつけていたので駐屯地内では

「三島由紀夫先生が総監を訪ねて来るのでフリーパスで通す」という手筈になっており、三島らは難なく総監室へと

通されたのである

三島は益田兼利総監に森田ら4名を優秀な隊員なので

楯の会の例会で表彰しようと思うので一目総監に

お目にかけたいと考えて連れて来た、そして今日は例会があるので正装で来たと説明した。

ソファに総監と三島が向かい合って話しており、話題は三島が持参した日本刀の関孫六についてであった

三島は鑑定書を総監に見せて刀を抜いて刀身の油を拭くために(日本刀は刀身が錆びないように油を塗って手入れをする)、「小賀、ハンカチ」と言って小賀にハンカチを要求した

三島のこの一言は行動開始の合図を意味する一言であった

 

しかし総監はティッシュで拭いてはどうかと机に向かった

ために小賀は計画通りに動くことができず、三島に手ぬぐいを渡しただけであった

総監はティッシュが見つからなかったので、

ソファに戻り刀を見るために三島の横に腰かけた

三島は手ぬぐいで刀身を拭くと総監に刀を手渡した

総監は「いい刀ですね」と言って刀を三島に返すと三島の

向かいの席へと戻った

三島はもう一度刀身を手ぬぐいで拭くと、その手ぬぐいを

小賀に渡して目で合図を送った

そして三島は刀をパチンと音をさせて鞘へと納めたのである

総監を拘束する

その音を合図にして小賀は行動を開始した

小賀は総監の後ろに回り込んで持っていた手ぬぐいで総監の

口をふさぎ、小川と古賀がロープで総監をイスに縛りつけた

小賀は古賀から渡された手ぬぐいで総監の口にさるぐつわをはめ、総監に短刀を突きつけたのである

その間に森田は総監室の正面入口や幕僚室に通じる3つの出入口に机やイスでバリケードを築いた

幕僚らと乱闘

総監室の異様な物音に気づいた一等陸佐が総監室正面入口のすりガラスの窓から中をうかがったところ、

三島らの動きが不自然だと感じて中に入ろうとすると鍵がかけられていた

一等陸佐がドアに体当たりすると森田が「来るな」と叫び、ドアの下の隙間から要求書を出した

要求書を見た一等陸佐は上層部に「三島らが総監室を占拠した」と報告し、すぐさま幕僚らに非常呼集がかけられた

三島由紀夫が演説したバルコニーのある建物は現在「市ヶ谷記念館」となっている。三島が幕僚との乱闘の際に付けた刀傷が残る扉も保存されている

11時20分頃、2名の二等陸佐が総監室に通じる一つのドアのバリケードを突破して総監室へと突入を敢行した

三島は関孫六を抜いて背中を斬りつけるなどして応戦し、

続けて突入してきた一等陸佐と2名の二等陸曹に「要求書を読め」などと叫びながら相手をなで斬り

(薄く削ぐように斬る)にしながら応戦していた

この乱闘の最中に別のドアから7名の幕僚が総監室へなだれ込んできた

幕僚の一人は「話し合おうじゃないか」と持ちかけたが

乱闘はやまずに森田が短刀で、小川は特殊警棒で、古賀はイスなどを投げつけて応戦していた

森田らが攻撃されると三島はすかさず加勢して幕僚らを寄せ付けなかったので、幕僚らは総監の安全も考慮して

一旦退いた

突きつけた要求と『檄』

11時22分には駐屯地から警視庁へ110番通報がなされて

25分には警視庁公安部公安第一課が捜査本部を立上げ、120名から成る機動隊を市ヶ谷駐屯地へと出動させた

幕僚らは総監室正面入口ドアの窓を割って三島に説得を試みようとしたが、三島は森田が渡した要求書と同じものを

幕僚らに突きつけたのみであった

その要求書には

11時30分までに市ヶ谷駐屯地の全自衛隊員を本館前に集合させること、三島の演説を静聴すること、一切の攻撃や妨害を行なわなければ当方は一切攻撃をしないなどということが書かれていた

幕僚らは三島の要求を受け入れることにし、11時40分に本館玄関前に集合せよという館内放送がなされた

11時46分に警視庁は三島ら全員を逮捕せよという指令を下したのでパトカーが駐屯地に入り、テレビやラジオはこの

事件の第一報を報じていた

放送を聞いた自衛隊員1000名ほどが本館玄関前に集まってきていた

正午少し前、森田と小川が『檄』と題された檄文をバルコニーからばら撒き、要求を書いた垂れ幕をバルコニーから垂らした

この時すでに機動隊やテレビ、新聞社の報道陣が集まってきていた

檄文は語る

「我々は戦後日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、

国の大本を忘れ、国民精神を失い、自ら魂の空白状態へ落ちこぼれて行くのを見た。

国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずに

ただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰しゆくのを、歯噛みしながら見ていなければならなかった」

「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、

国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ」

三島は憲法第9条がある限り自衛隊は違憲の存在でしかないとして、政府の第9条の解釈や左派政党が日米安保条約

破棄を掲げつつも第9条を堅持するという矛盾を

「日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た」

として政治の国体を顧みない姿勢を批判したのである

そして

「自衛隊が目覚める時こそ、日本が目覚める時だと信じた」

「自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために」

「自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を守ることだ。

日本を守るということは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることではないか」

と訴えた

自衛隊に武士の魂が残っていれば、護憲の軍隊という

パラドックスを打ち破るべく立ち上がるべきなのに、

自衛隊からはそのような男としての声は聞こえてこなかった

我々が楯の会を結成して自衛隊に体験入隊したのは、

自衛隊が目覚める時に自衛隊を名誉ある国軍とするために

命を捨てようという決心にあった

国のねじ曲がった大本を正して日本を守るという使命のため、

我々は少数であるが訓練を受け、挺身しようとしていたのだと

『檄』は自衛隊員に語りかけている

「我々は四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ」

「しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために、日本を日本の真姿に戻して死ぬのだ」

「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。

生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。

日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ」

「これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」

「我々は至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として

蘇ることを熱望するあまり、この挙にでたのである」

三島の檄文は熱烈に激烈に自衛隊員たちに決起を促すものであった

バルコニーに姿を見せる三島

正午のサイレンが市ヶ谷駐屯地に響き渡ると、三島は何度生まれ変わっても国に尽くすという意味の

七生報国と書かれた日の丸の鉢巻を巻き、手には関孫六を握りしめてバルコニーに立った

三島から向かって右側には、三島と同じ鉢巻を巻いた森田が立っていた

三島が姿を現すと集まった自衛隊員たちは口々に「三島じゃないか」「何やってるんだ」「バカヤロウ」などと

罵声を浴びせた

その中で三島は日本を守るという建軍の本義に立ち返れとした

憲法改正の決起を呼びかける演説を始めた

この時すでに報道陣のヘリコプターが飛来して駐屯地上空を旋回し始めていた

三島由紀夫の演説

三島由紀夫の命を張った最後の演説は以下の通りである

諸君は去年の10.21から後だ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ

自衛隊が20年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだよ

もうそれは政治的プログラムから外されたんだ

ついに外されたんだ、それはどうしてそれに気づいてくれなかったんだ

去年の10.21から1年間、俺は自衛隊が怒るのを待っていた

もうこれで憲法改正のチャンスはない!

自衛隊が国軍になる日はない!

建軍の本義はない!

それを私は最も嘆いていたんだ

自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ、日本を守ること、

日本を守るとはなんだ

日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである

男一匹が訴えているんだぞ

マイクを持たない三島は大声を振り絞り、拳を高くかざして絶叫していた

三島の魂の絶叫はヘリコプターの轟音と自衛隊員たちが発する罵声がかき消していく

それでも三島は叫び続ける

お前ら聞けえ!聞けえ!静かにせい、静聴せい!話を聞け!

男一匹が命を懸けて諸君に訴えているんだぞ!

それがだ、今日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、

自衛隊が立ち上がらなきゃ憲法改正ってものはないんだよ

諸君は永久にだねえ、ただのアメリカの軍隊になってしまうんだぞ

諸君と日本と・・・(聞き取れず)

アメリカからしかこないんだ

シビリアンコントロール・・・(聞き取れず)

シビリアンコントロールに毒されるな

シビリアンコントロールというのはだな、新憲法で堪えるのが

シビリアンコントロールじゃないぞ

もうこれだけの・・・政治家・・・シビリアンコントロール

じゃないぞ(この部分よく聞き取れず)

そこでだ、俺は4年待ったんだよ、俺は4年待ったんだ、

自衛隊が立ち上がる日を

そうした自衛隊の4年待ってだな(この部分は完全には

聞き取れず)、最後の30分に、最後の30分に、

だから今待ってんだよ

諸君は武士だろう、諸君は武士だろう、武士ならばだ、

自分を否定する憲法をどうして守るんだ

どうして自分を否定する憲法にだね、

自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ

これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ

諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲の如く装っている

自衛隊は違憲なんだよ

自衛隊は違憲なんだ、あなた達も違憲だ

憲法というものは、ついに自衛隊というものは、

憲法を守る軍隊になったんだということにどうして気がつかんのだ

どうしてそこに諸君は気がつかんのだ

俺は諸君がそれを断つ(それで起つ、か?)のを

待ちに待ったんだ

諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、

本当に日本のために立ち上がるって気はないんだ

・・・抵抗したからだ

(自衛隊員が「何のために我々の・・・」と言っているのが

聞き取れるので、幕僚らとの乱闘や総監を拘束したこと

について問いただされたことへの返答だと思われる。

自衛隊員は続けて「抵抗とは何だ」と叫んでいる)

憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた

ということを知らないのか

諸君の中に一人でも俺と一緒に起つ奴はいないのか

―しばらくの沈黙―

一人もいないんだな

よし、武というものはだ、刀というものは何だ、

自分の使命である・・・(聞き取れず)に対して

・・・(聞き取れず)という言葉だ

それでも武士か!それでも武士か!

まだ諸君は憲法改正のために立ち上がらないと

見極めがついた

これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ

それではここで、俺は天皇陛下万歳を叫ぶ

天皇陛下万歳

(かすかに天皇陛下万歳と言っているようにも聞こえるが、

ほとんど聞き取ることができない。

三島はここで天皇陛下万歳を三唱したとされている)

 

三島の精神の美学

三島がマイクを使わなかったのは神風連(じんぷうれん)の

精神に基づくとされる

神風連は明治政府の開明政策に反対して熊本藩の

保守派士族によって組織された政治的な団体で、

神道を基本とする排外的復古主義を唱えていた

三島は楯の会メンバーにマイクを使って大声で演説すれば

必ずそこに誇張や虚飾が入り、本質的に人の心を動かす

ことができないと語っていた

三島は自衛官たちの心を動かすために肉声にこだわったのである

それはあるいは三島の精神の美学とも言える行為だったのかもしれない

早めに切り上げられた演説

しかし自衛隊員たちはそんな三島に

「聞こえねえよ」「降りて来い」「この野郎」

「マイク持って話せよ、聞こえねえ」「帰れ」「やめちまえ」

「お前それでも男か」などと怒号とも言える激しい罵声を浴びせ続けた

「男一匹が命を懸けて諸君に訴えているんだぞ」という

凄まじい気迫で迫る三島の演説だが途中の

「4年待ったんだ・・・最後の30分に・・・待っているんだよ」

という部分では三島の失意や絶望が感じられる

後に続くあるを信ず、これがなければ三島の命を懸けた決起は完結しない

それでも三島は

「諸君の中に一人でも俺と起つやつはいないのか!」

の言葉にラストチャンスを賭けた

起つやつはいないのかと叫んだ三島はしばらく沈黙して

待っていた

タイムリミットは演説をしている30分間なのである、

その後は自らの死をもって完結させなければならない

しかし自衛隊員たちの三島への返答は激しい怒号と野次であった

自衛隊員たちの反応は三島の予想外だったと言われ、

加えて上空を旋回するヘリコプターの騒音で三島は10分ほどで演説を切り上げた。

 

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