参加する無農薬コメ農家(44)は「離農の一番の原因は農政の失敗」「公表されたコメ農家の所得は年1万円」
コメの異常高騰が続く中、もはや一刻の猶予もならないコメ農家の窮状に、全国の農家有志が集まって「令和の百姓一揆」を“企てて”いる。
日本の農業と食と命を守ろうとクラウドファンディングでサポーターを募り、その資金を充当して3月30日、首都・東京に全国各地からトラクターを結集してデモ行進で訴えを繰り広げる。
実行委員会に名を連ねる静岡県浜松市の「藤松自然農園」代表の藤松泰通さん(44)に自身の経験や「一揆」に懸ける思いを聞いた。
「農業ってすごい大事なんだ」
藤松さんは無肥料・無農薬・不耕起・草生の自然農法で固定種・在来種の野菜とお米を育てている。
そんな藤松さんがコメ農家になったきっかけは、14年前の大災害だった。
「浜松で高校を卒業して就職で東京に出て、建築業の現場監督や派遣会社の営業、花屋などいろいろな仕事をしていました。そんなときに東日本大震災が起こって復興に携わりたいと思うようになり、独身の身軽さから福島県に飛んで原発の作業員などをやりました。 テレビで見ていたマスクや防護服を着て、原発近海の魚を獲って被曝量を調査するという仕事でした。
当時は、被曝のケアもあって健康診断が頻繁にありました。私は放射線量とかではなく、メタボ的な脂肪に関する数値が悪かったんです」 健康診断に引っ掛かり、1ヶ月後に要再検査となった藤松さんは、当時話題になっていた自然栽培の野菜セットを購入して、健康のために食べることにした。
「再検査では数値が半分くらいに落ちていました。これがきっかけで『農業ってすごい大事なんだ』って興味を持つようになり、いろいろ調べたら浜松市って日照時間や降雨量が全国トップレベルで農業に適した環境だということがわかったんです。 それから農業法人などで研修を受けて浜松市の実家に戻って最初は野菜から始めました。人参やピーマンなどオーソドックスな野菜から始めて、自然な流れでコメもやりたくなったんです」 しかし、コメ農家は甘くはなかった。
「コメを作り出したのは農家になって2年目からです。周囲に高齢で体がきつくなって離農し、農地を持て余しているという方が多かったので、借りたいと申し出ると喜ばれました。実際に、野菜やコメを作るようになって知りましたが、耕作放棄された田んぼがごろごろあって、さまざまな弊害が出てたんです。
この辺は川が近くにあるので、田んぼを放置して草木が茂るとヌートリアが住みつきます。
ヌートリアは大きなネズミみたいな動物で、特定外来生物なので勝手に捕まえるのは法律違反なのですが、こいつが田んぼの稲を食べるんですよ。 業者に頼んで捕まえてもらっても繁殖するスピードが早く全然数は減りません。また、耕作放棄地は草木で鬱蒼としているせいか、不法投棄をしにくる人たちもいます」
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