【関東三国志】沼田城、崖の上の要塞!城門を閉ざした小松姫の決断

2025年03月12日 18時10分48秒 | 社会・文化・政治・経済

華盛頓Webライター
 
群馬県沼田市の河岸段丘にそびえた沼田城は、まさに戦国の要衝でした

南北を利根川と薄根川に挟まれ、高さ七十メートルの崖が城を守る、典型的な崖城であります。

北関東の支配を巡り、上杉・後北条・武田といった戦国大名たちが血で血を洗う争奪戦を繰り広げたのです。

本能寺の変後は真田信幸の城となりました。

江戸時代には真田家を筆頭に、本多家、黒田家、土岐家と城主が移り変わり、やがて城は縮小。

最後には三の丸を館とする程度の規模となりました。

明治維新後、1926年、沼田市へ寄贈され、現在は沼田公園としてその名を残しています。

そんな沼田城には、戦国の姫・小松姫の逸話が残っているのです。

関ヶ原の戦い直前、真田昌幸は孫の顔を見るために沼田城を訪れました。

しかし、小松姫は「たとえ舅でも敵」と武装して城門を閉ざしたのです。

後日、彼女は孫を連れて昌幸のもとを訪れ、願いを叶えるという機転を見せました

この対応には、昌幸も舌を巻いたといいます。

現在、城門が川場村をはじめ各地に移築され、また本丸跡には鐘櫓が復元されています。

1634年に鋳造された「城鐘」は今も現存し、群馬県指定重要文化財として沼田歴史資料館に展示されているのです

戦国の面影を今に伝える城は、静かに歴史を語り続けています。


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