片木奈緒里の何か変!

2024年10月16日 21時26分20秒 | 創作欄

なぜか! 変だと思うのは,選挙のチラシを持っていた厚生労働省の課長補佐が住居不法侵入で逮捕されたのだ.

共産党員ではないが,逮捕された人に同情したい.役人が選挙活動を公然とできないのも,釈然としない.今回,郵政公社の関係者たち選挙運動していなかったのか!

 変な国!
 

片木奈緒里の今日の一言(ひとこと) 

 未来は今に始まる.
 「何時か飲もうか」と儀礼的に誘われても,永遠にその日は来ないかもしれない.
 「今日の予定は? これから,どうです」と誘いたいものだ.
 将来の夢,未来を語るのもいいが,今から始めたものだ.なにごとも.何時かではないのです.
 
 

片木奈緒里のなんだかんだ 視点


 「郵便局が繁盛した理由は,保険,郵便,貯金・出金・送金の三つの行動を1カ所で済ますことができる点にある」と国際ジャーナリストの吉田鈴香さんが指摘する.
 「機会費用」の削減効果,つまり一カ所で用事が済む経済効果である.国民は民間サービスより郵便局のサービスを重宝と選択してきたが,郵政民営化でこれまでのサービスが,果たして後退するのであろうか? 国鉄がJRに移行して国民が満足している事実に照らして,郵政民営化がサービスの低下を招くとは思われない.
 「現状維持を訴えるのは,ことの本質を見抜いていない」と吉田鈴香さん言うが同感である.
 これまでのように窓口業務が一つなら,別枠の機能を立てる郵政3事業は円滑に行くだろう.民営化の狙いは何かと言えば,答えは明解である.財務省が運用・配分を取り仕切っていた資金(郵便貯金,簡易保険の)を自由に民間市場に回すことだ.
 唯一の公的金融機関がなくなることを不安視する声もある.それは民営化したJRの経営を不安視するほど的を射ていない.今の金融機関の大半はバブルに悪乗りしたツケで不良債券を抱えたのであり,いわば自業自得であった.不良債券をまったく抱えていない郵政事業の将来を不安視するのは非現実的ではないか.
 郵政民営化で護送船団方式の上に安閑としてきた銀行や保険会社があせることはあっても,国民にとって民営化された郵政3事業が不利なものにはならないであろう.電電公社からNTTというよい見本も存在している.
 「民間会社は新業務進出の自由を持つが,公社はできない」と竹中平蔵郵政民営化担当相が参議院の郵政民営化特別委員会で答弁していたが,公社ではできなかった事業の広がり(グループ経営も可能)が期待されている.
 ともかく走りだしてから試行錯誤をする手もある.硬直化した公より民の方が軌道修正もやりやすいと思われる.今後はとかく問題が多い社会保険庁の民営化の実現も是非望みたい.
 

片木奈緒里の人生ボックスで行く

はじめに

 小説の時代設定を1999年頃にした。そのころリストラにあったからだ。ある人が、「最大の復讐は、立派になることだ」と言った。復讐とは、穏やかではないが、プロ野球選手が放出された時、リベンジを胸に秘めるのは分かる気がする。
 清原選手だって、憧れの巨人からドラフトで指名されなかった時、巨人に復讐を誓ったのだった。選手が放出された時、どこかが雇ってっくれるのを期待する。そして移籍先が決まれば、見返してやろうと誓い、熱く燃えて活躍するのが当然だ。
 だが、筆者が再就職して残念だったのは、前の経営者に足を引っぱられたことだ。さらに悲しかったのは、その経営者に忠義立てをして、仕事を邪魔をされたことだ。組織人の悲しだ。ある組織に所属しているから相手にされるのであって、個人の身となったらただの人なのだ。それをとやかく言ってもはじまらない。そして、故意に悪い評判を立てられたら、回復しがたいダメージさえ受ける。
 筆者は立派になることは無理としても、それなりに生きた足跡だけは残したいと念じながら、今日まで生きてきた。筆者は本書の主人公のように楽天家である。正直な話、掛値なしに今の自分が一番よいと思っている。
 あの頃はよかった、という思いがほとんどない。これは強がりではない。若さを基点にすれば間違いなく10代、20代の頃がよかった。だが、老いること、そして死を迎えることは、人それぞれに平等に訪れることだ。逆立ちをしても過去には戻れない。若さを取り戻すことは不可能である。死は絶対に回避できない。そこで有限の人生のなかで、 “ボックス”で勝負したいと考えている。
 ギャンブルをやらない人には、“ボックス”の説明をしなければならない。1番、2番、3番の3頭の馬の馬券で勝負する時は、1-2、1-3、2-3と買えば3点ボックス馬券となる。これに4番を加えたら、1-4、2-4、3-4の6点ボックス馬券となる。
 ボックスでは買う点数が増えるが、安全、万全なのだ。人生に例えると味方が一人より3人、3人より6人の方が有利なのだ。しかし、3人、6人と交際するのだからコストもかかることとなる。
 また、病気になった時を想定してほしい。1人医師の診たてより、2人、3人の診たての方が心強い。また、癌という病なら、幾つかの治療法を提示してもらいたい。最善の治療法があるならそれを選択したい。もっとも、同じ治療方がすべての人に有効であるとは限らない。このような“ボックス”人生の意味が少しはご理解いただけただろうか。
 自殺者が年間3万人を超える日本。これではとてもじゃないが、まっとうな国ではないと思う。なんとか“ボックス”人生で生き長らえてもらいたい。
 第1章 競輪場から帰還する
 
 つきを呼ぶ女
  
 五月も半ばであったが、吹く風に三月初旬に近い肌寒さが感じられる日であった。その日、北海道では季節外れの雪が降り、テレビの画面は、街路地を急ぐ人々の寒々ととした様子をリアルに映しだしていた。
 「吹雪きだ」と妻は驚いたのように画面を見詰めた。確かに激しく降りしきる雪は真冬の光景そのものであった。私は忘れかけていた痛風のような症状が、手にも足にもキリキリ、ギシギシと起こりかけていたので、雪の画面を避けるように部屋を出た。
 「今日もギャンブル! 」
 「散歩だ」と妻の背後の声に抗ってみたが、私の行動のパターンは画一的だから、行く先は聞かなくとも、初めからわかりきっているのである。
 「帰りは何時?」
 「5時過ぎ」
 しかし、呪われたように「つき」に見放されていた.いつものパターンで、ギャンブルに早い時間で負ければ、午後1時過ぎないし2時過ぎに戻る結果となる。最後まで資金が続けば5時過ぎごろ戻ることとなる。儲かれば「女のいる店で一杯」などと思惑が膨らむ。だがたいていは空しい思いと悔いがない交ぜとなって帰還する。
 自転車に乗るとどうしても、なりたかった競輪選手に想いを馳せることとなる。100メートル 10秒07が高2での最高タイムであった。噂を聞いて現役の競輪選手が弟子に欲しいと父親に掛け合いにきた。農家一筋で何の道楽もしない父親は、「うちのせがれをそそのかすな」とえらい剣幕で追い返した。
 陸上競技部の同級生で私より脚力が落ちる2人が翌年、競輪学校に入学をした。皮肉なものだ。父に逆らえなかった不甲斐無さを引きづることとなる。その後やってみたボクシングも中途半端であった。  
 ヤクザ組織にも溶け込めず、電話番も10日で嫌気がさして逃げ出した。兄貴分から預かったタバコ代千円はネコババした。以来新宿歌舞伎町には足が向けられない。
 仕事は呆れるほど変わった。不動産屋(千葉市内)、納豆屋(水戸市)、風呂屋(東京浅草)、映画館(同)、カメラマンの助手(東京青山)、自動車販売会社(千葉県松戸市)、カメラ屋(東京渋谷)、興信所(東京大田区)、芸能プロダクション(東京六本木)、ポルノ俳優(同)、競馬の予想屋の助手(埼玉県浦和市)、建築会社(馬主の事業で現場監督となり各地へ行く)、業界新聞の営業(東京上野)。
32歳にして一念発起して大学(東京水道橋)の二部へ通う。
3年で中退。経済雑誌の記者兼営業となる。兜町に入り浸る。このころ父親が死に田畑をすべて売り株に注ぎ込む。一時期は5億円余の資産を形成する。37歳で職場の同僚と結婚。
 1年後、バブルが崩壊し、1億2000万円の借金を残す。麻布のマンションも人手に渡る。バブル前に母親に残した5000万円のマンションを処分する。
 「何も残らなかった」と妻は嘆く。夫の行為は家庭の主婦の一般常識を遥かに超えていた。挨拶代わりに、夫の死を願う妻となる。どこまでが冗談なのかと人は訝ったり、面白がったりして妻の言葉に耳を傾けている。「取手の林ますみ(毒カレー事件)になるな」と妻にアドバイスする人も.ところで生命保険はある年代を目安にいしているから、契約時に提示された満額どおりには給付されない。だから、今のうちに死んでほしいと妻は願う。私は肝臓病で直に死ぬからと言ってきたが、期待にには応えられずにすでに3年が過ぎた。
 気のいい女である。天性の明るさで声高に笑い転げるので、深刻さは生活に漂っていない。だが、いつか爆発するかもしれない。それが何時なのかと訝っているうちにさらに2年が過ぎた。
 私はこのままでは単なる破滅人生、放蕩人生である。しかし、今さら方向を転換できるはずもない。しかも、半年前にリストラされてしまった。できれば年金生活に入りたいが、45歳は中途半端な年齢だ。
 自転車は旧水戸街道を快適に疾走していた。
 前方に邪魔まな形で車が歩道に乗り上げていた。白いベンツがあった。車の主が私のニックネームで声をかけてきた。見ればスナックのママみどりさんである。
 私はこの人の旦那が、3度目のお務めに行っていることを知っていたが、そ知らぬ振りをしている。
 「元さんのように、気っ風のいい男はいないね」
 その振りをしているに過ぎないが、誉め言葉に乗ってしまって、さんざんバカな真似をしてきた。
 金は天下の回り物と、あるだけの金を一晩に遣う愚か者に過ぎないのである。
 「車が故障して、今、電話をかけたところなの。元さん競輪へ行くところなんでしょ。私は運のよい女だから、今日は大金が転がりこむと思うわ」
 「ほう。それはいい出逢いでした」と私は手を差しのべた。相手はその手を両の手で包み込んで、「信じるのよ。私はつきを呼ぶ女だから」と顔を寄せてきた。
 涙目のように潤いを持った瞳が、吸い付くように覗き込む。私は妊娠したように膨らんできた彼女の下腹に目を留め、下り坂に差し掛かった女の悲哀を思った。気の勝った性格が口調に出ていて、酔客に食って掛かることがしばしばであったが、なぜかこの人は私に対しては、一度も強い言葉を投げたことはなかった。
 「帰りに寄ってよ。私の誕生日なんだからね」
 「そうか。今日は6月8日。6番8番でいくか」
 「私は運を呼ぶ女だから。とてもいいところで元さんは私に逢ったのよ。信じるのよ」真顔であった。
 コートの襟に緑色の鳥の羽が着いていた。マンションで小鳥を飼っていると言っていたことを思い出した。
 駅へ右折する信号で振り向くと、そこへ自動車工場のレッカー車が到着したところであった。   




 ホームレスのルパン

  競輪専門紙を買いに立ち寄った駅舎の売店前で、ホームレスの通称ルパンに声をかけられた。ワンカップを手にしている。私にも飲めと500円玉を差し出した。帽子をいつもま深に冠っていて、鋭い眼光を隠すようにしていた。だが、声を聞くと東北訛りで、温厚な人柄が滲み出るのだ。
 怪盗ルパンほどスマートではないが、どこかマンガの風貌に似ていた。駅前のラーメン屋「アプローチ」の女主人がルパンと命名したのである。ルパンはいわゆる置き引き、という犯罪行為で日々の糧を得ていた。ホームレス歴15年。冬の寒さより、夏の薮蚊の方が死ぬほど辛いと言っていた。
 行為を無にできないから、私は競輪専門紙とワンカップとソーセージを2本買った。バス停のベンチに二人が並んで座る。ルパンは私から競輪専門紙を奪い取るようにして、「俺が適中車券を教えてやると」と強気である。
 「あんたが、生まれる前からやっているんだ」が口癖である。「教えてやっから、間違えねいぞ」競輪場へ私に同行する気になっている。
 私の所持金は1万5千円。あのころと比べると、可愛いものだ。1レースに数十万円を投じこともしばしばで、全く常軌を逸していた。
 ルパンはいくつなのか。年齢不詳である。軍隊の経験はまさかないはと思うのだが。自転車をどこからか調達してきて、私の後にしっかりと着いてきている。「元ちゃんS級(トップレベルの選手)の真似をしてあんまり飛ばしてくれるな」と後方で喚いている。
 すっかりシャッター通りの様相となった商店街。この先どう転ぶか定かではないが、活況が戻ることはもはやあるまいと思うと実に淋しい。競輪も斜陽で、ファンの平均年齢は55歳ほどであろう。私をその少数派の一歩手前いにいるのだ。オリンピックの正式競技種目となったものの競輪にはダーティーのイメージが着いて回り、マイナスイメージ(昔は焼き打ちなどの騒動があった)は拭いさりがたいのである。
 競輪場に着くとちょうど3レースが始まるところであり、スタート前の選手たちに向って盛んにヤジが飛びかっていた。前回、車券で損をさせられた者たちの選手に対する恨み、つらみは実に辛辣な言葉となって、容赦なく浴びせられる。
 「帰れ、帰れ」コールはましな方で、「本当に練習しているのか」「引退しろ」「それでも選手か。やめちまえ」「恥じを知れ」「金返せ」「生きているかいがあるのか。さっさと死ね」などと穏やかではありません。
 「あんちゃんたち、真面目に走れや」とルパンが声を張り上げる。
 「ゆっくり行けよ。焦らないでいいからな」これは先行、逃げを戦法とする選手へのかけ声である。
 金網に顔を押し付けているファンに頷く選手は、まだ童顔で20歳。これがデビュー2戦目ある。
 それにしても、ほとんど若い女性をゴール前では見かけない。黄色い声援に注目するが、後ろ姿は若くても振り向けば、50をとうに越えたベテラン人生のご婦人である。化粧や身なりはいかにも水商売風で、手にするブランド物のバックは競輪場では奇異に映じる。
 一時期勝負師を任じていた私は、これらのご婦人に接近されたが、今は歯牙にもかけてもらえない。金の切れ目はなんとやらである。私の直感はしばしば大穴をゲットしたのである。
 「ゲット」とピースサインをして、払戻場に並んでいると顔見知りの数人がご祝儀を貰いに集まるのである。私からおこぼれを最高に貰った人は10万円。赤の他人に対して無造作に金を配っても妻に金をやった記憶がほとんどない。
 この日は、4レース、5レースを「けん・見」とルパンに告げて黙ってレースの流れを見ていた。
 「どうしたの。元ちゃんにしては、やけに慎重になっているね」ルパンはもどかしい気持ちを押させて言う。私が車券を的中させてご祝儀を貰う算段でいるのだ。
 「今日は期待してよ。女神がついているかね」と私はママさんの誕生日に賭けるつもりでいる。久々に帯びがかかった1万円札をゲットする気分になっていた。
 6番8番は、5レースも出そうになかった。
 スポーツ新聞も本命の軸は固いと◎印を並べている。そして結果は本命サイドで決着して、穴党ファンを落胆させた。多くの人間は穴買いすることの愚かしさを思いはじめていた。
 だが、大穴は災害のように忘れたころにやってくる。このジレンマにギャンブル狂は身悶えすることとなる。買った後悔、買わなかった後悔。それを反芻しながら深みにはまっていくのである。
 6レース、7レースも比較的順当おさまり、強い選手が勝ち上がったいった。そして8レース私は動いた。車券を購入する時には手にする1万円札が、小刻み震える興奮を味わった。「勝負」と心で叫んだ。
 結果はまさかの6番8番で決まる。(競輪は弱い選手が4番、6番、8番に入る.そこで4、6、8が絡むと大穴にしばしなる.ある人はヨーロッパ=4ー6ー8を買って、ハワイ、ハリウッドへ行こうと言う)。
 配当額は八百九十七万円。端数はどうであったのか。顔面が蒼白になっていた。ルパンが触れ回って、10人が集まってきた。顔見知りのそのまた知人も来て、ご祝儀を配る対象者が17人となった。1人に2万円を渡して競輪場を後にした。長居は無用である。
 なぜ金を配るかと言えば、彼等が私以上のギャンブル狂で、家も家族も失った人たちであったからだ。誰もが一獲千金を夢見ている。人生に逆転劇がなくとも、ことギャンブルにはきっと、何か叶うものがあるはずだ、と幻想を抱いているのである。だが、これ以上失うものがないルパンのようなホームレスと私に、どれほどの差があるのだろうか。語り尽くせないほどの愚かしい行為の繰り返しである。文字どおりの悪しき性なのだ。「死んでも直らない。病気なんだ」と妻は嘆くのです。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
                                 

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