生前葬をやりたい ?!

2024年10月17日 04時11分35秒 | 創作欄

60歳になった父が突然、生前葬をやりたいと言い出した。
生前葬になど出席するほど、多くの人は暇ではない。
だから、死んだことにするのだ。
当然、棺桶の中は空である。

以下は実際にあった話をベースに創作してみた。
歯科界、歯科業界も含めてバブルの時代、誰もが狂奔していた。
歯科器材を売っていたある歯科商社も建設・建築業、不動産業にも進出した。
だが、突然バブルが弾けたのだ。
振り出した手形が暴力団に流れた。
どのように借金を穴埋めするのか?
「死んで、金を作れ!」
押しかけてきた暴力団は迫った。
相手は保険金を目当てにしたのだが、経営者はその保険金を既に解約していた。
それほど金に窮していたのだ。
「では、葬儀をやれ!」
「葬儀?!」
経営者は相手の意図が理解できずに目を丸くした。
結局、青山斎場で盛大な葬儀が営まれた。
暴力団が、全ての段取りを整えた。

結局、全ての香典は、暴力団の手に渡ってのである。
当然、棺桶の中は空であったが、その経営者の行方は未だ分からない。
これは、ある経営者の従弟の歯科技工士から聞いた話である・・・

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<参考>

 生前葬

生があるうちに縁のある人やお世話になった人を招いてお別れと礼を述べるために行う人が多い。

また、本来出席できないはずの自分の葬儀に喪主として参加することができるため、思い通りのやり方で行うことができる。

そのため多くは、無宗教であったり、音楽やスライドなどを多用した明るい葬儀であったり、一般の葬儀とは異なるイベント的な葬儀となる。

形式はカラオケ大会から立食パーティー、また、自費出版の自分史を配るなど、様々。

しかし、本人が本当に亡くなった後も、遺族により再び葬儀が行われることもままある。

日本では交際範囲の広い知識人が、自らの社会的活動の終止を告知する機会として開催することが多い。

生前葬を行った主な有名人

児玉誉士夫
右翼運動家。1960年に生前葬を行った。1984年死去。
水の江瀧子
女優。1993年に生前葬を行い、以降芸能界を引退しメディアに露出せず隠居生活を送っていた。2009年死去。
養老孟司
解剖学者。200411月に山口県防府市の多々良学園講堂ホールで行った。

 


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