▼社会を変えるには、教育を変えなければならない。
教育を変えるには、教育者自身が変革していかなければならない。
では、どうすればそれができるのか。
人間の生命を現実に変革することだ。
鎌倉時代に、万民の幸福と社会の繁栄を願いながら、為政者を諫めたことで迫害を受けた日蓮の姿。
そこに、本来あるべき人間の生き方を、奇しくも教育者の一人が見出い出したのである。
それが、仏法の生命哲学であった。
本当の意味での「心の強さ」「精神の自由」を堅持するには、宗教的な拠り所が欠かせない。
古今東西、偉大な人物には必ずと言ってよいほどの、生きる指針・バックボーンがあるものだ。
「宗教的情操教育」として、偉人の生涯と通して、「各宗教の哲学と生き方の関係性」について学びを深めるべきだ。
「生命に対する畏敬の念」
「人間の力を越えたものに対する畏敬の念」を、子どもたちにが培うには、やはり、宗教が「人間の生き方」を現実の上で高めるものかどうかを学ぶ必要がある。
「畏敬」とは、崇高なものや偉大な人物を」「畏れ敬う」ことだ。
宗教によって豊かに創造される「生命の価値」「人間の生き方」に触れて初めて、「畏敬の念」も生まれてくるのではないだろうか。
教育者の革新が成され、教育の場も革新され、やがて世界平和も実現できる。
「子どもにとって最大の教育環境は、教師自身である」
1)信じ抜く2)ありのまま受け入れる3)励まし続ける4)どこまでも支える5)心をつなぐ。
一人の無限の可能性を「信じ抜く」。
あらゆる子どもを「ありのまま受け入れる」。
何があっても笑顔で「励まし続ける」。
たとえ一時は反発されても、「どこまでも支える」。
だからこそ「心をつなぐ」ことができるのだ。
教育の目的は「子どの幸福の実現」。
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