みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

『障害者は感動ポルノ』論争

2016-09-08 08:57:53 | Weblog

「今さら」の感もある。

しかし、最近『24時間テレビ』と NHKの『バリバラ』の間で(ネットを中心に)この論争が盛り上がっているようなので改めてひとこと(別に、今日パラリンピックが開幕したこととは何の関係もない)。

この「障害者は感動ポルノ」ということばは、コメディアンでジャーナリストのステラ・ヤングさんが最初に発したことば(元記事はこちら http://logmi.jp/34434)。

今回の「感動ポルノ」論争は、TV番組同士のバトルから始まった(と言われている)。

『24時間TV』の偽善的な(もちろんあからさまにこんな風に言われてはいないが)障害者報道に NHKの自称・障害者バラエティ番組の『バリバラ』が挑戦的な姿勢で臨んでいるとネット上で報道された。

これは、簡単に言えば目線の違い以外の何ものでもないのだが、この手の論争は(問題の本質をあぶり出してくれるので)多いにやって欲しいと思っている。

しかし、やはり(今回も)メディアは、この論争を「感動か笑いか」という風に論点をすり替えてしまっている(この点は、ひょっとしたら『バリバラ』に出演されている障害を持った人たちがNHKというメディアに利用されている向きもなきにしもあらず)。

私は、TVを持たない人間だが、『バリバラ』も『24時間TV』もどんな番組かはよく知っている(つもりだ)。

片や、いろいろな障害を持つ人たちが主役で進行するバラエティ番組(だから、バリアフリー・バラエティなのだろうが、最初にこれを観た時「なんでこんなタイトル?!」という違和感は正直拭えなかった)、片や健常者目線で「世の中の恵まれない人に愛を」的なキャンペーンを行うチャリティ番組。

目線がまったく違う。

ステラさんが訴えていたのは「障害者を健常者の感動のネタにするな」ということ。

障害者が未だに「フリークス」を見るような目で見られているということと、その「フリークス」を見ることによっていかに健常者が優越感に浸ろうとするかを「障害者は感動ポルノ」ということばで表現したのだ。

その意味では、ステラさんは「感動も、(人間の)欲望(のひとつ)だ」と定義していることになる。

最近よく言われる「心のバリアフリーを」みたいな論調も笑止千万。

バリアフリーに心と身体の区別なんかあるものかと私は思う(「心のバリアフリー」ということばはメディアや施政者にはとても好都合なことば)。

本来、バリアフリーとは(これ自体、和製英語だが)、この地球上すべてにある(健常者が障害者を見るような)「上から目線」を排除することであって、性差別、年齢による差別、仕事による差別などをなくし多様性を大事にすることも、環境を守っていくことも、イジメをなくすことも、基本的にはまったく「同じこと」。

喜劇王チャップリンや哲学者ニーチェもこのことを(別の言い方で)表現している。

チャプリン曰く「人を笑わせるためには、自分を(相手より)落さなければならない」。

つまり、「笑い」とは、人の優越感を満たすものであって、そのためにチャップリンは自分自身を(面白おかしくして)落し、人を(優越感に浸らせて)笑わせようとした(『バリバラ』の関係者はそこまで考えて「笑い」ということばを使っていたのかナ)。

そして、ニーチェも「同情とは軽蔑である」と言いきって、人の心の(中に潜む)欺瞞を明確に言いあてている。

よく見かける光景だが、(人を笑わせる)芸を持たない芸人は、目の前のお客さんをネタに(お客さんを落して)笑わせる。

が、このやり方は論外。

芸人が(自分を高いところに置いておいて)お客さんを上から目線で落して(笑わせて)「どうするの?」。

それってもはや芸の名に値しないでしょ。

ここまで言えば、「障害者は感動ポルノ」論争のポイントが見えてくる。

人間が笑うという行為はまさしく優越感そのもの。

健常者は「障害者を見て(自分はそうではないことに安堵して)同情する」。

つまり「同情」して、「優越感」に浸って、「感動」するという、ごくごく簡単なロジックだ。

その意味では、「感動する」ことも「笑う」ことも本質はまったく同じ。

だから、「感動か笑いか」なんていう論点自体がナンセンスなのだ。

TVの「チャリティ番組」が偽善と言われるのは、その番組を見ている視聴者の心から(この)「優越意識」をぬぐい去ることができないから。

とはいえ、この「優越意識」を人間から取り去れと言ってもそう簡単ではない。

人間社会には「階級(クラス)」というものが存在していて、お互いに「上だ、下だ」「勝った、負けた」と言い合っている以上(というか、今の人間社会ってここにしかこだわっていない)、人の気持から「優越感」も「劣等感」も永遠に取り去ることはできないだろう。

ならば、せめても、「人はみな違う」「人の違いを認めて生きていく」という「多様性(diversity)の意識を伸ばすことによってしか(間接的に)人のサガである「優越感(=上から目線)」を排除していくことはできない(と人々は考え始めているのだ)。

大多数の人が「人と同じ」ことをして生きている(あるいは、生きようとしている)日本社会でこの「多様性」はそれほど素直には受け入れられない。

日本社会で「個性」は自分勝手と勘違いされ易いが、実際は逆。

相手や社会に対する細かい配慮なくして「個性」を伸ばすことはできない。

自分のしていることやろうとしていることをまわりに認めてもらうための不断の努力が結果としてその人の「個性」を認させることになる。

だからといって、私は「障害は個性の一つ」などという言い方はしたくないし、それは「違う」と思う。

問題はそこじゃない。

障害があるかないかが問題なのではなく、逆に「障害があるかないかなんてのはどうでも良いこと」という意識ですべての人間が共存できることの方がはるかに大事なことだからだ。

今月の2日から恵子の「作品展」が伊豆高原のギャラリーで開かれている。

先日このイベントが伊豆地方のローカル新聞で記事になった。

若い男性の記者が取材に訪れた。

彼女の作品のほとんどがデコパージュやトールペインティングなので、一からその知識を教えなければならなかったが(若い男性は基本的にこうしたクラフトに関心は低い)、出来上がった記事はきちんと整理されとても好感が持てる内容だった。

なによりも良かったのは、ことさら恵子の病気のことや身体の不自由さを強調していなかったこと。

記事のほとんどを作品の紹介に徹してくれたのは、きっとこの記者の若さもあるのではと思った。

障害や感動で人目をひこうという記事ではなく、恵子の作品とその作品に興味を持つ人たちを(記事によって)つなごうという意識がその記事から感じられて私は気持がよかった。

 

恵子自身が障害者になり、彼女と一緒に毎日生活する中で考え体験したことは「貴重な体験」とかそんなヤワなことばで言い表せるものじゃない。

今ある自分、今そこにある現実を受け入れられないことが最大の「不幸」であり、目の前にあることを素直に受け入れられれば人は(誰でも)幸せになれるんだ。

こんな簡単なロジックに人はなかなか気づきにくい。

 

 


「貧しい芸術家はいない」

2016-08-28 15:59:29 | Weblog

十九世紀末、ノルウェーの貧しい漁村に住んでいる二人の姉妹。

この姉妹は、父が厳格なルター派教会の牧師で、父亡き後教会を守り村の人たちの監督牧師の役を引き受けて細々と暮らしている。

そこに住み着くお手伝いさんの名前はバベットさん。

もともとはフランスの三ツ星レストランの一流シェフだったバベットさんだが、1871年のパリコミューンの騒ぎでフランスを追われこの北欧の片田舎まで流れ着き姉妹の家の家政婦として働くようになる。

姉妹の毎日の暮らしを驚くほど豊かに切り盛りするバベットさんの唯一の楽しみはフランスの宝くじを買い続けること。

そして、ある日とうとう当りくじを引き当てる。

バベットさんは、姉妹や村人への感謝の印に昔働いていたパリの高級レストランのフルコース料理を当りくじで得たお金を全て使い果たしてもてなす。

これぞフレンチの極み!のような高級料理に対してわざと何も感じないフリをする村人たち(すべての快楽に対して禁欲的に生きるルター派にとって、カソリック信者のように味を楽しむことはある意味「罪」の一つだからだ)。

一方「こんな美味しいもの、フランスでも滅多に食べられない!」と目の前の料理やワインの蘊蓄を語る客の一人の将校。

この将校は、かつて姉妹の妹に恋心を抱いていた人。

晩餐が終わり招待された村人(姉妹も含めて)がこの上ない至福に浸る時、姉妹はバベットさんが「これが最後」と別れを切り出すものと覚悟する。

しかし、バベットさんの答えは意外なものだった。

「私は、また元の無一文になってしまったので、引き続き家政婦として働かせてください」と。

このことばを聞き姉妹は「(賞金を全部食事に使ってしまうなんて)なんでそんなバカなことをしたの」と唖然とする。

その問いに対する答えが「この世の中に貧しい芸術家はいませんから」というバベットさんのことば。

私は、この映画を最初に劇場で観た時、このことばを聞けただけでも映画を観た価値があったと思った。

しかし、原作ではもっと適確なことばで芸術の意味が説明されている。

バベットさん曰く「わたしは、すぐれた芸術家なのです。すぐれた芸術家はけっして貧しくなることはないのです」。

さらにこう付け加える「芸術家が次善のもので喝采を受けるのは恐ろしいことなのです。芸術家の心には、自分に最善を尽くさせて欲しいという世界中に向けて出される悲痛な叫びがあるのです」。

一番ではなくて二番で良いのではと言った政治家がいたが、世の中、最初から二番手を狙う人に何かを成し遂げられる人はいないと思う。

別に芸術だろうと科学だろうとスポーツだろうとどんな世界でも。

「芸術家が次善のもので喝采を受けるのは恐ろしいこと」。

私もそう思う。

だからこそ一切手を抜かずに全財産使い果たして最高のフレンチを村人たちにふるまったシェフ・バベットさんの味が「幸福」を招いたのだと思う。

 

『バベットの晩餐会』を書いたイサク・ディーネセンは、デンマークの貴族の家に生まれ嫁ぎアフリカに移住する。

しかし、夫のプランテーション経営は失敗し(しかも、夫は浮気で梅毒になってしまい彼女も感染させられる)離婚しデンマークに戻り作家として自立する。

しかし、まだ女性が自立して職業を持つことなど許されない時代だったため、彼女は、カレン・ブリクセンという本名を捨てて、イサク・ディーネセンという男性名で作家としての活動を始める。

それがこの『バベットの晩餐会』を書いた人物だ。

さらに、彼女の夫とのアフリカでのプランテーション経営破綻と恋愛の話しが、メリル・ストリープとロバード・レッドフォード主演の『愛と哀しみの果て(原題は”Out of Africa”)』という映画にまでなる。

『バベットの晩餐会』も『愛と哀しみの果て』もまだ観たことがないという人はぜひ二作ともご覧になることをお勧めする。

この2つの映画を既に見た人も、「『愛と哀しみの果て』でメリル・ストリープの演じる女性が、『バベットの晩餐会』を書いた人物なんだ」と思って見ればけっこう味わいも違ってくるだろう。

もちろん、私が一番注目してもらいたいのは、当時の北欧の貴族の生活でもアフリカの生活でもなく、「全財産を捨ててもなおかつ心を豊かに人を幸せにしてくれるもの、それが芸術なんだ」という点だ。

最近メディアで売れっ子になってしまった脳科学者の中野信子さんがどこかで(ご自分の IQの高さを例にあげながら)「IQの高さと人の幸せは比例しません」と言っていた。

当たり前じゃん。

そんなこと今頃気がつかれたのですか(と逆に彼女を突っ込んでみたくなる)。

実際は逆でしょう(とさえ思う)。

現実にはIQの高い人ほど、(お金や高い地位は得られるかもしれないけど)逆に、本当の幸せからは遠いのでは?

私の演奏(音楽)で誰かが幸せになれる。

もうそれだけで、私(自身)は貧しさから解放されている(ということになるのだ)。

バベットさんの料理で人が幸せになる。

この喜びを与えられる人たち(すべての芸術家)が貧しいわけはない。


2016-08-23 18:05:33 | Weblog

先日、アメリカ人の友人3人とお茶している時(一人はアーティスト、一人は教育者とその娘で私以外は全員女性)、突然「ジョン・ケージのspace と日本の文化について…」みたいな話しになった。

日本の絵画とか音楽、そして人と人の距離、つまり「間」をどう計るかみたいな話し、ダ。

すぐに思い浮かんだのはかつて恵子がやっていた日本画。

彼女は帯の会社に勤め帯の下絵を描いたりもしていたが、アメリカ滞在中は、アートフェスティバルやマーケットなどで売ったりもしていた。

そんな時アメリカ人は必ずこんな風に質問してくる。

「この絵、まだ未完成なんだろ? 何も描いてないスペースがこんなに残ってるじゃないか」。

いや、そうじゃなくってさあ、と西洋人は日本文化の「間」が理解できないのかとは思いつつも、私と恵子で丁寧にゆっくりと「日本画の間というのは、これこれこうであって…」と説明してさしあげる(笑)。

その甲斐あって彼ら彼女らが本当に理解したかどうかはよくわからないけれども、最終的には「interesting!」とかいって買ってくれるのだから、私たちにとっては有り難いことだった。

日本文化には本当に何もない「space(間)」がたくさんある。

音楽でもしかりだ。

私は、かつて自分のリサイタルで(そういえば、そんなスタイルのコンサートから遠ざかって久しいナ…ハハハ)三味線とフルートの曲を知りあいの作曲家に書き下ろしてもらった。

その作曲家は弘前大学の教授で津軽三味線とオーケストラの曲をたくさん書いていた作曲家/指揮者の人だったので(しかも、私のごく親しい友人だったので)躊躇なく依頼した。

フルートとお琴のため曲はそう珍しくないけれども、フルートと三味線の曲なんて滅多にあるものじゃない。

もちろん、出来上がった曲は素晴らしかった。

でも、この曲の完成には一つ大きな問題があった。

それは、どうやって練習すればよいのかということ。

だって、三味線の演奏を頼んだ端唄のお師匠さん(粋な着物姿の似合う美形のオネエサンではあったが)オタマジャクシがまったく読めないのだ。

なので、取り得る方法は唯一つ。

私が、楽譜に書かれた音を一音一音歌いそれを彼女に覚えてもらったのだ(これがホントの「口三味線」ってネ、ハハハ)。

これは、ある意味、日本音楽の習得方法としてはわりとオーソドックス。

なので、彼女に三味線のフレーズを覚えてもらうのにさほど手間はかからなかった。

問題は、休符。

西洋音楽では、休符も音符と同じく「1、2、3、4」と数えれば用は足りる。

しかし、これが彼女にはまったく通じない。

これも、考えれば当たり前の話しなのだが、日本の伝統音楽で数は数えない。

フレーズと同じように「間」は「これぐらい」と感じるものなのだ。

恥ずかしながら、私はこの時初めてそのことに気がついた。

どうしたものか。

これも、答えは一つ。

彼女がどこでどれぐらい休むのかを(全曲を通して)私が感じ取るしかない。

私が彼女の「間を計る」のだ。

なので、間が悪ければ「間違い」になるし、逆の場合には、とっても「間が良い」ことになる。

はは〜ん、これネ…。

日本語の慣用句に音楽用語が多いのはこんな理由だろう(ちなみに「打ち合わせ」も雅楽で使う音楽用語)。

音楽の「お休み」というのは、けっして「音が何もない時間」ではないということだ。

「間」という音楽がそこには存在しなければならないということなのかもしれない(と、私は理解した)。

多分、ジョン・ケージが作った有名な『4‘33”』という曲(4分33秒の間演奏者は何も音を出さない)はこのことを表現したかったのだろう。

音楽って結局「楽器が何かしらの音を出していること」なのではなく、色や形で紙を埋め尽くさない日本画や日本庭園の「間」の概念のように、「世界は、あるものとないもので構成されている」ということを表現することに近いのかナと思ってみたりする。

まあ、それが本当に正しい解釈かどうかはわからないし、究極それが「正しいか正しくないか」はどうでもよいことなのだと思う。

同時に、こんなことも思い出した。

宮中で催す晩餐会。

そこで必ずといってよいほど雇われるクラシックの室内楽(私も、かつて一度だけ迎賓館で演奏したことがある)。

西洋の晩餐会でつきもののBGMには明確な意味がある。

それは、VIPの皆さんが食事をしている最中に一番起こってはいけないことを避けるための「保険」なのだ。

それは、たとえそれがほんの一瞬であっても絶対に起こってはいけないsilenceを避けるための「保険」と言ってもいいだろう。

「沈黙」は、晩餐会の最中に「絶対に起こってはいけない事故」のようなもの。

それを避けるために楽士は雇われる。

「間」を極力避けようとする西欧文化と「間」にこそ万感の思いを込める日本文化との違い。

これは、人と人との距離感でも同じ。

「空気の読めない」人というのは、結局、人と人との「間を計れない」人なのかもしれない。

 

 


一人暮らしのおばあちゃん

2016-08-16 21:45:27 | Weblog

別荘地という、ちょっと変わったコンセプトの場所に住んでいるので、隣近所というのがあまり多くない。

この別荘地全体で何世帯、何人ぐらいの人たちが住んでいるのかもよくわからないが私のエリアには家が十数件ありそのうち常時住んでいるのは私の家も含めて5世帯ほど。

別荘地でいうエリアというは、東京郊外の建て売りが並ぶ新興住宅地によく見られる碁盤の目のような区画とは違い、どちらかというとドン詰まりの細い道路が無数にアリの巣のようにある(というか、人間の毛細血管といった方が近いのかナ)エリアの中の一つのドン詰まりエリアのこと。

その一つ一つのエリアだけみれば、それぞれまったくの「限界集落」。

まあ、日本中どこでもこういう場所は似たり寄ったりだと思うが、こういうエリアでの近所づきあいというのはとても微妙だ。

隣近所がけっこう遠い。

家は見えているものの、きっと大声出しても駆けつけてはくれないのでは…と思うぐらいの距離だ。

それでも災害を含めイザという時にはやはり近くにいる人同士の結びつきは欠かせない。

その私のエリアで一件だけ一人暮らしの家がある。

もともとはこの家のおじいさんとのつきあいもあったのだが、数年前になくなられ現在はSおばあちゃんの一人暮らしだ。

時々自分で作られた家庭菜園のものを「ダイコン持ってきたよ」と行って見えたりする。

私もお返しに「お菓子作ってきましたよ。食べてください」と持っていったりする。

そんな仲のおばあちゃんなのだが、最近姿が見えないナと心配になっていた。

朝の散歩の途中でも、「うん、どうしよう。ドアノックしようかナ」とも思ったりするのだが、まあお盆の最中だしどこかに出かけたのかもしれないと勝手に自分を納得させて人気のない家の前を通り過ぎる。

まあ、それでもちょっと心配で「電話を….」と思うものの、ダイヤルを回すきっかけがつかめないまま、そうだ、今日は午後から台風だナと思い、あわててスーパーへ買い物に出かけた。

するとよくしたもので、そこでちょうどそのSさんの向いの家に住むおばさんから声をかけられた。

これ幸いと私は「Sさん、どうしてます?最近見かけないですネ」と切り出すと彼女「ああ、Sさんね、いま東京の娘さんのところに行ってらっしゃいますよ」。

そうだったのか。

それならよかったと、とりあえず胸をなでおろす。

そう言えば、Sさん以前に言っていたっけ。

「前は、よくマゴたちが遊びに来ていたの。でもこの頃は虫が嫌いと言ってこちらに来るのをいやがるようになって最近はサッパリ」。

だから、おばあちゃんの方から娘さんやお孫さんたちに会いに出かけたのかナ。

年寄りに無理に旅させずにみんなでこっちに来てあげればいいのにとは思うものの、とりあえず無事がわかっただけでもデメタシ、デメタシ、でした。


アクティブラーニングということを

2016-08-05 18:42:57 | Weblog

文科省が言い出した。

厚労省が「認知症カフェを作れ」と言い出したことと同じで、なんで行政の初動というのはこうも遅いのかといつも不思議に思う。

事件の初動捜査の失敗で迷宮入りする事件があまりにも多いのと同じで、アクティブラーニングも認知症カフェもきっとたいした成果をあげられずに終わるのではと思ってしまう(のは、勘ぐり過ぎかナ?ハハハ)。

大体が、こんな当たり前のことと今までやってこなかったことの方がオカシイ。

生徒が同じ格好をして同じ方向を向いて同じ教科書を同じように眺めていることが「教育である」ということの方がはるかにオカシイということにやっと気づいたのだろうか。

日本という国は、なにしろ「同じ」ということへの呪縛があまりにも多過ぎる。

なんで人と同じことをしなければいけないのか。

なんで人と同じように学校に行かなければいけないのか。

私の小さい頃からの疑問だし、今でも「疑問」に思っている。

先日ある高校生から「親になぜ大学に行かなければいけないのか尋ねても、とりあえず行けとしか答えてくれませんでした。どう思いますか?」と聞かれた。

みんなが大学に行くから、お前もとりあえず行け。

それって(マジに)答えになってないと思うのだけれども、きっとほとんどの親はそう答えるだろうナ(と思う)。

「みんなが行くから行く」「みんながやるからやる」。

だから、「オマエも大学にとりあえず行け」。

ある意味、この国ではこれが正論なのかもしれない。

でも、人生の一番ナイーブな時期にいる高校生にしてみれば、そんなこと「オカシイ」としか思えないだろう。

件の高校生、私から「そんなところ行く必要ないよ」という答えを期待したのかもしれないが、私としては「じゃあ、何をする」という代案を用意せずに安易に「大学なんか行く必要ないよ」と答えるわけにはいかない。

じゃあ、(大学に行かない代わりに)どうする?が必要なのだ。

「ラーニングピラミッド」というものがある。

どういう風な教育スタイルで学べば知識の定着率が高くなるかという分布をピラミッドのような表にまとめたものだ。

ピラミッドの頂上に行くほど定着率が悪い。

つまり、効率の悪い教育法ということになる。

このピラミッドの一番頂上にあるのは「教室での講義を聞くこと」。これが5%(の定着率でしかないとこのピラミッドは教える)。

その次に来るのが、「マスタークラス」などの特別な講義スタイルで、これが10%。

3番目が「視聴覚による授業」で20%。

次の「プレゼンテーション(生徒に発表させること)が30%。

そして、以下、ディベイト(50%)、体験学習(70%)、他人に教えること(90%)、と続く。

つまり、教室でただ授業を聞いていてもほとんど知識は頭の中に入りませんよということをこの「ラーニングピラミッド」は示しているのだ。

人に教えられるようになってはじめて「自分の知識」として定着する(そりゃそうだろう)。

だから、「アクティブラーニング」が必要なんです。というのが、おそらく行政の考えていること。

まあ、この定着率云々はアメリカの教育機関が調べた結果だからそのまま鵜呑みにもできないけれども、きっと概ね当っているのだろう。

いつも思うこと。日本の教育に絶対必要なのはディベイトや体験学習。そして、日本語の学習。

体験学習は、実際の会社やお店に体験的に「実習」として出向く授業は既に(小学校でも中学校でも)実施されているけれども、子供たちを営業時間内に引き受けるのはお店にとっても会社にとっても厄介なお荷物。

だから、どこかの高校のように、実際にレストランを作るところから「体験」して「運営」していけば本当の意味での体験学習になるだろう。

容赦なく人間の生活に入り込んできているロボットや Aiをうまく使いこなすワザを発見できるのは、間違いなく(頭の固い)大人ではなく子供たち。

ポケモンGO やペッパーなどという、現実の世界にVRが殴り込みをかけてくるような「無礼な存在」とどう対峙していくのか。

毎日の生活に容赦なく入り込んでくる(ビッグデータ)による「おせっかい」にも私たちは対峙しなければならない。

二十世紀に作られた数々のSFが現実のものとなっている「今の生活」に正しい処方を書けるのも子供たち以外にない。

「現実」を変えたいとも思わない大人たちの怠慢を子供たちが「未来の希望」に変えられるようにするにはどうしたら良いのかを最近よく考える。

その答えが、「アクティブラーニング」や「認知症カフェ」とは到底思えない。

 


『県庁おもてなし課』というのは

2016-07-28 15:14:54 | Weblog

単なる映画のタイトルかと思っていたら、実際に高知県庁にあるらしい。

とはいっても私はこの課の実情をよくは知らない。

ただ、私がこの映画を見た時に真っ先に思い浮かべたのは、千葉県松戸市の「すぐやる課」だった。

こちらも実在する課。

「すぐやる課」ができた時、メディアではかなり取り上げられていた。

有名ドラッグストアチェーンの社長さんが市長さんだった時にこの市長さんの「鶴の一声」でできた課だったはず(確か)。

さすが民間感覚と思った。

今でも松戸市にこの課はあるらしいが、ある意味、日本全国のどこの役所にも必要な課なのではと思う(実際、現在は日本全体で300ぐらいの自治体に同様な課が普及しているらしいが、役所の機能として「やるかやらないか」は一番大事なポイント)。

先日、私の所属するI市の介護家族会の会合に役所の高齢福祉課の職員が数人、認知症カフェの説明にやってきた。

説明と言っても、こんなカフェをやります、やっていますという説明ではなく、これから認知症カフェを作るので他の自治体に見学に行ってきました。その報告をします。ということ。

「うン?見学…?今頃なにを寝ぼけたことを言っているのか」と、正直思った(というか、ちょっと呆れた)。

私が、3年前彼ら(つまり、この役所の担当窓口)に「音楽を使った認知症カフェをやりたいんですけど協力してもらえませんか」と行った時はほとんどやる気を見せなかったのに、今度は国から「やれ」と言われたのであわてて勉強しています、ということ(だと思う)。

私自身いろいろな場所の「認知症カフェ」をリサーチした結果「こんな風にやった方がもっと効果的ですよ」と私がプレゼンした時役所が私に言ったことばは「役所は、みつとみさんの企画だけでなく、いろんな人たちの広汎な意見を聞かなければなりませんので…」ということだった。

要するに、「やらない」「やりたくない」という本音を取り繕っているだけに過ぎないと思った(だから、私は身銭をきってやった)。

さらに役所が言ったことばは、「役所は認知症ということばをなるべく使いたくないんです。自分を認知症とは自覚していない人たちの予防対策をしなければいけないので」という説明(認知症対策なのに認知症ということばを使えない自己矛盾)。

ここが、日本の民主主義の決定的な欠陥だと私は思っている。

「八方美人」であることが民主主義だという思い違いは一体いつ頃からこの国に定着してしまったのだろう(要するに、全員の言うことを聞くフリをしていれば責任を取らなくて済むからなのかナ?)。

まず国や自治体として「こういう考えでこういうことをします」という「思想」が先になければ人はそこに賛成も反対も示しようがない。

北欧の福祉政策はまず「国をこうしていきます」という「思想」が先にあるからこそ高い税金にも国民は納得しているわけで、ただ税金を高くするだけでは誰もついていかない。

北欧の消費税は8%とか10%とかのレベルではないが(25%とか30%のレベル)、教育費、医療費、介護費無料といったきちんとした見返りがあるからこそ国民は納得して払うのだろう。

 

先日、昨年私が出演しスピーチしたプレゼンイベント TEDxを今度は聴衆として見るためにある男子高校生と一緒に行った。

彼は、このイベントにとても関心があり自分でも「将来出たい!」と言っていたので「一緒に行こう」と誘った。

途中彼が「日本の会議ってなんであんなに時間がかかるんでしょう?5分で終わらせられないんですかネ?」と言った。

私は、彼が言うように絶対に5分で終わらせられるだろうと思う。

まず議案を「やるの?やらないの?」を決めるところから出発すれば良いだけのことだ。

「やらない」という結論ならそこで会議は終わるし、もし「やる」となったら「どうやって実現させるか」の方法論の意見を出しあえば良いだけのこと(それに1時間かかるのか2時間かかるのか数日かかるのかは内容次第だろうが)。

しかし、日本の会議はそのいずれでもない。

10人出席していれば、10人すべての意見をとりあえず聞こうとする。

これがはなはだメンドくさい。

でも、これが日本の民主主義(だとみんな思っている)。

こんなもの民主主義でも何でもない。

だって、本音はそんなところにはなく、ただ全員の意見を聞かないとそれぞれの人たちの「顔が立たない」からそうしているだけの話しだ(「顔をたてる」というのは日本の組織ではかなり重要なことで、これが日本流の間違った民主主義の元なのかも?)。

そうやって、延々といろんな意見を頂戴しているから、結局、やるのかやらないのかすら決められないで時間だけが無駄に浪費されていく。

誰かが言っていた「もし日本の会議をもっと合理的にすれば、日本のGDPは確実に20%以上は上がるはず」だと。私もそう思う。

5分で終わることを1時間も2時間も、時にはもっと延々と時間をかけていることの途方もない「ロス」は日本の社会全体の無駄だ。

これも、トドのつまりが、はっきりモノを言わない日本人のファジーさのゆえなのだろう。

「やるかやらないかではなく、その間にある微妙なサジ加減が大事」とよく日本人は口にするが(ことばで言うと少しはきれいに聞こえるのだが)、それって「結局どっちなのよ」とツッコミを入れたくなる。

私は、社交辞令が言えない人間なので、ファジーな表現が多過ぎる日本の社会ではちょっと「浮く」(でも、幸い、世の中がもっとおおらかだった時代に生まれ育ったせいか、イジメにもあわず、不登校にもならずに今日まで生きてこれた)。

いつでもどこでも直球でモノを言うクセがあるので、日本の公共放送の仕事をしていた時は何回か始末書を書かされた(単に、言いたいことを自由に言ってきただけなのだがナ…)。

これまで一度も給料をもらう(雇用される)立場になったことがないのも、この「自由にモノを言いたい」がため。

「安定」とは対極の人生を送ってきた。

でも、そのことに対する後悔は微塵もない。

だって、人間にとって「自由」以上に大切なことはないと信じているから。

(自分が正しいと信じることを)言ったりやったりできない人生は絶対に人を幸せには導かないと思うのだけど、人間って(生活のために)どこかでそれを「しょうがない」と諦めてしまうのかもしれない。

だとしたら、とても悲しい。

まわりに流されて生きることだけは、(私には)これまでもこれからもできそうにない。

 


音楽と病気

2016-06-29 08:21:20 | Weblog

の関係について本を書こうと、数年前からいろいろ調べている。

本を書く時いつも気をつけていることがある。

それは、あまりタイトルとか目的にばかり囚われないということ。

そうでないと、最初から結論ありきでそのためのデータばかりを積み上げてしまいがちになるからだ。

例えば「この病気になる音楽家にはこうした共通の要素があった」みたいな推論を最初にたててしまうとどうしてもその「結論」に持っていこうという意識が知らず知らずのうちに働いてしまう。

出版社の人たちは、本の帯に「作曲家はみんな認知症だった!」なんてコピーを書きたがる。

「そんなのウソに決まってる」と思っていてもつい本を手に取ってしまう人の心を知っているからだ。

そうした「釣り」を世の中は宣伝の手段として効果的に使う(特に、ネット社会ではその手法を一般の人たちまでが使うからかなり「トホホ」だ)。

最初から結論や結果ありきだと、当然のことながらデータの偽造やえん罪などが起こるリスクが増す。

製薬データ、燃費データ、冤罪云々にしても人の命にかかわることだという意識を持っていれば「そんなこと…ダメ」と常識的には考えられるはずなのだがそれでもこうしたことを人は常に繰り返す。

それは、別の見方をすると、人間が細かいところを掘り下げていけばいくほどまわりのことが見えなくなってしまうからなのでは….。

ある種、人間のサガの一つと言えなくもない。

常に「俯瞰で全体を見ながら細部の顕微鏡的考察をする」というような思考や論理はあくまで「理想」であって、それができる人はそれほど多くはない。

病気も、人間の身体や精神のある一部分の異常といった視点で考えると「大変!」とか「絶望!」とかいった方向に行ってしまうけれども、もっと大きな視点(つまり俯瞰的な視点)で考えれば「ふ〜ん、そうだったのか、手が動くことって別に当たり前でも何でもないんダ」という簡単な事実がわかる。

これがわかるだけでも病気に向き合いやすくなる。

未だに手も足も自由には動かない恵子と毎日一緒に生活しているとわかってくることがたくさんある。

毎日彼女が寝る前に足湯をする。

(自宅の)温泉を大きなたらいに入れてベッドサイドまで持っていき足のマッサージをするのだ。

彼女は毎日お風呂に入ることができないのでせめてもの代用品(としてやっている)のではなく、これもリハビリの一つとして積極的にやっている。

昨日も彼女に足湯を浸からせながら筋ジストニアで右手が動かなくなったピアニスト、レオン・フライシャーの話しをした。

ボツリヌス菌をほんの少量身体に注射するボトックス治療のおかげで彼は演奏活動に復帰できたんだよ、云々。

でも、この話しは「だからボトックス治療しようよ」と彼女に勧めているわけではなく、逆に「フライシャーの病気と恵子の病気は根本的に違う病気なのだし他の条件もまったく違うんだから、別にそれをやったからといって同じ効果が現れるわけじゃない。

だから、ふだんの地道なリハビリを頑張ろうよ」という意味での問いかけだった。

以前投与を続けていた筋弛緩剤の服用を再開したが、またすぐにやめた。

やはり副作用の方があまりにも多いので薬は飲まない方が良いという結論になった。

だったら最初からその薬服用しなきゃ良かったじゃないかと言われそうだが、人の機能が当たり前の状態にない人間は、それを元に戻そうと必死になる。

それこそ、「溺れる者、藁をも掴む」のも人間のサガの一つであることも間違いない。

結果、ダメだった。じゃあ、今度は違うやり方を探そうかと常に前を見て生きていかなければならない(と私は思っている)。

こうした「生き方」そのものや人間としての「当たり前」の意味を教えてくれるのも、ひょっとしたら病気というもののなせるワザなのではと最近よく思う。

作曲家ラヴェルが晩年に認知症になり、作曲もできたしピアノも弾けたにもかかわらず楽譜を読むことがだんだんできなくなったことを知り「ああ、そうなのか。音符を読むのもことばを読むのも脳の中では同じ機能なんだナ」ということがわかる(音を聞いているのは右脳の働きだが、音符やことばを記号として理解するのは左脳の働き)。

では、ラヴェルは認知症に罹患して以降音楽家として無能になってしまったかと言えばけっしてそんなことはない。

逆に、彼は、認知症になってから死ぬまでの25年間の方が音楽史に残る名曲をたくさん残したわけで、世の中の認知症の患者だって、別に新聞が読めなくなったからといって、昨日食べたものを覚えていないからといって「人間として終わった」わけではけっしてない。

そこを「終わった」ことにしてしまう現在の認知症に対する考え方そのもの(というか、メディアの報道の仕方かナ)が一番の問題だし、病気や健康の意味をもうちょっと別の視点から考えてみる必要があるんじゃないだろうかと思っている。

病気じゃない人間なんて一人も存在しない。

それぐらいラフな(いい加減な)考えから病気と向き合っていく方が、人はもっと楽に生きていかれるんじゃないのかナ。


認知症カフェは成功するか

2016-06-12 10:52:02 | Weblog

数年前から始まり最近日本全国で急に盛んになり始めた認知症カフェ。

その必要性と居場所作りに行政がやっと本腰を入れ始めているようだ。

でも、私が今住んでいる静岡県のI市というのは全てにおいてスローな場所(というか、私には緊張感も危機意識もまったくないような場所にしか見えないのだが)。

なので、ここで起こることは私にしてみれば「何を今さら」ということばかり。

私が認知症カフェに関心を持ちいろいろセミナーに出席したり実際に名古屋とか大阪のカフェを見学に行ったのもはるか遠い昔だ。

 I市よりもはるかに人口の少ない近隣の小さな行政区でも既に(認知症カフェを)始めている。

という現状を見てI市もやっと(カフェを)作るのかと思いきや(調査のために)違う市まで見学に行くのだと言う(なんだ、たったそれだけかい?)。

先日そのお知らせが来た。

ただ、これも「?」だらけのお知らせ。

一緒に行きたかったら何月何日に市役所の前に集合して「自分の車でついてきなさい(もちろんこんな口調ではないけれど)」という上から目線のお達し。

う~ん?何? 見学したかったら自分の車で追いかけてこい?

ばかも休み休み言え、ダ。

この町の役所のやることというのはどこまでずれているのだろう(役所ならマイクロバスぐらい納税者のために出しなさいヨ)。

私は、以前の市内で自腹をきって「認知症カフェ」の新しい形を実践したことがある(レストランのオーナーに話しをして14、5人の認知症患者、あるいはその予備軍の人たちのための音楽カフェを市の援助なしでやった)。

これを実施する前の行政の言い分はこうだった。

「(他にもいろんなことをやっている人や団体がいるので)市はアナタ一人の要求を聞いているわけにはいかない」。

ふ~ん、私が認知症の音楽カフェを自分の私利私欲のためにやっているとでも言いたげな口調だ(この市の高ビーな対応は、公営ギャンブルの収益が多いからなのだろうか)。

最近話題の東京都のM氏は、随分前に「私は自分の親の介護をこれだけ一生懸命やりました」と大いばりで言っていた。

瞬間、私は「ウソだ!」と思った。

ちょっとでも本気で介護に関わったことのある人ならM氏の言う介護が口だけだということを瞬時に見抜けるはずだ。

介護は決してきれいごとでは済まされない。

文字通りさまざまな汚物(精神的なものも含めて人間の吐き出すあらゆる汚物がそこに垂れ流される)と格闘して人としての「普通の生活」を懸命に維持していこうとするのが介護。

それだけの覚悟と実践を経験した人のことばとは思えないほど(この人の)ことばは表面的にしか聞こえてこなかった(でも、介護経験のない人にはM氏のことばはかなり美しく「感動的」に聞こえたかもしれない)。

 

翻って認知症カフェそのものの考えは別に悪いことではないけれど、月に一回、週に一回だけの居場所を作って一体何が変わるのかナと思う。

今の認知症カフェって「時限的に」空間を作り出して講演聞いたり勉強会やったりイベントやったりするだけのモノなので、私は、その意味ではあまり評価していない(というか、ほとんど評価していない)。

お茶を飲んで話しができるから「カフェ」と言うのだろうか(カフェって、いつ行ってもお茶が飲めて、カフェごはんが楽しめる所じゃないの?)。

だったら「認知症カフェ」と「老人クラブ」は一体どこが違うのだろうか。

そう。私がずっと介護の仕事や介護関係の人たちと話しをしていて一番感じる違和感は、介護を「老人問題」だと決めつけていることだ。

絶対に違うと思う。

介護というのは、北欧の福祉システムがそうなったように、「ゆりかごから墓場まで人はどうやって生きていくか」という文脈で考えない限りその本質は絶対に理解できない。

この一番肝心な部分に北欧はいち早く気がついたからこそ、今のような充実した介護システム、福祉政策を実行できているのだと思う。

今私は個人的に、お産、保育、子育ての方により強い関心を持っている。

だって、人生はそこから始まるのだから、その部分から「看取り」までの一環した流れを作っていかない限り介護問題の解決なんて遠い夢のまた夢なのではと思う。

 それに「居場所」というのは、本来「自分」で見つけるもの。

自分の居場所がないからその場所を他人や行政が作ってあげる。

うん?

違うと思う。

自分をなくしてしまった人(=認知症の人)だから自分を見つける場所(自分がいられる場所)を提供してあげる。

これも違うような気がする。

実際に認知症の患者と日々接している人たちでも「(認知症患者は)何もわからない」という言い方をする人は多い。

何もわからないって誰が決めたの?

ぼうっと遠い目をした人たち(認知症患者の人たち)は、本当に「何もわかっていない」のだろうか(誰だってそんなことぐらいいくらでもあるじゃない)。

それに、「わかる、わからない」のボーダーラインってどこにあって、誰が決めるのだろうか。

四六時中、24時間「私」が問いかけるたびに「私がアナタの娘である」ことを認識できていないと、子は親を親として認めないのだろうか。

1日のうち10分でもわかっていれば「わかっている」でいいんじゃないの。

どうしてもっと自分の親に優しくできないのかナ。

愛のない介護なら(そんなもの)ドブに捨ててしまった方がマシだと思う(今は、ドブすら存在しない世の中だけどネ)。


シミ抜き

2016-06-07 08:56:09 | Weblog

冬物の衣服を整理し夏用の薄めのジャケットを取り出して「ヤバ~っ!」と思った。

ふだんからちゃんと手入れをしておけば何でもないものの、ジャケットの表面にシミが数カ所。

うん、このままじゃあ着ていけない。

早速ベンジンを買いに走った。

かつて祖母がベンジンを使ってシミ抜きをしていたことを思い出したからだ。

染み抜き用ベンジンとして百数十円で売っていた(未だにこんなに安いんダ!)。

綿に染み込ませたベンジンで丁寧に拭いていきシミをきれいに取り去ることができた。

ふだんやっているアイロンがけのやり方も卵焼きの作り方も祖母のやっている姿を思い出しながら真似ている(真似ているというか「オレの方がうまいゾ」と未だにおばあちゃんと張り合っているだけなのだが)。

祖母が元気で家事をやっていた時の姿が、ある意味、私の手本で師匠。

いわゆる「おばあちゃんの知恵」を使いながら今を生きている自分の姿に時々ビックリすることもある。

小さい頃よくオデキをこしらえては赤く腫れた私の傷口に祖母はキャベツの上で焼きシナ~となったドクダミの葉をクスリとして使っていた。

するとたちまち膿が吸い出され傷口が完治するというこの民間療法を、それが必要なくなった今でもドクダミの花を見るたびに思い出す。

そういえば、巷で売っている健康茶の類いには(たくさんある成分の一つとして)必ずドクダミが入っている。

核家族になって年寄りと同居しなくなった現代の生活にはこうしたものはきっとなかなか受け継がれていかないんだろうナと思う。

しかも、そうした「おばあちゃんの知恵」は家庭の中にあるわけじゃない。

その多くが施設の中で「眠っている」。

認知症と言われているおばあちゃん達にそんな話しをふるとけっこうすごいリアクションが返ってきて盛り上がる。

施設スタッフの人たちの多くは若過ぎて、その話題の振り方自体がわかっていないからだ。

これも勿体ない。

もちろん、今はネットで調べれば何でも出て来るが、そうした知識や体験は身体が覚えているものではないので咄嗟には使いにくい(本当かナ?嘘かナ?の判断で使う前にきっと迷うだろう)。

先日作った桑の実ジャムでも「え?それって食べられるの?」と聞く人が多かった。

別に桑の実を食べることが人生の一大事ではないけれど、こんなに美味しくて栄養のあるもの食べないなんて…何となく勿体ないナと思った。


25人分のケーキ

2016-06-05 10:28:00 | Weblog

昨日、近所の小規模多機能型居宅介護ホームにケーキを作って届けた。

スタッフとあわせて25人分にもなったが、昔からこれぐらいの人数分のケーキや料理は作り慣れている。

ついでにこの前作った桑の実ジャムも添えて(オヤツの時間に)食べてもらった。

小規模多機能型居宅介護ホームなんて長ったらしいことば、一般の人はほとんど知らないだろう。

特別養護老人ホームや有料介護つき老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、老人保健施設、認知症グループホームとか、最近の介護サービスはいろいろあり過ぎて(私でさえ)ついていけない。

まあ、多様化ということ自体は全然悪くないのだけれども、その内容を把握していないと一般の人はそのどれが良いのかまったく見当がつかない。

私が時々訪ねるこの小規模多機能というのは、できるだけ家庭に近い形で(自立の)お世話するデイサービスやショートステイのサービスといえば一番的を得た説明なのだが、それでもこの分野に馴染みのない人には「?」ではないのか。

じゃあこのホームが実際家庭に近いのか?と冷静に考えてみる。

うん、確かにもともと普通の家屋(伊豆高原の桜並木沿いのとても環境の良いところ)だったところを改造して使っているので(お庭もとても奇麗で)、家庭っぽさは十分あるし皆さんけっこう自由に活動しているのだけれども、まあやはり「自分の家」ではないだろう。

だって、それぞれの家族が一緒にいるわけではないし、同じようなお年寄りがわ~っと集っているので、普通の家庭、家族とはやはり違う。

それでも、これまで見てきた有料や特養、デイサービスのお年寄りよりは多少元気かナ?という感じ。

ただ、ほとんどの方が認知症気味なところは他の施設とあまり変わらない。

なので、私がケーキ焼いてきましたと言ってもどれぐらいストレートに伝わっているか疑がわしい(笑)。

やはり、できたらこの一人一人のお年寄りの家庭にお邪魔して「ケーキ焼いてきました。一緒に食べましょう」的な雰囲気が作れたらナと思う。

ではなぜそれができないかと言えば、ここに来るお年寄りも施設に入居しているお年寄りたちも、ある意味、それぞれの家庭から「ハジき出された」人たちだからだ。

要するに、先ほど並べたたくさんあり過ぎる介護サービスはすべて「介護している家族が休むため」に作られた(避難)場所に過ぎない。

この図式は何十年も前も今も変わっていない。

要は、この何十年に増え続けた高齢者のための「受け入れ先」の選択肢が増えただけのこと(それが、複雑な介護サービスにつながっている)。

じゃあ、この問題をどうやったら解決できるのか?

この地球上の人間が営む生産様式(つまり、生活を維持していくための生産方式、マネー経済による社会の仕組みそのもの)が変わらない限り、そこからはじき出されたお年寄りは「行き場」を失うことに変わりはない。

だって、ほとんどの年寄りはその「生産様式」に関わることができないからだ。

じゃあ、逆に、関われるようにすれば良いじゃん、とも思う。

そこで、リタイアした人たちや高齢者、障害者を雇用するような「セカンドチャンス」の仕組みを作ろうともしているけれど、これもそれほどううまくは行っていない。

だって、停年退職するまで営業畑や事務職だった人にいきなり農業や漁業、土木工事をやらせたって無理に決まってるじゃんと思う(趣味でやる分には問題ないだろうけど)。

なんで一生のスパンでその人の特技を死ぬまでやらせてあげる仕組みができないのかナ。

その点、音楽家やアーティスト、クリエーターは基本的に(同じことをしながら)死ぬまで現役でいられるのだけれども、これとて若い世代と対等に競争していくのは至難のワザだ。

だから、何か「特別」なものを持たない限り世の中に貢献していくことはできない。

まあ、きっとここが「個人(の肉体と資質)」と「社会(での役割)」が相反して成立する人間社会のサガ(あるいは原罪かナ)なのだろうナと思う。

世の中に社会学者と言われる人たちはゴマンといるけれども、彼ら彼女らの仕事ってこの相反するテーゼへの解答と解説をしてくれることなんじゃないかナと思う。

別に、この「弁証法」的な問題に対してヘーゲルのような哲学的な理論や解説をしてくれるよりも、じゃあ実際に「どうすれば老人と社会が共存できるのよ」という問題に答えを与えて欲しいのにナといつも思う。

そこに「愛こそすべて」と(笑われてしまうような)ロマンチックな解答を持ち出すつもりもないけれど、どこかでそれを信じたい自分もいる。


医食同源

2016-06-03 15:06:37 | Weblog

小さい頃から料理が好きで一時は「シェフ」を志したこともあったけれども、今毎日の食事を三度三度作る生活の中で常にこの「医食同源」ということばが頭の中を舞っている。

当たり前のことを言っているに過ぎないと思う。

でも、真理とはきっとそういうことなのだろうと思う。

世の中の普遍的なことって、とてつもなくシンプルでとてつもなく当たり前。

だから人間の生きる基本(真理)になるのだろうと思う。

人間は食べなきゃ生きていけない。

でも、問題は何をどう食べるのか。

毎日の食事を作るたびに考えるのは栄養のバランスと味のバランス、そして気持とのバランス。

恵子が病気になって病院に入院している時、彼女の病院食をいつも観察していた。

もちろん栄養士、調理師さんが作った食事だから栄養のバランスが取れているのは当たり前のこと。

味もそこそこ。

でも、あまりワクワク感はない。

だから、彼女が退院して以降、家での食事には「栄養のバランス」プラスこのワクワク感をどうやったら作り出せるかいつも考えている。

彼女の大好きなパンを手作りする(恵子は、パンさえあれば生きていけると言う)。

週に1回はケーキを焼く。

パンもいろいろ。

ライブ麦パンはうちの定番だが、全粒粉や米粉のパンも作る。

クロワッサンやバターロールも時々作るけどこちらはバターが多いのであまり頻繁には作らない。

その点ライ麦パンや全粒粉のパンは身体に優しい(と私は思っている)。

家庭菜園で野菜も作るけど、そんなに凝る方でもないので、「買った方が安いや」と思えばスンナリと日和ってしまう(ここら辺、農家の直営野菜も多いし)。

要は、そんなに「自然派」というわけでもないのだ。

すべては、恵子の身体のため。

自分の食事よりもまず恵子の食事だ(母親が自分の食事よりもまず子供の食事や栄養のことを考える気持に似ているかもしれない)。

恵子の身体も心もまだ完全には回復していない。

だからこそ「食事」が一番大事だと思っている。

一時は太ってもらうために栄養補助食品も医師から処方してもらったけど、それを飲むと食事が細くなるので(この食品、滅茶滅茶カロリー高いのだがまずくてチョー飲みにくい!)、それじゃあ「本末転倒だ!」とすっぱりとこの補助食品はやめた。

おかげで、彼女の食欲はどんどん増している(でも、そう簡単に太れるわけじゃない)。

基本的に歩けないし身体もあまり動かせないので身体のエネルギー代謝が悪いから食べているわりには筋肉や脂肪には転化していかない。

でも、「食欲」は大事。

人間は「食べたい」という意志さえあれば生きていかれる。

そして、その「生きたい」という意志が病気を治してくれるわけで、病気を治すのはけっして医者でもクスリでもない。

「お腹すいた」という恵子のことばが私には一番嬉しい。


Mulberry(桑の実)

2016-05-30 15:04:57 | Weblog

1キロ近く桑の実を採ってジャムにしたけど、できたのは180g瓶が3つと30gのミニ瓶が一つ。

これだけの量のヘタ取りだけでほぼ3時間。

毎年桑の実のヘタを取るたびに何とかならないのか…と考える(これが面倒だからみんなあまり桑の実に関心がないのかナ)。

でも、ジャム作りは楽しい。

もうすぐブルーベリーも実が熟してくる。

 


最近クスリをまた飲み始めた

2016-05-20 16:46:35 | Weblog

一時5,6種類の薬を飲んでいた恵子。

それが、ここ半年ぐらい全く薬を飲む必要がなくなっていた。

主治医もなるべく薬は処方しないタイプの医師なので、半年ぐらい薬ゼロの日々が続いた。

しかし、つい数日前から一つだけクスリを一種類こちらから頼んで処方してもらった。

最近、麻痺のために足がツッパって固まる痙縮(けいしゅく)がひどくなっていたので以前処方してもらっていた筋弛緩剤を復活してもらったのだ。

もともと医師に勧められて飲み始めた筋弛緩剤。

でも、薬である以上副作用は避けられない。

しかも、筋弛緩剤なのだから(その量が少ないとはいえ)胃薬とはワケが違う。

これは一種の賭けに近い。

すべては彼女の「明日(復活)へのモチベーション」をあげるため、なのだ。

一年ちょっと前にある日突然杖の歩行から車椅子生活になってしまった彼女の(復活への)モチベーションは、以前ほど高くはない。

本人は「そうではない」と否定するが、突然動かなくなってしまった自分の足への(彼女自身の)信頼度はほとんどゼロに近い。

たしかに以前よりツッパリやこわばりは強い。

それが何によるものかは医師にも彼女にも、療法士にもわからない。

ただ、世の中にまったく理由がなく起こる事象はないはず(と私は思っている)。

だから、彼女自身の心の「何か」が彼女の足を動かなくしているものなのか、それとも、以前よりもつっぱってしまった身体が彼女の歩く意欲をそいでいるのか。

きっとどっちもなのだろうと思う。

心が先か身体が先かなんて「鶏が先か卵が先か」論争のようなもので、同じ事象の裏表でしかない。

でも、それがネガティブな事象である限り、この堂々巡りの「負のスパイラル」は断ち切れない。

だから、ここで「身体のこわばりが取れる」という多少のポジティブな要素が彼女の心に少しばかりのポジティブさを与えることができればという「賭け」とも言える薬の服用なのだ。

でも、とても危険な賭けには違いない。

案の定、服用を始めるとすぐに「あ、そういうことか」と思った。

少し痙縮は和らいだ(と私は思うし、療法士さんもそう感じているようだ)。

でも、やはり薬のせいで何かが起こる。

彼女は、1日中「ダルい」と訴える。

夕食の後などは、すぐに寝てしまう。

つまり、身体の力が(クスリによって)そがれてしまっているのだろうと思う。

たった一つの薬でこれだ。

介護施設でよく見てきた光景がダブる。

なにしろ、お年寄りはよく寝るし動かない。

多分、寝たいから寝ているわけではないのだと思う。

きっと、いろんな薬を飲んでいるせいに違いない。

一人で十種類以上飲んでいる人だってザラにいる。

そんなにたくさん薬飲んだら…、と思う。

若い人だって、身体の力はそがれてしまう(だって、風邪薬一つであれだけの睡魔や倦怠感に襲われるのだから)。

施設のテーブルでみんな仲良くテレビの方を眺めていながら目線もまったく動かず会話もしない。

中にはずっとひたすら寝ているだけのお年寄りたち。

でも、これってその(理由の大半は)彼ら彼女らが飲んでいる薬のせいだと私は思っている。

年寄りだから無気力なのではなく、(薬によって)無気力にさせられているだけなのだろう。

こうやって、どんどん身体や心の力を奪って一歩一歩「寝たきり」を作っている日本の介護や医療って何なのだろうと思う。

だからこそ、薬に頼らない生活、最後まで胃に穴を開けないで(普通の)食事を取っていけるように「音楽の力」を使えるケアのノウハウをしっかりと作っていかなければと思っている(別に音楽だけでなく、アロマテラピーとか絵画セラピーとかペットセラピーとか世の中にはいろんな代替療法がある)。

でも、こういう話しを始めると必ず出て来るのが「胡散臭い」「アヤシイ」…あるいは、「それって宗教?」といった反応(まあ、確かにアヤシイものもたくさんあるからナ)。

だから、私は意図的に「音楽療法」ということばを使わないようにしてきた。

この「音楽療法」ということばには偏見と誤解があるし、そして何よりも音楽家のやる「演奏によるケア」と音楽療法士のやる、いわゆる「音楽療法」の間には、とても深い溝があることをどうやって説明したらといつも頭を抱えるからだ。

なので、そんなメンドくさい説明をしなくても良いように、なるべく「音楽療法」ということばを最初から使わないようにしてきたのだ。

だから「それって宗教ですか?」と聞かれれば「ああ、またか」と思うだけ。

この「壁」を崩すのには相当時間がかかる。

 

基本的に人間にとって「生きたい」という気持以上の薬はないと私は確信している。

でも、じゃあその気持を恵子にどうやったら持ってもらえるようにできるのかをいつも考える。

恵子の今の投薬をどうするかは次の診察で医師と相談することになるだろうけど恵子の心の中に何かしらの「変化」をもたらさないといけないことに代わりはない。

 

そんなことを考えていたら、私と同じように奥さんを介護している友人から電話がかかってきた。

彼曰く「ウチのは極端に人嫌いで外に出たがらない(彼の奥さんには以前から軽い認知症の症状が出ている)。だから、みつとみさんの演奏会でもあればそれを口実に外に出したいんだけど近く何かある?」。

実は、この人の家に私の方から出向いて演奏してあげたいと話したこともある。

しかし、彼の奥さんは、彼の言うように「極端な人嫌い」らしいので(というか人見知りなのだろう)、私のような他人が家に入ることはそう簡単ではないと丁重に断られた。

 

それぞれの事情はそれぞれだけれども、問題の「根」はどこでも同じ。

基本的に人間にとって「生きたい」という気持以上の薬はないのだから、恵子も含めどうやったらその気持を持たせることができるのだろうかといつも考える。

薬に頼らずに生活しようと思っているのにあえて薬を使うのは、ある意味、自己矛盾だけれども、マイナスにマイナスをかけてプラスにしようとしている自分の心の迷い(これも多少ヤケッパチかナ?)が取れるかどうか、もうしばらく様子を見てみることにする。

 


給付型奨学金

2016-05-19 08:48:59 | Weblog

なんということばの矛盾だろうと思う。

「返さなければいけない奨学金って何よ」。

返さなければいけないんだったら単なる「ローン」、借金じゃないの?と思う。

経済的な問題を抱えている学生、あるいは才能豊かな人の才能をより伸ばすために「奨学する」ためのお金が「奨学金」なのじゃないのと思う。

私がアメリカの学生だった時、いろいろな奨学金をもらっていた(もちろん、それらのお金を1セントも返してはいないしその必要性もない)。

州立の学校だったので州からの奨学金(つまり、アメリカ国民の税金だ)、あるいは、財団からの奨学金、そしてプライベートな人からの奨学金、など。

大学院時代は、 私は担当のフルートの先生の助手としてお給料をもらっていた。

いわゆるteaching assistantという奨学金だ(なので、週に何時間かは先生の代わりに学部の学生を教えていた)。

この奨学金で一番オイシイ特典は、毎月給料がもらえることよりも学費が全額免除になることだ。

アメリカの大学の学費がベラボウに高いことは日本でもよく知られている(高いのは私立だけじゃない、公立だって高いのだ)。

なので、この teaching assistantという奨学金を得たい学生はゴマンといる。

その狭き門をなんとか突破して大学院生活を送った。

正直これがなかったら私はアメリカで勉強を続けていられたかどうかわからない。

それと、音楽の学生にはもっと別の奨学金の可能性がある。

学内にあるオーケストラ、吹奏楽のバンド、室内楽、個別の楽器の優秀な学生に、一般の有志が個人的な奨学金を作っている。

例えば、オーケストラのコンサートマスターには Aさんというお金持ちが「 Aさんチェア(つまり、その席に座る人に与える奨学金という意味)」とかいうネーミングで毎月2万円奨学金を与えるとか、オーボエの主席には Bさんが「Bさんチェア」で3万円の奨学金を与えるとかいった風に(ジュリアード音楽院なんか、こんなプライベートな奨学金だらけだ)。

だから、自分の得意な分野でそれぞれの奨学金の可能性にチャレンジすれば良いわけだ。

だから、自ずと演奏のレベルも上がっていく(スポーツ選手の奨学金も同じ理屈で優秀な学生を集めて各大学はレベルを上げていく)。

どうして、こんな制度や考え方が日本では普及しないのか不思議でしょうがない。

今頃になって「給付型奨学金」を導入しようとかしないとか議論しているから日本の才能がどんどん外国に流れていくのだと思う。

アメリカではありとあらゆる分野にこうした個人の奨学金、企業からの奨学金、あるいは財団からの奨学金が用意されている。

私が学生だった70年代、化学( chemistry)はサイセンスの中では比較的「日陰者」扱いの分野だった。

誰も本気で研究したがらない地味な分野だった(あまりお金にならない学問だと思われていたからだ)。

おかげで、日本人とか中東からの留学生とか東洋人の優秀な学生がたくさん奨学金をもらって研究を続けていた。

しかし、時代は変わり、今やbio chemistryをはじめ、この化学分野は最も発展性のあるサイエンスとして世界中で脚光を浴びている。

しかし、こうした分野での「業績」や「成果」はほぼアメリカが独占している。

当然のことだ。

だって、彼らが「お金を出して世界中の優秀な頭脳を育てていた」のだから(日本人ノーベル賞学者のほとんどはアメリカで勉強したか研究してきた人たちだ)。

多分、日本もやっと気づいたのだろう(気づいていてもなかなか実行に移せないのがこの国の空気だ)。

ただ、いかんせん日本は数十年遅れている(私が学生だったのは70年代だ)。

70年代にアメリカでは既にバリアフリー、ユニバーサルデザイン、多様性という考えが当たり前だったことも忘れてはならない。

しかも、現在、世の中はどんどん内向きになっている。

ネットやスマホが普及したせいできっと外国のことをわかった気になっている「エセグローバリズム」が多くなったせいかもしれない。

ネットで見る「世界」はホンモノの世界ではないということをもっと知るべきだ。

シカゴの移民局で簡単な手続きをするだけで3時間も4時間も並ばされ、あげくの果てに黒人の担当者にイヤミを言われアゴでせせら笑われた屈辱が(私にとっては)ホンモノの外国だ。


ドゥーラ

2016-05-14 15:54:40 | Weblog

今日の午後の光景。

私は、交差点の赤信号で車を停車させた。

私の停車位置は信号から数えて10台目ぐらい後方。

つまり、信号からけっこう遠い位置で私の車は停まった。

待っている最中すぐ左の歩道を歩いていた一人の老人がいきなり私の車の目の前を横切り道路の向こう側に渡っていった。

あっと言う間だった。

信号からも遠いし信号も赤だから「えい、や」とばかり横断してしまったのだろうが、その渡り方がいけない。

私の車線側の車はみんな停まっている(赤信号だから当然だ)。

しかし、反対車線を通行している車はある(これも当然だ)。

なのに、この老人、私の車の前を通り過ぎて向こう側に行くのにまったくと言っていいくらい左側を確認していなかった(左をまったく見ていなかった)。

つまり、左から車が来るはずがないと思い込んでいるらしい。

たまたま車は一台もその瞬間に来なかったからよかった。

でも、もしこの人が私の目の前を突っ切り反対車線に出た瞬間に向こうから車が来ていたら…。

この光景を目撃した瞬間、先日報道されていたある自動車事故のことを思い出した。

その事故は老人ではなくまだ一才にもならない赤ちゃんを背中に背負い自転車で同じように道路を横断しようとして反対車線の車にはねられた若いママ(この場合、はねられたという表現自体正しくないと思う。この人は自ら車にぶつかりに行ったようなものだ)。

ママは怪我はしたけれど助かり、赤ちゃんは亡くなった。

ネットには、この母親を非難するコメントで溢れかえっていた。

たまたま向こうからやってきたドライバー(二十代の若い介護士さんらしい)と亡くなった赤ちゃんがかわいそう…。

私もそう思う。

でも、今日私が見た光景もそうだが、どちらの当事者にも言える過失は、やはり自己中心的な行動なのではと思う。

信号まで行くのがメンドくさいから渡ってしまえ…という気持は誰にも起こる気持だが、その行動を起こす前に考えるべきことはたくさんあるはずだ。

自分の背中に赤ん坊を背負っている(しかも、まだ首も座っていないガラス細工のような存在だ)。

これだけでも重大なことだ。

おまけに自転車を運転している…。

今日の高齢者の方も、左を確認しようという気はさらさらないように見えた。

みんなすごく自分勝手。

こんなに身勝手な行動がいつから当たり前になってしまったのだろうか。

午後この買い物に出る前、午前中は家でパンを作っていた。

ちょうど二次発酵中に玄関のドアがノックされた。

誰だろう?宅配の車が来た気配もないが…と思いながらドアを開けると近所の一人暮らしの(八十代の)おばあさん。

「これ、ウチのみかん。そのまま食べてもおいしいよ。私はママレードにしたけれど… 」と大きな甘夏を袋にいっぱい置いていった(ついこの前も自家製の大根をくれたばかりだ)。

小さい頃は、都会のど真ん中に暮らしていた(今は山の中の一軒家だが)。

でも、「こんな光景、小さい頃よくあったよナ」とおばあさんが帰った後そんなことを思い出す。

どこでも普通に人と人が密接に結ばれていたはずなのに今はSNSとかネットとか、そんな仮想領域でしか人と人はつながらない。

昨年から通っている「看取りセミナー(ほぼ隔月、東大本郷で開かれている)」で「ドゥーラ」ということばを知った。

ギリシャ語語源のこのことばのもともとの意味は「他の女性を助ける経験豊かな女性」ということだそうだ。

それが転じて「妊娠、出産、育児の現場で寄り添う女性」つまり「助産婦」とか「産婆」さんのことを指すことばに変わったという。

この「ドゥーラ」という概念を、出産、子育ての現場だけでなく介護、看取りの領域にまで広げていこうという動きがここ数年世界的に広まってきている。

その根本にあるのは、現在の介護現場と出産現場のあまりにも酷似している環境だ。

どちらも、本来あるべき「家庭」という空間から「病院」という空間に移り、医療行為という専門性に全てが集約されてしまっている。

本当は、「家で生まれて家で死ぬ」が普通だったのが、ある時から人間は「病院で生まれて病院で死ぬのが普通」に変わってしまった。

だからこそ起きる「子育ての迷い」や「人と人の心の絆の欠如」「(人の一生に起きるさまざまな)悩みと絶望」といったものにもう一度「原点」に戻って対処していこうという動きがこの「ドゥーラ」ということばには含まれているのだ。

このセミナーの主宰者であるK先生(この方は看護士さんでもある)から「みつとみさんのやっていることは、音楽の領域でありながらこのドゥーラの考え方にとても近いので、<音楽ドゥーラ>という新しい立場で発言なさっては?」と勧められた。

いや、しかし、私がそんなことばを大上段に名乗るには私自身がまだあまりにもドゥーラについて勉強不足です。ですので、もう少し勉強させてください」と言ってその申し出はとりあえず丁重に辞退した。

しかし、私がやってきた「(フルムスという女性オーケストラの活動を含め)女性支援のための音楽活動」やこれまでの「音楽を世の中へどうしたら役立てていくことができるのか」といった運動のベクトルはたしかにこの「ドゥーラ」に限りなく近い。

こうした人と人との絆がどんどん希薄になる地球という星をもっと「良い空気」で満たすには音楽の役割もけっして少なくないのではと思う。

音楽療法なんてことばを使わなくても、もう音楽という存在自体が「セラピー」だし、十分人々や世の中の「癒し」になっているのだから。

ふと、60年以上前の5月15日に実家で生まれた弟の誕生風景を思い出した。

実家の居間で出産した弟を取り上げるお産婆さん(実家の近所には何人かのお産婆さんが看板を掲げていた)。

お風呂で産湯につかっている生まれたての赤ん坊。

祖母や叔母から「入ってきてはいけない」と言われた「禁断の光景」は、(私の脳内でのみ)今でも忠実に再現される。

そうか、明日があの日だったのか…。