みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

絶対音感の対極に

2012-01-27 20:40:17 | Weblog
失音楽症という病気がある。
失語症はわりと一般的だが、失音楽症など聞いたことがないという人が大半だろうと思う。
私もある人の本を読むまではこの病気の存在をまったく知らなかった。
その本の著者は、映画『レナードの朝』の原作の著者で脳神経学者兼精神科医師のオリバー・サックス博士だ。
サックス博士の書いた『音楽嗜好症(原題はmusicophiliaという造語だが日本語訳が適切なのかどうなのか?)』の中にこの病気にかかった人の症例やいろいろな話が書かれている。
と思ったら、最近読んだ別の本でもさらにこの失音楽症について詳しく書かれていた。
こちらは日本の脳神経外科のお医者さんで、脳疾患の患者さんのリハビリを音楽療法を中心に行っている奥村歩さんという方だ。
人間の大脳は脳梁で右と左に別れているというのは、最近ではとても常識的なことになっていて、右脳が音楽などの空間、感覚認識などを司って、左脳が論理的な認識や言語などの役目を持っているといったことがよく言われる。
なので、左の脳を脳卒中などの脳疾患で損傷した人はことばに障害が残る人(失語症なども含め)が多いというのも理解されやすいだろう。
幸い、恵子は左の脳の視床という部分(脳の奥の奥の方でけっこう大事な部分)が3センチ出血したにもかかわらず言語中枢は無傷だったのは本当に奇跡的なことだったのかもしれない(と改めて今思う)。
で、失音楽症はというと、右の脳の損傷で起こることが多い(ので、右脳は音楽脳、左脳は言語脳などと呼ばれたりする)。
本の中に一人の失音楽症人の例が書かれている。
二十歳ぐらいの音大生(オーボエが専攻だった人)がある日を境に突然楽器の演奏ができなくなってしまう。
そして、この人はこの日を境に楽器の演奏はおろか音楽を音楽として認識することもできなくなってしまうのだ(長い間この人の失音楽症の原因が不明だったのだが、数年後にとったCTの画像から小さな脳梗塞の跡が彼女の右脳から見つかることになる)。
ここが健常者にはわかりにくいことなのだが、「音楽を音楽として認識できない」という状態を私たちはちょっと想像しにくい。
それってメロディがわからないっていうこと?
それとも、リズムが取れないということ?
まあ、これぐらいなら「ちょっと音痴?」ぐらいで済ませられる範囲で病気とは言えないのだが、どうも失音楽症というのは、失語症の人が相手の言っていることばや文章の意味がわからないのと同様、音楽の音がわからない、音楽というもの自体がわからないという状態であるらしい(もちろん、自分で楽器をやったり歌ったりすることもできない)。
この「音楽というものがこの世に存在すること自体が認識できない病気」をかかえている人(失音楽症の患者さんたち)にとっては、ショパンの『ノクターン』も自動車のクラクションも「同じレベルの音」にしか過ぎない。
きっと「ショパンの音楽のどこが楽しいの?どこがきれいなの?」という感覚なのだろう(私にはその感覚的な部分はあまりよくわからないが)。
逆に、失語症になる人は左脳に障害のある人がなりやすいので、こういう人はことばはしゃべれなくても「歌を歌う」ことができたりする。
映画『英国王のスピーチ』の中の吃音障害の王様も歌は上手に歌っていたし、脳疾患で左脳に問題を抱えた人も音楽的な作業には何の問題も残らない人が多い。
つまり、人間の脳というのは、こういう「音楽する脳」をもともと持っているということで、それが先天的に阻害されている人も稀にいたり(こういう人は先天的失音楽症と言われる)、後天的に脳疾患でその能力を奪われてしまう人もいたりするということなのだ。
ただ、「右脳が音楽、左脳が言語」といった単純な役割分担では割り切れないのも人間の脳の複雑さゆえ。
一酸化炭素中毒で右も左も大脳の全てに酸素が欠乏した状態で脳障害を起こし、言語障害、記憶障害を起こした人でも歌を歌ったり楽器を演奏するまで回復できた人もいるということも奥村先生の本には書かれている。
つまり、「音楽する脳」というか、人間に元々の能力として備わっている「音楽する記憶」というものが脳の中に刻まれているのではないのか?
一部の神経学者の人たちは徐々にそう考え始めているのだ。
そして、だからこそ、音楽療法が脳のリハビリには有効なんだという結論になるのだが、こうした学問的アプローチで音楽療法が研究され議論されることは音楽療法の未来にとっては非常に大事なことだと私は思っている。
単に情緒的な感覚や意見だけで「音楽がリハビリに良い」などという浅薄なアプローチだけは避けて欲しいと思っている。
こうした安易な音楽療法の方法論は、音楽家にとっても、音楽自身にとってもけっして好ましいことではないからだ。

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1 コメント

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失音楽症について (アイリス)
2018-06-02 20:06:57
失音楽症は音楽家にとってこれ以上ないほどの恐ろしい病気ですね。
奥村先生の「脳の全てに酸素が欠乏した状態で脳障害を起こし、言語障害、記憶障害を起こした人でも歌を歌ったり楽器を演奏するまで回復できた人もいる」ということ感銘を受けました。
奥村先生のなんというご本に書かれていたのか、みつとみ様が読まれた本のタイトル(書籍名)を教えてください。
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