みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

音楽の楽しみ方って

2009-04-29 22:37:30 | Weblog
いろいろあるけれども、長年音楽の仕事をしてきて一番困ることが、音楽を実際に演奏する側、それを聞く側、そして、その両者をつないでさまざまなイベントや商品を作るスタッフ側の利害が必ずしも一致しないことだ。
それは、立場が違えば利するものが違うのは当たり前、と言いきってしまっていいものなのかどうなのかといつも悩む。

私は、音楽がアートであろうが、エンタテインメントであろうが、ビジネスであろうが、音楽を楽しむというポイントにおいては何の違いもないと思っている。
よく刑事裁判の根本原則が「疑わしきは被告人の利益に」というポイントにあると言われるが、音楽において「すべての利益は聴衆のもの」であるべきだと私は思っている。
多分、ここが一番日本と欧米と違うところなんじゃないのか? ここが日本が明治以降日本が洋楽をやってきた中でずっと勘違いをしてきてしまったポイントなんじゃないだろうか。

単純に「音楽は誰のもの?」みたいな設問を作ってもいい。
音楽は、作曲家のものでも演奏家のものでもない。音楽は聞く人のためのものだし、「誰に」向かってメッセージを送るかというポイントをはずしたら音楽の意味なんか何にもなくなってしまう。
もちろん、アマチュアが自分たちの楽しみのために音楽をやることは何ら否定されないし、そういう「楽しみ方」もあっていいと思うけれど、プロの音楽家、あるいはプロの音楽スタッフがこの大原則「すべての利益は聴衆に」を忘れてしまったら本当に「音楽って何?」になってしまう。

この原則の上にたてば、演奏家が小さい頃から毎日飽きずにひたすら楽器を練習して、指を訓練し、いろいろな修練をするのも「すべては聴衆の楽しみ」のためだし、けっして「先生のため」でもないし「コンクールのため」でもないことは素直に理解できるはずなのだがそれがどこをどう間違ったのか、日本の音楽は「何かを伝える」ことでもなく、「誰かに楽しみを与える」ためでもなく、ただひたすら「ひとりよがり」になってしまった。そんな状況が明治以降の日本の音楽史なのではないだろうか?

いくら何でもそこまでオーバーに言うこともないんじゃないのと思う人もいるかもしれないが、いつまでたっても音楽家が音楽で生計をたてることができないのは、きっとそんなところに根本的な理由があるはずだと私は思っている。選挙のスローガンではないけれど、「立ちたい人より立って欲しい人」だ。音楽家が「聞かせたい音楽」ではなく、聴衆は「聞きたい音楽」を求めているわけで、それが与えられない限り日本で本当の音楽文化というのは根付かないのではないだろうか。

 こんなことを考えるのも、毎日いろんな人からいろんなオファーをいただいたり、提案したりしているうちにそういう「難しさ」に毎日遭遇しているからだ。音楽との「いい出会い」を求めてきた人が「今日は来てよかった」と本当に思っていただける「出会い」を作るために日々努力しているのだけれども、それが思うようにならない出来事に遭遇するたびに悩み、立ち止まり考えてしまう。
「どうやったら普通に普通の人たちがもっと音楽を楽しむことのできる環境を作れるだろうか?」
こんなことを考えている人たちはきっとたくさんいるはずなのにナ。


チーズケーキを3ホール

2009-04-28 20:55:16 | Weblog
一度に作るのってお店屋さんでもない限りそれほどできる体験ではないが、自分のコンサートのために作った(以前、友人に頼まれてアップルパイを3ホール作ったことはあるけれど)。
おまけに作ったはいいが誰も切ってくれようとしないので(切るのって案外難しい作業なので誰も責任取りたくない気持ちもよくわかる)、演奏者自ら切って取り分けるハメに(笑)。
もともと料理人を目指していた人間だから作ることもサーブすることも全然苦にはならないけれど、さすがに3ホール分をいちどきに作るのはシンドイ。それが理由で7年続いたキッチンライブはしばらくお休みにしているのだが、私はどこに行っても料理やスイーツを作る運命なのかもしれない(笑)と思う。

今回の東京滞在はこのコンサートを中心に1週間ほどだった。
この間に、ミーティングを6回、コンサートに行くこと4回と、詰め込めるだけ詰め込んで今は伊豆に戻って連休が終わるまではずっと伊豆で過ごそうと思っている。
連休明けにはまた早速東京での仕事が待っているが、伊豆にいても別に毎日遊んでいるわけではない。アレンジ、原稿書き、そして企画書書きなどやることはゴマンとある(野菜作りなんかもやるけれど)。
連休明けには男の子2人のラップグループのプロデュースでレコーディングなんかが控えている。

クラシックからラップまでジャンルなんか関係なくこれまで何十年も仕事をしてきたけれども、本当に「いい音楽」との出会いや「本当にいいアーティスト」との出会いはそれほど多くない。
でも、それってある意味当たり前のことなのかもしれないとも時々思う。
人間が一生のうちに出会う人間の数なんてたかが知れている。その中で本当の「友」と言える人との出会いはさらに貴重だ。
そう考えれば、本当にいい音楽や本当にいいアーティストと出会えることの方が奇跡に近いのかもしれないとも思う。
今回のコンサートで一緒に演奏をしてくれた若いフルーティストにダメを出す代わりに「バーブラ・ストレイザンドをもう一度聞き直してみて」とだけ伝えた。
バーブラ・ストレイザンドが世の中のベスト・アーティストと言うわけではないけれど、彼女は間違いなく「one of the best」の表現力を持っている人だと私は思っている。
バーブラ・ストレイザンドという人は女優としても歌手としてもとびっきり傑出している人だ。
音楽家は、ある意味、役者でなければならないと私は思っている。舞台の上で「何かを演じている」ことにおいては、音楽家も役者もたいして変わらない。
私が尊敬してやまない3人のディーバは、このバーブラとマリア・カラス、そして美空ひばりの3人。
この3人に共通しているのは、歌を歌うことが=演技になっているということ。バーブラも美空ひばりもカラスも、本当の涙を流しながら歌うことができる人たちだ。
普通、人は本気で泣いてしまったら歌なんか歌えっこないし、楽器の演奏だってできやしない。しかし、彼女らは大粒の涙を流しながら完璧に歌いこなす。それは、「そういう表現」を完璧に身につけているからだ。

私は、いつも自分の楽器が本気で泣いてくれればいいと思うし、笑ってくれればいいのにと思っている。だから、そんな表現をいつも目指しているつもり。自分の求めているものはそれしかないし、指が動くとか動かないなんてのはある意味どうでもいいと思っている。
人は、別に演奏家の指の動きや早さに感動するわけではない。本当に人が感動するのは、たった一つの音、たった一つのことば。だからこそ、アーティストは、人の心を表現していかなければならないし、それを目指さなければならない。
そんなことをバーブラの歌から学んで欲しいナと思ったのだが、最近、バーブラ・ストレイザンドの存在自体を知らない人も多いのがちょっぴり悲しい。

Susan Boyleという人のYou tube画像に

2009-04-20 18:23:38 | Weblog
いろいろと考えさせられた。
「アメリカン・アイドル」というタレント・オーディション番組はずっと見ていたので、この映像がそれの英国版だということはすぐにわかったし、このスーザンおばさんの美声に感動もしたけれど、私としてはどこかシックリこないところもあった。
私がアメリカ留学時代、声楽科の友人(女性)にかなり身体の大きな人がいた(オペラをやっている人は大体において体格のいい人が多いけれど、この人の体格は群を抜いていた。つまり、かなりのおでぶさんで身長もかなりあったのだ)。彼女の歌の力量はたぶんその時の声楽科の学生の中でもナンバーワン。ダントツにうまい人だった。
ある授業(音楽科の授業ではない一般教養のような授業)に彼女がデモンストレーターとして教授から抜擢され壇上に立った時だった(アメリカの大学は音楽学部だけでなくありとあらゆる学部が一つの大学にあるのが普通)。数百人入る大きな教室の中が一瞬にザワめいた。彼女の体格を見慣れない人たちがその身体の大きさに一瞬驚きたじろいだからだ。
それぐらい彼女はインパクトの大きな女性だった。
教授に名前を呼ばれ紹介された後、彼女はおもむろにアカペラでガーシュウィンの「サマー・タイム」を歌い始めた。途端に教室中のザワメキがパタっと止まった。教室の空気が本当に一瞬でガラっと変わってしまったのだ。
先ほどまで「なんであんなデブがこの教室に来んだよ」みたいな悪口雑言を言っていた男子学生も、明らかにその体型を侮蔑的に見ていた女子大生たちも、大きな口を開け唖然とした表情で彼女の歌声に耳を奪われているのがわかった。人々の同情という差別的な感情が明らかに羨望という感情に変わった瞬間だった。
私は、今でもその時の彼女の「サマータイム」の歌声が耳から離れない。それぐらい彼女の歌声は素晴らしかった。
その彼女は卒業と同時にシカゴのオペラ・カンパニーのオーディションに受かりその後も世界中のオペラステージに立ち続けている。
今回のスーザン・ボイルというオバサンの歌声を聞いて、私にはどうしてもその出来事が思い出されて仕方がなかった。
「人間、見た目じゃないよ」というのは簡単だが、人間というのはどうしても見た目で他人を判断してしまう。うかつに人間をジャッジしてしまう。そして、その人の中身を知ってはじめて自分のその判断の愚かさに気づかされる。多分、そんなことの繰り返しなのかもしれないと思う。
このスーザン・ボイルという47歳の英国のおばさんがこれからどういう風になっていくのか(スターとして活躍するのかどうなるのか)は私にもわからない。願わくば、その声を上手に使い一人でも多くの人に感動を与え、けっして愚かな使い方だけはされないようにして欲しいと思う。

引っ越しで新しいiMacのシステムを

2009-04-16 17:22:56 | Weblog
まだ完備させていないので、自分のHPの更新が2月から止まっている(笑)。
なんでその程度のことができないのかと言われそうだけど(言わないか?)、諸事情でHPの更新は後もう少し待っていただきたい(もし、そんなことを期待している人がいるとすれば)。
したがって、自分のコンサートやライブ情報も更新できないので、この場で来週4/26にやるコンサートの告知をさせていただきたいと思います(これも、何でもっと早くやんないんだよと言われそうだけど)。

場所は荻窪の杆芸館(かんげいかん。このかんの漢字は相当難しい。本当の漢字が見つからなかったので一番近い字をとりあえずあてています)。知っている人は知っている(当たり前か)とてもサロン的な雰囲気の感じのいいホール。何よりもキッチンがあるのが私向き(笑)かナ?
なので、今回やるコンサート『みつとみ俊郎のミュージックレストランNo.2』も私の手作りスイーツつき。
ミュージックレストランのNo.1は昨年レディースオケのフルムスと一緒にやったけれども、今回はパーカッションの長岡敬二郎さんとフルートの山下伶(彼女は女優さんでもあります)の3人のみ。
テーマは「打楽器の魅力」。
ラテンパーカッショニストの第一人者の長岡さん(特に彼のパンディエロ演奏はすごいですよ=パンディエロって何?という人は余計彼の演奏を聞いた方がいいですね。きっと彼のファンになると思います)と、フルートのデュエットでいろいろな曲を演奏して、その後、長岡氏と私が打楽器の魅力についてデモ演奏を交えながらトークしていきます。もちろん、私の手作りスイーツつきです(この場所での私のコンサートには必ずこれが定番になります)。
普通、フルート、ギター、パーカッションみたいなトリオだったり、フルート、ピアノ、パーカッションという編成も十分あり得るけど、フルート2本とパーカッションというのはどうなのよ?というアナタにこそ聞いていただきたいと思っています。
何しろ、私は、既成概念にとらわれることが大嫌いな人間なので、「これってどうなのかナ?」というものをどんどん試すのが大好き。うまくいけばそれでいいし、ダメならそれ以上やらなければいいだけの話。どんなことでも積極的に試していかなければ物事は先に進まないと思う。
もちろん、こういう生き方をしていくと回り道が多くいっけん無駄が多いように見えるけれども、人生に無駄なんかないし、そうした試行錯誤がその人の人生や仕事を豊かにするんじゃないんだろうか?なんて、コンサートの告知のつもりが話が横道にそれてしまった(笑)。

ということで、下記にそのコンサートのインフォメーションをまとめておきますので、ご興味のある方は私の方にメール(flute@land.linkclub.or.jp)してくださるか、あるいは、プラネットワイ( info@planet-y.co.jp)にお申し込みください。
なお、今回のコンサートはチケットがございませんので予約のみの受付です。

『みつとみ俊郎のミュ-ジックレストラン~打楽器の魅力』
日時:2009年4月26日(日)  
開演:14:00~
料金:4000円(ミニパーティつき)
演奏:みつとみ俊郎(フルートと話)、長岡敬二郎(パーカッション)、山下伶(フルート)
曲目:「私のお気に入り」「見上げてごらん夜の星を」「It's only a papermoon」「テレマン:2つのフルートのためのソナタ、ニ長調」「ベートーベン:アレグロとメヌエット」など。
場所:かん芸館(杉並区荻窪3-39-14  tel:03-5347-2668  JR中央線、地下鉄丸の内線荻窪駅南口より徒歩7分。区立中央図書館手前)


ヴェネズエラのユースオーケストラ

2009-04-14 21:39:27 | Weblog
で今や超人気のシモン・ボリバル・ユース・シンフォニーのyou tube映像を時々見ているが(このオケを知らない人は絶対に見るべきだ。これ以上感動的なオーケストラは世界中探してもどこにもない)、そこからリンクしているちょっと面白い映像がある。
アメリカのメジャー新聞のワシントンポストが行っている実験映像がそれ。ジョシュア・ベルという世界的ヴァイオリニストに地下鉄の駅(ワシントンD.C)でストリート・ミュージシャン(しかも、たった一人で)をやらせて一体どれだけの人が気づき足をとめるかという実験だ。
映像の長さがよくわからないのだが(コマ送りで時間を縮めているので)、相当長い時間ベルがバッハを演奏していてもほとんどの人はまったく気づかず、最後に一人の若い女性が「先週のアナタの演奏会は素晴らしかった」と近寄っていくところで映像は終わっている。
まあ、日本で言えば霞ヶ関のような駅のラッシュ時に駅で有名な音楽家がヴァイオリンを演奏していたって一体どれだけの人が気づくのか?あるいはたとえ気づいたところで一体どれだけの人が足を止めようという気になるのかは疑問だろう。
でも同じ実験をやったらきっと日本でやった方がもっと人は止まるような気がする(わからないけどね)。アメリカって意外と文化音痴なところがあるから(ヨーロッパと違って)、きっとそういうことを言いたいためにワシントポストのような一流誌がこんな実験をしたのかもしれない。
でも、ヴァイオリンっていうところが象徴的でいかにもという気がする。これがバンドやギターの弾き語りみたいなものだったらもっと反応は違っていたかもしれない。
こんな実験一つで何がわかると言われればそれまでだけれど、見ているといろんなことを考えさせられる。
所詮音楽なんて「アリとキリギリス」の「キリギリス」にしか過ぎないなんだから、真面目に働いているアリさんからみれば単なる「なまけもの」にしか過ぎないと世間は見ているのだろうか?
駅を足早に通り過ぎる人たちはみんな仕事に向かって真面目に働いている人たち。だから音楽なんかにかまっているヒマはない。きっとそんな映像とその逆抜きから発せられる「きみたちはホンのちょっとの間も音楽を聞いている余裕すらないのかい?」という声も聞こえてくる。
この映像につけられたタイトルは「STOP AND HEAR THE MUSIC」だ。


満月の夜桜を

2009-04-09 22:51:58 | Weblog
伊豆で楽しもうかと思ったけどオーチャドホールでのリベラを聞きに東京に舞い戻る。
リベラのステージで見るのは初めてだが、まず驚いたのはステージに乗っているのは6本のスタンドマイクだけなのに23人の子供たちの歌声をどうしてあれほど鮮明に拾うことができるのだろうか?ということ。
ほとんど口パクに近いぐらいの完璧なCDサウンドの再現なので、「これではCDを聞くのとどこが違うのだろう?」と本気で思ってしまった。この点を休憩中にレコードメーカーの関係者に聞いてみると、これが音楽監督のロバードプライズマン氏のこだわりなのだという。
CD音源との唯一の違いは目の前にアーティストが見えること。それでも、CDと寸分たがわぬ音を聞かされることでお客さんたちは本当に満足しているのだろうか?
まあ、お客さんたちの顔を見る限り皆さん満足されているようなのでそれはそれでいいのだが、ライブコンサートがCD音源に限りなく近いというのは、私なんかは逆に「損したな」と思ってしまう。わざわざライブに行った甲斐があるものが聞きたいと思うのは私だけではないと思うのだが。

それにしても、渋谷の街は来るたびどんどんヒドイ方向に行っているような気がする。とても自分が生まれ育った町とは思えない。が、そのうち再開発されていっきょに「大人の街」になるらしいので、それはそれで期待することにする(本当にそうなるのかナ?という気もするけれど。

いいかげんMacは

2009-04-01 22:46:36 | Weblog
と思っていたけれど、またMacを新機として買ってしまった。しかもiMac。
20インチの画面でなかなか操作性はいい。ただ、Macはウィンドウズに比べてソフトが高めなのでいっぺんにアレもコレもというわけにはいかない。とりあえず、Office関係と音楽ソフトだけは仕事にさしつかえるので入れたが他のAdobe関連ソフトはこれから少しずつということになるだろう。
LANケーブルの長いのは邪魔くさいのでAirMacを買ったのはいいけれどうまく動作しない。
Appleサポートに問い合わせると環境設定が意外とメンドくさいことが判明。でも、かなり丁寧に教えてもらったので(アップルサポートってこんなに親切だったかナ?)、今は問題なく機能している。

今日は一日がかりで前のメーラーからのアドレスを新しいメーラーに移行した(一日がかりというのはオーバーだけど)。4月の終わりにコンサートがあるのでそれのDMを一斉メールで出すためだ。
メーラーごとにいろいろクセ、というかできることできないことが違うのでそれを把握するのもけっこう大変。
野菜の苗でも買ってきて植え付けようかと思ったけど、そんな時間はなかった(泣)。

それでも、買い物に出たついでに伊豆高原駅そばの桜並木を見てくる。でも、まだあまり咲いていない(まだ4分咲きぐらいかナ?)。あと一週間でさくら祭りは終わってしまうのに大丈夫かナ?と心配になる(私が心配しても別に何も変わるわけではないけれど)。
ただ、伊豆にはソメイヨシノだけでなく、河津桜や大島桜、山桜などいろいろな種類があるので、2月ぐらいから少しずつ桜は楽しんできた。それでも観光客はこの時期が一番多いので(春休みだし)、ソメイヨシノ目当ての人が一番多いのだから、もうそろそろ満開になってくれないと、という感じはする。
家のすぐそばでタヌキさんとご対面。やはり春だナ?という感。
前からタヌキさんとはよく遭遇しているが今日はけっこう至近距離。いつも見る子犬サイズよりもちょっと太め。もう早速いろいろとエサを食べているのかナ?
畑作りには要注意人物(?)だが、とっても愛嬌があってカワイイので憎めない。

明日は、弟の義理のお母さんのお通夜で静岡市に泊まり。明後日からはしばらく東京だ。