そう言って恵子は、私の運転する横で小さなポシェットのジッパーを開けてみせてくれた。
今日リハビリ病院に行く途中の車内の出来事だ。
これまで彼女は、ジッパー式の服はそれがジッパーというだけで着るのを全て諦めていた。
ボタン式の服だけを選び、ゆっくりと「亀のような」動作で時間をかけながら片手で着ていく。
なので、それがたとえどんなにぎこちない動作であっても今日彼女がポシェットのジッパーの開け閉めを自分一人でできたということは、彼女にとっての「革命」とも言える出来事だ。
この一件だけでなく、彼女は最近とみに前向きだ。
精神的に落ち着いてきたのだろう。
私が言う前からいろいろなことにチャレンジして、自ら「できる」という感覚を味わおうとしているようにも見える。
食事のテーブルに着く時も以前は私が椅子を引いたり出したりして彼女が座るのを完全に手助けしていたが、最近はその動作を自分一人でゆっくりと片手だけでやろうと試みる。
片手だけで椅子を引っ張ったり押したりするとなかなか真っすぐには動いてくれない。
それでも、彼女はそれを少しずつ修正し、ちゃんと食事のテーブルにつこうとする(私が手伝おうとすると怒る時すらある)。
そして、今朝のポシェットの一件だ。
子供が初めてトライした動作に成功した時のような満面の笑みと明るさで私に「ほら、できるよ」と報告する。
本当に嬉しそうだった。
彼女がこれほど日常の動作に前向きになったのには、あるキッカケがあった。
それは、つい2週間前に体験したショートステイだった。
それまで彼女がショートステイを経験したことは一度もなかった。
普通、世の中では介護老人を家族が何泊か介護施設に預けることをショートステイと言っているが、これまで私たちはこの制度を一度も利用したことがなかったのだ。
現在の介護保険の枠組みの中では要介護認定の五段階あるランクに応じて月に泊まれる日数が決まっているのだが、彼女の介護度では月の半分ぐらいはショートステイを利用できるはずだった。
けれども、私たちはまだ一度もこの制度を利用していなかった。
別にその利用に抵抗があったわけでも何でもなく、単にその「機会」がなかっただけのことだった。
たまたま2週間ほど前私が一泊で東京に仕事がり、その時試しに一度預けてみようという気になったのだ。
彼女も「うん、やってみる」と言ったが、内心はきっと不安だったはずだ。
しかし、その施設はとても奇麗で清潔そのもの。
しかも個室で、24時間介護士も看護士もいる。
ある意味、病院に入院しているようなものだ(4人部屋の病院より良い環境かも?)。
あとは恵子がどう思うかだけだった。
地域包括支援センターの人たちも、「他は老人ばかりで恵子さんにとって話し相手になるような人もいないので退屈なんじゃないのかな?」と心配をしてくれた。
しかし、彼女はこの「体験」から急激に変わった。
きっと彼女のチャレンジ精神に火がついてしまったのかもしれない。
以来、家の中で積極的に新しいことにトライするようになったのだ。
もちろん、まだ「できないこと」の方がはるかに多いのだが、少なくとも気持ちが前向きになることは、彼女の回復にとって何よりも明るい材料だ。
事実、今日のリハビリでも理学療法士のIさんが、「これだけ足が柔らかければもうそろそろ装具を外しても歩けるはずですよ」と言い、彼女をベッドの脇に裸足で立たせ「5分じっと立っていてください」とストップウォッチを押す。
これまでの彼女にとって最大の課題は「持久力」。
立ったと思った次の瞬間にはすぐ座っていた彼女だけに「5分本当にもつのかな?」と疑問だったが、結果は5分を余裕でオーバーし、Iさんも目を丸くする回復ぶりだった。
これですぐに装具なしで歩行、と一気に行けばよいのだが、ことはそれほど単純でも簡単でもない。
おそらくまだその「実現」には数ヶ月を要すると思うが、今日のこの結果や彼女の前向きさを見ているとそれも単に「時間の問題なのかな」という気もする。
今日リハビリ病院に行く途中の車内の出来事だ。
これまで彼女は、ジッパー式の服はそれがジッパーというだけで着るのを全て諦めていた。
ボタン式の服だけを選び、ゆっくりと「亀のような」動作で時間をかけながら片手で着ていく。
なので、それがたとえどんなにぎこちない動作であっても今日彼女がポシェットのジッパーの開け閉めを自分一人でできたということは、彼女にとっての「革命」とも言える出来事だ。
この一件だけでなく、彼女は最近とみに前向きだ。
精神的に落ち着いてきたのだろう。
私が言う前からいろいろなことにチャレンジして、自ら「できる」という感覚を味わおうとしているようにも見える。
食事のテーブルに着く時も以前は私が椅子を引いたり出したりして彼女が座るのを完全に手助けしていたが、最近はその動作を自分一人でゆっくりと片手だけでやろうと試みる。
片手だけで椅子を引っ張ったり押したりするとなかなか真っすぐには動いてくれない。
それでも、彼女はそれを少しずつ修正し、ちゃんと食事のテーブルにつこうとする(私が手伝おうとすると怒る時すらある)。
そして、今朝のポシェットの一件だ。
子供が初めてトライした動作に成功した時のような満面の笑みと明るさで私に「ほら、できるよ」と報告する。
本当に嬉しそうだった。
彼女がこれほど日常の動作に前向きになったのには、あるキッカケがあった。
それは、つい2週間前に体験したショートステイだった。
それまで彼女がショートステイを経験したことは一度もなかった。
普通、世の中では介護老人を家族が何泊か介護施設に預けることをショートステイと言っているが、これまで私たちはこの制度を一度も利用したことがなかったのだ。
現在の介護保険の枠組みの中では要介護認定の五段階あるランクに応じて月に泊まれる日数が決まっているのだが、彼女の介護度では月の半分ぐらいはショートステイを利用できるはずだった。
けれども、私たちはまだ一度もこの制度を利用していなかった。
別にその利用に抵抗があったわけでも何でもなく、単にその「機会」がなかっただけのことだった。
たまたま2週間ほど前私が一泊で東京に仕事がり、その時試しに一度預けてみようという気になったのだ。
彼女も「うん、やってみる」と言ったが、内心はきっと不安だったはずだ。
しかし、その施設はとても奇麗で清潔そのもの。
しかも個室で、24時間介護士も看護士もいる。
ある意味、病院に入院しているようなものだ(4人部屋の病院より良い環境かも?)。
あとは恵子がどう思うかだけだった。
地域包括支援センターの人たちも、「他は老人ばかりで恵子さんにとって話し相手になるような人もいないので退屈なんじゃないのかな?」と心配をしてくれた。
しかし、彼女はこの「体験」から急激に変わった。
きっと彼女のチャレンジ精神に火がついてしまったのかもしれない。
以来、家の中で積極的に新しいことにトライするようになったのだ。
もちろん、まだ「できないこと」の方がはるかに多いのだが、少なくとも気持ちが前向きになることは、彼女の回復にとって何よりも明るい材料だ。
事実、今日のリハビリでも理学療法士のIさんが、「これだけ足が柔らかければもうそろそろ装具を外しても歩けるはずですよ」と言い、彼女をベッドの脇に裸足で立たせ「5分じっと立っていてください」とストップウォッチを押す。
これまでの彼女にとって最大の課題は「持久力」。
立ったと思った次の瞬間にはすぐ座っていた彼女だけに「5分本当にもつのかな?」と疑問だったが、結果は5分を余裕でオーバーし、Iさんも目を丸くする回復ぶりだった。
これですぐに装具なしで歩行、と一気に行けばよいのだが、ことはそれほど単純でも簡単でもない。
おそらくまだその「実現」には数ヶ月を要すると思うが、今日のこの結果や彼女の前向きさを見ているとそれも単に「時間の問題なのかな」という気もする。