みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

人間ってやっぱ

2006-04-28 01:14:11 | Weblog
年じゃないナとつくづく思う。
自分が若い頃は、「うざったい年寄り連中は早く死なないかナ?」なんてよく思っていたけれど、今は、逆に、若い子たちに自分の存在がうざったく思われているんじゃないかなとも思ったりする(それほど本気で思ってるわけじゃないけれど)。
若い時は、いつも「自分が、自分が」ばかりだから、自分の存在を認めさせるには、同じ業界で牛耳っている先輩たち(つまりはベテランの人たちということ)の存在が単に邪魔なだけだったが、逆に、若くして世の中に出ている人たちには意外と謙虚な人が多いことに驚かされる。
今日インタビューした中川晃教さんは、実際に会ってみて、実際に話しを聞いてみてとても驚くぐらい謙虚で、物事を深く考え、冷静な人だった。
「小学校の頃から自己表現の方法を模索していた」というようなことばは、そうおいそれとは出てこない。彼の話しを聞いていると、やはり、人間というのは自分で望まないモノは絶対に出てこないのだろうなとも思ってしまう。今の彼の成功や自己実現は、小さい頃から音楽で自己表現をしたい、ミュージカルこそが人間の人生をそのまま舞台の上で表現できるものだという考えを持っていた少年だからこそ出せた「答え」なのかもしれない。
コンクールにしてもオーディションにしても、一番強く望む人のところに栄冠は輝くと私はいつも思っている。この程度しか望まない人には、この程度の勝利しかもたらされない。それを欲する度合いが強い人ほどゴールにより近づける。私はそう確信している。
やはり、人間はただ年とればいいってもんじゃない。

忙しいことを言い訳には

2006-04-26 23:18:56 | Weblog
したくないけど、頭の中に何かが欠けてしまう瞬間ってのはあるんだナと思った。
連日、いろんな方をインタビューしたり(一昨日は高島ちさ子さん、明日は中川晃教さん)、原稿書いたり、flu.flu関係のリハやらレコーディング、そしてキッザニア関係の仕事(これがまたたくさんある)などで追われてしまい、自分に対して甘さや厳しさが欠けてしまったのかもしれない。若干落ち込む。
プロデューサーという仕事は、細かいことと全体への配慮の両方を綿密にやるのが仕事みたいなところがあるはずなのに、昨日はその細かい配慮、しかも一番弱い立場の若い人への配慮が足らず、ある人のお怒りを買ってしまった。
自分のミスは明らかなので怒られて当然なのだが、ふだんだったら(というより、これまでそんな間違いは一度もしたことがなかったので)絶対にしないミスを犯したことへの反省と「なんで?」という自分らしくないミスへちょっとした自己嫌悪(とまでいきませんが、少しのヘコミってぐらいかナ?)で、けっこうブルーな一日の終わりだった。
ただ、まあ、どんなイヤなことでも一晩寝れば簡単に忘れられるのが私の特技なので、今日はけっこう元気回復モードだった。
例のモーツァルト関係の本の原稿はほとんど完了(明日の中川さんのインタビューを入れれば修了だ)。
連休の間は、伊豆には行かず(連休の伊豆の道路は地獄なので、絶対に連休中には伊豆に行きたくない)東京でゆっくり過ごそうかと思うと、連休中の予定がもう既にほとんど真っ黒(あ~あ!)。
まあ、きっと今年は休めない運命なんだろうナ?

近所の家の庭のコデマリはそろそろ満開になっている。ということは、伊豆の家のコデマリも同じようになっているはずだ。
昨日の雷は春を告げる雷だったのかナ?

昨日20日は

2006-04-21 23:54:53 | Weblog
3年前に23才で死んだシューシューの命日。
今でも3年前の光景は鮮明に覚えているが、私としては「あれ、まだ3年?」というぐらいの感覚だ。
彼女が死ぬ前の23年がとても長く、わりと日常の中でシューシューと一緒にいるのが当たり前のように暮らしていたので、その後の3年がまったく別の時間の流れのように感じられるからかもしれない。
もっと長い時間が経過していたような気がした。
よく「もう新しいネコは飼わないんですか?」と聞かれるが、これはとっても微妙。飼いたい気持ちはすごくあるが、シューシューとの23年間が私にとっては特別な時間なので、それと同じような時間が別のネコで流れるとも思えないし、今は今でまったくフリーの生活(ペットと一緒の生活は拘束されることがとても多い)を十分にエンジョイしているので、今すぐに新しいネコを飼うという風にはならないだろうと思う。でも、ネコがメチャメチャ好きんばことに変わりはない。

今、ある仕事でモーツァルト関連の記事を書いている。その中でモーツァルトにちなんだインタビューをメイクアップ・アーティストの藤原美智子さん、ヴァイオリニストの高島ちさ子さん、そして俳優の中川晃教さんからとっている。今日は藤原さんの事務所にお邪魔して、彼女のインタビューをした。
うん、もともと私は彼女をあまりTVなどで見たことがないので印象の違いとかはあまりないのだけれども、私の印象は「女性」という感じ。女性なのだから「女性」という印象は当たり前のような感じがするけれども、世の中でバリバリ仕事をしている女性の中には、自分が女性であることを意識して排除しているような方もいる。あえて男っぽくしようと肩に力を入れている人もけっこういる。でも、藤原さんは、かなり自然体。それはご自分でも意識してらっしゃるようだ。
「私ってころころ変わるの」と言っていたのが妙に印象的だった。要するに素直な人なのだろうと思う。ナチュラルなメイクが彼女の基本だということだが、それもきっと彼女のこの素直さから来るのだろうと思う。「ホラーやサスペンスものはキライ。だって、生きてるだけでドキドキハラハラするのに、わざわざお金払ってそんな気分になることないじゃない」という彼女の考えもわかるような気がする。
やはり「美しいモノ」「キレイなモノ」が好きなのだろうと思う。私もその点では同感だ。今日の話のメインはモーツァルトだったのだけれども、彼女はモーツァルトの音楽の中に「ピュアな気持ち」と「けがれないの美」というモノを見ているようだった。
インタビューのタイトルには彼女のことばを使わせてもらった。「モーツァルトは幸せのBGM」。

黄砂が原因なのか

2006-04-18 23:36:25 | Weblog
花粉が原因なのかわからないが、今日はメチャメチャ鼻が苦しい。
息を深く吸い込むと(楽器をやると自然にそうなるが)すぐにセキこむ。
朝天気がよかったので、窓を開けはなっていたのが悪かったのかもしれない。

中国の砂漠化はかなりヤバイのではないのか?
放牧が原因と言っていたが、大体において森林をなくしてきた人間に対する天罰みたいなものでもある。
放牧する土地を確保するには森林を伐採しなければならないからだ。人間が自分たちが食べる肉を確保するために地球上の土地をどんどん砂漠にしていっているのだ。人間は食物連鎖の頂点にいるわけだけれども、連鎖というからには輪がつながっていなければならない。でも、きっと人間のところで輪は断ち切られているのだろうナ?と思う。あらゆる動植物はお互いに依存しあって生きているのに、何で人間だけがすべての連鎖を断ち切ろうとするのだろうか?
まあ、キレイごとだけを言っていても砂漠化を止めることはできないので、まずは肉を食べないことから始めたら?と思う。
牛肉も羊肉も人間が食べなくなれば砂漠化なんていっぺんに防げる...、ような気がするのだが、これも単なる素人考えなのだろうか?

ある仕事で明日ヴァイオリニストの高島ちさ子さんに会う予定だったのが来週に延びてしまった。彼女をインタビューするのが私の仕事なのだが、彼女の資料を読んでいるとかなり面白い人っぽい(要するに、天然の人なのかナ?)。けっこう会うのが楽しみな人だ。

合宿というと

2006-04-17 23:50:05 | Weblog
必ず天気が悪くなるのはどうしてだろう?
いつもの弟子たちの合宿でも雨が降ることが多いのだが、今回のflu.fluの合宿も雨にたたられた。
晴れたらバーベキュー、雨だったらカレー。すごい選択肢だが、現実問題大人数で料理するモノといったら限られてくる。カレーを食べながら、メンバー5人にスタッフ6人の伊豆合宿も何とか無事に終わった。

今回の合宿の目的は、基本的にはメンバーに帝王学を学んでもらうこと(もちろん練習もしたけどネ)。
人間というのは意識がすべてだ。
意識が人を動かして、行動をおこさせる。だからこそ、食べることに始まって、受験に失敗するの成功するの、仕事がうまく行くの行かないの、恋愛がうまく行くのいかないのまですべては意識が結果を作るだけのこと。意識のないところに結果はないわけで、楽器も上手になろうという意識がなければ絶対にうまくならない。でも、ただうまくなりたいという意識だけで上手になるんだったら世話はない。問題は、何を意識するかということ。簡単に言えば、どういうイメージを持つかということがポイント。具体的にどういう音を出したいかというイメージ。具体的にどういう音楽を作りたいかというイメージ。最終的には、自分がどういう音楽を作ってお客さんと対話したいかというイメージ。こういったモノがない人はまず楽器はうまくならないし、結局は何をやってもダメだと思う。
私は、音楽だけが世の中で特殊な分野ではないと思っているし、営業仕事も音楽もそうたいした違いはないと思っている。イメージを持っていない営業マンは多分成功しないだろうとも思う。モノをどうやって売るのか、そのイメージを持たないで人と接してもただ単に行き当たりバッタリの対応しかできず相手からは信用されない。優秀な営業マンだったら、人に会う前からきちんとしたイメージを持って相手と接するはずだし、そのイメージを持っていればセールストークだってきちんとした形で理路整然と出てくるだろうと思う。音楽だって同じこと。演奏する音、作り出す音のイメージを持たないママ音楽は作れない。スターになりたいという意志とイメージを持たない人は、スターになることはできない。要するに、人間に一番大事なことは美学なのだろうと思う。美学というのは哲学。哲学とはビジョンでありイメージ。
人間は、一人一人自分固有の美学を持って生きるべきだと私は思っている。
有名になりたい人は有名になるための美学を持つべきで、無名なら無名のままでもきちんと自分なりの生き方、美学が持っているべきだと思う(世の中の大半はこうした無名な人たちなのだから)。有名、無名にかかわらずカッコいい生き方をしている人たちは大勢いる。そうした人たちの共通項は美学。これはまず間違いない。カッコいい人たち、カッコいい生き方をする人たちには必ず「こだわり」がある。逆に言うと、こだわらない人たちはカッコよくないということにもなる。「何でもいい」という生き方はあまりカッコいいとは言えない。人は美学を持っている限り、哲学を持っている限り、何かにこだわるはずなのだから。それが人を説得するほどのこだわりだった時、人はそれを「カッコいい」と言うのだと思う。裏を返せば、こだわるだけでカッコいいわけではない。何をどうこだわるのか?それがどれだけの人を納得させられうのか?
これが大事になってくる。これを忘れたら人の美学は成立しない。
flu.fluのメンバー一人一人にそういった「美学」ができた時、はじめて彼女らが「カッコいい」存在になることができるのだろうと私は思っている。
美学というのは与えられるモノではけっしてなく、あくまで自分が作り上げるモノ。
それを理解することが「帝王学」の一歩になるはずなのだが...。

だいぶ

2006-04-14 02:44:14 | Weblog
春めいてきた。おとといの晩は雨風がひどく、南風にのって海の生暖かい空気が運ばれてきたおかげで「あ、春だな」という感覚を味わうことができた。へたをすると梅雨の生暖かさに近いような感じさえした。きっと虫たちも土の中や草の下ではかなり動きが活発になっているんだろうナ...。

ベランダで、ハーブをたくさん栽培している。ルッコラ、セージ、ローズマリー、クレソン、レモンバーム、アルファルファ、ついでに、去年から引き続き育てている2つのアボカドの鉢もベランダに移してあげた(もうそろそろ寒さも和らいでいるので、寒さに弱いアボカドでも大丈夫だろうから)。
ハーブというのは栽培が簡単だ。もともと雑草なのだから丈夫なはずなのだ。ほっといても勝手に育つ(実際はそうでもないけど)。
それよりもアボカドの方が難しい。昔、アボカドを育てた時は1メーター以上まで育てたことがあったのだが、結局寒さで枯らしてしまった。その教訓で絶対に寒いところには出さないようにしている(夜には家にいれる)。まあ、それほど栄養状態がいいわけではないので実がなることは滅多にないのだけど、料理で使ったアボカド観葉植物になってくれるのはうれしい。
でも、家で食べた野菜や果物の種は基本的に全部育てることができる。カボチャだろうが、すいかだろうがニンジンだろうが、種である以上実になる可能性はある。でも、これも可能性というだけで、本当になるかどうかはやってみないと分からない。げんに、アボカドだって、10個のタネのうち育つのは一つか二つ。でも宝くじよりはよっぽどイイ確率だ。

どんなに忙しくても、こんなことに時間と労力を使うだけで気持ちに余裕が出てくる。別に趣味でもなんでもないんだけど....。

今月の終わりには

2006-04-13 00:12:49 | Weblog
連休が控えているので、雑誌の連載の締めきりが必ず前倒しになる。つまり、忙しさが早めにやってくるということだ。
おまけに、今月は他の飛び込み原稿仕事(量的にはけっこうな量なのだがモーツァルトものなので引き受けた)も連休前に仕上げなければならない。
ただでさえテーマパークの仕事とflu.fluの仕事で忙しいのに...という声も聞こえてきそうだけど、仕事って頼まれるとイヤとは言えないのでつい引き受けてしまう。だって、自分を頼りにしてくれているんだから、それに応えなきゃと思ってしまうからだ。
そんなこんなだから過労で時々身体がダウン、してしまう。
昔から、わりと突っ走るタイプなので、ぎりぎりまでブレーキがかからない。というか、ダウンして初めてブレーキをかける(「それじゃ遅いやい」と言われそうだけど...ハハハハ)。

まあ、今回のメキシコ旅行は相当にキツかったようだ。帰ってきた翌日は完璧にダウン。私としては珍しく、一日中寝ていました。
過労とテキーラの飲み過ぎ(?)が原因かナ?

仕事であれ遊びであれ

2006-04-09 09:59:04 | Weblog
いつも旅行は一人で行くことが圧倒的に多い。一人旅ならでは貴重な体験ができるからだ。
今回のメキシコも、仕事には違いなかったし、滞在先では他の人たちと常に一緒に行動していたけれど(仕事なのだからしょうがない)、行き帰りはまったく一人。だからこその体験があり、とても面白かった。

行きの成田からサンフランシスコへの機内は超満員(この時期なのにナゼにこれだけの旅行者がいるのだろう?)。通路側に座りたいと何度も何度もしつこく掛かりの人に言うが聞き入れられず窓側の席をしぶしぶ受け入れる。そして、私の横に座ったのはタイ人老夫婦(なぜタイ人かとわかったかというと彼らの持っていたパスポートから)。
この二人、英語がまったくしゃべれないのにもかかわらず最初から最後までずっと私に純真な笑顔で話しかけてくる(本当に人のよさそうな人たちだ)。タイ語ではないのはわかっているのだけど、意味はまったくわからず対応に苦労する。ただ、かろうじてわかったことばが、first timeという英語。
ウム、何が初めてというのだろう?飛行機に乗ること?アメリカに行くこと?それとも、....?
いろいろ考えるがよくわからない。しかし、その後、彼らが私の行動のすべてに注目していることで、その意味も何となく理解できた。
私がヘッドホンを取り出して映画を見ようとすれば、すかさず彼らも私と同じ行動をとる。食事が運ばれてくれば、彼らも私と同じように食事に口を運ぶ(何かこんな光景を映画のワンシーンで見たことがあるような?)。
自分の行動がここまで逐一マネをされるのはとても不思議な体験だ。でも、彼らの人なつっこい純真な笑顔を見ると、何も言えなくなる。ことばではなく、身ぶり手ぶりで意志を伝えることの難しさと大切さをイヤというほど知らされ、サンフランシスコで入国手続きをする間に見失ってしまった彼らの旅が無事であることを祈るばかりだった。

帰りは帰りで、ナゼに飛行場でここまで走らなければならないのか?と思うほどの体験。
東京とメキシコの間に直行便はない。だから、乗り継ぎをいれると必然的にかなりの飛行時間になる。片道16時間はほぼ一日仕事だ。なので、帰りの便は、メキシコシティを早朝出発の便を使うしかない。前日のパーティの客が朝2時頃帰り、ようやくシャワーを浴びて、4時頃タクシーに来てもらい飛行場まで到着する。やれやれとチェックインをすませた私は、指定のゲートで入場の時間を待つがいつまでたっても一向に入場アナウンスがない。人もそれほど集まってこないので、これはひょっとしてゲートが変わったのか?と掲示モニターを見るがン何もそれらしき情報はない。
変だな?とは思いつつもそこで待つが、だんだんと出発予定時刻が迫ってくると、ノンビリ屋の私もさすがに「オイオイこれは変だぞ」と思い係りの人を探す。しかし、それらしき人が見当たらず、どうしようかと思案を始めた途端、館内アナウンスの声が突如私の名前を呼び始める。その瞬間私は、「あ、ゲートが変わって私だけが取り残されてしまったのだナ」と気づく。その時、もうすでに出発予定時刻の10分前。しかも、アナウンスされたゲートナンバーは、自分が待っていたゲートからはかなり離れた距離。あまり早くにチェックインしたせいで、その後搭乗ゲートが変わったしまったのがわからなかったのだ。
それにしても、その変更をモニターにきちんと書いておけよナと心の中でぼやくがそんなボヤキが聞こえるはずもなく、ここはひたすらそのゲートまで走るしかない。メキシコシティの飛行場もかなり広い。ゲート番号が20近く離れている場所まで歩いていくには軽く10分以上はかかる。通常、搭乗券を発行された人が全員乗込むまでは飛行機は飛び立てないことになっているのだが、私一人のために出発が遅れてしまう迷惑を考えるとここはひたすら走るしかない。そう思った私は、走ること、走ること(マジに心臓が飛び出るほど走ったので、ちょっとヤバイと思ったけど)。荷物を持ってのランニングだからそれほどスピードはでない。「なんでこんな思いしなきゃならないんだ」とぶつぶつツブやきながら何とかゲートに到着すると、今度は、入り口で念入りなボディチェックが始まる。
「遅れてるんだから、そこまできちんとチェックしなくてもいいっだろう」と思いつつも、担当のオネエさん、私の身体からピーという音が発せられた途端ここぞとばかりに端の寄れと言い出した。原因は私のベルトにあるのは間違いないのだが(彼女もそれをわかっているはずなのに)、どこまでもマニュアル通りの行動をとる。ヤレヤレ...。
メキシコに滞在した時間は実質3日あるかないかの旅行のうちまる2日は飛行機の中。こんな駆け足旅行のオチが本当に「駆け足」になってしまったなんて、シャレにもならないが、なんだかんだでようやく無事に帰りつくことができた。まあ、それだけでもヨシとしようか(笑)。



メキシコの空は

2006-04-05 13:02:54 | Weblog
相変わらず曇っています。
去年初めてこのメキシコシティに来た時は、その空があまりにもスモッグに曇っていて「ロスアンゼルス」と同じだなと思ったものだが、今回のメキシコもまったく同じ印象。
でも私はメキシコといえばここしか知らないのだから、あまりえらそうなことも言えないのだが(笑)。
仕事でこちらに来て2日目。とはいってもまたすぐ帰らなきゃならないので、昼間こっくりこっくり時差ボケしている暇はない(ハハハ、やっぱ眠くなっちゃうのはしょうがない)。
それでも、仕事はとりあえず順調(かナ?)

こちらは毎日28度ぐらいの暑さでほとんど夏。でも、朝晩はかなり冷え込むので
風邪をひかないように注意が必要。ロスアンゼルスもちょうど同じような気候で、きっとこれは砂漠とか乾燥した地域に独特の気候だなのかな思う。

毎日トルティーヤばかりのメキシコ料理だけで若干食傷気味だが、明日は会社の人が手巻き寿司パーティをするとか言って買出しにさっき行ってきた。
でも、肝心のお米が日本米が買えず(売り切れだった!)、どうなることやら、、、、。

ほんとうは

2006-04-02 00:58:10 | Weblog
今日明日が花見には絶好なのだろうが、こちらは明後日からメキシコなので、それまでに済ませておかなければならない仕事で若干アセリ気味。
とは言いいながら、今日も昼間は打ち合わせ2件。夜は、池袋の東京芸術劇場にピアノのマキシムのコンサートに行く。
終演後楽屋に行って驚いた。本当に大きい人だ(でも、顔はかなり美形)。もともとはクロアチアの人だから、大体において大きい人の多い地域なのだが、それでも日本人からすると尋常ではない大きさ。ひたすら見上げてしまった。
その後、おしゃれなイタメシ屋さんで、EMIの宣伝や制作の人たち4人と会食。
話しに花が咲いたが、帰宅後きっちりと仕事をする。
明後日の出発前に出さなければならない雑誌『ミセス』の原稿。
井上陽水のコンサート情報について書かなければならないのだが、未だにレコードメーカーからもプロモーターからも情報が届かない。明日までに届かないと、この部分だけ白紙で原稿を出さなければならなくなってしまう....。
媒体が原稿を書くと言っているのに、まったく情報を送ってよこさないメーカーというのも実に不思議な存在だ。
それとも、井上陽水ぐらいになると、宣伝なんかしてもらわなくてもいい...ぐらいに考えているのだろうか?