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みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

午前中はレッスンをして

2011-10-29 21:05:15 | Weblog
午後はある場所でコンサートを主催している企業のオーナーを紹介してもらうために六本木の会場に行く。
紹介していただくということは、私自身がここで演奏するか、あるいは私が誰かのコンサートをここでプロデュースするということなのだが、私は正直言ってこの場所自体にあまり興味は感じなかった。
特別響きが良いというわけでもないので、ここを使う最大のメリットは会場費がいらないということと、チラシなどの宣伝もこの企業がやってくださるということだ(まあ、ロケーションも悪くない)。
要はこうしたことに私がどれだけの魅力を感じるかということだろう。
今日この場所でコンサートをやられていた方は芸大出のテナーと桐朋ご出身のピアノの方のデュオで、イタリアの歌やショパンなどを演奏されるコンサートだったのだが、テナーの方の演奏がちょっと堪え難く、本当は最後まで聞いて音響を実際に試させていただく予定だったのを途中の休憩で切り上げて失礼してしまった。
ピアノの方は可もなく不可もなくという印象だったのだが、テナーの方はちょっといただけない。
私はこれまで芸大出身の声楽の方で素晴らしいと思った方に一人も出会ったことがない。
弦やピアノにあれだけ素晴らしい人材を輩出している芸大がなぜ声楽にはまったく優秀な人材を作れないのはナゼなのだろうといつも思う。
ひょっとしたらこれって別に芸大という一つの大学の問題ではなく日本の音楽界全体の問題なのかもな?と時々思う。
本当にこれだけたくさんの素晴らしい音楽家をいろんな分野で作り出してきた日本なのにこと「うた」となるとどうもいただけない。
おそらく、能の謡い、歌舞伎のお囃子、小唄、端唄、長唄などの伝統から西洋音楽の「うた」に完全に DNAが移行しきれていないのでは?とも思ってしまう。
器楽と違って、歌というのは音楽というコミュニケーションの基本中の基本スタイルなので、その基本の中にある「ことば」や「表現」というものが完全に日本人のものになるにはまだ時間が浅いのかもしれない。
クラシック以外にはsuperflyなどけっこうイケてる若い人材もたくさんいるのにクラシックの日本人の歌い手にはいつも疑問符がつく。
特にテナー、というのは何か一番日本人には向いていない分野なのかもしれないと思う。
「私のお墓の前で...」と歌う人のえぐさにはテナー歌手独特の「表現のエグさ」があって私は正直好きになれない。
テナーというのは元来控えめな分野ではなく「どこまで派手でどこまで羞恥心なくミエを切れる」かが勝負の分野だ。
大向こうを唸らせるほどの「ミエ」が切れなければテナーではないと言ってもいいだろう。
これって日本人に一番向いてないんじゃないのかナ?と思ってしまう。
バリトンやバスの渋さには共感できても、あのテナーの派手さと表現のエグさにピッタリの日本人はなかなか存在しない。

早々とコンサート会場を抜け出してそのままの足で恵子のいる病院に行く。
もう夕暮れ時に近かったが、こういう時間に恵子と二人で過ごす時間は何ものにも代え難い(夕陽がとてもきれいだった)。
柿生の駅のそばには昔ながらの和菓子屋さんがありそこで道明寺(桜餅)を2つ買う。
なにしろこのお店は何でも超安い。
田舎っぽいと言ってしまえば身もふたもないのだが、ここはこの田舎っぽい味と値段が売りな店だ。
道明寺一つ70円というのは今どきない値段だ。
病院のロビーでコーヒーを飲みながら(この病院には日本茶のサービスはない)道明寺を恵子と食べる。
二人でお茶をする時は必ずスケッチブックとクレパスを持ってくるので、彼女に「私を描いて」と注文して描いてもらう。
描いてもらうと手が不自由なことなど忘れ「あんま似てないじゃん。口が小さいよ。もう一回描き直して」などとおよそ手の不自由な病人に言うことばとは思えないように無理難題を注文する。
私としては、恵子が最も得意な絵という作業をリハビリに役に立てて欲しいという願いからそう言っているのだが、もちろんそんなことは恵子も百も承知。
「ほら口をちょっと大きくしたら少し似てきたよ」と私にタテついてくる。
「なんか昨日のドヤ顔の猫といい今日の私の顔といい、もうちょっとうまく描きなよ」などとなんクセをつける私だが内心はけっこう嬉しかったりしている(似ていようがいまいがたった16色のクレパスでこれだけの絵がどんどん描けてきている彼女の右手には本当に感謝だ)。

猫のマイケルと名付けられた枕

2011-10-28 21:51:26 | Weblog
といっても何のことかわかりにくいだろうが、この猫は実在の猫でも何でもなく恵子のリハビリのために療法士さんが作ってくれた腕置き枕の名前。
こういう枕を療法士さんたちは各患者さんたちのために手作りで作ってくれる。
幅30cm、縦20cm、厚みが4cmもないような薄っぺらい普通の白い枕なのだが、これがけっこう患者には必需品となる。
麻痺してしまった手は感覚がとても薄いので意識して上げておかないと下に下にどんどん下がってくる。
下がってくるだけならいいのだが、ひどい時にはとんでもない形に曲がってしまうこともある(感覚が本当に薄いのだから仕方がない)。
それを避けるために腕置き用の枕が必要になってくるのだ。
恵子も最初にこれを療法士さんから渡され「はい、この上に手を置いてください。そして、ちゃんと指を開いていてくださいネ」。

そう、麻痺した指は放っておくと完全に丸まってしまって、ひどい場合にはそのまま固まってしまう危険性がある。
いったん固まってしまうとそれをきちんと開くことはとても困難になる(要するに指が全部くっついてしまっているような状態だ)。
ジャンケンのグーは簡単だがパーは難しいのが手の麻痺した患者の特徴でもある。
さらにパーより難しいのがチョキ。
チョキは、グーとパーの複雑なコンビネーションなので麻痺した指にはけっこう至難の業なのだ。
そんな患者の良き友となるのがこういうリハビリ枕。
その枕に「名前をつけましょう」と言ってくれたのも療法士さん。
前から言われていた枕への命名を今日はいきなり「マイケルにしましょう」と療法士さんから言われた。
恵子が「え~!なんで?」という間もなく強引に名前はマイケルに決まってしまった。
そして「じゃあ、マイケルの絵を描いてプロフィールも作っておいてくださいネ」。
恵子が絵描きだということはいつの間にか病院中に知れ渡ってしまったらしい。
今日も理学療法士の担当の女性が夕方のリハビリ後「マイケルの絵、見せてください」と言って病室までやってきた。
「うん、さすがにドヤ顔してますネ。でも、カワイイ」とお世辞を言ってくれた。
どこがさすがなのかはわからないが、だんだん恵子のリハビリ=絵を描くことと認識されていくのは、ある意味嬉しい。
でも、私は「音楽療法もやっているんですが…」と言いたかったが、まだあまりそちらは大きな声で叫ばない方がいいのかもしれない(いろいろと問題を起こすかもしれないし)。

かくして写真の絵にあるようなマイケル、オス、3歳、色=グレー、瞳=金色、尾=長い、という架空のドヤ顔猫が一匹誕生した。


人の動作はなんて美しいんだろ

2011-10-26 23:43:48 | Weblog
と恵子に言われて見舞いに来た恵子の友人たちはキョトンとした顔をしていた。
無理もない。
別にごく普通に身体を動かしているだけなのにそんなことを言われたら誰だってキョトンとする。
でも、そのことばをはなった恵子もそうだが、この間数多くのリハビリの人たちを見てきた私もこのことばは実感としてよくわかる。
まず手の形、動き、足の形、動きの一つ一つから作り直していかなければならない多くのリハビリ患者にとって、ごく普通の人たちのごく普通の動きはこの上もないお手本だ。
ある意味、「普通」であることが「美」そのものになっているのだ。
立つこともおぼつかなく、タオル一つ満足につかむこともできない人たちにとって屈辱的とも言えるようなごく初歩的な動作の繰り返しを行う毎日がリハビリだ。
そんな人たちの肉体にとって普通の人たちの肉体はけっして「普通」ではない。

昔からバレエダンサーの動きに感動する。
それは「人間の肉体の動きの美しさ」に感動しているからだ。
今でもダンサーの動きによく感動する。
ヒップホップのダンスにも感動する。
ダンスの動きというのは人間の動きの美しさを究極にまで高めていったもの。
それに感動を覚えるのと同じぐらい、身体が麻痺した人たちの動きが徐々に回復してごくごく自然な動きを取り戻した時の感動は計りしれない。

介助されながら恵子は両足でヨチヨチと歩き始めている(時々倒れそうになるが)。
胸をはってかかとをしっかりと前に出しながら歩く姿がちょっとでも自然な形に見えた時、内心「やった!」と叫びたくなる。
右足を出して左足を出す。
ただそれだけの動作が本当に美しく見えるのだ。
「人の動作はなんと美しいのだろう」と心から思うのはそんな瞬間だ。





疲れがたまると怒りっぽくなる

2011-10-25 23:24:57 | Weblog
のだろうか?
昨日の病院での看護士さんに対する態度(面会時間を守れと言われたことに腹をたてたこと)も本当は冷静に考えれば私がもうちょっと自制すれば良いことだったのだろう。
きっと疲れがたまったのか、ストレスのせいなのかわからないが後さき見失いかけているのかもしれない。
ここはゆっくりと冷静に先を見つめていかなければいけない時なのかもしれない。
私が最近怒りっぽい顔ばかりしているのか、夕方全てのリハビリプログラムを終えて病院の一階のロビーで二人でお茶を飲んでいると、恵子が「そんなに怒らないで」と半分ベソをかき始めた。
「今、ヤマネコ(私のこと)に倒れられたり見捨てられたら私は一人じゃ生きていけないんだから」とついに彼女は本気で泣き出した。
イカン、イカン。ここはぐっとブレーキをかけてゆっくりと歩いていかねば。
彼女が倒れて以来この2ヶ月間私はちょっと急いで走り過ぎていたのかもしれない。

『面会時間以外はご遠慮ください』

2011-10-24 23:20:12 | Weblog
はは~ん、そう来たか。
そのことばが今来るとは思いもよらなかった。
まあ、確かに私が面会時間を無視して朝から夜までずっとベッタリ患者に貼り付いているのを快く思っていない人がいるかもしれないとは思っていたが、以前の急性期の病院でそんなことを言われたことはないしそんなことばが飛び出す雰囲気もまったくなかったのにいきなりそんなことばを言われてちょっと面食らった。
このことばを言った看護士さんは、恵子も「たくさんいる看護士さんの中でもちょっとイヤな感じ」と言っていた人なのだが、とうとうこのフレーズで私と恵子を攻めてきたかという感じだ。
私はこれまで毎日必死に「戦ってきた」つもりだったが、実は戦う相手が病気ではなく病院だったとは...。
今日は期しくも担当の医師にインフォームドコンセントについて質問状を書いた手紙を手渡したばかりだった。
急性期から回復期にかけてのリハビリ独特の治療計画書のフォームがあるが、それに対する質問状と療法士さんたちの治療のインフォームドコンセントのあり方に関して私なりに要望した手紙を医師に送ったのだ。
患者やその家族には、未来への希望と現状の理解というものが不可欠だ。
それを得るために必要なのは「コミュニケーション」だけなのだが、そのことに対する理解が一人一人の立場で本当にズレている。
冒頭の看護士さんのことばの表面的な理由は「規則を守ってください」だが、その裏には自分自身の立場を守りたいという意志がとても強く見えてくる。
まあクレームが実際にどこからか来たのか、あるいは、来ることを恐れているのかはわからないが、自分の立場からモノを言っていることだけは確かだ。
その証拠に他の看護士さんはそんなことは言わないしむしろ反対のことを言う人もいる。

そんなクレームも病室の中だけ。
病室を一歩出るとここは「治外法権」なのかと思うほど患者は好き勝手に行動できる。
私と恵子が外来待合室そばのカフェのテーブルでロール式のキーボード(例の通販で売っている巻けるキーボードだ)で「音楽療法」をやっていても誰も文句は言わない。
でも、きっと病院スタッフが「何を」やっているかを知ればあまり良い顔はしないに違いないのだが、二人で秘かに音楽リハビリをやっている。
このキーボードはリハビリに最適の楽器だ。
普通のキーボードやピアノのように指の深さがまったくない。軽いタッチで触れるだけで音が出る。
今の恵子の指の力でも音は出せる楽器なので練習には最適だ。
童謡の『ちょうちょ』を練習する。
ソミミ、ファレレ、ドレミファソソソ  とこの曲は右手のドレミファソの5つの音だけで曲を完成させられる(つまり、指が他の指をまったくまたがない)。これはリハビリには打ってつけの楽曲だ。
5本の指をそれぞれ独立して動かすという人の指の基本動作(それをリハビリで習得しよとしている)を得るのに楽器の習得はとても有効だ。
療法士さんも、肩の動きと指の動きでは普通肩の方が先に回復して指先はすごく後にならないと回復しないと言っていたが、恵子の場合はまったく逆。
先に指の方が回復している。
これもきっとこうした音楽療法や毎日絵日記を描いているせいに違いない。
今日も友人から贈られた『仮り暮らしのアリエッティ』の原著の挿絵を模写していたが、絵の出来が昨日よりもさらにレベルアップしている。
本人は「もう一人でトイレに行ける」と言っているにも関わらず「いや、まだ何があるかわからないのでトイレに行く時は看護士を必ず呼んでください」というこの看護士さんのように「何もやらせない」のがリハビリには最もイケないことだということを彼女はわかっているのだろうか?

まあ、いいや、それもこれも恵子が病院の予測よりもはるかに早い時期に機能を回復してしまえば彼らの鼻をあかしてやれるのだから...。






していはいけないことを

2011-10-22 23:07:35 | Weblog
他人の行為から学ぶということはよくあること。
今日、恵子の病院では「秋のコンサート」という催しが患者さん向けに行われた。
最初は誰かヴォランティアの音楽家が来て何か演奏してくれるのかと思ったが、これは病院スタッフとそのお友達が集まって患者さんたちのために行うというノリのコンサート。
キーボードが二人とクラリネットとサックスという編成(全て女性)なのだが、ふだん患者さんやご家族が自由に使うラウンジと称されるソファやイス、テーブルが並ぶ団らんの場所という所にほとんどの患者さんやスタッフなどが並ぶという光景は初めてみたのでそれだけはちょっと新鮮。
アマチュアの方たちの演奏なので演奏の出来云々に関してのコメントはしないが、一つ「他山の石」として「これはしない方がいいナ」と思いながら聞いていたことがあった。
それは選曲のこと。
私は音楽療法も含めて介護の現場での積極的な音楽のアプローチを(フルムスを中心に)しようとして思っているのだが、今日聞かせていただいた4人の方たちが選んだプログラムはひょっとしてあの病院の患者さんたちの年齢のことを考えた時「果たして適切なのか?」と思う曲が多かった。
スタンダードの曲も歌謡曲の類いもどれもあえて古い曲を入れていたのだが、その時代が「ちょっと違うのでは?」と思うことしきり。
演奏なさった人たちは20代からせいぜい30代という年齢の人たちばかり(フルムスとまったく同じ世代だ)。
患者さんたちの年齢からするとおそらく孫の世代にあたる。なのに選曲された曲はどう考えても彼女らの親の時代の楽曲ばかり(ちょっと勘違いしてないかナ?)。
音楽というのはいつも言うように「コミュニケーションの道具」。
ことばと同じように「通じ」なくては意味がない。
サントリーホールに集まるような人たちとオーケストラがコミュニケートする場合は、その媒介がベートーベンやブラームスであって全然かまわない(多分それが共通言語なのだろうから)。
同様に、ジャズのライブハウスに来る人たちの前で演歌を演奏してもこれも会話がチンプンカンプンになるだけ。
という意味では、若い人たちは70代、80代の方たちとどんな音楽で会話ができるのかをまず考えるところから始めないといけない。でないと、こういう病院や施設での慰問の意味がまったくなくなってくる。
リズムのあるノリのいい曲を選んで楽しくなってもらえればそれでいい、という考え方もあるが、逆にそれならば「演奏の善し悪し」がノリに大きな影響を与える。それこそアマチュアレベルの演奏でいいのだろうかとも思う。
ボランティアというものが「善意」というもので成り立つのであればその善意は相手に届かなければまったく意味がない。
私自身がボランティアで演奏をいろんな方々に届けるのにはまったく抵抗がないのだが、それがもし「一方的な善意」になってしまうのなら絶対にやりたくはない。
「何を演奏したら気持ちが伝わるのだろう?」「何を演奏したら喜ばれるのだろう?」
そんなことを徹底的に考えるところから音楽という行為は出発すべきなのだが、何か今音楽がどこの世界でもあまりにも「一方的に」成り過ぎてはいないだろうか?
本当に音楽がコミュニケーションになっているのだろうか?
そんな疑問をいつも抱いている。
コミュニケーションというのは相互通行が基本。
どちらか一方の思い込みや押しつけ、自己満足であってはいけない。
なのに現実はそんな音楽があまりにも世の中に横行し過ぎてはいないだろうか?
僭越ながら今日の病院の演奏会を聞いてそんなことを考えてしまった。

患者である恵子も病院スタッフから「コンサート、どうでした?」と聞かれて返答に困っていたようだ。

どこか感じる居心地の悪さは

2011-10-21 21:58:19 | Weblog
一体どこから来ているのだろうか?という気がする。
私と恵子があまりにもしゃにむに前に進もうとしているせいなのだろうか?
ちょっと病院のスタッフに煙たがられているような気もする(ちょっと浮いている?)。
毎日かなり長時間病院にいて看病をする家族もそれほど多くはない(というか私一人だけかもしれない?)。
皆さんちらちらと適当に来て適当に帰っていく感じに見えるが、私のような人間は珍しいのだろうか?
まあ、浮くなら浮くでも全然かまわないのだが、要は彼女がどれだけ早く本来の目的通りに復活できるようになるかだ。
病院の中にはいろんな人がいらっしゃる。
訓練のためにがむしゃらに病院の廊下を松葉杖で歩き回る方や、杖で歩行訓練をする人、そうかと思えば車椅子の上で何がそんなに不満なのかナースステーションの前に陣取って一日中怒鳴りちらしている人もいる(一方でリハビリの時間以外はベッドから離れようとしない人もいる)。
きっと目的は一緒(早く完治したい)なのだろうが、そのやり方は本当にさまざまだ。
なので、前の病院の医師のように紋切り型に「この病気は百パーセント治ることは不可能です」と言われて諦める人もいれば「ナニクソ」と思い頑張る人もいるのではないかと思う。
私には、この病気に克つあるビジョンが見えているのでそれを恵子と二人で実践しようとしているだけなのだが、何か時々「変なことをしているのか」と思ってしまう時もある。
回りが私たち二人とはあまりにも違うように見えるからだ。
一生懸命治そうとしていることにおいては絶対に共通の目的に向っているはずなのだが、それでもなおかつ「何か違うナ」と感じてしまうのは一体何なのだろうか?
この違和感を払拭するには二人で「結果」を出すしかないとも思っている。
そして、少しずつでもその「結果」に近づいているという確信を私も彼女も持ってはいる。

写真は、今日彼女が描いた絵。左のウォルター・クレインという有名な絵本作家のさし絵の一部を恵子がクレパスで模写したもの(右上はその模写で、右下は左手を添えながら麻痺のある右手で描く様子)。16色のクレパスの限られた色とまだほんの少ししかない右手の力で描いたものだが確実にその「成果」は見えてきていると思う。

これだから人生は退屈しない

2011-10-20 21:18:46 | Weblog
「今までも十分ジェットコースターのような人生だったのにここに来てこんな落とし穴が待っていようとは… 」と恵子が言うので、すかさず私は「なんのなんのまだこれからひと波乱もふた波乱もあるよ」と答える。
「え…!?まだ何かあるの?もういいよ…」。

人の一生は最後まで何があるかはわからない。
でもその人にはその人なりの結末とつじつまが用意されていると私は信じている。
私は作家の宮尾登美子さんのファンでよく彼女の書いた女性の一生ものの大河ドラマのような小説を読んできた。
彼女の小説に出てくる主人公の誕生から死亡までの波乱に満ちた生涯を辿るとその人の人生に次に何が起こるのだろう?というハラハラドキドキのわくわく感と読み終わった後、「ああこんな人でも結局は死んでしまうのか…」という無常感のようなものも同時に感じてしまう。
学園紛争真っ盛りの大学で知りあった私と恵子はその付き合い方もけっこう変わっていたのかもしれないが、私がある作曲家のシッポにくっついて修行をする生活を始めたために私は留年し彼女はストレートで卒業しすぐそのままデザイン事務所にデザイナーとして就職した年に二人は結婚した(つまり、私は学生結婚だったのだ)。
結婚当初はまさしく「神田川」の歌詞そのままの結婚生活だった二人がいきなり私のアメリカ留学と日本での恵子の生活という二重生活に変貌する。
一年後に彼女がアメリカに来たために日本とアメリカの別居生活はわずか一年だったがこの一年の凄まじい長さは私にとって忘れられない体験だった(彼女はその時に習っていた日本画の先生のレッスンが続けられないことをとても悔しがっていたが)。

人生のある時点で子供を持たない夫婦という選択をした二人にとって最大の喜びは二人の生活の自由さと明るさだったのだがそれが崩れかかる出来事も一度や二度ではなかった(と私の側から一方的に言うのは容易いが彼女にとってはきっとそんな単純なことではなかったのかもしれない)。
そんなこんなで40年近くつかず離れず来た二人に襲った今回の病は決して二人の人生の総括なんかではなくこれからも待ち受けているだろう新たな波乱の序章でしかないのかもしれない。

「ええ~、そんな!…まだなんかあるの?!」とベッドの上で言う彼女。
まあね、と軽くいなそうとする私だが、人生というのは瞬間瞬間に最大限の不幸も幸せもあるのでは?と思っているしそれが不幸なのか幸せなのかはその人の考え方次第だとも思っている。
人と比較さえしなければ(つまり自分自身の今をそのまま受け入れられれば)人は絶対に不幸になることはないと私は思っている。
だから私はいつも幸せ(なのかナ?)。
単純に全てを受け入れるポジティブな性格が幸いしているのかもしれない。
でも彼女はどうなのだろう?
そんなのわからないと彼女は言うが私たち二人にはこの40年間いつも実行してきたルールがある。
喧嘩したまま絶対に別れないこと。
どんなに言いあっても喧嘩しても仕事やその他の用事で出かける前には必ず仲直りすること(それがたとえ無理やりではあっても)。
朝別れて夜にはまた一緒になれるという思いこみで人や家族は暮らしているけれども、その一時的と思っていた別離が永遠の別離になるかもしれないのが人の人生だ。
どちらかが一生の後悔の念を持たないで済むために作った二人のルール。
これだけは今でもきちんと守っているつもりだ。



いったん出来ないと思い込むと

2011-10-19 23:30:00 | Weblog
それを脳から払拭するのは大変だ。
恵子は車椅子からベッドに移る動作はしごく簡単にやってのけるのに逆のベッドから車椅子に乗り移る作業に苦労している。
どうやらベッドから起き上がる動作が自分一人ではできないと思い込んでいるようだ。
転院前の病院のリハビリでもこの動作がなかなかできなかったが、きっと次のリハビリ病院に行けばもっと楽にできるようになるだろうと思っていた私の期待はちょっと裏切られた。
別にだからといって恵子を非難する気にはなれないが、「なんでできないのだろう?」という思いはある。
きっと最初に「難しい」という意識が脳のどこかに植え付けられてしまったのかもしれない。
だからちょっとしたタイミングの問題のはずなのにそれを動作にすることが難しくなっているのだと思う。
これも楽器の練習とまったく同じだ。
いったん難しい指だとか難しいフレーズだと思い込むと何度練習しても間違ってしまう。
きっと最初から「できない」という指令を脳が覚えこんでしまっているのかもしれない。
それを克服するにはいったんゼロベースに戻してゆっくりと「正しい動き」をもう一度習得し直すしか手はない。
リハビリを見ていると、私たちが日常当たり前のようにやっている動作の「正しさ」と「間違い」が良くわかる場面によく出くわす。
車椅子であっても立っての歩行訓練であっても療法士さんが必ず言うのは「かかとから足を出しなさい」ということだ。
つま先から出すと身体が確かに反り返ってしまいきちんとした美しい形で歩きにくくなる。
それは車椅子を足でこぐ場合も同じことだ。
かかとで足をこげば少ない力で早く車椅子を動かすことができる。
ということは、つま先だちで歩くことを強制される女性のハイヒールなどはこの原理にはななだ背く最も「良くない」歩き方ということになる。
きっとヒールの女性はそれだけで身体に相当の負担をかけているのでは?と思うが私にはあいくにそういう経験がないのでよくわからない。
ただ、どう考えてもハイヒールが人間の身体の理屈にはあっていないだろうなとは思う。

いつも恵子に注意する「美しい形」というのは、人間にとってとても大事なことなのではと思う例が映画にもよくある。
例えば、わかりやすいのが、役者さんが演奏家の演技をする時だ。
ピアニスト、ヴァイオリニスト、フルート奏者など音楽家の演技をしなければならない時一番大事なのもこの「美しい形」だ。
フランスの女優さんのエマニュエル・ベアールという人が主演した映画で『愛を弾く女』というのがある。
彼女はプロのヴァイオリニストの役。
当然プロっぽく弾かなければならない。
ところがこの映画の中の彼女、見ていると「本当にこの人ヴァイオリン上手なんじゃないの?」と思えるほど指の動きや楽器の構え方などを完璧に演技している。
もちろん吹き替えのはずなのだが、この映画を見る限り彼女の「形」は完璧だ。
ところが、こういう「形」を真似ることができない役者さんの演技は見ていると「絶対この人に演奏なんかできっこない」という風に見えてしまう。つまり「形を真似られてない」のだ。
楽器の演奏は実際に音を聞いてみなければ上手なのか下手なのかはわからないのだが、その人の演奏している写真を見るだけで「この人上手」「この人下手」とある程度わかってしまう。
音が「形に出ている」からだ。
リハビリから学ぶこと、それは「美しい歩き方」「美しい食べ方」など動作の美しさというのは人間の最も大事な基本なのでは?ということだ。

久しぶりの自宅

2011-10-18 22:50:36 | Weblog
での一夜を過ごした。
これが何夜も過ごせれば良いのだが(本当は自宅なのだからいくらでもいてよいはずなのだが)一泊だけでまた東京に舞い戻る。
月に一度だけ伊豆の方のフルートアアンサンブルの指導のための帰宅だ。
自分が組織したのだから責任もあるし、心待ちにしている人たちがいるのだからたとえ月に一回でも行かなければと思う。
そのアンサンブルにかこつけて自宅に戻り風通しを行ったのだが、家というのは人が住まないとアっと言う間にカビくさくなる。
それだけカビの菌というのは空気のそこら中で「今か今か」と期を待ち続けているのかもしれない。
もちろん人が住んでいてもカビが繁殖するのだが、人がいなくなった途端にカビは家中に貼り付きそこら中をカビ臭くする。
以前別荘として住んでいた時はまさしくそうだったのだが、3年前から本宅として住み始めてからカビくさくなったことはあまりなかったので、久しぶりにカビの匂いを嗅いだ感じがした。

午後東京に戻る前に伊豆高原の駅中のクラフトショップに寄り挨拶をする。
恵子が自分の作品の委託販売を頼んでいる店だ(けっこう観光客で繁盛している)。
店長から「春と秋に行っているアートフェアにも早く出品して欲しいですネ」と言われる。
来年春には彼女の作品が出品されるのだろうか?

最近よく人に言われるのは

2011-10-16 20:50:31 | Weblog
「張り切って看病をなさるのはいいですがみつとみさんが倒れてしまっては身も蓋もないですからね。気をつけてください」というようなことばだ。
「はい、もちろんわかっています」とは答えるものの看病や介護というのは一生懸命やればやるほど疲れるもの。
適当に抜いていかなければ長丁場のこの戦いを乗り切ることはできないということが実感としてよくわかってくる。
私の場合、病院での恵子の看病は何のストレスも感じないどころかむしろ病院に行くことが楽しくさえある。
彼女に会えることももちろんだが麻痺した手足をマッサージする時間がこの上なく楽しくて仕方がない。
昔、浪越徳二郎さんという指圧の先生がTVで「指圧の心、母心,押せば命の泉湧く」というキャッチを日本全国に流行らせたことがあるが、このことばは単なるキャッチなんかではなく紛れもない「真実」であることがよくわかる。
「押す」という行為はもちろんツボとかやり方を間違えない方が良いにきまっているのだが、愛情を持って「押したりさすったりする」行為は本当にその対象となる人に絶大なる効果をもたらす。
特にリハビリ中の「筋肉の動きをすっかり忘れてしまっている」身体にはその記憶を呼び覚ますためにマッサージは絶対に必要な行為だと療法士も言う。
脳卒中の体験者からも「リンパマッサージが良いですよ」と聞かされ以来それを実行しているが、別にリンパマッサージでなくともごく普通に優しくさすってあげるだけでもその効果は絶対だ。
恵子の手や足をマッサージするたびにあの浪越徳二郎さんのふくよかな笑顔が思い出されるのだが、やはり人にも言われるように自分が倒れてしまっては身も蓋もない。
ストレスだけは貯めないようにと頑張ってはいるものの、ストレスの要因というのはどこにでも転がっている。
恵子の看病でストレスを感じることはまったくないが、お年寄りと同居というのはけっこうツライ時もある。
ただ、それをとうのご本人にぶちまけるわけにはいかない。まあ、だからストレスになるのかもしれないが(笑)。
そうしたストレスが爆発寸前になるものをどうやっておさえこもうかと毎日工夫している。
で、結局音楽が一番良いということになる。
つまりは仕事するのが一番、ということになってしまうのだ(この結論は自分でもけっこう笑える)。
楽器をやる、曲を作る、アレンジをする、音楽を聞く....。
音楽というもののそばにいる自分がやはり一番ストレスフリーなのかもしれない。

自ら膝まずいて問診してくださる先生

2011-10-15 21:08:14 | Weblog
に恵子も安心したのだろう。
「あの先生、いいネ」。
上から目線ではなく患者のことを考えているという安心感を与えることができるのが本来の医者のつとめだと思うのだが、転院前の急性期の病院ではあまりそういう気持ちになったことはなかった。
とはいえ、今日が転院後の最初のリハビリでどんな療法士さんが担当なのかと興味深々だった。
恵子の担当は、理学療法士さんも作業療法士さんもどちらも女性。
午前中が作業療法士のTさん(どういうわけか恵子の担当の療法士はこれまで全てTのイニシャルで始まる人ばかりだ)。
最初は問診から始まったが、その問診でちょっと私が語気を荒げてしまう場面があった。
「利き腕をスイッチする訓練をしますか?」
療法士の彼女がそう聞いたのはきっと仮に本来の利き腕が思う通りに回復しなかった時の保険として考えてそちらも...というつもりだったのだろうが、私にはこの消極的な姿勢がとてもイヤで「それはぜったいヤメてください。そんな消極的な姿勢でリハビリしても絶対に良くなりませんヨ!」
いつもはそんなに声を荒げるタイプではないのできっと療法士の彼女も私の剣幕にちょっとビビったのかもしれないが、彼女はあわてて「はい、わかりました。あくまで右手だけの機能回復を目指していきましょう」
当たり前ジャ、と叫びたくはあったが病室の中でそんなやり取りは回りの迷惑なので「はい、そうしてください」と言うにとどめた。

私は、何事にも「やれる」と思ってやらない人は絶対に何もできないと思っている。
もちろん、信じれば何でもできるとは思わないが、最初から「できないかもしれない」と思っていたら絶対に「何もできない」と確信している。
「できる」というイメイージを持たない限り楽器だって何だってできるはずがない。
私はいつもリハビリを成功させるのは本人のイメージ力が最も大事ななのだからといつも「正しいイメージ」を持てるようにそれこそ毎日いろいろな角度から「洗脳」している。
ちょっとでも「普通の人らしくない」身体の形をすると「その指の形おかしいよ。その肩の上がり方変だよ」と直させる。
まだ麻痺がある身体なのだから普通の格好ができないのは当たり前なのだが、それでも常に「正しいイメージ」を持ち続けることは最終的な「仕上がりがどうなるか」を決定づける大事な要因になる。
だから「毎日練習続けなよ」とも言う。
「練習しないと楽器だってすぐ下手になっちゃうんだからリハビリも毎日の積み重ねが大事だよ」
「じゃあ、天才は?」(彼女はきっと「天才は練習なんかしなくても上手なんじゃないの?」ということが言いたいらしい)
「天才でも練習はするよ。でも、天才がイメージしているものは我々とは全然違う。そこが天才の本質なの。天才は別に私たちより早く指が動くわけではないし、私たちより圧倒的に優れた身体的能力を持っているわけじゃないの。彼らの持っているイメージのレベルが高いだけなの。それが天才」
これで恵子が納得したのかしないのかはわからないが、「きれいな動きをする手や指、足のイメージを持つこと」が早い回復と完全な回復に役に立つことは確信している。

転院

2011-10-14 22:07:02 | Weblog
した先はこれまでの病院とは違い、リハビリに特化した病院。
とは言っても看護士もいれば医師もいる。リハビリのための療法士さんたちだけがいる病院ではない。
これまでの病院との大きな違いは一日の中心がリハビリであるということだけ。
同室の患者さんの中には比較的若い(30代か40代だろうと思う)女性がいてその方は脳梗塞とクモ膜下で倒れた後のリハビリで入院しているという。
恵子と同じ右手右足の麻痺だ。
彼女はギブスをはめた状態で比較的上手に杖もつかずに歩いている。
7月の発症から3ヶ月でこの状態まで回復するということは(しかも、恵子の脳出血よりもはるかに重篤な状態からの回復だ)恵子のリハビリにも期待がもてる。
リハビリ専門病院の特質はこんなところにもある。
病気の種類も重さもまったく違う人たちが同居する一般病院と違い、同じリハビリという目的でそこにいる患者さん同士というのは共通の目的を持っているだけにお互いに参考にしお互いに励ましあうことができるからだ。

ここ最近恵子はどんなに下手な絵であっても不自由な右手で絵を描いたり日記をつけたりすることを自分の日課(というよりはこれもリハビリの一つだろう)にしている。
今日は、このリハビリ病院に移った記念に私の絵を描いてくれた。
まあ似ているとか似ていないとかいう問題ではなく(全く力の出せない手で描いた絵なので)、私を知っている人ならきっと「なるほどネ」と納得できる絵なのではないだろうか。

「今度は歩いて遊びに来てね」

2011-10-13 22:14:54 | Weblog
こんなT理学療法士のことばで東京医療センターでの最後のリハビリプログラムを終えた。
平行棒での歩行は昨日と今日とうとう療法士さんの介添えなしで自力で歩けるところまで行けた(とはいえ、まだメチャクチャぎこちない動きなのだが)。
「順調過ぎるほど順調に来ているので明日からのリハビリ病院でのプログラムも楽しみだネ」
T理学療法士のことばにはいつも愛がある。
比較的大柄のまだ若いこの療法士さんの恵子の身体に対する扱いには本当に愛情を感じ常に好感と安心感を持って横で見ていられた(身体つきが大きいことも安心して見ていられた理由の一つだったが)。
ただ、こういう急性期の病院のリハビリでは一人の療法士さんはいちどきに何人もの患者の面倒を見なければならないので治療の途中で恵子がほっぽられてしまうこともあったがそれでも彼の優しさと適切な治療にはいつも救われた。
何よりもことばに愛情がこもっていた。
それに引き換え…。
医師のことばには何度傷つけられたことか。
お医者さんというのは何を一体守ろうとしているのだろう?と思うほどそのことばが患者や家族の方に向かっていない(きっと自分にしかことばが向っていないのだろうと思う)。
患者や家族がこんなことばを聞いたら一体どういう風な気持ちになるだろうと考えているのだろうか?
「今の医学ではこうなっている。これが厳然たる事実だから。」
「この病気の場合、手足の機能が百%回復することはありませんから」
じゃあ、あなたは病院を2か月以内で追い出した後患者さんのその後を姿をじかに見ているのですか?全ての患者さんを追跡調査したのですか?
と医師にこう突っ込んでみたくなる。
リハビリに関しては療法士さんや看護士さんのことばの方がはるかに信頼できたしこちらの気持ちも何度も癒された。

明日からのリハビリ病院には一体何が待ち受けているのだろうか?
期待と不安で明日を迎えるこの気持ちは何か遠足前日の子供のようでもある。


楽器の習得とリハビリが

2011-10-12 23:01:16 | Weblog
これほど似ているとは思いもしなかった。
というか、楽器を習得することとリハビリというのは「まったく同じ」だと言っても過言ではないと思う。

リハビリでおそらく一番誤解されやすい部分は、「失われた能力をもう一度復活させること」と理解されやすいところだと思う。
今回妻の恵子が脳卒中に倒れ、リハビリ生活を余儀なくされたことによって私自身もこの一ヶ月以上毎日リハビリの現場を観察させていただいたりいろいろな関係者や病気の体験者の方々から話を聞き、この「リハビリと楽器を習うことが一緒」というコンセプトはとっても大事なポイントだということに気がつくことができた。
リハビリは「復活」ではなく「新しい技術の習得」と理解しないとおそらく失敗する。
これは体験者の方から最初に言われたことでもあった。
「一度切れた神経はもう二度と繋がらない。もう一度1から神経をつなぎ直す作業がリハビリです」。
一度失った身体の能力を復活させようとするとどうしても無理なリハビリをしてしまいがちになる。
例えば、右手が動かない。だから動かそうとする。それ自体はすごく自然なことだし誰しもそうしようとするだろうと思う。
しかし、ここで気をつけなければならないことは「無理にやらないこと」だ。
今までできたことが「なぜできないんだ」とイライラし右手を無理に動かそうとするとその「無理な動き」を身体が結果として覚えこんでしまうのだ。
楽器の習得でも同じことがよく起きる。
ある特定のフレーズに来ると間違える。だからそこを繰り返し繰り返し練習してできるようにする。これもごく自然な行為だが、ここで無理に弾こうとすると「同じ間違いを何度も繰り返してしまう」ことになる。
身体が間違いを覚えてしまっているからだ。
本当は正しい指の動きを覚えなければならないのに、身体が「間違った指の動き」をひたすら覚えこんでしまう(こうなると練習自体が弊害になってくる)。
リハビリにも同じ落とし穴がある。
無理に右手を動かそうとする。
すると、その「無理な動き」を身体が覚えてしまって、はたで見ているといかにも「病気上がりの人のギコチない動き」になってしまってけっして「健常者の動き」にはならない。
リハビリは最終的には「正しい動きを習得する」ことにあるのに、いかにも「変な動き」を覚えてしまうことが往々にしてあるのだ。

では、どうすれば良いのか?
これも楽器の習得の場合とまったく同じ。
正しい動きや正しい音楽の流れをイメージすればいいのだ。
その正しいイメージを指が覚えこめば結果として「正しい演奏」ができるようになる(原理的には)。
何度も何度も練習して「間違い」を覚えるような愚を絶対に犯してはならない。
リハビリの場合にも、健常者のスムースで自然な身体の動きをイメージしてそれを真似る。
この方法がリハビリには最も効果的だ。

恵子にもいつも注意している。
「無理に右手や右足を動かしちゃダメだよ。正しく動かしなさい。どんな時もキレイな動きをイメージすること。」
まったく神経の通っていなかった右手は少し動かせるようになった今でも、注意しないと手の指が丸まってきてしまう(指の筋肉というのは縮むことの方が簡単で伸ばす動きは案外難しい)。
その丸まった指を「手のモデルさんのようにきれいに指を伸ばしてください」と注意する。
演奏でもイメージするもののレベルが高ければ高いほどその人の上達は早い。
楽器の先生は初心者ほど最高レベルの人を用意しなければならない。
リハビリでも同じことだろうと思う。
イメージする動きのレベルが低くては奇麗な動きを作りようがない。

リハビリが身体の動きである以上、それは必ず「音楽と同じ地平にある」。
そう確信している。

恵子のリハビリ専門病院への転院は明後日だ、