みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

置き去り

2014-03-31 09:14:56 | Weblog
恵子の病院に毎日のように行っていると、私のように毎日家族の誰かが訪れていることがけっこう珍しいということに気づく。
私は、ここ数年介護施設をたくさん訪問し仕事として音楽サービスを行っている。
その中で気になることがたくさんあるのだが、その中でも最も気になるのが施設の中に入居者のご家族の姿があまり見えないことだ。
ウィークエンド中心に訪問していたにも関わらず参加する50人前後(大体平均するとこれぐらいの数だろうか)の入居者の人たちの家族が同伴していることは稀で家族の方たちは一体いつ来るのだろうと思ってしまう。
もちろん私たちが施設にいる時間そのものがとても短いわけだからその時たまたま家族がいないからといってずっと家族が来ないなんて決めつけるのは早計だとは思うのだが、ホーム長さんやスタッフの話を聞くと私の危惧もまんざら自分勝手な思い込みだけでもないようだ。
最近は自らの意思でわりと若い時期からこうした施設に入居する人も増えているそうだが(比較的経済的に恵まれている人たちに多い傾向だという),これまでの介護施設のイメージは「乳母捨て山」そのもので、ある意味「厄介払い」という側面が否めなかった。
それが未だに尾ひいているのだろうか…。
ある施設長曰く「見学の時に駅から遠いとか何々が不便だとかいろいろ細かい事をおっしゃられるご家族ほどいったん預けてしまうとほとんど来なくなってしまいますね」。
そうなのだろうと思う。
生きてるって人と人がつながること以外のなにものでもないし、家族以上に大切なものなんてあるわけないのに、なんか人って「勘違い」しながら生きていくものなのかもしれない。
お金が一番大事とか出世が一番大事と勘違いしたり….。
例の「現代のベートーベン」騒ぎだって、当のご本人は大勘違いなのだろうが、それを煽ったメディアも大勘違いだしそれを鵜呑みにした世の中だって大きな勘違いをしたわけだと思う。
よく考えれば「…んなわけないだろう!」と言えるのによく考えもせずに「おお、すごい!」と思ってしまったりする。
介護だって、よくよく冷静に考えれば、自分の家族以上に大事なものはないわけだし、お世話をする人の「心」をまず考えなければならないなんてことは誰だってわかるはずだと思う。
そんな当たり前のことが置き去りにされてしまうことがどれだけ辛いことなのか、きっと自分が同じ目にあって初めてわかることなのかもしれない。



手術後二週間

2014-03-29 22:02:09 | Weblog
毎日のように病院でリハビリの様子を見学しているが、恵子の足の強さがそれほど骨折前と比べて衰えていないことに驚く。
荷重ゼロのリハビリというのは、体重を足に乗せてはいけないというリハビリなので歩行の練習はまったくできないので、筋肉がまたこの数週間のうちに衰えてしまうのではないかと心配していたが、彼女の右足は案外とその筋力を保ったままなようだ。
療法士さんが「はい、右足で私の手を押して」という声に、療法士の彼も驚くほどの力でけり返す。
「これなら骨折前は装具なしでも歩けたでしょう?」と療法士が聞くが、彼女はこれまでにまだ一度も装具なしで歩いたことはない。
もちろん、今しばらく歩行訓練はできないのだが、これが元の歩行訓練に戻った時に装具を手放すことができるかどうかは彼女の精神状態次第なのではないかと思う。
私が大丈夫だと言おうが、療法士が大丈夫だと言おうが、本人が自分の身体の筋力や体力を信頼していないことには彼女の足は一歩も先に進まないだろう。
私たちの身体を動かしているのは、彼女の身体の筋肉それ自身なのではなくあくまで「脳」なのだということを、私はこれまでの彼女のリハビリをずっと見てきて確信している。
これは、私たちが「あがる」時の状態によく似ている。
「あがる」ということは、すなわち脳にかかるプレッシャーが私たちのことばや身体の動きから本来の機能と能力を損なわせてしまうということだ。
できるはずのことがいとも簡単にできなくなってしまう。
つまり、それは自分で自分にかける「暗示」の結果に他ならない。
恵子はそれをこれまでに何度も何度も体験している。
そんな動きなんてすぐできるだろう。できないはずはないじゃないかという動きが「固まり」まったく動けなくなってしまう。
もちろん、彼女の場合は、あがったわけではない。
「できないかもしれない」という怯えと恐れと自信のなさが身体を硬直させてしまうのだ。
そうした時の私の役目はいつも彼女の脳から「呪縛」を解き放つことだ。
なので、今の入院生活は、彼女に新たな「暗示」をかけ直す期間なのかもしれないと思っている。
昨日も知り合いの別の療法士から「これが怪我の功名になればいいですね」というメールをもらったが、私の望んでいるのはまさしく「それ」だ。
文字通りの「ケガの功名」。
今回の骨折で、彼女の頭の中からこれまであった「自信」は一度取り除かれてしまったかもしれないが、また「新たな自信」が作り直されてくれればよいなと思っている。
私の目から見ても、これまでの彼女の動きには「無駄(これが彼女の脳の中のプレッシャーから来ていることは明らかだ)な動きが多かった。
そうした私が直そうと思っていた無駄な動きがもう一度修正されて「もうこれで大丈夫」という新たな自信を彼女の脳が持つための再訓練期間であってくれればと願っている。




ギフティッド

2014-03-26 19:39:05 | Weblog
新潮社が毎月出している自社の出版物の宣伝用冊子の「波」に古くからの知り合いの作家石川好氏が私の新刊『奇跡のはじまり』について素晴らしい文章を寄稿してくれた。
その中にこんな文章がある。
「著者が米国に留学していた頃、障害者に対する呼び名はhandicappedであったが、その後disabled(上手にできない人)、そして今日ではgifted(神より贈られし人)という風に変化している。
要介護人であれ、知的身体的障害者であれ、彼らが神から贈られし人であるなら、介護に回る人間は、その神から贈られし人とつきあうという意味になる」。
石川好氏は高校時代からアメリカに渡りその奇想天外なアメリカ体験を書いた『ストロベリーロード』で大宅壮一賞を取った人なので英語やアメリカ事情には特に詳しい。
そんな彼が障害者を意味する英語の変遷に絡めてこんな一節を書いてくれた。
そうなのだ、現在身障者はハンディキャップットやディスエーブルドと呼ばれた時代から一歩先へ進み、私たち音楽家やアーティストの「才能」と同じようにギフティッドと呼ばれている(ただし、元々英語でgiftedはダウン症の子供のことを指していた時代もある)。
このギフトは誰からいただいたものかといえば当然それは神からの贈り物。
そしてその恩恵を世の中に還していく行為こそがまさしく「ギフティッド」なのだ。
だとすれば私たち音楽家も当然「いただいた物」を何らかの形で還していく義務がある。
問題は、この「ギフト」を与え、いただくという関係性そのものの中に潜んでいる。
一昨日行った伊東市主催の「認知症を考えるためのコンサート~音楽の力とシンプソロジー」という催しのトークで私が強調したのは「音楽はコミュニケーション、ならば介護もコミュニケーションではなくてはならないのでは」ということだった。
それが「ギフト」を与え、いただくということとどういう関係があるのか。
私たち人間のコミュニケーションというのは、必ずしもことばなどで「相手を理解する」ということだけではない。
そもそも人間同士が理解しあうなんていうことはとっても難しいことで、本質的に「そんなこと本当にできるの」というぐらい私たちの「心」や「身体」とそこから生まれて来る一人一人の「様子」は異なっている。
だからこそ、私たちは相手に何かを与え、もらいそして与えという関係を大昔から続けているのではないのか。
これがコミュニケーションの原型なのではと私は最近思い始めているのだ。
人間がことばで物事に「論理」を作って思考というものを組み立てられるようになったのもきっと脳(特に左脳)が異様に発達してしまったせいだろう(おかげで、この発達した脳が年をとって縮んでしまい認知症などに悩まされるようになったのだ)。
私たちはこの世にいろんな形で生まれて来るので、一人一人が「何」を持っていて「何」をするために生まれてきたのかは人によって違う。
だからこそ、何かを与えて何かをいただくというコミュニケーションが、人と人との関係には根本的に必要だったのではないのか。
そう考えると合点がいくことが多々ある。
私たちが与えられた「音楽」という能力はもしそれが「与えられた」ものであるならばそれはどこかで「お返し」しなければならないものなのだろう。
でも、そうであるならば、心や身体に障害のある人たちには一体何が「与えられて」いるというのだろうか。
素直に考えれば、身障者の人たちはそれぞれいろいろな「ハンデ」を背負っているのだから、「与えられている」どころか逆に何かを「奪われている」のではないのかという疑問も沸いてくる。
しかしながら、こう考えるとわかりやすいかもしれない。
例えば、私の妻のように「右手の自由が奪われている」「右足の自由が奪われている」その状態を健常者である私が見た場合、必ず気づくことがある。
それは、「私は、なんという素晴らしい能力を与えられているのだろう。右手が自由に使えるじゃないか!右足が自由に使えるじゃないか!」
こう考える私の意識は一体誰から与えられたものなのか。
それは、右手右足にハンデを持つ妻の恵子から与えられたものに他ならない。
つまり、この世の中で「与えられる」ことも「奪われる」ことも、共に同じ価値のあるものだということに気づかせてくれる。それが「ギフト」なのではないのか。
「介護する者」もいつかは「介護される者」になる。
介護する者とされる者が同じ目線でコミュニケーションを取り合うなんてこと、ユマニチュードの発案者に言われなくても、私たちは常に考えなくてはいけないはずなのに、それができていないことこそが介護の最大の問題なのではないのか。私にはそう思えてならないのだ。

骨折

2014-03-14 07:49:32 | Weblog
三年前に妻の恵子が脳卒中を発症した時にもそう思ったことだが、人生には何が待ち受けていてそれがいつ目の前にやってくるのかということは本当に予測がつかない。
いわゆる「一寸先は闇。
それが人生」みたいなことなのだろう。
こんなこと当たり前と言えば当たり前のことなのだけれども、いざそれが現実となるとそこから自分の立ち位置をどう変えるのか、あるいは変えないのかでその後の人生に対する処し方も大きく違ってくる。
つまり、「運命」はいつも変わり続けているということだ。

一昨日恵子が室内で転び、大腿部頸骨骨折という診断で急遽手術をすることになった。
手術は昨日の午前。
損傷した骨の代わりにピン(一本の長さが12cmぐらいと医師は説明してくれたが)を二本取り付けて固定するという方法だったが、手術自体は問題なく終わったものの、問題は、彼女の骨自体が相当弱っていたということ。
医師の説明によれば、長期に渡る入院中に骨が弱ってしまったことと、年齢による骨の老化などで、せっかく入れたピンがちゃんと固定されるかどうかを長期に渡って経過観察し、なおかつ「体重の負荷をかけないリハビリ」を行っていかなければならないということで、また長い入院生活を強いられることになった。

病気の発症から2年半たって相当調子が上向いてきた矢先でもあり、私自身の介護メソッドを綴った著書『奇跡のはじまり(新潮社)』という本を出版したばかりなので残念至極には違いないのだが、リハビリを本当に長い目で見ればこういう事態もある程度予測できたことであり、悔やんでみても始まらない。
落胆はしているものの、気持ちだけは前向きにひたすら「頑張ろう」と自分自身を励ますのみだ。
昨日も義理の妹(妻の亡くなった弟のお嫁さん)から電話があり、「お義姉さんには悪いけど、この二年間24時間介護を続けてきた義兄さんに小休止をくれたと思えば良いんじゃないのかナ。別に後ろに戻ったわけじゃないし、単なる足踏みと思って骨休めしてください。お義兄さんが倒れてしまったら、それこそ一番困るのは義姉さんなのですから...」。
彼女は、医療関係の大手出版社に勤めるキャリアウーマンなので、仕事柄お医者さんとのおつきあいが多い。
ひょっとしたら、こういう状況を他で経験してきたのかもしれない。

確かにそういう見方もあるなと思う。
ここ数ヶ月恵子の調子は寒い冬から脱出するように本当に上向きに推移していた。
特に手の動きは前とは比べ物にならないほど活発で、リハビリで毛糸の編み物までしているぐらい(もともとの得意分野なので手の不自由さがそれほど苦にならないようにも見えた)。
以前よくパッチワークを作っていたので「おう、また作れるじゃん」といった会話までしていたぐらいだった一方で、「なにか手伝うことない?」といったことばが頻繁に出て来るようになり、嬉しいと思う反面「焦り過ぎなければよいが…」という心配をしていた矢先でもあった。
よくスポーツの骨折事故で言われる「初心者はあまり事故を起こさない。ちょっとうまくなったぐらいはが一番事故を起こし易い」ということばが思い起こされた。
まさに、そういうことだったのかもしれない。
回復しなければ、しなければと焦る気持ちとハヤる気持ちが「事故」に結びついてしまったのかもしれない。

ただ、起きたことは仕方がない。
これは単なる「足踏み」。
けっして「振り出し」に戻ったわけではないし、人生「解決できない問題などない」といつも思いながら暮らしてきたのだから、どこかに「答え」は用意されているはず。
人生を俯瞰で見れば、一つ一つの事件はそう「たいしたことではない」のかもしれない。

ユマニチュード

2014-03-11 18:50:14 | Weblog
ということば、最近認知症に関連してよく使われている。
私の最新著『奇跡のはじまり』を読んだある友人からいただいた感想の中に、私の介護メソッドが「ユマニチュードのように、さらに具体的かつ分かりやすい形で社会に浸透してゆく事を願ってやみません」と書かれていたので、今さらのようにこのことばの定義を調べてみた。
「「見つめる」「話しかける」「触れる」「立つ」を基本に、“病人”ではなく、あくまで“人間”として接することで認知症の人との間に信頼関係が生まれ、周辺症状が劇的に改善するというメソッド」だという。
私はこの解説を読んでちょっと驚いた。
「へえ、この介護メソッドのどこが新しいんだろう。これって当たり前のことなんじゃないの?私なんかいつもやってることばかりじゃない」
私は、いつもそう思っている。
ただ一方で、さまざまな介護現場では必ずしもこれが当たり前にはなっていない現実も数多く存在する。
たまに「ええ?そんなんでイイの?」と思うような現場にも遭遇する。
きっとこういうユマニチュードのようなことが今さらのように強調されて「相手の人間性に触れることが大事ですよ」と言われなければ気がつかないほど介護の現場ではこうした基本的なことがおろそかにされているのかもしれないし、難しいことなのかもしれない。
なぜそうなるのか。
それは、介護する人たち自身がとっても疲れていること。
そして、何よりも、介護する側の人たちが「こうすれば楽に車椅子に乗せられます」「こうすれば腰を痛めないでお風呂のお世話ができます」といった技術的なことやノウハウばかりに気を取られ、自分がお世話する相手(つまり、介護される人)と「コミュニケーション」を取ろうという意識そのものが欠如しているからだ。
私が、大手の介護企業と契約してこれまで二百近い施設を回って延べで一万人近いお年寄りたちと接してきたのも、妻の介護でやってきたことも「コミュニケーション」以外の何ものでもない。
私たちは、介護施設に「音楽を演奏」しに行っているのではない。
「音楽でどうやったら一人一人の方とコミュニケーションが取れるのだろうか」という思いで行っている。
自分の目の前にいる人たちは全て戦争を経験している人たちだ。
現在施設に入居されている人たちはまず間違いなくその年代の人たちだ。
もうそれだけでも尊敬に値するし、一人一人から聞きたいことは山のようにある、と思いながら演奏する。
これがなければ介護施設で演奏しても、「単なる自己満足」で終わってしまう。
「音楽はコミュニケーション」。
「介護もコミュニケーション」。
私にとってはこれが当たり前だ。
家族だって夫婦だって仕事だって、コミュニケーションをどうやってうまく行っていくかが「上手に生きる」コツ。
ある意味、これに失敗すると「生きる」ことに失敗することにもつながっていきかねない。
特に、介護の現場、とりわけ認知症のお年寄りで一番厄介なのは、このコミュニケーションの取り方が難しいことだ。
施設には、認知症やパーキンソン病など、本人の意志に関係なく大声や罵声や暴力的な言動に走る人がいる。
これはこれで本人の責任ではない。
病気がそうさせているだけなのだ。
ただ、そうは思っても、この状況に不慣れだったりその認識がないとコミュニケーションの基本は根底から覆されてしまう。
ことばで説得しようとしても拒否されたり、手をひいて「おウチへ帰りましょう」と連れて行こうとしても手を払いのけられたりすると、慣れない人はきっと頭に血が上ってしまうだろう。
あるいは、落ち込んでしまうかもしれない。
しかし、人間は視点を変えるとけっこううまく物事を理解できたり行動もスムーズに行うことができたりする。
ポイントは、「コミュニケーションの方法はいくらでもある」と思うことだ(きっと、ユマニチュードというのは、この辺をうまくことばにしているのだろう)。
ことばだけが意志を通じ合う方法ではないし、スキンシップも認知症の患者さんとかには、逆に「攻撃されている」と理解されてしまうことがある。
だからこそ「音楽」というコミュニケーションツールは介護の現場にはとても有益だと思っている。
この思いは、介護現場を経験すればするほど「確信」に近いものになっている。
自分の妻には音楽を「リハビリ」のツールとして使っている。
お年寄りには、いろいろな意味での「コミュニケーション」ツールとして音楽を活用している。
別にユマニチュードなどということさら新しい言い方をしてみなくても、病気の治療も介護も音楽も基本は「コミュニケーション」なんだから、「見つめる」「話しかける」「触れる」「立つ」なんてこと、至極当たり前のことだと思うのだが。