恵子の病院に毎日のように行っていると、私のように毎日家族の誰かが訪れていることがけっこう珍しいということに気づく。
私は、ここ数年介護施設をたくさん訪問し仕事として音楽サービスを行っている。
その中で気になることがたくさんあるのだが、その中でも最も気になるのが施設の中に入居者のご家族の姿があまり見えないことだ。
ウィークエンド中心に訪問していたにも関わらず参加する50人前後(大体平均するとこれぐらいの数だろうか)の入居者の人たちの家族が同伴していることは稀で家族の方たちは一体いつ来るのだろうと思ってしまう。
もちろん私たちが施設にいる時間そのものがとても短いわけだからその時たまたま家族がいないからといってずっと家族が来ないなんて決めつけるのは早計だとは思うのだが、ホーム長さんやスタッフの話を聞くと私の危惧もまんざら自分勝手な思い込みだけでもないようだ。
最近は自らの意思でわりと若い時期からこうした施設に入居する人も増えているそうだが(比較的経済的に恵まれている人たちに多い傾向だという),これまでの介護施設のイメージは「乳母捨て山」そのもので、ある意味「厄介払い」という側面が否めなかった。
それが未だに尾ひいているのだろうか…。
ある施設長曰く「見学の時に駅から遠いとか何々が不便だとかいろいろ細かい事をおっしゃられるご家族ほどいったん預けてしまうとほとんど来なくなってしまいますね」。
そうなのだろうと思う。
生きてるって人と人がつながること以外のなにものでもないし、家族以上に大切なものなんてあるわけないのに、なんか人って「勘違い」しながら生きていくものなのかもしれない。
お金が一番大事とか出世が一番大事と勘違いしたり….。
例の「現代のベートーベン」騒ぎだって、当のご本人は大勘違いなのだろうが、それを煽ったメディアも大勘違いだしそれを鵜呑みにした世の中だって大きな勘違いをしたわけだと思う。
よく考えれば「…んなわけないだろう!」と言えるのによく考えもせずに「おお、すごい!」と思ってしまったりする。
介護だって、よくよく冷静に考えれば、自分の家族以上に大事なものはないわけだし、お世話をする人の「心」をまず考えなければならないなんてことは誰だってわかるはずだと思う。
そんな当たり前のことが置き去りにされてしまうことがどれだけ辛いことなのか、きっと自分が同じ目にあって初めてわかることなのかもしれない。
私は、ここ数年介護施設をたくさん訪問し仕事として音楽サービスを行っている。
その中で気になることがたくさんあるのだが、その中でも最も気になるのが施設の中に入居者のご家族の姿があまり見えないことだ。
ウィークエンド中心に訪問していたにも関わらず参加する50人前後(大体平均するとこれぐらいの数だろうか)の入居者の人たちの家族が同伴していることは稀で家族の方たちは一体いつ来るのだろうと思ってしまう。
もちろん私たちが施設にいる時間そのものがとても短いわけだからその時たまたま家族がいないからといってずっと家族が来ないなんて決めつけるのは早計だとは思うのだが、ホーム長さんやスタッフの話を聞くと私の危惧もまんざら自分勝手な思い込みだけでもないようだ。
最近は自らの意思でわりと若い時期からこうした施設に入居する人も増えているそうだが(比較的経済的に恵まれている人たちに多い傾向だという),これまでの介護施設のイメージは「乳母捨て山」そのもので、ある意味「厄介払い」という側面が否めなかった。
それが未だに尾ひいているのだろうか…。
ある施設長曰く「見学の時に駅から遠いとか何々が不便だとかいろいろ細かい事をおっしゃられるご家族ほどいったん預けてしまうとほとんど来なくなってしまいますね」。
そうなのだろうと思う。
生きてるって人と人がつながること以外のなにものでもないし、家族以上に大切なものなんてあるわけないのに、なんか人って「勘違い」しながら生きていくものなのかもしれない。
お金が一番大事とか出世が一番大事と勘違いしたり….。
例の「現代のベートーベン」騒ぎだって、当のご本人は大勘違いなのだろうが、それを煽ったメディアも大勘違いだしそれを鵜呑みにした世の中だって大きな勘違いをしたわけだと思う。
よく考えれば「…んなわけないだろう!」と言えるのによく考えもせずに「おお、すごい!」と思ってしまったりする。
介護だって、よくよく冷静に考えれば、自分の家族以上に大事なものはないわけだし、お世話をする人の「心」をまず考えなければならないなんてことは誰だってわかるはずだと思う。
そんな当たり前のことが置き去りにされてしまうことがどれだけ辛いことなのか、きっと自分が同じ目にあって初めてわかることなのかもしれない。